第10話 ヴァンパイアハンター

――魔界


「――それで、どういう事にゃ?」


 そう言葉を発するのは激昂を通り過ぎ、氷のような視線を発するネコ。彼女は最愛の王子を危険に晒すことになりうる今回の評議会の決定に否定的。


「…俺は評議員ではないからな。だが、決定は決定だ。我々としては従うほかないだろう?」


 ネコの厳しい視線を浴びながら、そう言って肩をすくめるのはヴァンパイアのプリンス、クロノス。


「まあまあ、ともかく決定は覆らない。その上でどうしてこうなったか、それを教えてはもらえませんかな?」


 二人のティーカップに紅茶を注ぎながらそう言葉を発したのはアークデーモン、デーモン族の代表として評議員でもあるマダラ。彼は今回の地上に対する干渉に反対の票を投じていた。


「…ヴァンプ、これでもニャーは相当堪えて話をしているニャよ? 本来ならお前を八つ裂きにして長老に送り付けて居る所ニャ」


「ハッ! …そいつは穏やかじゃないな。まあ、今回の件はオヤジが主導した、それは間違いない。だが、必要な事でもあるさ。王子の事は別としても魔界のマナ不足は深刻、そう言える状況でもある」


「そんな事は昔から判っているニャ!」


 そう言ってガンっとテーブルを叩くネコをふうっと長い溜息をついてクロノスはサングラス越しに見ていた。


「判っている? 本当に? 確かに今の魔界は暮らしやすくて便利なところだ。地上の人間世界に比べても遥かに進んでもいる。言うなれば神の領域、そこに近いくらいにな」


「だから何ニャ!」


「この事は当然魔王には話したのだろう? 彼女は何と?」


「バッバは本質がどうの、父親の血がどうのと訳の分からない事しか言わないニャ! だからお前に話を聞いているニャよ?」


「…なるほどな、ネコ、俺やマダラはお前よりもいささか歳が上だ。お前の知らぬ事も知っている。魔王の言いたかった事は俺たちにはよくわかる。…だろ? マダラ」


 話を振られたマダラは何も答えず、ニヤッと笑うと自分の紅茶を口にした。


「…まあいい、お嬢さん、少しばかり昔話に付き合ってもらうぜ。全ての因果、こうなった理由はそこにある。…どちらにしてもこうなることは決まっていた。オヤジはそこに王子への意趣返し、それを少々混ぜ込んだって事さ」


 そう前置きしてクロノスはタバコに火をつけ昔話を始めた。


――約300年前 魔界


 魔界は3つの勢力に別れ争いを続けていた。力に溢れ、数に勝る妖魔、数は劣れども才覚と魔術に優れしヴァンパイアを始めとする闇の眷属。そして、両者の争いを面白がるように介入するデーモン族。

 彼らの争いはもう1000年にも及ぶ長いもの。数に勝る妖魔に対し、ヴァンパイアは優れた人間を眷属とし、戦いを五分に進めていた。


「…その頃の長は俺の爺様に当たる人でな、才覚に秀で、魔術の達人、その分矜持の高い人だったさ。俺? 俺はまだまだガキで、ようやく一人前、そう認められたばかり。だが爺様は俺を見込み、可愛がってはくれていたさ」


 その長い争いもいよいよ決戦、両陣営とも持てる戦力の全てをこの会戦に投じて陣を敷き、睨みあっていた。


「…そうだな、俺はまだまだ若僧で、爺様の期待に応え、大きな手柄を、出来る事なら総大将、あの、サキュバスの首を、そう考えていたさ。…だがな」


 両陣営の大将が攻撃開始の合図を出す為、手を差し上げた瞬間、時空に穴があき、そこから出てきたのは一人の男。


「…やつはな、俺たちを見て、面白そうに笑うといきなり駆け出し剣を抜いた。そして最前列にいたゴブリンを鮮やかに斬り捨てるとその剣をこちらの兵に投げつけた。そして乱戦、指揮系統もなにもあったもんじゃねえ、たった一人の人間に全てを掻きまわされた」


 その男はそもそも武器を必要としていない。殴り、蹴り、握りつぶす。彼の前では力に溢れたオーガも、歴戦の戦士であった闇の眷属も、誰もが一瞬で形を変えられ命を散らす。


「そいつは言ったさ、弱者同士の争いほどつまらねえ物はねえと、だから今すぐやめろとな」


 幾重にも男を取り囲む魔族の軍勢、だがその輪は少しづつ大きなものになって行く。何匹、何人もの死骸、それは全て原型をとどめていない。男には弓矢も魔法も、剣も何もかもが通じなかった。


「…俺たちはな、あの時自分が弱者であると心の底から思い知らされた。…そして強者とはこういうものだとな」


 その日、魔界の争いは強制的に終了させられる。男の言うがままに妖魔と闇の一族は手を取り合い、デーモンの一族も男の前に片膝をつき、忠誠を誓った。


「だが、物事には後始末ってもんがある。男は言ったさ、…で、どっちが悪いんだ?と」


 全ての部族の指導者が集められ、男による審判が下される。妖魔は多数の部族の集合体、だが、闇の一族はほぼ、ヴァンパイアによる独裁であった。アンデットたちは意思を持たない。眷属も言われるがまま、ヴァンパイアの長老は様々な理由を述べ、抗弁を試みるも男は退屈そうに耳の穴をほじくっていた。


「理屈は山ほどある。争えばそこに新たな理屈が積み重なる。爺様の野心、それは確かにあっただろうさ。…始まりは小さなこと、けれど争えばそれが引くに引けない理由にもなる」


 結果から言えば責任の多くは闇の一族、特にヴァンパイアにあるとの審判が下される。


「あの男は言ったさ、お前らは俺を楽しませろと、それが出来れば罰は勘弁してやるとも」


 男はヴァンパイアの集落に身を移し、そこで主だったものを集めた。その中にはまだ若きクロノスも居た。


「『さて、おめえらヴァンプってのは不死だと聞いている。だが、俺は信じねえ。神であろうが何であろうがぶん殴れば痛がりもする。痛みを積み重ねりゃ死ってやつが訪れる。そう言うもんだろ?』…あの男はそう言い、長老である爺様を前に立たせた。そして、腕を一振り、…爺様はな、一瞬で壁にへばりついた血の染みに変えられた」


 だが、上級のヴァンパイアともなれば回復力も凄まじいもの。長老は徐々に壁の染みから人の形を取り始め、数時間後には復活していた。その間、男は食事を用意させ、酒と共に楽しんでいた。もちろん食事にも、酒にも人であれば即死するほどの毒が入っている。男は「マズいな」と一言発し、給仕を務めた女を床の染みに変えていた。


「…その女は俺の母でな、あまりの事に俺たちは誰も口をきけなかった。そして奴は復活した爺様を再び壁の染みに変え、ふんぞり返って酒を食らった。…何度も何度もだ。爺様は復活する度頭を床に叩きつけ、許しを乞うた。あれだけ矜持の高かったあの爺様が涙と鼻水を垂れ流して。…しかし男は意にも介さず再び爺様を壁に叩きつける。数十回、正確には数えていないがそれだけの数、復活を遂げた爺様は、血の染みのまま、生きる事を辞めた」


 男は得意げに「ほら、やっぱり嘘だ。この世に不死なんてありやしねえ」とうそぶくとワインのボトルを上機嫌で飲み干した。


「『だが、間違いってこともある。こういう事は何度も検証しねえとな』…男のその言葉に俺たちは心底震えたさ。一族の顔役たちは次々と血の染みに変えられ、復活を遂げた俺の母は三度目に頭を握りつぶされた格好で絶命した。残ったのはオヤジと俺だけ、そんな有様でな」


 男は面白そうに彼の父の顔を覗き込み、目が合った瞬間に殴りつけ、壁の染みに変えた。


「オヤジがやられ、最後は俺だけ。体中が凍り付いたように動かなくなり、小便をもらした。…俺はな、うつむいたままであいつの顔を見る事ができなかった。あいつと目を合わせることすらも」


 そんな彼に男はニカッと笑い、「そうだ、それでいい、あいつらはな相手の強さ、そう言うもんがわからねえからああなった。だが、お前は違う、…覚えておけ、強い相手にはな、逆らわねえ。それが生き残る秘訣だ」と言って頭を撫でた。


「…わかるか? 俺はな負けってのを心底から知っている。…俺がな、このサングラスを外さねえのも目線でブルってんのを悟られねえ為だ。いいか、ネコ。俺はお前やマダラとは戦える。勝ちは望めねえ、そう判っていてもだ。…だが、あの王子とは戦えない。なにせ奴はあの男のせがれだからな」


「…にゃるほど、それで、お前たちはなんで生きていられたニャン?」


「…それは魔王、あのサキュバスのおかげだ。オヤジが何度目かの血の染みに変えられた時、あの女がやってきてあいつの興味を攫った」


 そう、現魔王であるサキュバスのグリューナー・シルヴァーナはヴァンパイアの壊滅を望まず、その卓越した魅力を用い、彼の興味を引くことに成功する。サキュバスの吸精は意味をなさず、彼との交接は彼女にとって大きな負担を強いた。だが男は最強ではあるが非モテ系。疑り深いがそこは魔物としての能力とは関係のない彼女のカリスマ、そう言うもので埋めていく。そしてデーモン一族とも手を取り合い彼を悦ばせる、その一点に魔界のすべての力を注いでいく。


「…そうですな、元はと言えば彼を魔界に送り込んだのは至高神。我らは神とも連絡を取り合い、あの方を悦ばせる為の措置を。異世界を覗き、あちらの進んだ文化を取り入れる。それを工夫しこちらでも実用化を。それが魔界にある家電やテレビ。あの方が満足を得ればこちらも暴虐に晒されることはない」


「そうだ、だから我らヴァンパイアは、いや、この魔界のすべてが魔王である彼女に敬意を払っている。…彼女が居なければ我々も、お前たちも、いや、この魔界自体が存在しえたかどうか」


「ええ、我々にとって魔王さまは何よりも敬うべきもの。そして、あの方、ヴァレンス・ロア・カラヴァ―ニ。彼が今の魔界の豊かさをもたらした、これもまた、事実」


「…そう言う事だ。豊かさに慣れた俺たちは今更古い生き方には戻れねえ。ガキどもは学校に通い、産業が成立し、便利なものが山ほどある、こういう生活に馴染みすぎてる。だからマナの増産、これだけはどうあっても必要だ」


「…それはわかるニャ。だけど」


「そうだな、王子が地上に、そのタイミングでなぜ?と。…まあ、オヤジは今言った昔話、その件であの男の息子である王子を良くは思っていない。一族の連中は年寄りどもからみなこの話を聞かされてる。だからみな、王子に反感を、そしてもれなくひどい目にあわされても来た」


「…そうニャ、お前たちの言い分はおかしいニャン。その昔話、災厄を起こしたのはあいつの父で、その男はあいつが生まれる前に死んでいるニャン。あいつからすれば八つ当たり。ニャーも当然そう思うニャよ?」


「…判っているさ、だが、俺はそうではない。…ともかく丁度、地上への介入、それが避けられない、そう言う状況に私情を持ち込んだのは間違いない。妹がひどい目にあわされ、地上に送り込んだ若い奴はズタボロに、オヤジは頭に血が上っちまった。…いいや違うな、あの時の恐怖、それを思い出したんだろうぜ」


「バッバはあいつに試練が必要、そう言っていたニャ」


「…俺はそうは思わねえ。昔話のあの男、奴をゆりかごのような世界に閉じ込め寿命を迎えるまでそこから出さなかった。それが正解、だから魔王は王子にどこまでも甘く、過保護に育てた。だが、それは最善であっても正解じゃなかったって事だ」


「…どういう事ニャ?」


「一つは王子は人間ではなく魔族、かつてのあの男は人間だったから寿命があった。だが王子は永遠。つまり、永遠に飼い殺し、そうする必要があるって事だ。…だが、それを魔界の世論って奴が許さねえ。みんなが出来る魔法も碌に使えねえ落ちこぼれ、そんな奴が王子の肩書、それを良いことに引きこもり。そう言う事に反発を覚える奴が増えていたってことだ。まあ、人格的にも問題がねえとは言えねえからな」


「……」


「喉元過ぎれば何とやらッてな、あの災厄を再び、そうしねえ為には飼い殺し、それしかねえってのによ。どいつもこいつも」


「ニャーのパパもそうニャ」


「そうだな、スロウの奴は娘のお前可愛さに王子を地上に追いやった。そのまま王子が野垂れ死に、それなら話は大団円。だが現実はそうじゃねえ。お前の父親はダンジョンで王子に殴られ追い払われた。上級魔族、実力としちゃ俺やマダラ、それ以上のあいつがだ」


「殴られて、ニャーが贈ったメガネを壊されへこんでるニャ」


「…そうだ、お前も俺も不死ではあるが心ってのがある。そしてその心、そいつを壊されちゃ生きる事が辛くも苦しくもなるさ。…わかるか? 俺の爺様はそうやって死んだ。死ぬことよりも苦しい現実、そいつを味合わされちゃ例え体が無事でも心ってのが殺される。…そして、あの王子の拳はそういう弱いところを的確についてくる」


「…判らないでもない話ニャン」


「血の汗を流してまで手に入れた力、苦しみ抜いて覚えた魔法、そう言うもんがあの王子には通用しねえ。そしてあざ笑うかのように素手の拳でぶん殴られる。そう言う事がな、心には大きな傷となる」


「バッバはあいつが鋼鉄の心を持っている、そう言っていたニャン」


「そうさ、王子の心は傷つかない。…そして今まではゆりかごの中に居たから力を欲する必要がなかった。だが、試練ってのが王子の身の上に振りかかればどうなる?」


「…試練を乗り越える力が必要、そうなるニャン」


「そして力って奴をてにすれば王子はその血筋に相応しく、かつてのあいつ、ヴァレンス・ロア・カラヴァ―ニ、名前だけではなく実力も、そうなっていくことになる。もちろん俺はそれを望まねえ」


「…ならばニャーとお前は手組める。あいつには力も権力も金も必要ないニャ。あいつが得られるものはニャーの深い愛情だけ。そうニャろ?」


「…ハッ! ブラッドキャットの偏愛ってのも恐ろしいもんさ。…どっちにしろ選択肢は俺にはない、そう言う事さ」


「…では大公、あなたも我らが人間世界研究部に」


 こうしてヴァンパイアのプリンス、クロノスも部員となった。



――人間世界


「おい、話が全然違うじゃねえか!このケツでか女!」


「仕方ないじゃないですか。相手は貴族、それにギルドからも正式に通達があったんですよ?」


 東の湊町、リヴィアに到着した俺たちは宿に入るとすぐに領主の館に呼び出しを受けた。ここの領主は顔見知り。以前商人の護衛で立ち寄った時に色々良くしてもらっても居た。

 その領主が言うにはここ数日、ヴァンパイアによる襲撃があり、住民に被害が出ていると言う。俺たちはヴァンパイアハンター。鎧の立ち襟の部分にはそれを示す記章がつけてあった。そのヴァンパイアハンターである俺たちを見込んで退治を依頼されたと言う訳だ。しかもギルドを通じて正式に。


「そうね、ヴァンパイアハンターの称号を持つ人なんてカッパータグの人でも居るかどうか、シルバータグを雇うとなれば大変だもの」


 元カッパータグの冒険者、今はヴァンプの眷属となったキャシーはそんな意見を述べた。


「いいんじゃないですか? …どっちみちギルドからの特別任務となれば断れないですし、断ればまたアイアンタグに落とされてどぶ攫い、僕ね、もう嫌なんですよどぶ攫い!」


 そう言って放心したような顔をするソーヤにキャシーは寄り添って慰めていた。


「ソーヤさんの言った事がすべてかな、私たちにとってここが頑張り所、でしょ?」


 そう言ってパーティーリーダーのフィリスは俺とアルトをじろりと見た。


「おい、どうすんだよ!」


「…そうですね、キャシーさんが増えたとはいえ、相手の戦力は未知数。敵のヴァンパイアが単体であればともかく、複数であった場合、厳しい戦いになるかと」


「…そうね、アルトさん。情報が少ないのは事実よ。けど、放置すればヴァンパイアは間違いなく数を増やすわ。キャシーさんがそうされたように。今ならばある程度の居所は判明してる。…それに、これ以上被害が出ればそれだけ私たちの評判が落ちることになるのよ。この記章をつけているから」


 確かにフィリスの言う事はもっとも。ヴァンパイアハンターの記章を偉そうに見せびらかして歩いてきた以上は期待に応える必要もある。ヴァンプの一人や二人、と言いたいところではあるが勝てると言いきれるのは相手が真祖、つまり魔界にいる純血のヴァンプだった場合だ。今回地上に降り立ったヴァンプは北の国にいる。つまり、こちらに居るのはその眷属、キャシーのようにヴァンプ化された人である可能性が高い。

 その目的はこちらに混乱を、その為の尖兵だろう。そうなるとキャシーのように腕利きの冒険者であるかもしれないし熟練の兵士である可能性も。そうなれば称号はあれども実質駆け出しのブロンズパーティである俺たちでは敵わない可能性があった。


「…仕方ないな」


 フィリスに睨まれた俺は本当に仕方なくそう答えた。


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