第10話 夏の思い出4 ―街
六日目。放課後、街、中心部。
ようやく浜野家が小綺麗になっていき、普通の生活を送れるようになりつつあった。これまでは本当に必要最低限な物しか整っておらず、風呂と便所と寝床くらいしかまともに機能していなかった。この街に二人が引越してきてから二週間くらい経っていたらしいが、どうやって生活していたのかが気になる。
――そんな中、誰から言い出した訳でもないが、そろそろ街の方へ遊びに行こうという話になった。これといって目的はなかったが、取り合えずショッピングモールへ向かうことに。
鬼ごっこの筋肉痛や先日の草むしりの疲れが残っているのか、身体が随分と重い。それなのに、皆は変わらず元気はつらつとしている。何だか俺一人だけが年寄りのように感じられたから、身体の重さを誤魔化しながらモールの中を歩いていた。
洋服を見たいと、女子二人が言う。
漫画の最新刊が出ているから書店へ行きたいと、男子二人が言う。
小腹が空いてきたなと皆が口を揃え、どこかに手頃な飲食店はないか皆で探す。
「そうだな、とりあえず牛丼のキングサイズってやつを試してぇな」
「小腹が空いたの範疇を飛び越えているじゃないか」
全員から却下された蘭は、不貞腐れたのか頬を膨らませている。
結局、無難にファストフード店へ向かうことに。
時間帯が悪かったのか、店内は老若男女でひしめき合っていた。やっと席を見つけても、身を押し付け合わなければ座れない。休む目的も含めて入店したというのに、これでは却って疲れてしまう。
入って早々に店から出た。一体何をしに来たんだろうなと笑い合い、お互いの肩を小突き合う。疲れの溜まった身体にやけに響いた。
帰る時間も刻々と迫ってきて、次に寄る店が最後となった。それじゃあ、と鈴が行きたい場所を提案してくれたので、皆で向かうことに。
「食器、もう少し揃えておきたかったの。完全に私的な理由だけど、付き合わせちゃってごめんなさい」
露骨に蘭が怪訝そうな顔をする。
「食器か……別にあっても無くても困んないだろ? 今でも十分足りてる訳だし……そんな物に金使うなら、ちょっと背伸びして美味い物でも食べに行こうや」
「文句ばっかりうるさい! ごたごた言わずに、ほら! 蘭も一緒に見に行くの!」
鈴が蘭の襟元を掴んで、無理矢理に食器売場のコーナーへと引き摺っていく。
となると、俺と萩原の二人が置いていかれる形になる訳だ。
萩原は「あらあら、喧嘩しなければ良いんだけど」と保護者目線でぼやいている。
……そういえば、二人きりになるのはあの日以来だ。せっかくだから、この前聞きそびれた話でも話題に出してやろうか。
「――なあ、萩原。シオンと出会った日のことを覚えているか?」
「え、何よ急に。そりゃあまだ数日しか経ってない訳だし、もちろん覚えてるよ」
「あの日、納屋に入る前に萩原が言い掛けてたのって何だったんだ? 丁度二人きりだし、忘れない内に聞いておこうと思って」
顎に指先をあてがい、あの日の出来事を思い返そうとしている萩原。少し時間を掛けて、やっと記憶に辿り着いたらしい。はっとした様子で一瞬固まったかと思うと、ほんの少し頬を赤らめ、慌てた様子で違う違うと言いはじめた。
「違うの! あれは、何でもない! 忘れて良いよ! あぁ……やっと忘れかけていたのに、なんで今更そんな話を持ち出すの……。あの場の雰囲気で口を滑らせただけなのよ……」
尻すぼみで、後半は俺に向けてではなく自分に言い訳をするみたいに呟いていた。
ふむ、恐らくだが怒ってはいない……ように見えるから大丈夫だろう。多分。
正面から見据えるのは忍びなかったから、横目で荻原の顔を見る。俯けた視線の先で、靴のつま先を擦り合わせたり、指の爪先を弄ったりとモジモジしていた。
うん、きっと大丈夫だろう。
そうやって楽観的に構え、この狼狽から萩原が立ち直るまで静かに待っていると、買い物を終えてホクホク顔の鈴が帰ってきた。蘭はぐったりとしている。
店の正面、通路の壁際に背を預けて待っていた俺達の元へ、大げさなくらいに手を振って近付いてくる鈴。だったが、残り五メートルといった所で急に足を止めた。
何事かと思っていると、まるで昼下がり――主婦たちの井戸端会議かの如く、小芝居を始めた浜野兄妹。
「あら、お兄さんご覧になってよ。あの二人、なんだか良い雰囲気だわ?」
「あら、妹さん駄目よ。恐らくランデブーの最中なのだわ。邪魔してはいけませんことよ」
ちょっと嫌だわ奥さんったらぁ、の言葉が脳内再生できるような仕草。わざわざ大きめの声で、身振り手振りもオーバーリアクションである。蘭がオネエ口調なのには俺も腹が立った。
そうやって周りの目など気にせず小芝居を初めたものだから、萩原の表情は怒りと羞恥で真っ赤に染め上げられていく。
「ちょ、ちょっと! 誰と誰がその、ランデブーなんて……そんな死語使ってる人なんてもういないんだから!」
「萩原、落ち着け。怒らなきゃいけないポイントはそこじゃない」
「怒らないで杏ちゃん! これはその『あの二人を弄らないと後が怖いぞ』って私の兄が言うから……仕方がなかったの!」
「おい! 悪乗りしたのは俺だけど、勝手に責任転嫁するな!」
そうやって馬鹿騒ぎをした後、疲れ果てた俺達は解散することとなった。
ちなみに、萩原の機嫌が直るまでに一時間程を費やすことになったのだが、仕方がないだろう。
※※※
数分前。
「あ、蘭見て。なんかほら、イイ感じじゃないあの二人?」
「あ? 何がだよ。普通に喋ってるだけだろ」
「もー、何でわかんないかなこのニブチンさんは。そんなんじゃあいつまで経ってもモテないよ」
「いやお前、前の前の学校にいた時に、俺とちょっと良い感じになった女子が一人いたのを忘れたか? 別にモテない訳じゃないぞ」
「前の前っていつの話よ……。その子が蘭のこと好きだって知ったの、転校する前日でしょ? それまで何もしてなかったんでしょ行動を。そういう所だよ」
「いや、まあ、うん……はい」
全く、蘭に聞いたのが間違いだった。
あれは絶対に良い感じの雰囲気。だってほら、杏ちゃんがクラスの子達じゃ絶対に見ることのできない表情をしてる。あの子、普段でいる時と四人でいる時とじゃあ、全然違うんだもの。とっても分かりやすくて可愛い。昌君の前だと特にだしね。
なんだろう……杏ちゃんが照れてる? あの動きはそうに違いない。
昌君ってデリカシーの無いことをポロッと言うから、それが原因かな?
「んー、もうあと一歩、背中を押してあげたいんだけど。あんまり露骨にいくのも好きじゃないしなぁ」
「なんだ? 俺の出番か? ちょっくら弄ってやればいいのか?」
「ちょっと黙ってて」
照れ屋な杏ちゃんのことだ、私が応援してると知ったらどんな反応をするのかなんて、容易に想像がつく。
「でも、昔からずっとなんだねぇ……杏ちゃんって」
「んー? 照れ屋な所が?」
「違う、黙ってて」
「おい、さっきから荷物持ちしてやってる俺への扱いがひどくないか? ……でもま、この状況ってさ、スーパーの帰り道に道端で話し込んでるマダム達と同じだよな? あの人らってこんな荷物持ったまま井戸端会議してるわけ? タフだなぁ」
「なにその比較……突然関係ないこと言わない……」
……む? これは使えるか?
直接的に言えば杏ちゃんは察してしまう。
ならば、あくまでもネタの一環として、からかっている体でやってしまえば大丈夫なのでは?
幸いにも、私と蘭っていうセットはそういうネタ枠だ。いつもの感じでふざけちゃいましたっていう体で押してあげられれば問題ないのでは?
「……ちょっと蘭、耳貸して」
「む、なにか企んでるな? よしきた、聞かせろ」
結局私も、蘭と同じ性格なんだなって思う。同じ血が流れてるんだもの、仕方が無いよね。
――という訳でいざ実行。
こういうのはオーバーに、やり過ぎなくらいが丁度良い。
「あら、お兄さんご覧になってよ。あの二人、なんだか良い雰囲気だわ?」
「あら、妹さん駄目よ。恐らくランデブーの最中なのだわ。邪魔してはいけませんことよ」
狙いすぎて口調が変になってしまった。
「ちょ、ちょっと! 誰と誰がその、ランデブーなんて……そんな死語使ってる人なんてもういないんだから!」
「萩原、落ち着け。怒らなきゃいけないポイントはそこじゃない」
やば、怒らせた?
でもま、始めたんなら貫き通しちゃえ!
「怒らないで杏ちゃん! これはその『あの二人を弄らないと後が怖いぞ』って私の兄が言うから……仕方がなかったの!」
「おい! 悪乗りしたのは俺だけど、勝手に責任転嫁するな!」
ちょっと蘭! まだ小芝居の最中なんだよ! 矛先を私に向けてどうするのさ!
「もういい! ちょっと熱くなってきたからアイス屋さん行ってくる!」
そこで、もう帰る! って言わない辺りが杏ちゃんっぽくて微笑ましかった。
ていうか、うわ、顔真っ赤だよ杏ちゃん。
この顔見たらさすがの昌君も察するでしょ。
「…………おい、落ち着けってば。ネタなんだから間に受けることないって」
いや、なにその間と台詞!?
曖昧だなー! 昌君ってデリカシーは無いけど鈍感って訳じゃなかったよね? むしろ、言わなくても理解してくれてる察しの良さがあった気がするんだけど……。
もー……しょうがない!
「……杏ちゃんごめんよぉ。すぐネタに走る、浜野の悪い血が騒いじゃったんだ。アイス奢るから許して、ね?」
「……あの、五段重ねのやつ奢ってくれるなら許すけど……」
「え、そんなに食べるの?」
まだまだ先になりそうだけれど、ゆっくりやっていこう。
結局本人たちの問題な訳だし、蘭の言う通りで外野が掻き回していい問題じゃないよね。
ま! 弄らないとは言ってないけどもさ! 杏ちゃんったら本当可愛くって、なんだかちょっかい掛けたくなっちゃうんだよね。
……親友なんだもの、応援してるよ。頑張って。
そんなことを思いながら私は、頬を膨らませた杏ちゃんが五段アイスを食べきるのを見届けたのであった。
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