第21話 記憶3

 少しだけ頬を赤らめた萩原は一瞬だけ逡巡している様子を見せたが、記憶をたどっていくようにゆっくりと言葉を紡いでいった。


「私も……うん、ずっと引きずってたよ。あの日私は何も出来なくて、走り去っていく羽衣とそれを追いかける二人の背中を目で追うだけだった。羽衣の本当の気持ちをそこで初めて知って、自分が恥ずかしくなった。そんな自分が情けなくて、気がつけば臆病者な私を作り上げていた。もう取り残されたくない、皆と一緒に居たい、そればかり考えていたんだけれど、どうしてもあの日の出来事が頭を過ぎって、私は今も臆病なまま……。羽衣がずっと悩んでいたのは気が付いていたけど、何も言えなかった。私は、あの日をそのままにしたくない。じゃないと、私はいつまで経っても変われないんだ。本当に言いたい事も言えないまま終わっちゃうのは嫌だよ。羽衣……じゃなくて、その、! それでいいの? 昌が一番このままで良いなんて思ってない筈だよ」


 珍しく大きな声を上げたからなのか、それとも羞恥によるものなのか、どちらなのかは分からないが、頬をさっきよりも真っ赤に染め上げていた。

 お膳立てはもう十分だ。ここまでされて、引き下がれない。覚悟を決めるんだ俺。皆が腹を割って話してくれたのに、俺だけ逃げるだなんて出来る筈がないだろう。


「俺は……そうだな、何から話せば――」


 ゆっくりと、息を吸いながら言葉を選んでいく。皆はそれを待ってくれている。


「俺も、そうだな。そのままにしておく気は無かった。ずっと、どうしたらいいのか迷っていた。俺の親も浜野達と同じく転勤になって、一緒に付いて行こうとも思ったけど、この街に残ることにしたんだ。慣れない一人暮らしにアルバイトと学校の両立は大変だったけど、ずっと心残りがあったからそう決めたんだ。前に話したけれど、一人暮らしに憧れたなんて大嘘なんだ。この高校を選んだのも、秘密基地と一番近い所にあるからだ。屋上に出ると、林に囲まれてるから正確にはわからないけれど、秘密基地が大体どのあたりにあるのかが分かるんだ。知らなかっただろ? 天文部に入ったのは、屋上に入れる特権が貰えることと、空に近いから。可能な限り空に近い所で、皆が見上げる物を近くで感じていれば、いつかまた引かれ合って再会できるんじゃないかって思っていたんだ。まあ、萩原とは偶然が重なってずっと同じ学校だったけどさ。偶然ってのも馬鹿に出来ないな」

「え、いや、ほ、本当にね! 偶然って本当に凄いよね!」


 狼狽する萩原。少し目配せしただけで、特段変なことを言った訳ではない筈だが。


「まあ、それは置いといて。ずっと考えてたんだ、わざわざ昔の傷を開く必要もないんじゃないかって。このままでも俺達は十分楽しんでいたんだからさ。でも、違ったんだよな。誰もこのままで良いなんて思ってなかった。そして、俺はまた昔と同じ失敗をした。俺の勝手な思い込み、安易な発言で、皆を巻き込んで危険な目に合わせている。まず謝らせて欲しい、ごめん」


 蘭が「それは」と言って割って入ろうとする。それは予想通りだったから、待ってくれと合図を送る。まだ話は終わっていないのだから。


「……明日になれば、シオンに殺されるのかもしれない。だからって訳じゃないんだけれど、もう一つ謝っておくよ……ずっと、昔も今も。全て俺の責任だと皆を頼ろうともせず、全部自分一人で抱え込んでごめん。これからは一人で背負わない。勝手なことを言うんだけれども、皆も……蘭も、鈴も、杏も、一緒に背負ってくれると……とても嬉しいんだ」


 ぱっと花が咲く様に、表情が明るくなっていく皆。なんとも恥ずかしい台詞を吐いた気がするが、仕方がない。そういう痛い思いを重ねて人は成長していく筈だから。


「――っ! 当たり前だろーが、昌!」


 いつの間にか机を飛び越え、俺と肩を組んでいた蘭。それに便乗して鈴も抱き付いてきた。


「昌君、名前! やっと照れずに言ってくれたか!」


 萩原も一瞬躊躇していたが、羞恥心を飛び越えて、鈴と同じく抱き付いてきた。


「いや、暑苦しいんだけど」

「なんだよ、そんな野暮なこと言うなって!」

「そうそう昌君、こういう時くらい我慢しないと!」

「そ、そうだよ、我慢しなよ昌」


 全員から非難の声が上がる。暑苦しいというのは建前で、恥ずかしいと言いたかったんだが伝わっていないようだ。子供と同じ行動をこの歳になってするのはいかがなものかと思うんだが……。しかし、今くらいは諦めよう。それが罪滅ぼしになるのなら、何だってするさ。

 こうやって和気藹々わきあいあいとできるのもあと少しの間だけ。随分遅くなったが、やっと皆と、本当の意味で再会できた気がする。

 ――これがずっと続けば良かったなと、不意に思ってしまう自分がいた。


「ところでよ」


 俺の気持ちでも見透かしたのか、蘭が口を開く。


「俺はこのまま終わらせる気はねーぞ」

「いや、それは俺だって同じだけど……どうやって? シオンは俺達が立ち向かっても勝てる相手じゃないだろう?」

「何か策があるんだね……?」

「え、本当に? 何とかなるの?」

「まあ、その……これといったプランは無いんだけどよ、これを見てくれ」


 そう言って、机の下に忍ばせていたらしい一冊のノートを取り出した。やけに古ぼけていて、日に焼けてしまい色褪いろあせているのが長い年月を感じさせる。


「これ、ばあちゃんのノートなんだ。さっき喧嘩して箪笥にぶつかっただろ? その拍子に落ちてきた物の中にこれがあったんだ。ちらっと見たら紫苑しおんって字が見えた。何か……あると思わないか?」


 ごくりと自分の生唾を飲み込む音が大きく聞こえた。諦め掛けていたが、生きていられるのならどんな情報だって構わない。どんな物だって渇望しているのだ。

 机の上の食器類を一旦片付けノートを広げるスペースを作る。四人で机を囲む形になって座った。

 短く『日記 三』としか書かれていない表紙を捲る。


『一九××年〇月△日、今日は天気が良い。この日記もこれで三冊目だ。何の気なしに始めてみたが、これが意外と続くものだ。ボケ防止には丁度良いかもしれない』


 ふむ、と一息ついて蘭が口を開く。


「流石にばあちゃんの字は覚えてねーから何とも言えないけど、たぶん本人が書いたやつだと思う。記憶の中の口調と文章が似てる」

「ん、確かに……とりあえず何日分か見ていこうか」


 何ページかパラパラと捲り、紫苑という字を探してみる。


『一九××年〇月△日、孫が生まれた。男の子らしい。これから忙しくなる……大変嬉しいぞ。おめでとう二人とも』


『一九××年〇月△日、もう一人孫が生まれた。今度は可愛らしい女の子だ。まさか年子になるとは、あいつらも中々頑張るな? 一気に家族が増えて嬉しいぞ。私もまだまだ長生きせねばなるまいな』


 恐らく自分のことが書かれていたからか、おぉ、と鈴が感嘆の息を漏らした。 


『一九××年〇月△日、数年振りに紫苑のやつが顔を見せに表へ出てきた。子供達の声に釣られてやってきたのだろうか? 何はともあれ、懐かしい顔である。私はすっかり老けてしまったというのに、紫苑は昔から何も変わっていない。出会った頃と同じ幼い姿だ。なんと小賢しいことか、羨ましいぞ』


 紫苑の文字を見つけた。が……これは俺達の知っているシオンの事だろうか?


『二〇××年〇月△日、蘭と鈴が友人を連れてきた。昌君に、杏ちゃん。この子らとどれだけ一緒に居られるかは分からないが、できるだけ楽しい思い出を作ってやらねばな。しかし、紫苑のやつめ。暇なのか知らないが、こんな皺だらけの年寄りではなく子供達と遊べば良いだろうに。何を恥ずかしがっているのやら……』


 ここで、俺と杏の名前が出た。しかし、俺達の知っているシオンと、日記の紫苑はだいぶ雰囲気が違うようだ。恥ずかしがるだなんて、あの傲岸不遜な態度からじゃ想像も出来ない。

 それから何ページにも渡る日記に眼を通していった。その内容の殆どが、俺達と紫苑のことに触れられていた。今日は何をして遊んでいた、どこを怪我して帰ってきた、紫苑がこんな発言をしていた、紫苑があんなことをした。文面だけでも分かるくらい、浜野のおばさんは楽しそうだった。まるで俺達が元気に遊んでいる、ただそれだけで幸せだと言っているみたいだった。そして、最後のページ。


『二〇××年〇月△日、段々とあの子らも成長して、私じゃ役不足になってきたみたいだ。あの子らも、私と遊ぶより子供達だけで遊んだ方が楽しいだろうに……。いつの間にこれだけ気遣いの出来る子達に育ったのか。紫苑も、幾分か社交的になった。段々私の口調が移っている気がするでもないが、きっと問題無いだろう。最近は私の助言通り、あの子らを眺めて過ごしているみたいだし、良い方向に向かっていると良いのが。何はともあれ、今後もあの子らの成長が楽しみだ』


 ここで、日記は終わっていた。次のページを捲っても真っ白なページが続くだけ。日付を見ると、あの日の前日だった。

 思わず涙が零れそうになるが、ぐっと堪えた。それは俺だけじゃなく、鈴が鼻をぐずぐずさせながら誤魔化そうとしているのか口を開いた。


「……これ、本当にあのシオンちゃんなのかな。共通点が無い訳でもないけど……ちょっと別人みたいな感じ」


 確かに鈴の言う通りだ。しかし、もし日記の紫苑と、俺達の知っているシオンが同一人物だとしたら一つだけ気になる部分があった。それが、この日記の内容である。


『二〇××年〇月△日、恥ずかしがりな紫苑の性格をどうにかしてやらねばなるまい。都合の良いことに、私の手鏡に宿ったらしい付喪神だ。あの子達が秘密基地と言って遊び場にしてあるあの納屋に神棚を作ってやって、そこに祀ってやるから隠れて覗いておれば良いだろうと紫苑に提案した。どうやら良い塩梅の提案だったみたいで、快く飲んでくれた。その内、紫苑も子供達も一緒に遊ぶ日が来ると良いのだが』


 シオンの存在。それは、祖母さんがずっと大切に使っていた手鏡に宿った存在。シオンの口からは、あの納屋という場所に宿った付喪神だと言っていたが、本当は手鏡に宿った付喪神なんだろう。

 想像した物を現実に創り出す、俺達の感情をそのまま吸い取る。まさに、鏡に映したように、そっくりそのまま――。


「シオンちゃんって、鏡に宿った神様だったんだね……」


 杏の言葉に俺も頷く。

 これが本当なら、シオンだって嘘付きじゃないか。


「なんとなく、シオンのことが分かったかも。もし同一人物ならって場合だけど」

「そうだな、ばあちゃんには感謝しねーと……。日記残してくれてありがとな」

「私も、おばあちゃんに感謝しとこ。ありがと、おばあちゃん」

「なら私は謝っておかないと。さっきは部屋を荒らしてしまってごめんなさい。止められなかった私の責任です」


 それを言うのは卑怯だぞ杏。と、そこで思い出す。


「あぁ、部屋の片づけがまだだった……」


 己の犯した過ちは決して無くならない。しかし、全てを一人で背負う必要も無い。


「それは、皆でやろっか。連帯責任だよ」


 皆がいる。一人で悩んでいた俺はもう消えた。

 時刻はもう日を跨いでいる。決着の時まで、後少し。

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