第6話 死神、心臓と欠落
鼻歌まじりのふざけた案内は、しかししっかりと目的地へと導いてくれていた。カルディアの持つ研究室は地下の中枢にある。周囲は通路と階段、病室のようなベッドが数百台。重厚な扉の前に導くと、ベンジャミンはクルクルと回った。
「さあ、ここだよ! 誰が開ける? やっぱりー、僕だよね! 偉いし、ファーストだよね!」
反応に困る一人芝居をし、ベンジャミンは思いきり扉を開けた。
「カルディアさま、お客さまですよ〜」
大きな声で一言。しんと静まりかえるごちゃごちゃに物や紙で溢れた広い研究所の隅から、小さな返事が聞こえた。もぞもぞと一部の物の山が動き、緩慢な動きで手が這い出る。それから乱れた明るい髪と血色の悪い肌、皺だらけの白衣。何かを探すように手が床を這う。
「眼鏡、眼鏡……あ、あった」
大きな丸眼鏡を掴み、立ち上がる女性。前髪を適当に払いのけて眼鏡をかける。入り口を見て微笑んだ。薄いえくぼが浮かんでいる。
「可愛い妹と弟たち、久しぶり」
「お久しぶりです」
シャーロットがスカートの裾を摘み、礼をとる。カルディアとは甘党仲間で可愛がられている。猫かぶりの上手い彼女の周囲には愛らしい花が舞っているかのようだ。
突然の猫かぶりにオスカーは戸惑っている。エヴァンはベンジャミンと二人、噴き出すのを我慢して肩を震わした。何も言わないのが吉だと伝えると、オスカーは納得できていないように頷いた。
「これじゃあ入れないだろうから、すぐに片付ける」
カルディアが白衣のポケットからキューブを取り出した。手のひらサイズの木で出来た、どの面も美しい正方形だ。それを空中に投げると、キューブのなかを展開する。織り込まれた木の板は広がり、曲がり、大小様々な歯車に噛み合い、腕となり、足となり、胴を作り、人の形となった。心臓内部はビフレフト鉱石が輝いている。
人型になったキューブは床に転がっていた物や書類を素早く拾い上げ、それぞれの机、棚にまとめて収納する。元の綺麗な床が見えた。
椅子を人数分運び、エヴァンたちは座るように促される。次にキューブが運んできたのは、タイヤのついた担架だった。そこにオスカーの母親を乗せるためだ。
丁寧に優しく、エヴァンは彼女を担架に乗せた。スカートの乱れを正し、椅子に腰掛ける。
「コンパクトな小間使いですね」
「良い目の付け所だ、エヴァン。これはね、ビフレフト鉱石の最高傑作だよ。これを人間が見たら腰を抜かして地団駄を踏みながら私に教えを請うに違いない! 人間の肉体の構造を細かく、毛細血管まで調べ上げ──」
「素晴らしい発明かと」
話が長くなりそうなので、エヴァンはとりあえず褒めて話を止める。仕事を一段落させた機械はぴょんと飛んでキューブの姿に戻り、カルディアの手元に戻った。
「充電しなきゃいけない。意外と鉱石を消耗するんだ」
別に必要ない情報だ。半分聞き流して軽く返事する。
褒められたカルディアは満更でもない様子でオスカーの母親を見た。キューブは再び白衣のポケットのなかだ。肩にどこから現れたのか、真っ赤な鳥──不死鳥が止まった。
「彼女は?」
「魂を取られた人間です。私の見立てでは魔術師が関係しているかと」
魔術師の言葉に、カルディアの顔が引き締まる。
「それで私に調べるように連れてきたわけか」
カルディアの頭上に天秤が浮かぶ。本部で死神の力を行使しても人間の目から消えることはない。オスカーは彼女の天秤に見惚れて立ち上がる。腕と支柱はユズリハの幹、何度も育っては落葉するユズリハの葉が鎖に絡まっている。地味な天秤であるが、簡素な美しさを見せていた。
ユズリハの花言葉は新生、再生。一度人間としての生を終えたはじめての女性は、流転の母と滅びの父の間の子として産まれた。カルディアにふさわしい植物だ。
青白い手を母親の胸の前にかざす。
「開け。生命の真髄、人生の種」
指先が沈み、オスカーの母アビゲイルの胸のなかを弄った。しばらくして、カルディアが眉を寄せる。何かを見つけたようだ。それにエヴァンは首を傾げた。魂は愚か、何もなかったはずだが。疑問に思っているうちに、カルディアが一握りの何かを取り出した。
どくん、どくん、どくん。
心臓の鼓動に酷似した音が鳴るそれは、七色に輝いている。
「ビフレフト鉱石!」
シャーロットが声を荒げて立ち上がり、カルディアの持つそれに詰め寄った。魂のそれに似せたビフレフト鉱石が脈打っている。
「そんな、最初に調べた時にはなかったわ!」
「君たちが調べて、これが取り出されるまではどれほどの時間をおいた?」
カルディアの視線がこちらに注がれる。
「一週間は最低でもかかっています」
「ならば納得いくよ。それぐらい時間があれば、ほんの小さな鉱石でもゆっくり成長する」
「もしくは、誰かがこっそり入れたかだよねえ!」
白手袋に包まれた手が、ビフレフト鉱石をつまみ上げ、観察する。
「ここまで綺麗にカットされてるのは、ただの職人ではないね」
ベンジャミンは笑って──しかし目は笑っていない──鉱石をカルディアの手のひらに戻す。
「エヴァンの推測通り、あの魔術師の仕業だね。間違いないよ!」
「解析しよう。肉体の保護を行うから、エヴァン以外は外に出てくれ。ケーキは空いているデスクに置いてて」
ちゃっかりケーキの箱であることを確信している辺り相当な甘党だ。改めて認識する。オスカーはケーキの箱を言われた通りに空いている机の上に置いて、ベンジャミンのエスコートに従った。このままドミナのところに行くつもりらしい。
心配そうに何度もオスカーは振り向いて研究室をあとにした。残されたのは、カルディアとエヴァン。空っぽのアビゲイル。
タイヤのロックを器用に足の爪先で外し、担架を押す。カルディアが先頭に立って奥の両開きの扉を開けた。手術室を彷彿させる部屋と繋がっている。
手術台にアビゲイルを乗せて、カルディアはボサボサの髪をリボンで結び直した。不恰好な三つ編みが一本出来上がり、後ろに無造作に投げる。
「お気遣いありがとうございます」
棚から香油を取り出すカルディアに礼を言う。振り向きもしないで彼女は惚けるように肩を竦めた。
「何のことだか」
「あいつのことを、オスカーに話してしまうところでした」
「まだ話していないのか」
呆れながらカルディアはアビゲイルの前髪を払い、顔に香油を塗りたくる。次に手術台近くの小さな台から黒いトランクを出して置いた。ロックを解除して解放されたトランクは化粧箱だ。
静かに見つめ、エヴァンは嘆息する。
死化粧はもともと肉体の保護の方法だった。それが魔法使い経由に漏れて現在、死者のために施されるようになった。肉体の保護を行うのは、悪魔の身勝手で魂が肉体から離れてしまい、朽ちてしまうのを防ぐため。化粧をすることで肉体の存在を強く表示する。
「私としては、話した方がいいと思う。……もしかして、怖い?」
沈黙。否定も肯定もしないエヴァンだが、彷徨う視線と震える肩が肯定を示していた。
「一人の人間を怖がるとは。君も臆病になった」
柔らかなブラシがアビゲイルの顔を彩る。
「それだけではないか。確かにデリケートな話ではある。君の腕と眼、君のはじめての弟子の魂を奪ったあの魔術師の話は」
「今度は全力で守ります」
「オスカー・ビスマルクは
「分かっています」
「いや、理解していない」
カルディアは顔を上げた。手際よく彼女の化粧は完璧に施されている。青白い肌は活気に溢れて今にも瞼を開けそうだ。
「彼は少しばかりモーリス牧師と似ている。雰囲気がね。真摯で優しいところが、特に」
痛いところを突いてくる。エヴァンは心のなかでカルディアの言葉に頷いた。確かにオスカーの雰囲気は昔の親友であり、はじめての弟子に似ていた。だからこそ、ビクトリア号で声を自然とかけた。本来ならあまり関わらないようにするというのに。
両手の指を組み、エヴァンはそばにあった椅子に座り込む。肉体の保護を学ぶために新米の死神が見学する用の椅子だ。
「ドミナさまがヴィクトリア大帝国に君を派遣させたのは正解だな」
よくお聞き、エヴァン。
カルディアに呼ばれて顔を上げる。肉体の保護の魔法を終えたカルディアが隣に座る。
「この騒動は君の腕と眼を奪った魔術師の仕業だろう。君がボロボロになって本部に帰ってきた時、私は君の天秤を見て驚いた」
十数年前、一人の魔術師に敗北し、腕も眼も、親友の魂を奪われて監禁されて逃げてきた当時のことを思い出す。フラフラで記憶も朧げながら、本部のエントランスホールに倒れこむ自分を心配そうに見つめる死神たちを覚えている。
すぐに異常がないか調べられ、その結果、エヴァンの魔法の源である天秤は一部かけて上手く放出機と噛み合わないことが分かった。死神の肉体の欠損は天秤の欠落である。補うためには義手と義眼が必要だった。
記憶と意識が朦朧としたのも、突然の天秤の欠落による余波。治るまで十年は要した。
「私の推測通りなら、これから恐ろしいことになる」
キューブを二つ取り出し、投げる。人型になった二体の鉱石人形がアビゲイルを担架に乗せて手術室をあとにした。研究室前の病室のベッドに寝かせるのだろう。カルディアの若葉色の瞳には、弟を心配する慈愛に満ちている。彼女は分厚い眼鏡を外す。
「君の腕と眼──欠落した天秤となって使われている可能性が高い」
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