第15話 メーヴ ①

――マイセン辺境伯領 グラニグル城


 マイセンの主城、グラニグル城は川に面していてそこから引いた水の堀で囲まれた堅城である。城内の町は豊富な水といくらかの産物でそれなりに賑わいもあるが地方の村々はどこも貧し気。というのもここは山に囲まれた盆地で畑を作るに適していない。その上気候も寒冷で物成りも良くなかった。森林資源は豊富だし、地下資源も見込めるが輸送手段がなくては交易できない。だからこの地の領主は代々戦争を主張する。南のリヴィア、そこさえ取れれば全てがうまく行くのだと。

 だが、本国であるヴァレンティ公国はここに兵を送り込むルートがない。山は険しく軍勢が通れるような道もなかった。それでも数十人単位で本国からは兵士が送られ、それがまたこの地の食糧事情を悪化させていく。


 南のヴァレリウス王国としてもこの地を取れば陸続き、資源が見込めるとあって、何度か戦争へと傾きかけた。だが、現状は魔物たちの対処に追われ戦争などしている余裕はない。何しろヴァレリウス王国には南と西、二つものダンジョンが出現、魔物も数多く出現していた。政治的な視点で言えばマイセンを放っておくことで北のヴァレンティ公国に負担を強いる事が出来る。制圧することは容易であっても産業が軌道に乗るまでには大量の資金と労働力が必要、そこまでしてかの地を得る必要はないというのが判断だ。


 だが、そこにヴァンパイアが降り立ち共に攻撃を仕掛けてくる、となれば話は別。軍隊をダンジョンに差し向ければ大きなしっぺ返しをくらう、だから軍は動かせず他国と戦争する国力もない、そう言う状況。でも軍隊は必要で、上位の冒険者たちの再就職先ともなっている。

 普段は街道警備と演習、それしか出来ず手をこまねいていた軍部はこの話に食らいつく。早速5000名からなる軍団を編成し、リヴィア方面に移動させた。その指揮を執るのは元はプラチナタグの冒険者、武門の名家、スフォルツァ家の出身、白金の騎士と呼ばれたジョヴァンニ将軍。彼はヴァレリウス王国でも5人しかいないプラチナタグの冒険者だった。


「…まあ、想定内ね。仕掛けてくるのは雪の頃。それまでにこちらの兵はみな眷属に。不死の軍隊、それが整えば負ける事はないわ」


「…そうですな、メーヴ殿」


 城の執務室で辺境伯、ブロニボルとヴァンプの公女、メーヴはそんな話。ヴァンパイアは寒さに強く、夜目も利く。相手は人間、いかに数が多くても寒さも雪も、そして夜もこちらの味方。更に妖魔やデーモンの一族も協力すると言っている。

 そう、これは魔界全体に関わる事。ヴァンパイアの自分だけで事を片付けてしまえば大きすぎる手柄となり反感を買う。そうならない為には妖魔やデーモンの力も必要だった、そう言う状況を作り上げなければならない。

 メーヴは小さなため息をつき、今は彼女が使用することになっている執務机の豪華な椅子に腰かけた。


 現在この城の主だったものは眷属としている。眷属の彼らはあるじである彼女に絶対の忠誠を持っている。既に貴族や騎士、それに軍の指揮官などは眷属となり、彼らは皆、辺境伯ではなく、メーヴに忠誠を誓っていた。


「ですが、メーヴ殿、相手はプラチナタグ、あのジョヴァンニ将軍なのですよ? 一筋縄でいくとは」


「…そうね、ヴァレリウスでたった五人のプラチナタグの冒険者、その一人。私もその名は知っているわ」


「で、あれば何か策を?」


「もちろん、既に手のものをあちらに送り込み根拠地を。私たちはアンデットを作ることができる。いい形で敵軍を迎撃できれば殺した数だけこちらの数が増えて行く。…あなたはダンジョンに潜った事は?」


「その、若いころには何度か」


「アンデット、ゾンビやスケルトン、彼らは生前のスキル、そう言うものを保持しているの。つまり、強い相手を殺せばそれだけ強いアンデットを生み出せる。こちらの強みはそこよ」


「ああ、確かに! して、その根拠地とは?」


「南の国境近く、エミリアの村。一人であれば国境を抜けるのはたやすく、彼は向こうで自身の軍勢を、そこを前進基地とすれば領内に敵を引き入れなくて済む」


「…なるほど、それは妙案かと、して、誰を送り込んだので?」


「騎士隊長、ヴォルド・バニングス。彼ならば武勇に長けてもいるし、判断も的確だわ」


「たしかに、あ奴であれば」


 少し安心したように辺境伯が微笑むと、そこに報せが。そのヴォルドがヒドイ姿になって戻って来たと言う。


「…すぐにここに連れてきなさい! 早く!」


 連れてこられたヴォルドは後ろ手に縛られたままで、下着一枚の姿。その皮膚は焼けただれ、髪もボロボロに焦げていた。そしてその体にはメッセージが。

 それを読んだメーヴは激昂した。なぜならヴォルドの体に書かれた悪口は自分に向けられたもの、それだけではなく、最後に魔族の言葉で署名がされていたのだ。ヴァレンス・ロア・カラヴァ―ニと。


 メーヴはわなわなと震える手と今すぐにでも叫びたい衝動を何とか堪え、辺境伯とボロボロにされた眷属、ヴォルドを追い出し、気持ちを落ち着ける為に紅茶の用意を始めた。ふうっとため息をつき、紅茶を一口、口に芳醇な茶葉の味わいが広がっていく。…あの署名を見た時、自分の中に閉じ込めていた過去、そう言うものがあふれ出した。

 思い出すのはもう、数十年も前の事。まだ、学生だった頃の事。


◇◇◇

 

 私はヴァンパイアの公女として生まれました。魔界の評議員にして一族の長、そんな父とあらゆる利権を有し、産業界を牛耳る兄、二人だけが家族。母は生まれた時にはいなかった。けれど父も兄も私を愛してくれて、とても優しくしてくれていました。家の事は父の愛人となったメイド長と何人かの眷属たち。経済的にも裕福で何も不自由はなく私は育った。

 10歳までは家庭教師、そこからは学校、そう呼ばれる教育機関に通います。学校に通えるのは上級魔族の子弟だけ。送り迎えは当たり前、そんなところ。

 そこでは魔法についての講義と実践、それにいわゆる学問、その中には政治や経済もあり、教育課程は10年。私が入学した年に魔界の王子、ヴァレンス・ロア・カラヴァ―ニがいると大きな話題になったものです。初めて見た彼は上級生の女子に手を引かれたまだ、幼さの残る男の子。凛々しい顔立ちに銀髪の髪、彼を連れた上級生はどことなく自慢げだったのを覚えています。


 そこから数年は何事もなく勉学に励み、魔法を磨いた。思春期を迎え自分が子供から女へと変化しても私の心に大きな変化はなく、公女と言う生まれに相応しい成績を、それだけを考えて生きていました。

 そんな学校生活に変化が起きたのは17歳の時。クラス編成が行われ私は王子の同級生。彼は私よりも生まれの良い数少ない人、だから成績もいいのだろうと勝手に決めつけていました。

 …ですが、現実は成績は底辺、特に魔法は7年生にもかかわらず初歩の火球の魔法しか使えない、そんな有様。授業態度も最悪で、いつも一人ですごしていたわ。私はクラスの委員長。仲の良い友達に彼の事を聞いてみた。けれど答えは皆同じ、「彼?ダメな奴の典型ね。カッコいいけどそれだけじゃね」と、その彼に休み時間ごとに上級生のネコ先輩が訪ねてくる。先輩は妖魔の中でも最強と言われるブラッドキャットの本家の娘。一族の規模が小さいので私のように公女とは言われないが彼女の父は魔界貴族にして魔王様の側近。その先輩は王子にまとわりつきあれこれと世話を焼く。昼休みには必ずお弁当を持ってきて楽しそうに食べていたし、朝と帰りは彼の手を引いて登下校していた。

 そんな彼は当然反感を買う。周りとは一切付き合わずネコ先輩だけ。そのネコ先輩は女の私から見ても美しく、魅力的。彼女が笑顔を見せるのは彼にだけ、そう言うやっかみもあったかもしれない。そして王子も端正な顔立ち、運動神経は良く、彼を好きだと言う子の話もあちこちで耳にした。


 …だが、その彼に文句をつけようものならネコ先輩が黙っていない。男であれ女であれ、一切の容赦なく制裁が下される。保護者が学校に訴え出ようにも相手は魔界の王子、それは出来ない事であったし、もちろん学校側も請け合わない。

 でも、私はそんな彼に強い不満を持っていた。ノブレス・オブリージュ。高貴な生まれにはそれに伴う責任がある。私は公女、恵まれた立場、だからこそ人より努力をしてより良い成績を。王子ならば自分以上に努力して当たり前、何故彼はそうしないのか、仮に能力が及ばずとも成績が出せずとも、努力する姿は見せるべきではないのか。彼は王子、皆の手本となるべき存在なのに。


「王子、少しいいかしら?」


「…なんだ、委員長」


 ネコ先輩のいる休み時間は彼とは話せない。だから自習時間を利用した。クラスのみんなは見ないふり。トラブルに巻き込まれたくない、そう言う気配がありありと見えた。

 私はその日、王子に疑問をぶつけていく。なぜ頑張らないのと。


「判らない事を頑張ってどうする? 質問しようにも何を質問していいか判らない」


「それは先生の話を聞かないからよ」


「そうじゃないさ、学問はまだわかる、だが魔法に関しては理屈は判っても実践できない」


「…ならばできる事を、学生は勉強しないと」


 少し緊張しながらそんな話、それをきっかけに少しづつ彼と話をするようになっていった。


「…王子、今日、お昼ご飯は?」


「ネコの奴が修学旅行だから」


「あ、そっか先輩今年で卒業だもんね。…じゃあ、何も持ってきてないの?」


 そう言うと黙ってうんと頷いた。


「それなら私のお弁当、半分あげる」


「…いいよ、悪いし。金はあるから買いに行く」


「そう? じゃ、一緒に行こうか」


 ネコ先輩の代わりに自分が彼の手を引いて購買に。そこで黙ったままの彼に代わりいくつかのパンと飲み物を買い求めた。彼は恐らくネコ先輩の手作りと思われる財布から魔石を私に手渡し、それで支払いをする。そのあと二人で屋上に行き、そこでお昼を食べた。


「ほら、これも食べてみて。どう? 美味しい?」


「ああ、悪くない」


 わずかに顔をほころばせ、彼は私の作ったおかずを食べてくれた。それがとても嬉しい事に感じました。


 翌日から私は早起きして二人分のお弁当を作りました。彼は何が好きなのだろうか、そんな事を考えるのがこの上なく楽しく、はにかむように笑う彼の笑顔を想像し、嬉しさが溢れそうになりました。


「王子、ネコ先輩が帰ってくるまでは私がお弁当つくってあげる」


「…助かるけど、いいのか?」


「私たち、クラスメイトじゃない、遠慮はダメよ?」


 そう言ったとき、クラスメイト、と言う言葉がすごく空虚に感じた。そう、私はクラスメイト。このささやかな幸せもネコ先輩が帰ってくれば失われ、彼の中の私、そう言う存在も先輩に塗りつぶされる。…だから私は考える。彼との違うつながりを。ネコ先輩の前でも彼と居られる理屈を。


「…うーん、王子、その食べ方は良くないわね」


「なんだよ、うるさいな」


「あなたは王子なの、品性と言うのは大事よ?」


「そうなの?」


「きっとネコ先輩も同じ事を言うはず、人前で恥をかくわ」


「どうすればいい? 委員長」


「そうね、フォークの持ち方、まずはそこから」


 そんな感じで私は彼にテーブルマナーを指導する。想定は二つだった。彼が激昂し、お弁当をガシャっと床に叩き落とす、そういう可能性もあったはず。けれど彼は意外なほど素直に私の意見を聞いてくれた。…彼に手を添えフォークの使い方を指導する。触れた手から感じる彼の熱が私の頬を赤らめる。それを悟られないように髪で隠しながら少しでも彼に寄り添える体勢を取って行く。


「ほら、やってみて」


「こうか?」


 少し教えただけなのに、彼の食事姿はとても優雅に感じられた。俯かなければ頬を染め、ニヤついてしまう自分の顔を隠せなかった。


「どうだ?」


「うん、まだ初歩だけどいいと思うよ。覚える事はたくさん、ネコ先輩が帰ってきたら一緒に覚えようね」


「ああ、こういう事も確かに大事かも、ありがとうな」


「…お礼を言うのは覚えてから、調子にのるな、あはは」


 その日は一緒に帰ろうと誘われた。彼は別に緊張した様子もなく、当たり前、そんな雰囲気。私はドキドキしてかぁっと赤くなるのを自覚していました。


「ねえ、どこかに行くの?」


「そうだな、弁当のお礼。一緒にお茶でもと思ってな」


「うんっ!」


 私の中で何かが爆発し、無意識に彼の腕を取って寄り添っていた。


 少し趣きのある喫茶店。流行りのお店ではないが、それがかえって良かった。店内に流れる音楽はジャズ。少し大人な感じがしました。4人掛けのテーブル席、私たちはそこで向かい合わせに座った。


「こういうところにもマナーがあるのよ。そうやって足を広げて座ってはダメ」


「そうか、」


「ティーカップの持ち方が違うわ、ああっ、もう!」


 そう言って私は席を移し、彼の隣に座る。そして手を取ってカップの持ち方を指導する。息がかかりそうなほど顔が近づき私ははっきりと自覚した。

 

…自分が恋をしているのだと。


 その夜、私はベッドに入り、クッションを抱え一人、悶々と過ごしていた。このクッションが彼だったら、そう思うだけで顔が赤くなる。明日も彼にお弁当を、帰りには自分から誘おうかな、と考え、幸せを感じる。…自分の中での大事なモノ、その順番がはっきりと入れ替わるのを感じた。


「おはよう、王子」


 登校し、教室に入るとまず目線で彼を探し、自分に出来る最高の笑顔で彼に挨拶する。


「ああ、おはよう、委員長」


 笑顔を崩さない事に努力が必要だった。なんで私の事、名前で呼んでくれないの?と喉元まで言葉が溢れて来ていた。それを呑み込み他愛ない話、今日の授業の内容とか、昨日のテレビの話とか、始業時間まで彼の側にいて、そんな話をしていました。

 …心には名前で呼んで欲しい、そんな欲求を抱えながら。


 その日の四限目は自習、クラスでは騒ぐ子もいれば一足早くお弁当を広げる子も。王子が頭を掻きながら教科書を広げていた。


「…ペンは噛んじゃダメよ? こういうのも嗜みだから」


「ああ、どうしても判らないことがあってな」


「どれどれ」


 そう言って私は彼の教科書を覗きこむ。わざと髪をかき上げ、それがわずかに彼に触れるよう意識しながら。


「ここね、マナの電力換算について、これはね、この公式、えっと、ここに書いてあるでしょ? これを使うのよ」


「流石委員長だな、ああ、解けた。答えは合っているか?」


「ええ、正解。じゃあこれは?」


 そう言って私は不自然にならないように意識しながら彼に身を寄せて行く。素直に私の言葉を聞き入れてくれる彼がどうしようもなく愛しいものに思えていた。


「はぁ、課題はここまで、疲れたぁ。なあ、今日の弁当は何?」


「うふ、それはお楽しみ。…私のお弁当、好き?」


「ああ、ウマいと思うよ」


「もう、そうじゃなくて、質問にはきちんと答えないと正解はあげられないわ」


「そうだな、うん、好き」


「よしよし、花丸をつけてあげよう。あはは」


 その日は天気が良かったので外に出て二人でお弁当を広げました。彼はこれが美味しいとかこれは初めて食べたとか嬉しい言葉を言ってくれました。


「家ではどんな食事をしているの?」


「うーん、執事やメイドが用意してくれる。いつも母と一緒、そうでなきゃダメらしい。ま、豪華ではあるかな」


「それはそうよね、あなたは王子だし」


「けれどウマいとは感じないかな、委員長の弁当はなんていうか、」


「美味しい?」


 そう言うと彼はうんと無言で頷いた。


「それはね、気持ちの問題、豪華さは及ばない、料理の腕もね。でも私は王子のこと考えて作ってるから」


「そうなんだ、そう言えばネコの作る飯もうまいもんな。あいつ、今日までだろ? 修学旅行」


 この言葉が氷の矢となって私の心を貫いた。そう、これは現実ではない。ネコ先輩がいない間の束の間の夢、あの人が帰ってくればこの幸せも、恋心も、何もかもがすべて塗りつぶされる。


「…そうね、お土産は何かしら?」


 表情を崩さず、そんな話。鼓動が速くなり、心に初めてどす黒い感情が生まれた。多分、これが、嫉妬。


「ねえ、今日も一緒に帰ろう?」


「ああ、別にいいけど」


 彼の予定を聞く余裕すらなかった。タイムリミットは迫っている。私は彼の心に私と言う爪痕を残したい。より深く、より、大きく。


 下校前にトイレに立ち寄る。鏡を見て薄く化粧をこらし、最高の笑顔を練習する。そうしながらネコ先輩が帰ってきた後の事を考える。いくつか布石は打った。マナー、勉強、そう言う側に居るだけの理由。あとはそれが彼女に通じるか。そこは賭け、そう思いました。ともかく今を、今の私を彼に刻みつける。きっと女の本能ってこういうもの、そう思いました。


「…ごめん、待った?」


「いいや、それほどでも」


 私はみんなの前で当たり前のように彼と腕を組む。そして彼の下駄箱から靴を取り、屈んでそれを履かせてあげた。彼はそう言う事が嫌いではないようで、照れる事も嫌がる事もなく、当たり前の顔をする。


「見て、ここのお店。新しく出来たんだって」


 腕を組みながら持ってきた雑誌を開き、デーモンズ・カフェの特集ページを彼に見せる。腕を組んだまま、胸を押し当てるようにして。


「へえ、魔界マスカットか、希少種なんだろ?」


「うん、まだ流通量は少ないみたい、でも美味しいって噂だよ?」


 若者らしく、そんな話をしながら目的の店に。店は行列ができるほどの賑わいだったが事前に兄の名を使い予約を入れていた。魔界は身分差のあるところ。私たちはうやうやしく迎えられ、個室に案内されました。

 そこでも私は当たり前のようにとなりに座り、メニューを広げ、注文を。彼の肩に身を預け、寄り添いながら私と言うものを彼に刷り込んでいく。


「うまいな、これは」


「そうね、すごく美味しいわ。はい、あーん」


 私のスプーン、そこに乗せられた輝くような果実とクリーム。それが彼の口の中に入って行く。そしてそのスプーンで私もパフェを口にした。彼は相変わらずいつもの顔。間接キス、しちゃったのに。


「なあ、委員長」


 委員長、そのごつごつした響きがすごく嫌だった。思わず顔をしかめそうになり、寸での所でそれをこらえた。


「なあに?」


「魔界はこうした新しい産物が次々出てくる。俺たちも卒業したらそう言う事ができるのかな?」


「…そうだね、卒業したら就職してみんなそれぞれの道に。産業、農業、こうしたお店、私の父のように政治家になることも」


「そうか、できればこうした新しいものを、魔界をより良くできればと思う」


「うん、きっとできるよ。王子がしたい事、私も手伝うから。…だからね、約束。私に遠慮しちゃダメなんだよ?」


「…なんで?」


「だって、遠慮されたら私、王子のしたい事わからない、ちゃんと口に出して伝えてくれなきゃ私は、私は、」


 その時何故か胸がいっぱいになって、涙があふれた。


「どうしたんだよ、急に泣くなんて」


「ううん、なんでもない」


「ほら、お前が遠慮してる。口に出さなきゃ伝わらない、だろ?」


「あはは、もう、女の子はね、泣きたい時もあるの!」


 ネコ先輩が帰ってきたのは翌日、当たり前のように王子と手を繋ぎ登校してきた。私はそれを教室の窓からそっと見ていました。


「にゃはははは、ニャーが居なくて寂しかったにゃろ? 王子はニャーが居ないと何もできないニャ」


「人の事子供みたいに言うなよな」


「王子はニャーの赤ちゃんみたいなもんにゃ。バブバブー」


「そう言うのやめろって!」


 教室はいつもの日常、私は彼の物語、その中で脇役に押しやられる。そう、判っていた事。


「…あの、ネコ先輩」


 勇気を出してそう声をかけた。


「…何にゃお前」

 

 王子に向けた笑顔とは対極の冷たい表情、返事をすることすら煩わしい、そんな顔。私は努めて冷静に、淡々と先輩の居ないこの数日、その事を話していく。決して嘘を混ぜず、ごまかさず、あった事をそのままに。そして問題点を提示した。


「…にゃるほど、魔王バッバは母親失格ニャ。お金だけ、そう言うのはバーニィには難しいニャン」


 バーニィ、彼の愛称、彼の事をそう呼べるネコ先輩、…私は自分の事を名前で呼んでほしかった。けれど彼を名前で呼ぶ、そう言う事は考えもつかなかった。これが先輩と私の差。


「ともかくお前が弁当を、それには感謝するニャン。バーニィは好き嫌いが激しいニャン。残したりしなかったかニャ?」


「私もその辺は最大限の配慮を、幸いにもお口にあったようで」


「それならいいニャン。それにマナーは確かに必要ニャン。ニャーの見落としにゃね」


「いいえ、私はただ、彼に王子と言う立場に相応しい振る舞いを、そうあってほしくて。出過ぎたことを」


「…にゃるほど、忠誠心の現れ、と受け取り素直に感謝しておくニャン。但し、ニャーとバーニィの間に割り込むような事があれば」


「…はい、そこは承知しています。彼はいささか世情に疎いところもありましたので私が連れ出し現状を」


「そうニャね、あの喫茶店に行ったのかニャ? あそこはバッバの好みで古臭くてかなわんニャろ?」


「そう思い近頃開店したこの店に」


 そう言って雑誌を見せるとネコ先輩は目を輝かせた。


「ニャーも行ってみたいニャ!」


「それであれば私が案内を」


「…お前は見所のある奴にゃね。流石は委員長ニャ。…それで、そのほかは?」


「少し、学習態度については苦言を。ですが王子は私の言葉を聞き入れ、今は学習内容の相談も」


「それは進歩ニャン。内容は?」


「そうですね、魔法に関しては先天的な素質、と言うものが大きく関わりますから学習でどうこう、とは中々、ですが一般教養についてはそれなりに」


「魔法はニャーもそこまで得意ではないニャン」


「はい、ですが王子はおぼろげですがこの先の展望も。先ほどの店、あそこで新しい果実を口にし、少しでもこうした良いものが魔界に、その為に働きたいと」


「…ニャーは嬉しいニャン。あのバカでどうしようもなかったこの子がそこまで」


「うるせーな! なにこれ、三者面談?」


「ちゃーんと委員長の言う事を聞かなければダメニャよ? にゃははは」


「うるせえって言ってんだろ!」


 二人は一緒に居る事が自然、そう言う距離感。意識せずとも繋がっている。そんな関係。眩しくもあり、嫉妬も、そして私と彼女、何が違うのだろうかと。

 その日の放課後、少し強引に二人を誘いデーモンズ・カフェに。前と同じく個室に通され、そこで話題のスイーツとお茶を。彼とネコ先輩は当たり前のようにとなりに座り、私は向かい側。…でも、今はこれでいい。


「ほら、あーんニャ」


「そっちのもくれよ!」


「これはニャーのにゃ!」


 二人はそんなやり取り。私はそれを微笑みながら見ている役。今はそう言うポジション、それで十分。ネコ先輩は私をライバル、自分に成り代わる恐れのある存在と認識すれば即座に排除するだろう。そこには圧倒的な自信の裏打ち。自分以上に王子を幸せにできる女はいない、そういう強烈な自負。

 ならば私はライバルにならなければいい。女としての力はともかく、魔族としての強さはネコ先輩には敵わない。恐らく彼女は私たちの世代で1、2を争う実力者。そして彼との関係性でも及ばない。彼女は彼が生まれた時から側に居る。

 …つまり客観的にみて、彼女を排除し自分がそこに成り代わるのは不可能。ならばどうする? そう、一番を、彼の唯一であることを望まなければいい。今回、縋りつくような形で彼と彼女、それに私、そう言う三人の枠組みを作ることができた。ならば当面はそれを維持し、はじき出されない。そこが目標。私たちは永遠、いずれ気が付いた時彼にはネコ先輩、そして私の二人が側に居て当たり前、そうなっていればいい。

 ――永遠の二番目、私の行きつく先はそこにしかない。女としては屈辱的、だからと言って彼以外に興味を感じない。気持ちは永遠ではないと言う。ならばこの関係性から私が脱落しなければ、諦めなければ、いつかは私が彼の、一番に、唯一の存在に、そうなれる日が来るかもしれない。だが、今ではない。だから影に潜む。どこまでも深く、燃えるような恋心をひた隠しにして。


 彼とネコ先輩の話に適当に相槌を打ち、話を振られればそれを膨らませる。こんな状況であっても彼がそこに居れば楽しくはあった。だけど私は笑顔の奥で二人を冷徹に観察している。


「あーっ! もう、やめるニャ! そこはくすぐったいニャよ?」


 そういってお互いにちょっかいをかけあう。制服のブラウス。その合間から覗き見えた下着は大人のもの。胸も大きくプロポーションではあちらが上。私はランジェリーはさしたる興味もなく、メイドたちが買い求めた質のいい肌着。胸もまだそこまで大きく育ってはいなかったのでスポーツブラを着用している。…思わず、「はぁ」っとため息が出てしまう。


「どうしたニャ?」


「いえ、ネコ先輩は胸も大きくていいなあって」


「にゃはははは! そうニャン、ニャーは完全体ニャ! 女として劣るところはどこにもないニャン!」


「よく言うよ、バカのくせに」


「にゃにおー!」


 そんな絶妙な掛け合い。最後はくすぐり合いになっていた。今、なすべきことは観察。情報が少なければ戦いには勝てない。こみ上げる嫉妬心を抑え込み、適度に茶々をいれ、その場を楽しく盛り上げる。

 ネコ部長は隙がない。きっとこうして戯れながらも私の事を観察している。この女は敵なのか? と。だから私はどこまでも自分の気持ちを隠し、この関係を維持していく。必要なのはネコ先輩の信頼。それを為す時は今。彼女は今年最上級生。来春には卒業となる。そのあとで動けばそれは、彼女の目を盗み彼に色目をつかう醜い女、私はそうはなりたくなかった。だからこそネコ先輩が在学中の今、こうして仕掛けている。正面から堂々と。


 スイーツとお茶、それに楽しい時間を過ごし、私は彼らと別れ、帰宅する。シャワーを浴びる前、鏡に映るブラを外した自分の胸をみて落胆した。…だけど私は戦うと決めている。魔族としての実力で負けても、彼との関係性で劣っても、…胸の大きさで敵わなくても。…最後に勝つのは私だから。


 その夜は屋敷にあった情報雑誌を読み漁り二人が興味ありそうなスポットを探す。バスローブ姿でソファーに寝転がりそんな事をしている私を怪訝に思ったのか兄のクロノスが声をかけてきた。


「…どうした、お嬢さん。優等生は廃業かな?」


「ちがうわよ、私、来年は生徒会長に立候補するつもり」


「ほう、それで?」


「ああ、この恰好? 確かに嗜みには反するわね。…不快ならば謝るわ」


「…そんな事はないさ、だが親父が帰ってくればうるさく言うに決まってる。それまでに部屋に戻っておくのだな」


「…うん、そうする」


「力になれる事があれば何でも言ってくれ。…俺は親父よりは理解があるつもりだ。青春って奴にね、ははっ」


 そんな言葉を聞きながら部屋に戻り作戦を再検討する。漏れはないか、不審を抱かれないか。目標は決まっている。そこに至る策も練った。あとは私次第、勇気と覚悟は十分、うん、やれる!

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