第3話 死神、遊戯と仕事

 仲直りできたあと、義眼を右目に嵌め、アルコールランプの火を消して何でもたくさん入れられる旅行鞄に入れた。

 今からやることは友情を深めるには必要不可欠だ。


 トランプなどのボードゲームを遊び、二人で食堂車でおやつをわけながらもたくさん食べた。ランチで出て来た嫌いなものを交換した悪いこともした。温かいチャイを飲んでスパイシーな刺激に二人で眉を寄せ合った。


 エヴァンの個室に戻り、オスカーの話を聞く。

 ヴィクトリア大帝国の帝都ロンドンの一画にあるフラット(アパートメントのこと)に住んでいること。


 そこの大家である初老の婦人が親切でいつも美味しい紅茶を入れてくれること。彼女と一緒に住む美しい女性から様々な勉学を教わり、いつか大帝国一の小説家になる夢のこと。フランス=ルイ王国──ヴィクトリア大帝国より東にある国で、料理が美味である。余談であるが、エヴァンも美味しさのあまり泣いたことがある──に出張しに行った父に会いに行き、現在帰りの最中であること。


 細かいところまで話す頃に、蒸気機関車はユーラシア大陸とヴィクトリア大帝国をつなぐ大帝国第一鉄道海橋に入った。ここを渡りきれば、ヴィクトリア大帝国に入国する。


 もう一つある第二鉄道海橋を大陸へと向かう、女帝の亡くなった夫アルバート公から名前を拝借した大型蒸気機関車アルバート号が車両の窓から見えた。

 二人ですれ違う鋼鉄の車体を見送る。


 エヴァンがちらりとオスカーの横顔を見る。少年の瞳は好奇心に溢れ、丸い眼鏡ごしでも分かるほど、ヘブンリーブルー色の瞳は鮮やかさを増していた。その瞳がエヴァンに向けられている。


 第二大型蒸気機関車アルバート号の姿はもう遠く、見えなくなっていた。


「エヴァンはどうしてここにいるの? 旅行の帰りだよね?」


 名前からして、オスカーはエヴァンがヴィクトリア大帝国の人間であると推測した。ブライアンの姓は南西部に多い。

 エヴァンは静かにオスカーの方に体を向け、居住まいを正した。オスカーもエヴァンに倣い、姿勢良く窓の淵に掛けていた手を膝の上に乗せた。


「仕事であちこち回っているんだ」


 窓からの景色が海から人工物に変わる。古代ローマ神殿とゴシック建築をごちゃまぜにしたプラットホームに入った。速度をゆっくり落し、車両はヴィクトリア大帝国に入国を始める。


 もう誰もが立ち上がって車両から降りようとするのに対し、エヴァンは全く座席から立ち上がらない。焦る様子が一切ないこちらに、少年はそわそわとして、首を傾げて立ち上がる。

 荷物を取りに行かなければならない。オスカーは扉の取ってに手をかける。


「なんの仕事だと思う?」


 フロックコートの下に隠されていた懐中時計を取り出し、時刻を確認する。スン、と彫りの深い鼻が動き、死の前兆の匂いを嗅ぎ取った。


 この匂い、どう表現しようか。


 腐敗。

 湿気。

 水気のある土。

 朽ちかけた花。


 それらを混ぜ合わせた匂いだ。


“カウントダウン、開始”


 懐中時計から無機質な性別の分からない声がした。


テン──”


 失速する車両、人々が出ようと荷物を持ってプラットホームへ急いだ。


「楽しかったわね!」


 個室の前を外へ向かう少女たちの元気な声が通り過ぎる。

 懐中時計のカウントダウンは止まらない。


ナインエイトセブン──”


「今から仕事をはじめなくてはいけない」


 オスカーはエヴァンの口から漏れた声の冷たさに体を震わせて、エヴァンを振り向く。


シックスファイヴフォウ──”


 深い土の穴から出て来た恐ろしい何かのような、声。アメジストとガーネットの色の双眸は狩人の鋭さを孕み、時計からオスカーに向けられた。


 懐中時計から聞こえるカウントダウンが聞こえているのだろう。エヴァンから懐中時計を一瞥したオスカーは逃げた。死に近い人間にとっては、この声は無機質に命の終了を求めているかのように聞こえるのだ。


スリィツゥ──”


 逃げても無駄なのに。開いたままの扉を、エヴァンは見つめるだけ。何度もぶつかりながらも、オスカーは車両の入り口を目指して走っている。「ちょっと、坊や!」と誰かが咎めている声が聞こえる。


ワン


「はじまったな」


 エヴァンが呟いた瞬間、爆音がその場を支配した。悲鳴のコーラスに、崩落の交響楽。爆風の衝撃と建物の崩落による大きな揺れに、大型蒸気機関車は耐えきれず傾いた。表情も変えずにエヴァンはアーネストを見た。同じく何事にも動じていない様子の大型犬は立ち上がり、唸り、巨体へと姿を、そして闇夜に変えてエヴァンを呑み込んだ。


 一方、小さいオスカーの体は、簡単に浮いて横になってしまった車両の壁に叩き付けられた。体全体を打たれた少年の意識は一瞬で暗闇へと落ちる。硝子の割れる音だけが、最後の音だった。

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