第29話 愛するということ

 朝食後のティータイム。外は冬晴れで実に心地のいい日だ。城の掘り起こしは終了、そろそろゴブリンの巣穴にでも行ってみようかと思っていた。


 …だが、そこに。


「全員武装して庭に出ろ! これより訓練を行う」


 凛とした声でそんな事を言うのは当然マーベル。彼女は城から回収した辺境伯軍の黒い隊服を着て、その上に胸の形に打ち出したチェストプレートをつけ、腰には剣を吊るしていた。


 ヴォルドとアレンは弾かれたように直立し、すぐに準備を始める。ジョバンニはキャシーに「仕方ないよ」と言われ、自分の部屋に支度をしに行った。微動だにしない俺たちをマーベルはイラっとした顔で睨みつけ、「参加せぬのならばメーヴ様には裁縫の手ほどきをしてやらねばな」とつぶやいた。メーヴは眉間にしわを寄せ、膨れた顔で俺の手を引き部屋で支度を始める。


「ほら、王子、装備はきちんとつけねばいざと言う時に不覚を取る」


「もう、バーニィの事は私がやります!」


「メーヴ様はご自身のことを! まったくどんくさいんだから」


「どんくさくなんかないです!」


「ふむ、これでいいな。剣は城から回収したものだがこれを」


 そう言って渡されたのは豪華な装飾のなされた剣。抜いてみると片刃で峰の部分に金の装飾が為されていた。全体的には細身でサーベルに近い感じ。


「それは父の秘蔵の剣でな。北の大陸の名工が作ったらしい。魔法の剣ではないがとりあえず持っておけばいいだろう?」


「ああ、ありがとう」


「父の形見、などと言う柄ではないが王子が使ってくれるならその剣も喜ぼう」


 そんな話の間にモタモタしていたメーヴもようやく支度を終え、俺たちは外に連れ出された。


「全員注目! 城の探索を終えたとはいえこれから我らにはなさねばならぬ事が山ほどある。マイセンの復興、それは生き残った我らの義務だ。今は流民となって保護されている同胞たちを呼び戻し、ここを再び故郷にする。その為には民を守れる力が必要だ。なのでこれより鍛錬を始める」


 ヴォルドとアレンは「はっ!」と大きな声で敬礼。ジョバンニたちも乗り気なようだ。ダメなのはメーヴ。ぷくーっと膨れながら文句のありそうな顔をしていた。


「相手は私が務める。まずはアレン、貴様からだ」


「はい」


 そう言って二人は対峙し剣を抜く。剣は本物。まあ、みんな不死だから多少の怪我は問題ないのかな。


 マーベルの剣はいわゆるバスタードソード、片手半剣。片手でも両手でも使えるよう柄が長く出来ていた。そしてアレンは片手剣、華奢な彼に相応しい細身の剣だった。


「ではいくぞ、始め!」


 カシャンっと剣の交わる音がして勝負は一瞬。すれ違いざまにアレンはマーベルの剣の柄頭で腹を打たれ、そのまま蹲った。


「…だめだな、貴様は。そんなだから小賢しいだけのエセ貴族などと言われるのだ」


 アレンはげほっ! げほっ! とせき込みながら頭を下げ、後ろに下がった。


「次はヴォルド、貴様だ」


「はい」


 ヴォルドの剣はギルドからジャンが取り戻したあの剣、厚みと重さがあり、マーベルと同じく片手半剣。「始め!」の合図で二人は真っ向から剣を振るった。


「…なあ、マーベルの奴、やばくね?」


「そうだね、彼女の動きは全て理にかなってる。…俺、勝てるかなぁ?」


 そんな頼りない事を言うジョバンニの解説によれば二人が使う片手半剣というのは中々に厄介な代物で、両手剣ほどの威力はないが、両手で持った時の威力は片手剣よりも数段上、速度においては片手剣よりも速いという。


「刀身の長さと重さは片手剣と変わらないだろ? それを両手で使うんだから速度も威力も断然上だよ」


 そんな武器だからこそ扱いが難しく、修練には時間と才能が必要らしい。二人は剣を打ち合うがヴォルドのパワーをうまくいなし、マーベルは多彩な技で追い立てる。いつの間にかヴォルドは壁際まで追い詰められていた。


「…ふっ、やはり貴様はこんなものだ。私のすべてを捧げるには弱すぎる!」


 そう言ってマーベルは急に振り上げた剣の角度を変え、剣の腹でヴォルドの側頭部を思い切り叩いた。ヴォルドはその場で横に一回転。ズシャっと音がしてひっくり返ったまま泡を吹いていた。


「ではキャシー、次はお前だ」


「私は魔法剣士、魔法を使っちゃダメとか言わないよね?」


「無論だ、魔法もまた、力。北の民は魔法は弱者の使う者と決めつけているが私はそうではない」


 そして今度はキャシーが対峙、キャシーの剣は細身のレイピア。切るというより突くことに特化した剣だ。


 そのキャシーは組み合わず絶妙な距離を取りながらレイピアで牽制する。軽いレイピアは速度に優れ、流石のマーベルも簡単には踏み込めない。そして空いた左手に溜めたマナを小さく呪文を唱えて発動する。


「…アイススパイク」


 ヒュンっと尖った氷がマーベルを襲う。だがマーベルはその魔法の氷をガシャっと剣で砕いた。すげえなあいつ。

 だがキャシーはヴァンプの眷属。氷結魔法とは相性がいいのか何発も打って行く。そしてレイピアでの攻撃も交えていた。だが、そのすべてをマーベルは打ち払い、隙を見せたキャシーに大きく構えた一撃を、


「これを待ってた! ライトニングボルト!」


 電撃がマーベルに至近距離で命中し、マーベルの体に電流の光が走った。電撃魔法はダメージの他にマヒの効果があり、流石のマーベルも一瞬動きを止めた。


「えっ、うそでしょ」


 だがそれはほんの一瞬、マーベルの一撃は止まることなく振り下ろされ、それを寸での所でかわしたキャシーにさらなる追撃。ピタッと喉元に剣先を当てられキャシーは降伏した。


「…まさか、あれを耐えるなんてね、私の負け」


「キャシーは実戦を経験しているからな。戦い方が上手い。私も学ぶところがあった」


 そう言ってマーベルはキャシーの手を取り引き起こした。


 …俺の中ではキャシーはへっぽこ、そう思っていた。だってまともに戦ってるところ見たことないもん。魔法もあんなに使えるなんて知らなかったし。


 水を飲み、一息ついたマーベルは次にジョバンニを指名する。


「ヴァレリウスの英雄である貴殿に恐れ多いが一手相手を務めて欲しい」


「まあ、いいけど」


 ほんとジョバンニは頼りない。完全にダメなかんじだもの。そのジョバンニはかつて俺がジルから引き継いだ魔法の剣と城から回収した丸い盾を持っていた。


「では、参る!」


 そう言ってマーベルは飛び出しまずは突き、それをいなされるとその勢いのまま多彩な剣撃を撃ち放つ。ジョバンニは冷静な顔でそれらを盾で受けるとカウンターの一撃を入れていく。マーベルはスタンっと宙返りでそれをかわし、少し距離を取った。


「…流石だな、ジョバンニ殿。私は冷や汗と言うものを初めて知った。…だがっ!」


 再びマーベルは攻勢、だがその剣筋は全てジョバンニの盾に防がれる。


「ならば盾を砕くまで!」


 そう言ってマーベルが大きく構えたところにスッと体を潜り込ませたジョバンニはドンっと剣の柄でマーベルのみぞおちを突き、マーベルは後ろに吹っ飛んだ。


「…上には上が、判ってはいたがこうまで違うとはな、ジョバンニ殿、ご教授感謝する」


「君は十分に強いからね。あとは実戦経験、その差かな。剣の技も体術ももしかしたら俺より上かもしれない。あとは戦い方の問題だね」


「…戦い方、そうですね、私は学べるものは全て学んだ、そう自負していた。しかし実戦を経ねば実力とは言えぬ。それが良く分かった」


 とは言え丈夫なマーベルは立ち上がり、深呼吸をすると次の相手にメーヴを指名した。


「もう、こんな事、興味ないです」


「ふふ、わがあるじとしての力、見せて頂かねば、参るっ!」


 そう言って突っ込んできたマーベルにメーヴはめんどくさそうに魔法を発動。その魔法は範囲魔法のブリザード、一瞬で見える範囲の全てが白く凍り付いた。


「もう、バカだろ!」


 魔法の効かない俺は無事。だがみんなはすっかり氷漬けになっていた。パカンっとメーヴの頭を引っぱたくと、「だってぇ」といじけた声を出した。


「どうすんだよこれ、解凍すんのめんどくさいだろ!」


「ほっとけばいいじゃない」


「雪が積もったらまた掘り出さなきゃならないだろ!」


 そんなやり取りをしているとパカっと氷が割れ、マーベルがそこから出てきた。


「さすがだな、メーヴ様は。うむ、わがあるじとして申し分ない力だ」


 そんなマーベルには流石のメーヴも「えっ?」っと驚きを露にしていた。


「さて、残るは王子、あなただけだ。わがあるじの夫に相応しき力、期待する」


 無理無理、そんなのないから! だが、無情にもマーベルは全力で突っ込んでくる。剣を抜きその斬撃を受け止める。そして火炎の魔法で牽制した。


「ほう、火炎か、私たちヴァンパイアには効果的だな」


 ニヤッと笑いそう言うと俺の魔法を掻い潜り一気に距離を詰めてくる。だがこっちも、ぐぐぐっと手のひらに魔力を溜め、一気に打ち放つ。覚えたばかりの爆発エクスブロージョンの魔法だ。だがマーベルはその火炎の球を剣で切り裂いた。ドンっと爆発が起き、その中からマーベルが姿を現す。こいつ、ほんとに元人間なの?


「今のは流石に焦った。だが二度目はない。手のひらに力を溜める、その前に私の剣が王子に届く」


 やばい、完全に見切られてる。こんな状況なのに後ろからは「バーニィ! がんばってー」と言うメーヴの声が聞こえた。

 …そう、父さんは言っていた。好きな女の前で格好つけられない奴はクズだと。だから俺は手段は択ばない。ここは勝たねばならない所だ。


 まずは牽制、五本の指すべてに力を込め、それを一気に発射する。五つの火炎球がマーベルに向かって飛んでいく。マーベルはそれをくるりと剣を回して切り落とす。雷撃はもちろん、氷結魔法に比べても火炎球は発射速度に劣る。アイススパイクを切り落とせるマーベルにとって、火炎球など止まって見えるはずだ。いくつか同じように火炎球を撃ち、目がその速度になれたころ合いで雷撃を撃った。流石に光の速さには追い付かない、マーベルはぐぅぅっとうなり、雷撃のダメージと感電によるマヒに耐えきった。だがその時には俺の剣はマーベルの頭上にあった。


 勝った、そう思った瞬間、足を払われひっくり返される。そしてマーベルは俺に馬乗りになって剣を向けた。


「中々やるが、ここまでだな」


「まだまだぁ!」


 そう、最後の一手、それを発動する。もうマナは残り少ない。これを使えばきっと自分を抑えきれない、それでもやるしかない!


「ちっパイ!」


 そう叫んでマーベルの腕を掴んだ。そこから彼女の体に流れ込むのは戦神の奇跡、回復魔法。ヴァンプには大ダメージを与える最後の切り札だ。


「ぐああああああっ!」と叫び、マーベルは剣を手放し転げまわる。だが、ぐううっと歯を食いしばり膝を立てた。


 …そしてその時俺はマナの枯渇から来る衝動に襲われていた。苦しい、辛い、そう、目の前の女を犯せばいい!

 

 ぐっと崩れ落ちそうな体に力を籠め剣を杖にして立ち上がるマーベルに体当たり、そのまま押し倒しパンっと平手で頬を叩く。


「えっ」


 マーベルの声、そして表情は怯えていた。そう、今の俺は凶悪な顔をしているに違いない。だがこみ上げる昂ぶりはその状況を楽しくも感じさせた。

 マーベルの切りそろえられた赤い髪を掴み、強引にキスをする。そして衝動に任せ、その服を、鎧を剥いだ。形のいいおっぱいをぎゅうっと力任せに掴み、思いのままに体を繋ぐ。


 …だめだ、このままでは。最初に俺を助けようとしたレンジャー、灰になるまで優しく俺を見つめていたグランの母、そして全てを納得し、灰に変わって行ったジル。あの人たちはマナを俺に与え、代わりに小さな心の傷になっていった。

 もう、ああいう想いは十分。なぜ?


 そう、あの頃は何も感じなかった。食事をするのと同じ、そう言う仕組みだから。肉を食うのにその肉を与えてくれた豚を憐れむ事はない。それと何が違う?

 ジルには想いがあった。それでも彼女を吸い尽くした。このマーベルと何が違う?

こいつはジルよりも価値のある女なのか?


 荒ぶる心の中でそう自問する。殺してしまえばいい、そうさせたのはこいつの愚かさなのだから。そう言う声、それに抗う自分。

 あの父は言っていた、好きな女の前では格好つけろと。メーヴが見てるから? あの時のトラウマを思い出させたくない? それも違う、あいつは、メーヴは俺のもの。一緒にいて、こういう場面を見て不幸になるならそれでいい。


 答えはどこにあるのだろう。だが俺はこのマーベルと言う女を殺したくはなかった。


 ぐぅぅっと昂りが駆け上がりやがて臨界点を迎える。その時、マーベルの声が聞こえた。


「好きなだけ貪れ、私は言葉を違えない。あなたは私に勝った、だから私は全てを捧げる」


 そう言ってマーベルは下からぎゅうっと俺を抱きしめた。


「命が吸われていくのが判る。…だが、私は死にはしない。私の命、それは私のすべてではないからな。たくさんしてやりたいことがある。だから、私は死なん。あなたは私を存分に味わえ」


 マーベルはニコっと笑いキスをした。そして快楽と昂りがマーベルの中で爆発する。そのまま俺は意識を失った。



 薄靄のかかった場所、そうかつて俺の父さんに出会ったところだ。向こうに見えるのは大きな背中、そう、俺の父、ヴァレンス・ロア・カラヴァーニの後ろ姿だ。


「父さん!」


「…おいおい、見送りはいらねえと言ったはずだが?」


「そうじゃない、俺は父さんに伝えたい事があるんだ」


「…なんだ?」


「…俺も、父さんを愛してる。だから俺は一人じゃない。父さんも一人にはさせない!」


「はは、言うねえ。だが、嬉しくもある。…ほら、そろそろ帰れ、女を待たせるもんじゃねえからな」


「判った、父さん、いつか、また」


「へへっ、そいつは遥か彼方の話さ。だが、覚えておけ。この無敵のヴァレンスに涙を流させたのはお前だけだ」


「あはは、それは誇っていい事だよね」


「ああ、誇れ、俺の息子であることを。そしてお前の事は俺の誇りさ」


 そう言って父さんは俺の頭をガシガシと撫でてくれた。



「…ここは?」


 気が付けばベッドの上。両脇には裸のメーヴとマーベルが俺を抱えていてくれた。


「…気が付いた? マーベルはこの通り大丈夫よ」


「ふふ、私は死ねぬからな。あなたに全てを捧げ尽くすその日まではな」


「…そうか、ならそうしろ。お前も俺から離れるな」


「言われじともそうするさ」


「…そうね、あなたは二番目。ネコ先輩はもういらないわ」


「ふふ、いつかは一番、そうなってもいいのだろう?」


「出来るものならね」


「…まあ、メーヴ様は裁縫もできぬダメ女。そうしたところは私が埋めてやらねばなるまい」


「…何か、言ったかしら?」


「聞こえぬとはな。まあ、百年以上生きていれば耳も遠くなる。王子、いや、バーニィ。私が居れば問題ない。一番を名乗る女がいかにどんくさくてもな」


「どんくさくないです、そもそもあなたはおまけじゃない。わかるかしら? いらない子なのよ」


「ふふ、私はちょっと犯されたくらいで引きこもるやわなお嬢様とは違うからな。いかなる昂りもこの身で受けて満足させる。我慢を強いる誰かとは違う」


「たまたま生き残っただけじゃない! 偉そうに判ったような事言わないで!」


「どんくさい女はキーキー喚くと相場が決まっているからな。メーヴ様はな、自分が出来なかった事が私には出来た、それが悔しいのだ」


「違うわよ! いい加減にして!」


「ま、あんな女は放っておけばいい。ほら、バーニィ? まずは活力を回復せねばな。私のおっぱいをそう、強く。噛んでもかまわぬぞ? んっ、そうだ、もっと」


「あーんっ! もう、なんでこうなるのよ!」


 マーベルは精神的にも強かった。


◇◇◇

 

 私の父はヴァレンティ公国ではそこそこの貴族として生まれた。だが、若いころに派閥争いに負け、流刑同然にこの地の領主、辺境伯に任じられた。

 このマイセンの地は公国にとってはお荷物。周囲は険しい山々に囲まれ、本国との交易もままならない。父ブロニボルがこの地に赴任した時にはすでに貧しかったという。

 そんなマイセンで私は生まれた。母はこの地の有力者の娘。本国の貴族たちは父とは距離を置き、縁組など出来るはずもない。だが、母はしっかりした女性で貴族としてはともかく、女の嗜みは出来る人だった。

 幼いころから野山を駆け、身分にかかわらず同年代の子供たちと遊んだ。貧しくはあっても生まれた時から貧しいのだ、特に不満も感じず自然の中で私は育った。


 父はこのマイセンを何とか豊かに、真摯にそのことに取り組んでいた。だが土地はやせ、作物の取れ高は一向に上がらない。若い人たちは成人すると山を越えて本国へと旅立っていく。向こうにはダンジョンと言うものがあり、ギルドに所属し魔物を倒せば暮らしが立つという。ここに居ても食えないのだ。

 だからこのマイセンはますますさびれていく。そんな中、私は剣の腕を磨き、雪に閉ざされる冬は女の嗜みを磨く。退屈ではなかった。収穫の時にはみんなで騒ぎ、歌い、踊る。貧しいとは言っても食いかねるというほどではない。山にはたくさんの動物が居て、狩りをすれば肉も毛皮も手に入る。


 十五になった私は仲間たちを引き連れて狩りに熱中した。弓の訓練にもなるし、クマを剣で倒した事もある。山にはいくつかの味の良いキノコもあり、獲物の肉と一緒に料理する。学問も学び、裁縫も料理も学ぶ。そうして自分と言うものを作り上げるのが楽しくもあった。


 十八になるころには剣で私に敵う者はいなくなる。女の嗜みも十分に学んだ。冬の閉ざされた時間、私は本を読んで過ごしていた。好きなのは英雄譚。ジョバンニ殿たちの活躍を記したヴァレリウスの五英雄は何度も読んだ。だが、一番好きなのは無敵のヴァレンスの話。


 そもそも公国の民は元をたどれば北の大陸から船を出し、この地を襲った略奪者。それが大陸北部に住み着いていつの間にやら公国を打ち立てる。そう言う歴史。だから北の民は強さにことのほか価値を置く。強いものが全てを得て、弱者は全てを奪われる。原始的で単純、そう言う価値観。私もそうだ。だから無敵のヴァレンスの伝説がとても輝かしく見えた。

 私も年ごろ、女と言うものを意識してもいる。身だしなみにも気を遣う。美しくも思われたい。磨き上げた自分と言うものに自信もあった。その私が全てを捧げるのは無敵のヴァレンスのような強い男、そう決めていた。


 父からは縁談の話もあった。今ならば本国の貴族に嫁げるかもしれないと。そうすればこんなさびれた場所で生涯を終えずに済むと。だが私は断った。このさびれたマイセンは故郷。山も川も私の一部。貧しくても離れる事は嫌だった。

 女たちからは私に惚れている男がいる、そんな話も何度も聞いた。だが嬉しさを感じない。ここの男で私より強い男はいないから。


 そうして数年が過ぎ。私はいつものように剣を磨き、女の嗜みを磨く。少しばかり不安もあった。このまま年を取ることが怖くもあった。同年代のみんなは本国に出たり、結婚したり、子供を産んだり、着実に人としての階段を上っている。だが私は変わらない。自分の言葉を違えたくない。いつかヴァレンスのような強い男が私を、そう思って。


 そんなある日、城に一人の女が現れた。彼女はヴァンパイア、どうにもならないこの現状を変えて見せるから手を組めと言って来た。魔族と言うのを見たのは初めてだった。とても美しく、はかなげ、可憐で、女としての魅力を凝縮したような人。

 父は彼女の話に乗ることを決めた。家臣たちは彼女の魅力に逆らえない。その彼女の提案は私たちの眷属化。ヴァンパイアになれば不死、そして死者を思いのままに操れる。そう言う不死の軍団、それがあれば南のリヴィアの港町を攻略できると。


 リヴィアの攻略、それは唯一の解決策。山々の木材も鉱山の鉱石も港があれば本国と交易できる。この地はそうした資源が豊富。だから本国としてもここを捨てられない。彼女の話は具体的で周到、どう考えても負けるはずがない、そう思わせるだけの要素があった。

 そして、私個人としては不死になれる、と言うのは大きな魅力。もう、25になっている。若い女と言われるギリギリの年だった。


 私は彼女の祝福を受け、ヴァンパイアとなった。変わった事は夜目が利くようになったことと今までよりも体に力が満ちたこと。…そして戦争がはじまった。


 エミリアの制圧こそならなかったが、メーヴ様の打つ手は悉くあたり、敵に大きな被害を与えた。私も先頭に立って切り込み、大きな戦果を挙げられた。初戦での大勝利、城中が浮かれていた。だがその夜のうちに敵はエミリアまで撤退。あちらはしっかりとした壁を拵えた防御陣地になっているという。

 それを聞いた時、私は勝ち目がなくなったと感じた。こちらは食糧不足。山に囲まれ出口はエミリアに続く街道だけ。あそこを固められればどうにもならない。ましてもう冬。本国からの支援も期待できない。春までにはみな、飢えてしまう。そんな絶望。だが、敵はこちらに再び攻め寄せる。これはチャンス、誰もがそう思った。いま彼らを打ち滅ぼし、その勢いでエミリアを制圧、それしかないのだと。


 戦闘は激しいものだった。私は城に攻め寄せた別動隊に対峙した。数は劣れども我らは武に生きるもの。負けはしないと。


 だがそこに圧倒的な力が、ドラゴンがやってくる。ドラゴンの吐き出す炎が敵も味方もまとめて焼き尽くし、この城を面白半分に砕いていく。もう、戦争ではなかった。敵の将軍が逃げろと叫んでいた。私は城の兵士や使用人たちを外に逃がす、それがここの姫としての役目であると感じたから。一人でも多く、私が出来る事を。


 瓦礫が押し寄せ私は潰され火に焼かれる。もう、ここまで、そう感じた。薄れゆく意識、体が焼かれ焦げていく。…こんな、死に方、認めない。そう、私は不死なのだ。だったらこのくらいで死ぬはずがない。…けれど生きてどうする? 戦争は負け、この地は私たちの土地ではなくなる。父も、母も助からないだろう。領民たちも無事かどうかわからない。私はだれも守れなかった。…だが、それはいい、みんな精一杯戦った。こうするしかなかったからこうなった。


 私はまだやるべきことをしていない。そう、女として誰かを愛することを。だから死ねない。


 そんな私はヴォルドにより救出され、復活を遂げた。メーヴ様は男に寄り添い私の挨拶を聞き流す。あれほど凛々しかったメーヴ様がだらしないほどに淫らに男に媚びて縋っている。一瞬わが目を疑った。ヴォルドたちはそれが当たり前、と言った顔をしている。メーヴ様に何があったのか、あのメーヴ様にここまでさせるこの男は誰なのか、メーヴ様はめんどくさそうに私にヴォルドと結ばれろ、それが夫の意向だからと言い放った。頭が混乱する。私が瓦礫に巻き込まれる前と今が別の世界のように感じた。


「…王子、メーヴ様の夫であられるあなたの意向は尊重する、だが、生涯の伴侶を勝手に決められては困ります」


 やっとの思いで紡ぎ出した言葉、王子と呼ばれる彼は意外そうな顔をした。彼はなんなのだろう。なぜ、王子なのだろう。そんな疑問が頭をめぐる。判っている事は彼がメーヴ様の夫でそのメーヴ様をこれほどまでに蕩けさせる何かをもった男だという事。そんな彼に興味を抱いた私は理屈を並べ二人の側役、そうなった。


 そしてその夜は私たちの生還の祝い。メーヴ様と私、そしてキャシーの三人で料理を作り、宴の支度を。


「ああっ、もう! なぜそんなに厚く皮をむくのです! もったいない!」


「…だって、皮が残ったら嫌だし」


「もうさ、メーヴはお嬢様だからほっときなよ」


 無性にイライラする。メーヴ様は私のあるじ。今までこうして料理を一緒にするなどなかった事だ。手順は見事だし、味付けもいい。飾りつけも美しいが無駄が多い。貧しく育った私にはその事がどうにも許せなかった。


 結局料理は私とキャシーで、メーヴ様には繕い物を頼むことに。


「…私、こういうの無理」


「はぁ?」


「したことないの! 破れたら新しいのを買えばいいじゃない!」


「何を言われる! 物を大事に、それは当たり前の事ですぞ!」


「だってぇ、苦手なのよ!」


 くぅぅっと怒りがこみ上げる。何が出来ようが女の嗜み、それが出来なければ出来損ない。そう言う事がこの女は判ってない!


「あー、そっちもさ、後で私がしとくから、マーベルもさ、怒るだけ無駄だよ? メーヴはさポンコツなんだから」


「しかし、私にとってはあるじなのだぞ? そのあるじが料理も裁縫もできぬと? 認められん!」


「別に認めて欲しいいなんて言ってないじゃない!」


「そんな不出来な女には王子の世話も任せられんな」


「何言ってるのよ! 彼の事は私がします!」


 ともかく宴は始まり、またメーヴ様は王子にべったり。そこまで出来る相手がいる事が少し羨ましくもあった。私は久しぶりに歌を歌い、王子と酒を酌み交わす。となりにへばりついている女の事は気にならなかった。


 王子は私に意見を聞き、私はそれに答える。そんな事がすごく楽しく感じ、私は彼に酒を注ぎ、私も飲んだ。王子にへばりついたポンコツ女が何か言っていたが適当にあしらっておいた。彼は私の意向を聞き入れポンコツ女を抱き上げて私に隣に座れと言って来た。私は少し嬉しさを感じ、隣で酒を酌み交わす。そう、どこかで私ならこんなポンコツ女より彼を幸せにしてあげられるのにと思いながら。


 彼は酒が回ったのか上機嫌。私の肩に手を回し、ぎゅうと抱き寄せ胸を触る。不思議と嫌な気持ちではなかった。その後も私の胸をいじったまま酒を飲み、べろべろになったのでポンコツ女と二人で彼を寝室に。私がさがろうとすると彼は手を取り「お前もこい」とベッドに引き入れた。


 柔らかい拒否の言葉、私に出来たのはそんな事だけ。体が熱く昂り、彼のなすままに私は応じていく。全てが自然で当たり前、胸の鼓動は高鳴っていたが、違和感は感じない。なぜ? どうして? 私は決めていたはずだ、すべてを捧げるのは私より強い男だと。なのに私は彼を受け入れている。その事を嬉しく思いながら。


 ともかく確かめなければならない。私は間違ったのかを。そして今日、彼の強さを

知った。


 ジョバンニ殿に負けた時は私がまだ足りていないだけ、いずれ追いつける、そう感じた。私の欲する強さはこれではないと。

 だが、王子に組み伏せられ平手で叩かれ犯された。…初めて恐怖と言うものを感じた。初めて心の底から敗北と言うものを味わった。どうあがいても勝てはしない、そんな絶望。心に描いていた形とは大きく違う、その味は苦く、これまで積み上げてきた自分と言うものが砕かれる。そう言う想い。私は敗者、だからこうして犯されるのも当たり前、そう思っても口惜しさが溢れ涙がこぼれた。私は負けるという事を甘く見ていた。倒れた私の手を取り、立ち上がらせてくれる、そんな風に。


 しかし現実はこうだ。私は彼に貪られ、女としての機能を使われる。そこには愛どころか情すらも感じない。今の私は彼にとってそう言う道具。その顔は禍々しく歪み、邪悪、そう言う言葉が適している。彼もまた魔族、不死のもの。本来の魔族とはこういうものなのだろうと勝手に納得した。今は私もその魔族。

 だが、その瞳の奥にわずかな葛藤が感じられた。なんだろう、彼は苦しんでいる?

わずかな直感、それが私の中で疑問を産んだ。

 …そう、よく考えれば彼に私をこうして犯す理由はない。既に体の関係をもっているのだ。私がそこで拒否をしたなら別だが、そうするつもりはなかった。なぜ、ここまで強引に、暴力的に私を貪る? その意味が解らない。


 私の体を貪り、私の上で腰を振る、そう言う彼は凶悪で、暴力的、そして貪られるたびに私の命が吸われていくのを感じた。そうか、私は彼に殺される。彼はそう言う魔物なのだ。


 …だがそれが何だ。私は私より強い男に全てを捧げる、そう決めていた。ならばこの体を存分に貪らせればいい、この命を与えればいい。全てを捧げるとはそう言う事、…私は剣を磨き、女の嗜みを磨いてきた。彼はそれを知らない。今死んでしまえば彼にそう言う私を知ってもらう機会はなくなる。そうだ、私は全てを捧げていない。体や命、そんなものは私の一部。剣を磨いたのは強い男の隣に立つため、女の嗜みを磨いたのはその男を幸せにしてやる為。私はまだ、何もしていない。だから私は死ねない。


 そう、私は不死だ。彼が私の命を吸うならば吸わせてやればいい。何年分? 何十年分? どれだけ吸われたところで私は不死、永遠を生きるもの。だから死ぬはずがない。彼の昂りは私に向けられたもの。そう考えればそれすらも愛おしい。

 私は彼に手を伸ばし、私の中に抱え込む。大丈夫、私が居る。その強さを私の中に叩き込めばいい。


 彼の命が私の中に注ぎ込まれ私の中で混じり合う。そのまま彼は意識を失った。


 彼をベッドに寝かせた時、私は全てを理解した。彼の名もまたヴァレンス。私が追い求めてきた男は彼だったのだと。


 理解できれば迷いはない。クズ女は相変わらず彼にまとわりついていたがそんなものはどうでもいい。私は私の全てを捧げ、彼を愛する。その為に生まれ、不死となった。…そう、私は恋をして、人を愛することができたのだ。


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