第11話 死神、自殺と吸血

 午前の授業は自習に変わり、虚無のような時間を過ごした。オスカーの姿にそばを離れないほうがいいと判断したエヴァンは天秤の力を発動させて彼の隣にいることにした。その際にアーネストはフラットで事務作業をしているシャーロットを呼びに行かせた。昼には来るだろう。


 ペンを握ったまま呆然としながら空席になった隣を見つめたオスカーの姿は痛々しいものだった。

 虚しい時間のあと、裏庭へとエヴァンはオスカーを連れた。閉鎖的な空間に親友さえも失いかけた少年を放っておくのはとても忍びないものだった。


 鬱蒼と生い茂る緑の木々の根元に座り、オスカーは糸が切れたように座り込んだ。手から落ちかけた弁当箱をエヴァンが受け止める。テオの弁当箱は教員に預けられ、今頃あの朗らかな母親のもとに行っているだろう。


「食べるんだ、オスカー」


 無気力の少年の肩を掴む。隣に座り、弁当箱を開ける。ぎゅうぎゅうに詰められたサンドイッチの形は崩れていない。


「食べることは生きることだ」


 一切れのサンドイッチを差し出す。

 無言でオスカーがそれを見る。


「今は食べれないよ」

「いいや、食べるんだ」


 オスカーの腹が鳴る。バツが悪い顔でオスカーは視線を地面へ逃した。


「君の肉体は生きろと言っている」


 口元に押し付けると、逡巡しながらオスカーはサンドイッチを受け取った。一口を齧り、ヘブンリーブルーの瞳が潤んだ。


「……テオが自殺するなんてありえない」


 一切れ分を喉奥に飲み込んだあと、ポツリと呟く。エヴァンは黙ってサンドイッチを差し出し、水筒の紅茶をオスカーの隣に置いた。自分用にこっそりと取っておいたサンドイッチを懐から取り出して齧る。


「自殺とは禁忌だ」


 エヴァンの言葉にオスカーは弾かれたように顔を上げた。そんな彼に、エヴァンはチョッキに繋いだ懐中時計を見せる。


「これを君は知っているだろう?」


 問いに頷く。

 この懐中時計の性能は大陸横断大型蒸気機関車ビクトリア号で発揮された。死を予測し、カウントダウンを開始する。それを真鍮の鎖に指を絡めて弄ぶ。今は静かに時を刻むだけの時計だ。


「これは自殺には反応しない」

「え?」

「反応できないんだ。これの意味が分かるかい、オスカー」

「……」


 些か難題だったようだ。首を傾げてオスカーは答えを探すも、首を横に振った。エヴァンは懐中時計を弄ぶことを止め、懐へ戻す。


「誰にでも天命というものがある。どう生きるか、どう死ぬか、どこで何をしていくか。自殺は自分自身のそれを突然壊す行為だ。宗教に関係なく、我々死神機関は自殺を禁忌と定めている。天命を破壊する行為だけではない」


 エヴァンは視線を周囲へと動かした。鼻がとある匂いを嗅ぎ取ってヒクつく。鉄錆に似た匂いだ。


「天命を破壊することで魂は穢れる。穢れたことで産まれるのは、吸血鬼ヴァンピーアという哀れな迷い子だ」

「……吸血鬼……? 本当にいるんですね」

「いるとも。今小説で賑わせている吸血鬼とは僅かな違いはあるが、起源は自殺したことで魂が穢れてしまった死者だろう」

「穢れる……彼らはどうなってしまうんですか? テオもなってしまうんですか……?」

「テオは無事だろう。死の匂いがしなかった」


 オスカーがホッと安堵する。しかしそれでも顔色は優れなかった。それを鋭い目で見つめる。


「他にもいるんだな、自殺者が」


 小さな肩が震えた。図星を突かれたオスカーは悲しげに顔を歪めた。


「──五月前に、ちょっとした休みが入ったんです」


 紅茶を一口ほど含んでオスカーは顔を両手で覆った。


「それで僕は父さんのいるフランスへ行ったんです……でもこの休みが入ったのは、上級生の三人が集団で自殺したからなんです」


 突然の集団自殺は穏やかな学校に衝撃と暗雲をもたらしたことだろう。生徒三人の自殺の原因は解明されておらず、いじめではないか、と言われていた。しかし、彼らは全員クラスの人気者だったのだ。


 突然の自殺、原因不明。

 似通った事件にエヴァンは眉をひそめた。


「三人は、吸血鬼になったんですか……?」

「ああ、すべからく」

「どうなるんですか?」

「見つけ次第捕縛するのが基本だ。彼らを放置すれば生者が犠牲になる」


 ご覧。エヴァンは校舎の屋根を指差した。


「耳を凝らし、目を澄ますんだ」


 難題な指示に、オスカーは文句も言わずに従った。体と顔を向け、意識をエヴァンが指差した方向へと集中させる。沈黙がしばらく続き、オスカーが小さく悲鳴をあげた。

 震える背中を優しく撫でて、目を細める。


 二人の視線の先にあったのは、人の形をかろうじて保っている化け物だった。ブレザー姿の血まみれの少年たちが三人、ふらふらと彷徨っている。


「目を合わせてはいけない。餌食になりたくないのであれば」


 オスカーは慌てて俯く。


「名前が吸血鬼と名付けられたのは、彼らの習性からだ」


 まるで生きた屍のような彼らの口元からは涎が垂れている。


「生者の血を媒体に魂を吸う」

「何故そんなことを」戸惑いながら震える唇が問う。

「生者の魂を吸うことで自身の穢れが癒されると信じている。無論そんな簡単に穢れが癒されることはない。彼らがしているのは、阿片を吸っていることに変わりはない。癒されることはなく、延々と魂への飢餓が続く」

「吸われた人はどうなるんですか?」

「人格が変わる。明るかった人間が原因もなく暗くなったり、健全だったのが突然アルコール依存に陥ったり。人それぞれだ。ただ百八十度変わってしまうことは確かだ」


 顔を真っ青にさせてオスカーは息を呑んだ。


「吸血行為を繰り返せば知性が蘇る。理性などない。ただずる賢く、凶暴に、獲物を狩る」


 自殺した日数からして彼らはまだ凶暴性を見出してはいないだろう。一人でもなんとか対処できる案件である。吸血鬼を捕縛するのは死神の義務だ。捕縛して本部へ送れば、癒しの心臓カルディアを筆頭とした癒し課の死神たちが吸血鬼の魂を浄化してくれる。浄化が終われば、輪廻か地獄か天国か、はたまたヴァルハラか、とその後は他の魂の対処となんら変わりはない。


 エヴァンは今すぐ見つけ次第捕縛へと向かわなければならない。けれどもオスカーから離れるのは忍びないものだ。そう思案していると足元の影からアーネストが現れた。のっそりとした動きで這い出た体躯がエヴァンの脚に擦り付けられる。


「呼んできたようだな」


 機械的な羽音が上空からした。オスカーが顔を上げると一瞬にして顔を真っ赤に染めて両手で顔を覆った。機械仕掛けの梟アンネとともにシャーロットが上から降り立つ。フリルのスカートが大きく膨れてなかが見えていることに全く気にしていない。慌てて来たのだろう。乱れた赤毛を弄ぶように指で整える。彼女の頭上でゼフィランサスの天秤が浮いていた。


「来たわよ」

「遅かったな」

「仕方ないじゃない。レイチェルを誤魔化すの大変だったんだから。あの子、意外と勘がいいのよ。──にしても、血なまぐさいわね」


 幾度も鼻を動かし、シャーロットは周囲を見回した。そして三人の吸血鬼を見つけて眉を顰めた。


「あれを捕縛するために私を呼んだの?」

「いや。あれは初期段階の吸血鬼だ。私一人でなんとかなる」

「じゃあ私は何をすればいい?」

「テオという少年が今朝、学校で自殺未遂をした。すぐに彼の魂に干渉して調べてくれ」

「なんでまた……」


 納得できていないようだ。


「ただの自殺ではないような気がする。今はまだ確証を得ないが、念のために調べてくれ」

「仕方ないわね。相棒だもの、働いてやるわよ。近くの病院に送られているだろうからすぐに見つけるわ。探し物は得意なの」


 自信満々にシャーロットは微笑んでから、乱雑にオスカーの頭を撫でた。

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