第5話 死神、弟子と本部

 次の日の朝、エヴァンは珍しく外に出た。オスカーの学校がはじまるのは明日だ。それまでにやるべきことがある。片手にはメモ用紙一枚。後ろにはしっかりとアーネストが付いてきている。リードなしの黒い大型犬に周囲は、ざわめきながらも通り過ぎていく。


「ブライアンさん、どこかお出かけかな?」


 巡回中のレイモンド巡査が声をかける。至極真面目に頷いたエヴァンに何かしら感じ取ったのか、道中気をつけて、と念を押してまた巡回へと戻って行った。

 レイモンド巡査が人混みのなかに消えるのを見送り、もう一度メモ用紙を見る。記されているのは、今から行く店だ。何度も自分に言い聞かせる。


「大丈夫だ、エヴァン。俺はやればできる」


 ここまで来れたのは大きな進歩だ、と振り返る。

 リサーチは完璧だ。レイチェルやオスカー、そこら辺に売ってある雑誌、それらを駆使してエヴァンは得た情報をシャーロットとともに吟味した。


 あとは揃えるだけのこと。金さえ出してやれば大丈夫なのだ。しかしながらそれまでのプロセスを考えると目眩がした。目的地へと向かう足取りは近くなるたびに重くなる。

 そして。


──着いてしまった。


 エヴァンは顔をひきつらせる。絶対に入りたくない。


 チョコレートブラウンの煉瓦造りの建物一階。入り口のお洒落な扉の隙間から、甘い香りがむわりとエヴァンの鼻孔を襲撃した。客の女性が出てきて更に濃くなる。慌ててエヴァンはハンカチーフで鼻を塞いだ。アーネストがやれやれと言った顔で尻尾をゆっくり振っている。


 もうお分かりだろう。

 ここの建物は洋菓子店を営んでいる。チョコレート専門だ。ビフレフト鉱石で栽培しやすくなったのはカカオの木も同じだ。現在は高級品だったチョコレートも砂糖も下層階級にも安全に出回るようになった。甘いものが嫌いなエヴァンにとっては何にも嬉しくない進歩である。


 しかしながら時にはこれが同僚たちに効く。特に仕事の手伝いをしてもらいたい時や、休日の交代、などなど。その詫び、またはお駄賃として譲渡するのだ。


「よし」


 冷や汗を垂らし、エヴァンは店内に入る。ハンカチで口元を覆う大型犬を連れた怪しい青年に、店内はざわめく。ヒソヒソと話す奥様方を無視し──甘い匂いでいっぱいいっぱいなのだ──エヴァンは店員の女性にチョコレートケーキをホール二つ注文した。


「持ち帰りでよろしいでしょうか。こちらでの食事も可能で──」

「持ち帰りだ」


 思い切り首を横に振る。全力の否定に店員が笑みを凍らせながら箱詰めをする。店内に食事スペースが用意されているが、苦行でしかない。何が楽しげに会話しながら劇物の匂いを浴び、劇物を口にしないといけないのか。


 金を払い、お釣りと商品を受け取って足早に外に出る。なかのケーキが崩れようがエヴァンは構わず早足でフラットに引き返した。彼のそばを通り過ぎた人間たちは口を揃えて言うだろう。


「すごく目が死んでた」と。


 帰り着いてエヴァンは大家の部屋の扉をノックする。のんびりとした返事が聞こえて扉が開く。美しい白髪、深いブラウンのワンピースドレス。腕には椿の首輪をした白猫カメリアを抱いている。


「おはようございます、マーサ夫人」

「おはよう、エヴァンちゃん。今日はどうなさったのぉ?」


 いつまでも少女の面影のあるマーサ夫人は特有の間延びする言葉で問いかける。ついでに、レイチェルじゃなくてごめんなさいね、と言われ、苦笑してしまった。


「別に重要なことは何も。今日はプレゼントです」


 一箱ケーキを差し入れる。受け取ったマーサ夫人は蕩けた笑みで大事に箱を抱きしめる。カメリアが床に降りて、物欲しそうに一つ、鳴く。


「あらあらぁ、だめよぉ、カメリアちゃん。猫ちゃんには危険な食べ物なのよぉ」


 夫人はしゃがんでカメリアの頭を撫でる。残念そうに鳴くカメリアの頭をアーネストが舐めた。すると不機嫌そうにアーネストから離れて部屋の奥に小走りで行ってしまう。


「ありがとう、エヴァンちゃん。今日のお茶会に出すわねぇ」

「私は紅茶だけで構いませんので、私の分は夫人に差し上げます」


 参加するのは決定事項だ、と明言しているエヴァンに、夫人はにこやかに頷いてみせた。二人だけの秘密だと唇に人差し指を押し当て、うら若き乙女の華やかさを称えて夫人は部屋に戻った。


 部屋に戻るとシャーロットとオスカーが朝食を終えていた。焼いたベーコンと卵、蒸したジャガイモに丸いパン。エヴァンの席にちゃんと用意されてある。


「買ってきたのね、デザート!」


 甘党のシャーロットが目を輝かせている。


「お前の分じゃない」

「えーっ!」


 冷蔵庫に仕舞い、エヴァンは席についた。オスカーが作ってくれたのだろう。レイチェルほどではないが美味しい。


「あれはカルディアさまへの贈り物だ」

「カルディア、さまって、死祖ウト・ペル・マルテルの、ですよね?」オスカーが紅茶を入れてテーブルに置いてくれた。

「ありがとう。……そうだ。彼女は本部と呼ばれるところにいる。今日は、君と母君を本部に連れて行こうと思う」

「ということは、下僕ちゃんのお母さんをカルディアさまに見せるのね」


 頷いてベーコンを口に放り込む。塩味のきいた肉に、目が蕩ける。寄せていた眉を緩ませ、朝食は和やかに終わった。


「カルディアさまなら、もっと詳しく調べてくれるだろうし、肉体の保護の呪文をかけてくれる」

「肉体の保護?」オスカーが首をかしげる。

「そのままの意味だ。魂のない肉体は朽ちる。死と同義になってしまうが、肉体の保護をかければそれを遅らせることができる」

「そんなことが可能なんですか?!」

「可能だ。癒しの心臓カルディアさまならできる」


 食器を片付け、荷物をまとめる。作成した書類もついでに提出する算段だ。重たい紙の束をトランクにひとまとめにして、三人は寝室に集まった。アーネストとアンネはお留守番だ。


 オスカーはまとまらない寝癖を気にしながらも、エヴァンが買ってきたチョコレートケーキを大事に落とさないように抱えた。


「では、確認だ。シャーロット」

「書類はばっちり」

「オスカー」

「言われた通りに部屋の鍵はしっかりと締めてきました! レイチェルさんにもお昼は必要ないと報告済みです!」

「よし。これで周りは怪しむことはないだろう」


 キッチンも綺麗に片付け、火の後始末の確認も終えた。窓も閉め、カーテンは沈黙を保っている。トランクをシャーロットに託し、エヴァンは上着の内ポケットに隠していた銀の鍵を取り出した。寝室の扉の鍵穴に差し込んでから、オスカーの母親を横に抱き上げる。


 前に支部を通して本部に行ったが、もう一つアクセスできる方法がある。それが銀の鍵だ。全く飾りのないアンティークの銀の鍵は、特別な仕様となっている。どの扉の鍵穴にも差し込めるそれは、扉一枚先の空間を本部へと繋げてくれる──ただし正面入り口にしかアクセスできない。これは終末の調査任命の際にドミナから渡された。あまりにも簡単に行けるので銀の鍵を持つ者は限られており、死祖とその秘書である死神の数人ほどしか持てない。


 本来ならエヴァンが持つものではないのだ。

 シャーロットが銀の鍵を右に三百六十度回した。一回転すると、解錠の音が聞こえた。鍵を抜き、ドアノブを回して開く。


「わ、あ……!」


 オスカーが感嘆の声をあげる。扉の先はリビングではなく、本部のエントランスホールと呼ばれるところに繋がっていた。

 ここが正面入り口だ。


「ようこそ、死神機関本部へ」


 ゴシック調の廊下にオスカーは足を踏み入れた。恐る恐る一歩進む少年に、思わず微笑む。エヴァンたちは現在本部の一階にいる。エントランスホールはとても広い。吹き抜けの天井はドーム上で、大きなシャンデリアが妖しく照明の役割を担っている。床は黒の大理石だ。周囲には他の死神たちが忙しなく早足でエントランスホールの別の部屋に行く廊下へ行ったり、上階に向かう二つに分かれた階段を登ったり降りたり。


「すごい……」


 建物内はゴシック建築を主体としているが、装飾などは世界の文化がたくさん多用されている。

 オスカーの新鮮な反応に、エヴァンとシャーロットはしたり顔だ。


 するとフラッシュが二回瞬き、エヴァンは眉を寄せた。このシャッター音とフラッシュの源はすぐに見つかる。振り向くと古いカメラを三脚に乗せた紳士が立っていた。ふんわりとした金髪をなびかせ、漆黒のフロックコートとスーツに、上等なシルクハット。目は猛禽類のように鋭く、灰色に濁っている。


「ベンジャミン」

「そうだよ、僕だよ〜、君たちのベンジャミンだよ!!」


 ベンジャミンはにこりと笑ってエヴァンとシャーロットに抱きついた。衝撃でシルクハットが大理石に溢れる。オスカーがそれを拾って差し出す。

 厚い抱擁を交わしたあと、シャーロットは逃げるようにベンジャミンから離れた。エヴァンは気にしておらず、抱擁を受け入れて体を引く。


「ありがとう!」


 オスカーからシルクハットを受け取り、ベンジャミンの興味はエヴァンたちからそちらへと移った。白い手袋を纏った指先で顎を撫でながら、オスカーの髪の毛の先から足の爪先まで眺めた。彼の長い鼻先がとても近い。

 彼の悪い癖だ。エヴァンは苦笑してベンジャミンの肩を叩いた。


「近いですよ。彼が困ってます」

「そうかい?」

「ええ、とても」


 残念そうに体を引くベンジャミン。対してオスカーはホッと息を吐いてエヴァンのそばに逃げた。


「誰、ですか?」


 絵画の気持ちが分かったオスカーは警戒心いっぱいの顔でベンジャミンを見上げる。


「彼はベンジャミン・マイブリッジ。統括の女主人ドミナの秘書だ」


 シルクハットを胸に掲げ、ベンジャミンは紳士の礼をとった。その姿勢は美しく、華やかである。


 古代の死神であるが、彼は途中で写真に没頭し、改名することになった。苗字は写真家の一人から引用したものだ。没頭ぶりは凄まじく、彼の自室──本部のドミナの部屋の隣にある──には彼のコレクションが壁と天井を埋め尽くしている。専用の暗室も増築し、天秤の放出機──死神の力の源である天秤の力を発揮してくれるもの。エヴァンのヴァイオリンもそうだ──にオブスキュラを用いるほどだ。


「はじめまして、人間の少年よ! ベンジャミン・マイブリッジだ。好きに呼んでくれたまえ!」


 シルクハットを被り、ベンジャミンはオスカーの肩に手を置いて、前へと押す。


「さっ、探検しようじゃあないか! 幼い子には冒険をさせよって、東洋のナントカで言うだろう?!」

「やめてください」


 あまりにも突飛な発言に、エヴァンとシャーロットが口を揃える。

 悪い人ではないが、突然の行動をする時があるので相対しているときは気をつけなければいけない。


「その下僕は、私の。勝手にあっちこっちに連れていかないで頂戴」

「カルディアさまに用が。ドミナさまのもとにも行く予定もあります」


 シャーロットが不機嫌に睨む。おもちゃを取られた猫のようだ。先輩の死神にこうも楯突くとは、余程オスカーのことを気に入っているようだ。雑用をしてくれる小間使いといったところか。自分の弟子なのだが、と溜息を吐きそうになる。


 ベンジャミンは無言で睨みを躱し、考え込む。指先が顎と唇を撫でるのは彼特有の癖だ。何か思いついたのか、満面の笑みでベンジャミンは頷いた。ピン、と右の長い人差し指が立つ。


「私も一緒にいこう! 私の華麗なる案内についてきたまえ!!」


 颯爽と秘書は歩きはじめた。無駄のない足取りだ。思わずシャーロットを顔を見合う。


「……疲れる」


 同意見だ。エヴァンは頷いて仕方なくベンジャミンの案内に続いた。

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