第30話 ゴブリンの女王

 翌朝、目が覚めると俺はしっかりマーベルに抱きかかえられていた。


「目が覚めたのか? おはよう」


 そのマーベルは朝の支度を終えているようで、薄く化粧も施していた。そして反対側には俺の背中に縋りつきながら寝息を立てるメーヴがいた。


「そのだらしない女は放っておけばいい」


 そう言ってマーベルは俺を抱え起こし、湯に浸した布で顔を拭いてくれたあと、コップに甘い水を注いでくれた。それが染み渡るように心地いい。

 そうしておいて再び俺を抱え込みベッドに潜ってぎゅっと俺を抱きしめた。


「ふふ、愛しさとはこういうものなのだな」


 そう言っておでこをあわせ、見つめ合いながらキスをする。そして俺の手をとり自分のおっぱいをまさぐらせた。


「…ちょっと、何してるのよ!」


「ようやく起きたか、クズが」


「クズってなによ! バーニィを返して! ほら、バーニィ? 朝は私のおっぱい吸わなきゃダメよ?」


「いいから支度を! おっぱいならば私が吸わせている」


「あなたのじゃダメなの! 私はね、バーニィの妻なの、わかる?」


「だったら夫が起きる前に目を覚まし支度ぐらいはしておくものだ。私はそうしているぞ?」


「もう、もう、違うの! 朝はね、目を覚ましたバーニィが、私のおっぱいを、それで私は目を覚ますの、それが私たち夫婦の形なんだから!」


「戯言はいいから、早く用意をしろ!」


「なによ! 眷属のくせに偉そうに! 私はあるじなのよ?」


「だったらあるじとしての振る舞いを見せて欲しいところだな。支度をして皆に朝食を、それが彼の妻としての役目だろう?」


「ん~~~っ! そんなのどうでもいいじゃない!」


「裁縫もできぬ、料理も無駄が多い、何もできぬポンコツがあるじとは笑わせる」


「できますぅ! ちゃんとやればあなたなんかに負けないです!」


「ならばそれをしろと言っている。早く行け、クズ!」


 きぃぃっとなってメーヴは部屋を出て行った。


「いいの? あれで」


「全く問題ないぞ? 私はあの女に負ける所はないからな」


「いや、そうじゃなくて、一応あるじなんでしょ? なんかそういう制約とか」


「ああ、確かに私はあのクズ女の眷属だ。…だがバーニィ、女とは思いをいくつもは抱えられん生き物だ。私は特にその傾向が強い」


「どういうこと?」


「忠誠心と愛は似たところが多い。どちらも相手の為に、そう言う事だからな」


「まあね」


「そして私はあなたを愛している。そうなってみるとだ、あの女に対する忠誠、そう言うものが不純に感じる」


「そうなの?」


「そう、私が全てを捧げるのはあなただけ、例えばの話だ、あなたとあの女が些細な事でいさかいを、そうなったとする」


「うん」


「その時に私は明確にあなたの側に着く、そう言う事だ。彼女には恩がある。敬意ももっていた。だがそれは昨日までの話。恩があろうが何があろうがあなたの害になるのであれば取り除く。その事に一切の迷いは感じない」


「そうなんだ」


「そうだぞ? 私はあなただけ、メーヴであろうが領民であろうが家臣たちであろうがあなたの害にそうなるなら戦うまで。それが私の愛の示し方だ」


「かわいいな、お前は」


「そうだ、もっと可愛がってくれねばな。私のすべてはあなたのものなのだぞ?」


 そう言って深くながいキスをする。


「私はこうしてキスをするのが好きだ。抱きしめられて肌をあわせる事も、あなたに強く求められる事も、そして私が包むように抱きかかえる事も。どれも甲乙つけがたいほどに好きな事。…とはいえ、先日初めてこうした事をしたばかり、まだまだ学んでいかねばと思っている」


「学ぶって?」


「あなたを学ぶ。何が好きなのか、どういう事が嬉しく思ってくれるのか。そう言う事を知っていけば私はもっとあなたに寄り添える。…あなたはどうなのだ?」


「俺? お前の事をもっと知りたい、そう思ってるよ」


「そうではない、私の事、好きか?」


「ああ、そうだな、好きだ」


「どんなところが?」


「もう、恥ずかしいだろ? そういうの」


「何が恥ずかしい、これも学びだぞ? 私のどこが良いと思ってもらえてるのか、それを知ればもっとあなたの好みになれるだろ?」


「そうねえ、お前は美人だと思うよ、大人っぽくて、カッコいいとも思うかな、剣もすごいし気も利くし、心も強い」


「他には?」


「この切りそろえた赤い髪は好み、細身なのも好きかな。おっぱいもちょうどいい大きさで、下の毛とかも上品、体つきも締まっていてすごくいいよ」


「…そうか、ならば私は気持ちいい?」


「うん、そう思う」


「ふふ、何分私は女としての意識がなかったからな。誰かに好かれようとかそう言う気持ちがこれまでなくて、だから全てをあなたの好みに、そうしたい。…それと、もうひとつ、聞きたいことがある」


「なあに?」


「最初にあなたは私をヴォルドにと言った。理由はあの時に聞いた。今は?」


「今? そんなの聞かなくてもわかるだろ?」


「きちんと言葉で聞いておきたい」


「今はさ、ほら、こういう感じだし、そんな事は思わないよ」


「…そうか、あいまいだな」


「ちがうだろ、それならお前はどうなんだよ、俺のどこがそんなに?」


「ふふ、私か? 私はあなたのすべてが好きだ」


「まだよく知らないだろ」


「そうだな、だが、昨日、私はあなたの深淵を覗いた。あの時生まれて初めて恐怖を感じた。邪悪であるとも、だがそう言うあなたも愛おしい、そう思った。あれがあなたの本性であるならそれで構わないとも。だからあなたのすべてを愛する、そう自信を持って言えるのだ」


「まあ、昨日の事は、その、ごめん」


「いいや、ああいう機会でなければあなたを本当には知ることが出来なかった。…バーニィ、私はな、ずっと本で読んだ無敵のヴァレンスにあこがれていた。強く、逞しい理想の男として。そのヴァレンスはあなたの父だと聞いた。だからあの顔は無敵の顔。強く、暴力的で、それで、どこか寂し気」


「そうか」


「そう、あの顔を見た時に思ったんだ。無敵のヴァレンスは無敵だから、その強さ故他者と並べない。人は彼を恐れるか利用するだけ、彼は頼られる事はあっても頼ることはない。なぜならば無敵とはそう言う事だから」


「それで?」


「あなたは無敵である必要はない。強さならば十分だ。私はあなたの隣に、どこまでも並び立てる。凶悪であっても構わない、残酷であろうが人の道に外れようがどんなことはどうでもいい。無敵のヴァレンスと一つ違うのは」


「違うのは?」


「私が側に居る、その事だ。私が居る限り寂しさは感じさせない。…だからあなたは私が居ればそれでいい」


 ふっと笑いが出てマーベルの髪を掴んで引き寄せる。


「マーベル、一度しか言わないからよく聞いておけ、俺はそのヴァレンスの息子、凶悪で残酷、そうなのかもしれない。だが俺はそんな父と自分がすごく気に入ってる。」


「…それで?」


「ここから先は後戻りできない、俺はどこまでもわがまま、気に入らなけりゃ叩きもする。一緒に居れば不幸になるかも、だが俺はお前が不幸になっても構わない」


「ふ、ふははは、なんだそれは、笑わせるな、あなたはどこまでもわがままを言わなければならない。後戻りなど必要ない。遠慮などしたらそれこそ許さん。だが一つ、言葉に沿いかねることがあるな」


「なんだそれは?」


「私はな、こうしてあなたが側に、それだけで幸せなのだ。不幸になどなれやしない。だからすべてはこれでいい。そうだろう?」


 俺はうん、と頷きマーベルの胸に顔を埋めた。


「ほら、顔を見せてくれ」


「だって、恥ずかしいし」


「いいから、」と俺を引き出すとむちゅうっとキスをする。


「んっ、私たちは愛し合う、それはこういう事だぞ? 私も聞いておきたいことがある」


「なあに」


「ヴォルドの事だ、理由はこの間聞いた。あの時はそうだった、なら今は?」


「今? 俺はお前をもっと知りたくてたまらない、他の奴に分けてやる余裕はないさ。だからね、マーベル。お前は俺だけのもの」


「うん、そうか、それが知りたい事だった。バーニィ、愛している」


「俺も愛してる、マーベル」


 体を繋ぎ、どこまでも深く混じり合う。マーベルの強さと独特の理論は俺の心の壁を突き崩し、その最深部にまで入り込む。俺は彼女にどこまでも甘え、どこまでも依存する。


「そう、そう、もっと、ダメ、来て?」


 そう促され欲望を彼女の中にまき散らした。マーベルはそんな俺を強く抱き、いつまでも寄り添っていてくれた。


「…そろそろクズが騒ぎ出す頃合いだ、支度をしないと」


 後始末を済ませ、身を起こすと裸のままでマーベルは俺に下着を履かせてくれる。そして自分は部屋に置いた箱から下着を取り出し、俺の前に並べていった。


「私はこういう事も不慣れでな、どんなのが似合うのかもわからぬ。あなたに選んでもらいたい」


 そうだねえ、と考えながら下着を手に取っていく。マーベルは赤い髪に程よく焼けた健康的な肌。顔つきは大人の女、キリッとした顔立ちにまつ毛の長い切れ長の目をしていて瞳はグレーがかった青色。そんな彼女に似合うのはやはり大人っぽいもの。

俺が選んだのはシルク生地のレースの付いた白いものだった。


「そうか、これがいいのだな?」


「うん、よく似合ってる」


 ふふっとマーベルは笑い、艶めかしく俺にすり寄る。そして下着に包まれた体を見せつけるように俺にすりつける。


「ふふ、大きくなってる」


 そこから結局もう一回。今度はマーベルが上になって腰を使った。


「…ふふ、淫らさは今の私が最も学ぶべき課題だからな」


 なんだかんだでイチャイチャしながら支度をし、リビングに顔を出した時にはすでにみんな朝食を終え、誰もいない。なのでキッチンにいくとそこには鬼の顔をしたメーヴが居た。


「何やってるのよ! こんな時間まで」


「言わねば判らぬとはな、愛を深めていた」


「そう言う事じゃないわよ! 私を追い出して」


「ともかく腹が減った。バーニィ、私が上手いものを作ってやる」


 キーキー騒ぐメーヴを完全に無視、すげえな。


 そして出来たのはいい香りのする柔らかなオムレツ。


「あ、うまい」


「そうか、口にあったなら何よりだ。これはな、山で取れるキノコを使っている。何もないところだが、山にはウマいものがたくさんあるんだ」


「もう、」


「いいからお前も一口食ってみろ」


 ブスっとした顔で一口つまんだメーヴは目を見開き「美味しいわね」と口にする。そんな感じで朝食を済ませ、マーベルは手早く後片付け、そのあとはリビングで三人でお茶をした。そこで通信をしてゴブリンに案内を頼み、昼からは巣穴に向かう事にした。


 支度を整えみんなで歩き。なぜ歩きかと言うと馬車では雪が深いところで遭難する可能性があるのと巣穴では魔獣も飼っていて馬が魔獣のエサにされてしまう恐れがあるから。


 メーヴとマーベルはヴァンプなので寒さを感じない。ゴブリンは子供と同じ、寒さをものともせずきゃっきゃとはしゃいでいた。つまり寒いのは俺だけ。


『ねえねえ王子、遊ぼうよ』


「寒いんだよ!」


『もう、ノリが悪いんだから、えいっ!』


 そう言ってゴブリンは雪玉をぶつけてくる。


「もう、濡れるからやめろよ!」


「うふふ、いいじゃない、私もしよう」


 そう言ってメーヴも雪玉をつくり、えいっと俺を目掛けて投げてくる。だがメーヴは技巧派。急にカーブしそれはパカンっとマーベルの頭に当たった。


「あはっ、ごめーん、手元が狂っちゃった」


「…なるほどなるほど、そう言う事か」


 そう言ってマーベルも雪玉をつくり、大きく振りかぶる。ぎゅんっと投げられた雪玉はメーヴに一直線。だがメーヴはくわっと目を見開きその雪玉を額で受けた。威力はメーヴの顎が跳ね上がるほど。人間だったら死んでたかもしれない。…だが、


「いったーいっ! バーニィ、見て、おでこ赤くなってない?」


「もう、めんどくさいな。赤くなってるけど大丈夫だよ!」


「マーベルはホントひどいんだから。なでなでして」


 なるほど、メーヴは技巧派。真っ向から勝負をしない。なでてやると今度は舐めてくれなきゃヤダと言い、仕方がないから舐めてやると今度は歩けないからおんぶしろと言い出した。あのね、どうでもいいけど寒いんだよ!


「…ほう、歩けないのであれば私がおんぶしてやるぞ?」


 イライラっとした顔のマーベルがそう言うと「いいわよ! 歩くわよっ!」とメーヴは不機嫌に答えた。


『なんか、ごめん、大変なんだね、王子も』


 ゴブリンにポンポンと背中を叩かれ慰めてもらう。俺は黙ってうんと頷いた。巣穴に着いたのはそれから一時間ほど歩いた時。その間ずっとメーヴとマーベルは嫌味を言い合い、ゴブリンは俺の手を握っていてくれた。


『あ、王子!』


『やったぁ、王子が来てくれた!』


 巣穴に着くとゴブリンたちがあつまり、べたべたと引っ付いてくる。そのまま奥に案内され、オババの居る部屋に通された。巣穴の中は結構快適。暖かいし、部屋には絨毯も敷かれ、民家から持ってきた家具も置かれていた。


「へえ、いいところじゃん」


『まあの、色々あつめたから暮らしは上々じゃ』


 ここには揺り椅子に座るオババと世話役の大人の女のゴブリンが一人、基本的にゴブリンは子供たちが外に出る。大人のゴブリンは巣穴の奥で子を作るのがその役目。だから巣穴が襲われても大人たちは先に脱出する。


 その女のゴブリンに来ていたコートを預け、鎧も脱いで、身軽な格好になって進められた椅子に座る。贅沢さはないが、便利さは考えられたつくりになっていた。巣穴の中は暗いが夜目の利く俺たちは問題ない。だがオババの部屋にはランプが置かれ、明かりが灯っていた。


『よう来てくれたの、オババはずっと待っておったのじゃ』


「こないだ会ったばかりだろ?」


『待つとなれば一日が長く感じるものじゃ。さ、王子、こっちに、オババの所に』


 そう言って俺を呼び寄せ抱きかかえてくれる。その間に世話役の女がお茶を出してくれていた。


「…ほう、ウマいものだなこのお茶は」


『それは魔界の紅茶だからの、地上のものよりも質が良い。それに魔界リンゴの汁もたらしておる。ババはこれが好きでな』


「なるほど、色々あるものだな。そう言えば私も土産を持ってきたのだ」


 そう言ってマーベルが取り出したのは土色のキノコ。


「これは油で焼いてもうまいし、シチューに入れても味が出る。山に行けばいくらでも取れる。ゴブリンのあなたたちにもこの地にウマいものがあることを知ってもらいたくてな」


『ほう、ありがたく、今宵の献立にでも』


 そう言ってオババが顎で指図すると女ゴブリンはそれを受け取り部屋を出た。


 その後はオババとあれこれ話を。地上の事はマーベルが、魔界の事はメーヴがそれぞれ話をしている。まずは地上、既に掘り出した鉱石や切り出した木材はピルナの丘に運び出しているという。あちらでは俺たちが暮らせる建物も建設中、ゴブリンたちは知識を共有しているので建築なども皆がプロ級。力のあるホブゴブリンも居るので

すぐに立派な屋敷が立つだろうと言っていた。そうなれば居を移し、次の段階、リヴィアとの交易とピルナの丘の村づくりがスタートできる。


 そして魔界の話。こちらはマナ不足が著しく、停電なども相次いでいるという。その事が魔王の治世に疑念を抱かせ支持率は下降中。


『わしはの、ずっと思っていたんじゃ。魔界の暮らしは確かに便利、じゃが、テレビがなくて何が困る? 服はわが手で縫い上げればよい。食べるものとて工夫を重ねればいくらでもウマいものを作れるじゃろ?』


「オババ、私はここの出身だからな。貧しくとも、便利でなくとも楽しい事はいくらでもある。食事に工夫することも、裁縫も、うまくできれば何でも楽しいものだ。まあ、裁縫もできぬ誰かには無理な話だが」


「なによ、ちょっとできるからって!」


「だってそうだろう? 材料は無駄ばかり、味付けだってアレは誰かのレシピ通りに作っただけだ。私たちのように親から、年長者から教わり、自分で工夫した味ではない」


『マーベルよ、そう言うてやるな。わしら魔界も昔はそうして暮らしてきた。じゃが今の魔界はの、ウマいものを売る店があり、いい服も簡単に買う事ができるのじゃ。あちらではな、仕事とは金の為、その為に意味の分からぬ作業を強いられる。これをして何の役に? そういう仕事を』


「仕事とは必要な事をする事ではないのか? 食うために畑を耕し、住むところの手入れをし、着るものを作る為に糸を紡ぎ布を織る。それを仕事というのだろう?」


『そう言う当たり前、それが変わってしまったのじゃ。こちらでも町で暮らせば似たようなものじゃろ?』


「そうですよ、マーベルは田舎ものだから」


『ともかく魔界では何かが起こりつつある、その波に巻き込まれぬよう気をつけねばな。どうせネコはその真っただ中に居るに決まっておる』


「そうですね、先輩はそう言うの好きだから」


『じゃが、王子を放ってまでする事ではないの。あの娘は明るく面白みもあるがそう言うところがババは好かぬ』


「そうですよね、先輩はこのまま魔界で頑張ってればいいんです」


 一通りそんな話をした後でオババに案内され、更に奥に。そこには温泉が湧いていた。


「ああ、いいじゃん!」


「本当にいいわね」


「ああ、山にはこうした温泉がいくつもあるんだ」


 オババも俺たちも裸になって湯につかる。ここは天井が開け放たれていて星のまたたきが良く見えた。巣穴は洞窟の中といってもあちこち加工してあり、ここも床は平らな石が敷かれた洗い場に、湯船もしっかり岩風呂に組み上げられている。当然排水や換気もしっかり考えられていた。


『わしらにはこうした場所が性にあっておる。魔界の暮らしがいかに便利であろうと自らの手で工夫を、そう言う欲はあるものじゃ。そうでなければ誰が不便なキャンプなぞに行くものか』


「そう考えれば、確かに」


『何もない洞穴、それを掘り進め、部屋をつくり寝床とする。火を使う場所には換気を水を使う場所には排水を、そうした事を考え、より便利に。ここでは溢れた温泉の水を使い、トイレなども水洗になっておる』


「へえ、魔界並みジャン」


『そうじゃの、便利な方が良い、それは事実、じゃが行き過ぎれば人は生きる目的を見失う。一部の誰か、それが作った物に一喜一憂しイイの悪いのと評価するだけ。自ら作る喜びを忘れてしまっておるのじゃ』


「まあ、確かにテレビは無くてもここでは楽しく暮らしてる」


『そうじゃ、必要なのはこの程度の便利さ、それがあれば十分、なのにドンドン開発を推し進めた結果、魔界はマナの消費に耐えられなくなってしまった』


「…そうだな、この土地は貧しいが、それはあくまで本国に比べての話、みんな何とか食ってはきたのだから」


『そうじゃの、お主はよう見ておる。まあ、ネコは論外としても、メーヴ、おぬしも頑張らねば足元をすくわれるのう』


「もう、そんな事ないです!」


 その後オババはマーベルに魔界の暮らしについて話し、そしてゴブリンの生態について話していった。


『わしらの寿命は500年ほど、このババはそろそろお迎えの来る頃じゃ。わしらは生まれてすぐに知識を得ている。体が育ち、自分で歩けるようになるまでおよそ3か月、そうなればみなと同じく外に出る』


「生まれて3か月で一人前、と言う事か」


『そうじゃの、わしらは多産、たくさん子を産む。じゃがの、知っての通りわしらは力に劣る。人間だけでなく野生の生き物、そう言うものに殺されることも数多い。弱いから数を生む。そして100年ほど生き残れた子供はそこで大人へと変わる。大人になるまでオスもメスもないのじゃ』


「そうなのか?」


『それを決めるのはババのような群れの長、シャーマン。大人になった者たちはツガイを定めず色んな相手と交わって子を成していく。男はその他に巣穴の手入れや家具や道具を作ったり、女は赤子の面倒を見たり皆の食事を作ったり、なんだかんだ忙しく過ごしておる。男は300年も生きるとそこで寿命、どうしても消耗が速いのじゃ。女は子を成せなくなる400歳を超えるとババのようなシャーマンに。シャーマンは群れに一人、他の女は子供たちの面倒をみたり、魔獣を手なずけて世話をしたり、そんな風に過ごし、やがて死ぬ』


「不死ではないのか?」


『そうじゃ、多くのものが大人になる前に死んでいく。成人するのは一割くらいかの? わしらシャーマンは跡継ぎを定め、そ奴に知識と経験のすべてを与え、世を去って行く。それが定め、わしらの生き方』


「…そうか、立派な事だと思うぞ」


『ふふ、自然に生きる生き物は皆同じ。…それでの、わしは昔恋をしておった』


「「「えっ?」」」


『そんな驚かぬでもよかろう、ババとて女じゃぞ?』


「相手は何? オーク?」


『誰があんな豚どもに。ババが恋したのはの、今から三百年前、ババはの、まだ若かったが才能を見込まれ前の長から全てを引き継ぎいきなりシャーマンになったのじゃ。当然大人として、子を産んだ事もなく、…その、なんじゃ、セックスも』


 そう言ってオババは顔を赤らめた。ちょっとやめて!


『ともかく当時は魔界を三つに分けての抗争中でな、ババたちは同じ妖魔の括りで今の魔王に従っていた。いざ決戦、その時にあ奴は時空を超えてやって来た』


「ヴァレンス・ロア・カラヴァーニ。暴虐の英雄」


『そうじゃの、メーヴ。その結果魔界は一瞬で奴に制圧され、騒乱の罪アリとされたヴァンパイアの一族はひどい目にあわされた』


「…はい、一族では子々孫々語り継げと」


『結果としては今の魔王、サキュバスのグリューナがヴァレンスを篭絡し、事なきを得た。じゃがの、わしは知っておった。あのヴァレンスは強きゆえに誰も並べない。あ奴は人を頼れない。孤独を寂しさを、強さで、険しさで隠しておった。グリューナもそれを判った上であ奴をゆりかごに閉じ込め飼い殺しに。結局あ奴は策にハマり死ぬまで騙され続けた』


「…ヴァレンスは最後、そんなことに? 伝承では彼の最後は判らぬままだった」


『魔界での出来事じゃからの。地上には伝わらぬ。…そしてその時このババは思ったのじゃ。自分ならあ奴の寂しさを埋められる。あ奴がここでわしらと歌い酒を飲み、楽しく暮らす、そう言う事が出来たはず』


「なぜ、それをしなかったのだ?」


『…自信がなかったのじゃ。わしらはこの通り、人間からすれば醜い生き物。魔界でも下級種族。わしが何を言おうが話は通らぬ、なにせ魔界の存亡がかかっておるのだから』


「オババ、あなたはそれを悔やんでいる?」


『無論じゃ、好ましく思った男はあ奴一人、そしてバーニィが生まれた。わしはの、今度こそと思い、同じ妖魔なのだからわしらの子を側付きに、そう申し出た。じゃが、結局ネコの奴が。あ奴の父のスロウは魔王の側近。話も通しやすかったのじゃろう。バーニィが遊びに来るたび幾度、この子を我が子に、そうしようと思った事か、じゃがそれを成せば不和を生む。わしらは下級魔族、ネコのブラッドキャットを敵に回せば一族の存亡、じゃからわしは!』


「オババ、人の上に立つ立場であればそう言う事もある」


『わかっておる、じゃがの、バーニィよ、わしはすまなかったと思うておる。わしがそなたを我が子とすれば少なくとも寂しい思いはさせなかった。それが出来なかったのはババの臆病さ、女としては醜く、種族としては弱きもの。じゃがの、ババは!』


「オババ、判ってる。俺はね、ずっとオババが大好きだった」


『…そう言ってくれるのかえ? オババは果報者じゃの。…のう、メーヴ、それにマーベルも、オババの願い、聞いてくれるかの?』


「…なんですか?」


「私はかまわぬぞ」


『状況がこうなってしまえば魔界から我らへの干渉は難しかろう。何しろこちらで動くのはわしらだけ。ごねてしまえばいつまでもダンジョンは建設できず、マナの不足も解決しないまま』


「…それで、どうするつもりですか?」


『メーヴ、お前はおかしいとは思わぬのか? このマイセンを我らが土地、そうできたのはお前と、バーニィの力』


「はい、私はきっかけを作り、彼が結果を」


『そうじゃの、魔界からしてみれば大手柄、そうであるはずなのにバーニィの追放は解かれぬまま』


「…確かに」


『本来であればネコが主導しそうするべき、だがあ奴はそうしない。わしが思うにじゃ、グリューナとネコは同じ穴のムジナ、あの二人はバーニィが魔界にとって邪魔だと思っている』


「…ネコ先輩が?」


『そうじゃ、考えてもみよ、幼き頃からあ奴はバーニィを世間と言うものから切り離した。自分だけ、そう言うゆりかごに。ブラッドキャットは偏愛、それは判る。じゃが幼子に友達もおらねばまともには育つはずも』


「…先輩は彼に近づくのは敵意を持っているか利用しようとしている相手、だから誰も近づけないと」


『そうじゃの、ネコは歳がいくつも変わらぬ。自らの考えとブラッドキャットの本能に従っただけ。そうなることが判ってネコを王子に、そう言う奴がいる』


「それが、魔王様」


『そうじゃの、…それにグリューナには想い人が居た』


「魔王様にも?」


『サキュバスとは言え、女。あ奴はの、ネコの父、スロウに』


「えっ?」


『若い頃のあ奴らは睦まじくしておった。じゃが、グリューナは自らの栄達の為、スロウを捨て、ヴァレンスに。念願通り奴は魔王となり、ヴァレンスも目論見通り寿命を終えた。だからあ奴は側近にスロウと取り立て、スロウの妻だったネコの母、その女は秘密裡に始末した』


「…確かにネコ先輩も父だけ、私もそうですが」


『おぬしらヴァンパイアは子を作るという事に大きなリスクがあるのじゃ。なにせおぬしらは不死、ぽんぽんと数を増やせば世界のバランスが大きく崩れる。だからそう言う制限があるのじゃ。おぬしの母もおぬしを産み落として息を引き取った。じゃからおぬしの父はそれ以降妻を娶らぬ。眷属を側においておるじゃろ?』


「…そんな事が、兄もだから妻を娶らない」


『そうじゃの、それはブラッドキャットも同じ事、じゃが、ネコの母は生きておった。それはわしがこの目で見ておるからの』


「そして彼は魔王様とスロウ、その二人には共に憎まれている、」


『そうじゃ、魔界に王子がおらねばすべてはうまく行く。あ奴らはそう考えておる。だから王子を魔界に戻さない』


「まあいいじゃん、スロウは確かに俺を嫌ってた。でもそうなる要素はたくさんあったし。母さんの事もうすうすは感じてた。…だからさ、俺はもう魔界には帰らない。

それがお互いの為だろ?」


「バーニィ、本当にそれでいいの?」


「オババの言うようにテレビは無くても楽しい事はたくさんある。魔族には嫌われてもメーヴとマーベルの二人が俺を愛してくれるなら構わない。ネコも自分のやりたいことを見つけたならそれでいい」


「…そうだぞ、あなたには私が居る。それだけで十分、そう言わせて見せるさ」


『そうか、そなたがそういうならばそれで、して、頼みのほうじゃが、先ほども言ったように魔界はこちらに手出しをできぬ。今更王子に寄り添ったところで文句を言われる筋はない、と言う事じゃ。じゃからな、以前ババが出来なかったこと、わしらの子を側付きに、そうしてもらえぬか?』


「…私は構いません」


「ああ、私もかまわぬさ」


 その返事を聞くとオババは満足そうに頷き、湯を出て俺に背中を流して欲しいと言った。


「…ああ、これが幸せと言うものじゃ。バーニィ、ババはこうして歳を取ったがそなたの父に恋した事は今も忘れぬ」


「あはは、父さんも喜ぶさ」


 オババの体はゴブリンの緑の肌、経年によるしわが刻まれ、おっぱいも垂れ下がっていた。尖った耳には魔力の籠ったピアスがいくつも刺され、すっかり白髪になった髪は手入れがされていた。


 そんなこんなで風呂から上がり、そのあとは夕飯、大人のゴブリンたちも席を共にし、あれこれ楽しく話をした。


「…王子はさ、子供のころからホントに乱暴で、俺はね、知識じゃなくて実体験してる。たくさん喧嘩して殴られて」


「私もそうよ、ほんと意地悪で我慢が聞かなくて。でもね、みんな王子が大好きだったの」


「もう、昔の事だろ!」


 大人になったゴブリンは肌は緑色のままだが男も女も髪の毛があり、それぞれそれなりに手入れがされている。顔つきも少し人間に近い感じ。子供のゴブリンは長いわし鼻に尖った耳、大人になると鼻は小さめに、スタイルも人間っぽくなっている。もちろんきちんと服を着てるしそう言うものも自分たちで作れるだけの技術がある。


 みんなで飯を食い酒を飲む。なんだかんだで気を遣わずにいられる場所だった。


 そしてその日の深夜、俺たち三人はオババの部屋に呼び出された。


『…ようきた、これより起こることは定め、よう見ておくが良い』


「オババ、なにを?」


 俺の問いかけににっこり笑い、オババは一人の子供を呼んだ。


『どうしたのオババ』


『おぬしはまだ若く、衆に優れたもの。それゆえオババの全てをそなたに』


『えっ?』


 そう言いつつも若いゴブリンはオババの手招きに応じ、そのそばに寄り添った。その子をオババは膝に抱きあげた。


『良いかえ? そなたはこれよりババの想いを知識として、皆を導かねばならぬ。…そなたは王子の事が好きかえ?』


『うん、大好きだよ! 雪が溶けたらいっぱい遊んでもらうんだ。だって、王子は寒がりだから』


 その言葉にうんうんと頷いたオババはおもむろにその爪を若いゴブリンの心臓に突き立てた。


『こうしてわしはこの子に全てを注ぎ込む。この子はわしの人生を知識に変えて生きていく。…わしの実らなかった恋も後悔も、知識として残って行くのじゃ』


 オババの存在が薄れて行き、代わりに抱かれた子が大人の姿に変わっていく。オババが灰に変わった時、そこに居たのはすらりとした美しい女。肌は緑で顔はどことなくゴブリンっぽさを残していたが栗色の長い髪をした美女だった。


「うふふ、驚いた? オババはね、ずっと自分の醜さを嘆いていたの。だから次の代にこうして美しい見た目になれるようずっと知識を集めていた。…王子、オババに代わってこれからは私が側にいるわ」


 そう言ってにっこり微笑むとその女は俺に抱き着いた。


「ちょっと、そんな話、聞いてないわよ!」


「もう、こういう時は席を外すの!」


 メーヴはワーワー言っていたが、マーベルに引きずられて部屋を出て行った。


「…ねえ、王子、私を愛してくれる?」


「お前はオババのすべてを引き継いだ。そのオババは俺を愛してくれた。だから俺もお前を愛してる」


「…うん」


 そうして俺はこの若いゴブリンクイーンと一夜を共に過ごした。

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