第13話 確執

「ぎえええええっ!」


そんな叫び声を聞き目を覚ます。村長の屋敷は二階建て、俺はその二階部分のそれなりに快適な寝室で寝泊まりしていた。一階の広間ではフィリスがヴァンプの男相手に回復魔法の修行中。アンデットには回復魔法は逆に作用しダメージを与える為、元気な相手アンデットであればいくらでも経験が積めた。


 ふぁぁっとあくびをしながら階段を降り、水場で顔を洗って歯を磨く。髭は体質的に生えてこないので水鏡で姿を映し、銀色の髪を整える。


「おはよう、王子」


「ああ、おはようフィリス。終わったのか?」


「うん、朝の分はね。少し休んでまたやらなきゃ。目標は一日に10回、それだけ回復魔法が使えれば神官としては一流、そうなれるから」


「そうか、まあ、がんばれ」


「色々ありがとうね。王子が居なかったら私たち、全滅してたのは間違いないから」


「まあ、借金はこれでチャラだな」


「…それは話がちがうわ。ちゃんと返してもらいますからね」


 そう言っていい笑顔でフィリスは自分の部屋とした一階の部屋に入っていった。



「マジでさ、あいつ、感謝なら言葉よりもそういうとこで示せっての!」


「まあまあ、取り立てが厳しいわけでもありませんし。なんだかんだと先延ばし、それも技術ですよ?」


「もう、アルト様? あんなおっぱいだけのブスなんかどうでもいいでしょ?」


「そうですね、私にはメロ、あなただけ。他の女性に惑う事などあり得ません」


 そんな感じでアルトとメロはイチャイチャ。そして暗い顔で俯きながらキャシーはテーブルに朝食を並べて行く。


「はぁぁ、もうなんで私だけ」


「まあ、お前は中々のブスだからな」


「そうだよ、キャシーさん、あなたはあのおっぱいブスと同じくらいブスだから」


「うるさい! 私、あんなにお尻大きくないし、どっちかって言えば私の方がキレイだし」


「まあ、目くそ鼻くそって奴だな」


「そうですね、女性としてはどちらも興味の外、ですがフィリスさんは口うるさいですから。一緒に過ごすならキャシーさんの方が」


「よかったな、キャシー。ちょっとでも勝てる所があって。まあ、戦えばあいつの勝ちだろうし」


「もう、いいです!」


 そんな感じで朝食を終え、アルトたちは二階の部屋に。俺はリビングで屋敷にあった本をペラペラとめくる。意外と面白い本があったのでそれを読み進めていた。


「んひぃぃぃっ!」


 生真面目なフィリスはしばらくすると修行を再開、ヴァンプの男の悲鳴が上がる。そのあとはソーヤの所にも顔を出し、容態を見に行ったようだ。


 その夜、風呂の支度がしてあったので一人で入る。昨日は流石に疲れたのでキャシーに世話を頼んだが今日は一人で問題ない。そう思って湯につかっていると戸が開き恥ずかしそうな顔でしっかりとタオルを巻いて体を隠したフィリスが入ってくる。


「お前、今俺が入ってるだろ!」


 そう言ってみるもちょっとムッとした顔で構わず入って来てタオルを巻いたままで湯に入ってくる。


「もう、狭いんだよ!」


「いいじゃない、私だって疲れてるんだから!」


 そうは言ってもフィリスは巨乳。タオルから漏れ出たそこにチラチラと目線が移る。


「もう、見ないでよね、やらしいんだから」


「お前が入ってくるからだろ!」


「……」


 ムウっとした顔で少し涙目、そんなフィリスは湯の中で背中を向けてしまう。


「…聞いたわよ、昨日、キャシーさんにあれこれさせたって」


「ああ、昨日は流石に疲れたからな。髪や背中を洗ってくれる奴が欲しかった」


「…それだけ?」


「まあ、お前は修行があったし、アルトたちはほら、あんな感じだろ?」


「……」


「なんだよ」


「…まあ、そうよね。信じてあげる。あんたはだらしないけどそういうとこ、しっかりしてるし」


「はぁ?」


「だってそうじゃない。言いたくはないけど、あんたはいい男。王子なんて呼ばれても違和感ないくらいにね。…でも、贅沢はしていても女の子をどうこうはしていない。うふふ、ギルドではね、女の子たちはみんなあんたの事、気になってたのよ? 私が前にいたパーティ、あそこでも女の子はあんたの話ばかりしてたの」


「そうか、」


「同じブロンズ、あのグランって威張ってた人は彼女がいて、あとはあんた達三人。親し気に話をする女の人はカッパータグのジルさんだけ。あの人はね、面倒見が良くて、私たちのパーティーも世話になった事があるの」


「へえ、」


「…あの頃の私たちは自信に満ちていたわ。リーダーは元冒険者、カッパータグで地方領主の家臣の息子。小さなころから剣術に優れて地元では敵なしって言ってた。魔法使いも魔法大学出のエリート。スカウトも弓師の子。…そして私も修道院できちんと学んだ身」


「それで無理をしてあのダンジョンに?」


「…そうね、みんな少しでも早く上の階級に。それにはダンジョンでの討伐が一番。実際何回か成功してもいるのよ。西にあったダンジョンでは第二階層まで、でもそれ以上は無理、だからあの南のダンジョンにって。…けどあそこは第一階層にいきなり魔獣とオークが居て、私たちも準備はしていた、けれど魔獣熊に手間取っている間に魔獣狼たちに囲まれて」


「それでお前は逃げた?」


「どうしようもなかったの。私は撤退を進言したわ、けれどリーダーの彼は逃げるのは嫌だと。みんなもそう言って。…最初に倒れたのは魔法使い、彼女は氷結の魔法を使っていた。けれど分厚い毛皮に覆われた熊や狼には効果が薄くて。魔石でマナを回復、そうしているところをオークのこん棒でひっぱたかれた。スカウトの彼も弓で熊を仕留めきれなくて、最後は狼と短剣で戦って、リーダーの彼は熊を何とか倒し、私が回復魔法を、そうしてすぐに狼を切り伏せた。けれどオークに羽交い絞めにされて、残った狼たちに襲われた。私も彼を守ろうとしたけど肩を食い破られて、最後に彼は「逃げろっ!」って言った。だからそうした」


「なるほどな、まあ、過去は過去さ」


 少しめんどくせえな、と思いながらもそう言ってやる。


「判ってる、私たちは自信過剰。仮にあの時生き延びたとしてもいつかはああなった。…あのパーティだったら今回も、ううん、キャシーさんのあの時、…ふふ、不思議ね。あの人たちの方が実力は上、アルトさんは何もできないし、ソーヤさんも戦士としてはまだまだ。王子だって魔法はすごいけど剣は」


「まあな、俺たちの中ではお前が一番強い、それは間違いないさ」


 そんな事はどうでもいい、ほんとめんどくさい。


「私ね、生まれたのはギルドのあるあの町に近い村、両親は薬草に詳しい薬師だったの」


 まだ続くの? お前の昔話とかどうでもいいんだけど。


「10の付く日に家で拵えた薬をギルドの病院に納めてて、それなりに稼ぎがあった。村では顔役、そんな感じ。母も優しくて、可愛い弟もいたの。弟は薬草づくり、そういうものが性に合ってるみたいで、だから家は弟が。私は村の推薦、それに学費を出してもらって修道院で神官となるべく修行をした。成績はよかったのよ? それが今や修道院は除名処分、いい歳になってもブロンズの冒険者。結婚も、恋人すらも」


「その、前のパーティは?」


「…リーダーの彼はちょっと変わってて、スカウトの彼と、その同性愛みたいな? 魔法使いの彼女は恋愛よりも魔術、そんな感じで。私もそうだったかな。まずは身を立てる。それが出来なきゃ家庭なんか持てないから」


「そんなもんかねえ」


 そう答えるとしばらく黙っていたフィリスは急に湯の中で振り返り、身を寄せた。


「…そう思っていた、そう言う話。あなたの言う過去の話よ? …今は」


「近いって!」


「…王子、あんたならいいかもって」


「こっちは良くないの!」


「…なんで? 私じゃイヤ?」


 そう聞かれると答えに困る。フィリスの事は元々非常食、そんな感じだった。だが結構な時間を過ごし、仲間としては大切にも思っている。


「…ねえ、答えてよ」


 まずい、ぐいぐい来てる。


「…そうだな、もちろん嫌いなわけじゃない。お前のデカパイに興味がないと言えば嘘になる」


「…うん、それで?」


「…だが、俺はエルフ、不死だ。いつかはお前に先立たれる、そう考えると」


「あは、明日の事も考えてないあんたが先の事? …だからキャシーさんを? あの人も不死だから?」


「あー、それはちがうな」


「何が違うのよ」


 めんどくせー、マジめんどくせー! 正直に言えばフィリスを、そう言う気持ちはない事もない。吸い方を加減すれば殺さずに済むかもしれない。だが、今はマナの不足は感じないし、そう言う欲も強くはなかった。この状況でも俺のあそこは平常、無理に関係を持ちたくもない。

 これまでに抱いた女は三人。最初に俺を助けると言ったブロンズタグの冒険者、あの時は飢えてもいた。二人目はグランの母である神官、あの時も必要に迫られて。…そして三人目はダンジョンで剣を遺したジル。彼女に関しては想いもあった。あの状況では必要なことでもあった。最初の二人は捕食、そう言う感じで顔すらもよく覚えていない。だが、ジルの事はどこかで。…そう、後悔していると言ってもいい。彼女の存在が心にこびりついている。

 もし、このままフィリスを。仮にその場で死ななくても関係は続くだろう、そうなればジルよりも大きな存在として心に爪痕を、…こんな口うるさい女がそうなるのは避けたいところだ。


「まあ、キャシーもお前もブスだからな。お前らブスを抱いたとなれば俺の評判に関わるだろ?」


「なによそれ!」


「うるせーな、狭いんだよ! あっちいけ!」


「さいってい! あんたなんか地獄に落ちればいい!」


「おや、聖職者としてその発言はどうなんでしょうね?」


「うるっさい! 死ね!」


 ガンと殴られフィリスは大股開きで風呂場を出ていった。…そういうところですよ。



 風呂から上がると食事の準備が出来ていて、ダイニングの食卓でみんなで食べた。アルトとメロは向かい側で相変わらずイチャイチャ。俺の隣にはなぜかフィリスが座り、ずずっと椅子を寄せてぴったり寄り添った。食事を並べ終えたキャシーはそんなフィリスを見てぴくっとこめかみをひくつかせ、フィリスの反対側に座り、やはり椅子を寄せてぴったりくっついた。


「…せまいんだよ!」


「別にいいじゃない、あんたは一人じゃ何もできないダメ男なんだから、私が世話してあげなきゃでしょ?」


「頼んでねーよ!」


「ほら、王子? フィリスさんはお疲れなんだから。はい、あーん」


「ちょっと、キャシーさん? あなたはソーヤさんのお世話すればいいじゃないですか」


「…彼の事はね、もういいんです。私は人じゃないし、人間同士、うまく行くならその方が」


「そんなの関係ないわ。…ああ、そういうこと、困るわね、尻軽は」


「はぁ? 私、そういうんじゃないけど。昨日ね、王子に俺の世話をしろって言われたから。…まあ誰かみたいに押しかけ女房? そういうのって下品だし」


「何が? 私、ずっと前から王子の世話してるの。まあ、フィリスさんはぽっと出だから知らないのも無理ないけど、それに婚約者もいたんでしょ? 私はほら、純潔だから。王子はね、前から私のおっぱいとかお尻が好きで、もう、すぐ触ったりするの」


「…へえ、まあ、いい歳して男も知らないとか、まあ、しょうがないよね。フィリスさんはほら、アレだし」


「アレってなによ」


「まあ、言わないのが女の嗜み?」


 そんな感じで二人は俺の肘におっぱいを当てながら険悪な感じ。


「ねえ、アルト様、ブスとブスがケンカ始めたよ?」


「そうですね、あなたはこんなにも可愛いのに」


 確かにメロはちょっといないくらいの美少女。中身がインプになった事で少しいたずらっぽい目をしていてまさしく小悪魔、といった色気も醸し出していた。


 …そして俺の両隣りではデッドヒート。


「いい加減にしなよ、あんたはブスなの! 自覚が足りないんじゃない?」


「婚約者に捨てられ、ソーヤさんにも、ブスってそう言う事を言うんじゃないのかな?」


「あんたこそ! 私が居ないのを良いことにお風呂に、そういうの下品じゃない?」


「ちがうわ、昨日は私が居なかったからしょうがなくあんたに世話させただけ、私に気を使ってくれてんのよ、王子は」


「へえ、処女でブスなあんたにはさ、碌なお世話もできないでしょ? 確か、同い年だから今年25だっけ? その年で処女とか、男なら25で童貞、ありえなくない?」


「…男性と女性では価値がちがうのよ。女は愛する人だけ、そう言う事に価値があるの。まあ、尻軽のヤリマンにはわかんないかもだけど」


「…そう言う部分は確かにあるかもだけど、そもそも愛する人すらいないあんたは愛を語る資格がないのよ。だってブスだし、それに、ほら、へっぽこのブロンズ、そう言うあんたと違って私は冒険者としてもしっかり稼げたから。…フィリスさんってどぶ攫いがすっごく似合ってたし」


「…へえ、まあ、キャシーさんは確かにカッパータグ、私たちよりも上だったわ。でもぉ、今ははぐれヴァンプ、いらない子じゃないですかぁ」


「あ、あんたねえ!」


 神官のフィリスは精神修行もしているみたいで打たれ強い。口喧嘩では敵わないと悟ったのかキャシーは席を立ち、フィリスも同じく席を立った。そしてガチンとお互い頭突き、煙が出そうなほどに互いの額をこすりつけていた。


「あんたは修道院もクビ! だってしょうがないよね、仲間を見捨てた裏切者だし!」


「そういうあんたは実の兄を食ったろくでなしじゃない! まあ、王子がヴァンプ臭いってのも判るかな」


「はぁ? ドブスのへっぽこが良く言う、あんたは一生どぶ攫いしてろ!」


「うるさいヤリマン! あんたは魔物の子でも産めばいいじゃない!」


「「ぶっ殺す!」」


 そう言って殴り合い、だがフィリスは回復魔法をキャシーにぶち当てた。


「ぎゃあああ! それ、ずるいわよ!」


「何がぁ? 慈愛ですよ、これは。さ、王子、こんなブスは放っておいて食事を。ほら、あーん」


「ムカつく! むかつくぅぅ!」


 そしてキャシーは、あ、そうか、と言う顔をして広間に。向こうからは「ぎゃあああ! やめて!」と言う男の声が聞こえた。


「えへへ、私も魔法の修行しないとね」


 すっきりした顔のキャシーは何事もなかったような顔をして座り、再び俺に身を寄せる。


「ほら、王子、食べさせてあげるから手はこっち。ね?」


 そう言ってキャシーは俺におっぱいをいじらせながら食べさせてくれる。処女であるフィリスはぐっと息の詰まったような顔をしていたがふと覚悟の決まった顔をする。


「あ、もう、だらしないんだから、こんなところにソース、ついてるよ?」


 そう言ってフィリスは俺の頬をぺろっと舐めてそのまま頬にキスをする。二人は俺の頭越しに再び睨みあい。まあ、好きなだけやってくれ。



――魔界


「あのブスども! 絶対に生かしてはおかないニャ! これは早急な対策が必要ニャ!」


「まあまあ、部長。あのくらいいいではないですか。王子は欲情してはおりませんし」


「…そうだな、風呂ではあの神官は完全にフラれていた」


「…あのときは大爆笑だったニャ、けどこのままいけば気の迷いと言う事も」


「まあ、そうなる前に手は打たねばなりませぬな」


「しかしどうする? …それよりもなぜ王子はあの二人に手を出さぬのだ? 魔界ではあれほど」


「そうですね、そこは研究する必要が。私が送ったメロにもそう言う気配を示す事もないですし」


「…意外と義理堅い、これは発見だな」


「ええ、仲間の女には手を出さない、そう言う部分は正直驚きでもありますな」


「けどあの二人は違うニャ! はぐれヴァンプは今はフリー、あの神官は未開封ニャ」


「そうですね、手を出したところで王子の立場に揺らぎはない。仲間との友情も、」


「…どちらの女も見た目はそこそこ、まあ、部長には大きく及ばぬにしてもだ、男であれば」


「欲を満たす相手としては十分かと、神官はもちろん、ヴァンパイアも眷属となれば半分は人間。マナを満たす実利も」


「…あいつは結局ニャーだけニャン。魔界でも言い寄られた相手だけ、自ら口説いた女はいないニャよ?」


 そう言うネコのつぶやきにマダラとクロノスは微妙な顔をしたがなんとかポーカーフェイスを保つことに成功する。余計な事をいって怒らせれば大変な事になるからだ。この手の話に二人は最大限の配慮をしていた。


「…そうだな、部長は幼きころから。…あとは妹、」


「メーヴの事はそっちが悪いニャよ?」


「そう言う話ではない、王子がどんな形であれ、自ら求めた、そう言う女と言う意味でだ」


 クロノスは妹想い。ヴァンパイアは血族にはとても優しい。


「まあ、それならそう言えない事もないニャ」


「…正直に言う、メーヴはあれで慎みのある女だ。なんだかんだと言いながら王子に拘りを持ってもいる」


「…だから何にゃ?」


 そう言うネコの目は大きく見開かれていた。そしてマダラはこういう時に口を挟まない。面白そうにわずかに口の端を歪めていた。


「俺としては妹の幸せ、そう言うものも考えてやらねばな。魔界としても王子とヴァンパイアの妹が、そうなればより結束が高められる。…無論、部長を出し抜く事はない。そう言う繋がり、それがあればオヤジも魔界を動かしてまで王子をどうこうとは思わんさ」


「…都合のいい話にゃね」


「…判っている。だが、よく考えろ。あいつが浮気、誘われた女と関係を、そうなるのは何故だ?」


「…それは、その」


「判っているのだろう? そう、簡単に言えば暇だからだ。部長は魔王の秘書官、ずっと王子の側に、と言う訳にも」


「それはそうニャ! ニャーが稼がなきゃあいつは食っていけないニャ!」


「…だからこそだ、部長の役目は大きい、こうして縁を結んだ以上部長の魔界に対する影響力は保持していてほしくもある。そうなれば王子は暇に、そこを妹が埋める、そう言う話さ」


 クロノスは表情こそ余裕を見せていたが内心はそうではない。ネコを怒らせれば話はご破算、妹のメーヴは永遠に王子への恨みを生きがいに、そうなってしまうだろう。兄としてできる事、それを為す為に彼はこの人間世界研究部に接触していた。


「…部長、これは必要な事では? 王子の格としてもヴァンプの公女たるメーヴ殿なら。下のモノを宛がえばそれは魔王様がお許しになりますまい?」


 マダラが面白そうな顔でそう発言する。彼らデーモンはそうした面白い事が好み。だから混沌を好む。


「……」


「部長、将来的にあいつは第二夫人、そう言う形で構わない。事がなればオヤジにも王子にちょっかいは出させんさ。…このクロノス、生涯一度の頼みだ、頼む!」


 そう言ってクロノスは決して外さないサングラスを外し、その青い瞳でネコの赤い瞳をまっすぐに見ながら頭を下げた。


「…ふう、仕方、ないニャン。ともかくニャーはあいつの幸せが一番、ニャー一人じゃ片田舎で隠れ住む、そう言う事しかできない」


「そうですな、体は一つ、出来る事は限られますからな」


「…ああ、命は一つ、すべては掴めねえ、だが、それは一人ではと言う前提だ。部長は本妻、魔王の秘書官、妹は第二夫人、オヤジはその時は一線を引かせ俺が跡目を。そうなれば評議会も思うが儘、王子に都合のいい世界、そういうもんを作ってやれる」


「…判ったニャ、クロノス。その話をニャーは受け入れる。けれど他は絶対に!」


 そう言ってネコは大泣きした。


「…部長、あんたは良い女さ。それだけは間違いない」


 そんな感動的なシーン。そこにノックがして、ホテルの従業員が顔を出した。その男はネコと同じブラッドキャット。端正な顔立ちの若い男。


「…失礼します、その、ネコ先輩、」


「何にゃ! 今忙しい!」


「あ、そうじゃないかなって思ってたんですけど、支配人が支払いはどうするのかと」


「はぁ?」


「いえいえ、僕は無理なんじゃないかなって言ったんですよ? けれど今月は売り上げが悪くて、」


「ほう、いい度胸にゃ、その支配人を連れてくるニャ!」


「はい、ただいま!」


 しばらくして現れたのは赤黒い肌のデーモン族の男。額には二本の角があり、金色の瞳、耳は尖っていて長く、髪は脇をキレイに刈り上げたオールバック。口と顎の髭は上品に整えられていた。


「…お客様、私は支配人のゼノ。いささかお代が溜まっておりまして、お支払い願えればと」


「…お前、いい度胸にゃ」


 そう言ってネコは完全にキレ顔、うわっと暴力の気が部屋に広がった。ゼノはホテルの支配人、いかなるトラブルにも動じない強い心を持っていた。


「…お褒めにあずかり光栄でございます。ですが、会計はキッチリしていただかなければ帳簿に穴が」


「それをどうにかするのがお前の器量ニャろ!」


「ええ、ですが今月はマナ不足もあっていささか売上的にも厳しき有様でございまして。マダラ様?」


 そう、このホテルの経営者はマダラ、直接ではないがマダラグループの一社と言う形。


「…で、あればあなたは無能、転属、と言う形に」


「…左様でございますか。…ですが、来月には徴税局の監査が、私抜きでは」


「……」


「それに、あなた方はみな、公職にあるもの。それが民間の施設に支払いを怠る、そうなれば立派なスキャンダルかと」


「「「……」」」


「どうするにゃ、あいつ、結構やりてニャ」


「ええ、彼は一族でも優秀な男ですからな」


「…スキャンダルは良くないな、オヤジの支持率に関わる」


「けど、ニャーは貯金は崩したくないニャ」


「私も支払いは苦手で、医者にとめられておりますれば」


「…俺も金が出て行くと言うのは苦手でな」


「…マダラさま、では私はここで、明日からは職探しをせねばなりませぬから」


「あ、えっと、その、手違い? そう言う感じですよ、やだなあ、ここの支配人はあなた、職責は果たして頂かないと」


 あはっ、あはっとマダラは額に汗を浮かべながらそう言った。


「ここはマダラの経営ニャン、支払いは当然マダラニャン」


「…そうだな、それが道理と言うものだ」


「ちょっと、それはいけませんよ、とにかくここは善後策を」


「…そうですか、私も無理に、とは申しません。…ですが地上に介入、物資が足りてないこの状況での不正、それを世間がどう思うか、そのあたり、ご考慮頂きたく」


 そう言って支配人はパタンとドアを閉めた。


「やばいニャ! この金額、30万? 絶対にぼったくりニャン!」


 ちなみに魔界の通貨は魔石、マナの結晶体である。そしてネコは魔王の秘書官兼メイド長、もちろん高給取り。マダラは魔界で会社をいくつも経営する大金もち、魔界の評議員でもあった。そしてクロノスは何千年も続くヴァンパイアの一族、その長の直系でありエリート中のエリート。魔石を生み出す鉱山や土木、不動産、あらゆるところに利権を持つ実力者だった。

 その三人に共通するのはものすごくケチ、自分たちの贅沢には金を惜しまないが支払いは苦手、そう言うところ。


「ふむ、これは難しい問題ですな」


「…ああ、生きる上で金の問題ってやつはどこまでもついてくる」


 普通に払えばいいのにね。

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