第31話 さよならを知る
「ほら、お前達。この場所を好きに使っていいぞ。ただ、あまり遠くには行くなよ? それと、暗くなる前には必ず家に戻ること。あと、怪我にだけは気をつけること。なにかあったらすぐに私を呼びなさい。後は――」
「ばあちゃん長いよ! わかってるって!」
「スズたち、もう三年生だよ? 心配しなくても大丈夫!」
蘭と鈴の二人が、もう待ちきれないと言わんばかりに緋衣の話を遮る。パタパタと忙しなく動く足は、そんな気持ちの表れだろう。
緋衣はそれでもまだ心配の色が表情から抜けておらず「しかしなぁ」と、まだ話を続けようとしている。私がいるから大丈夫だなと言ったのはお前じゃないか? 過保護になるのも良いが、程度を考えてほしい。
……まぁ「もう三年生だよ」という言葉があったように、だからこそ心配なんだという緋衣の気持ちも分からなくもない。この子らはまだまだ幼い。これから沢山の事を学び、大きくなっていく過程の最中だ。こんな時期に悪さを覚えてしまい、捻くれた子供になるのだけは避けたい。
「……じゃあ、わかった。最後に一つだけ、ばあちゃんと約束をしてくれるかい?」
ここは納屋の中。
私は今、緋衣が取り付けてくれた神棚の上で、鏡の中からその様子を伺っていた。
緋衣がこちらへ近付いてくる。そして優しく、並々と水の注がれた器を持つように慎重に私を――手鏡を持ち上げる。
「これが何か分かるかい?」
「あー! ばあちゃんがいっつも大事にしてる鏡だよね! 知ってるよ!」
「スズもね、それ知ってるよ! とっても綺麗だから好き!」
二人は緋衣の服の袖を掴みながらそう言ってはしゃいでいた。なんだか照れるな。
「そう、私の大切な、本当に大切な宝物だ。これをこの場所に置かせてもらってもいいかい? お前達も、この手鏡を大切に扱ってくれると嬉しいんだが……」
「いいよー!」
二人の声が重なった。
どうして? などと疑う余地も無いない純真無垢な返事。やはり、無邪気というものは愛しくて堪らない。
「ありがとう、蘭、鈴。きっとお前達の事も、こいつは見守ってくれるさ――」
手鏡の背面、白い花が装飾されている部分。すぅっと撫でるような緋衣の手が、どこかくすぐったい。
独り言のように、しかし私に向けられたであろうその零れ落ちた言葉を、私はしっかりと聞き留めた。
――あぁ、任せろ。今度は私も間違えないから、安心していてほしい。
誰に届けるでもないその言葉を、心の中で独りごちた。
それから一週間が経った。
相変わらず蘭と鈴の親……緋衣の娘とその旦那は、家に姿を現す頻度は少ないものの、それでも上手くやっているようだ。出張の関係で住居を別にしている今、こちらの家まで来るのはそう簡単なことではないだろうに、良くやっていると思う。
端から見ても、親子関係はそう悪くないように見えた。それもきっと、蘭と鈴の純粋さと緋衣の存在が大きいのだろうな。普通の家庭だとそう簡単ではないだろうよ。
一方、約束通り子供らの様子を見守っていた私は、初めて緋衣、蘭、鈴以外の名前を覚えた。遊び場を納屋に移してからより一層、よく目にする男の子と女の子だ。
この二人が、蘭と鈴とよく仲良くしている二人だった。今まで何度も顔を見ていたはずなのに、名前を覚えたのはここ数日の間なのだから可笑しい話である。
こうして名を認識してから初めて気が付いたが、羽衣という名前をいつか気いた事がなかっただろうか? 確か……緋衣の友人もそんな名前だったような気が。巡り巡って、孫の世代も仲が良いのは喜ばしい。
もう覚えたぞ。これから先この子らの名前を忘れる事は無い。
子供達が楽しく遊んでいる様子を見るのはとても気分が良い。思わず童心に返ったような錯覚を起こすが――そもそも、私に童心真っ盛りな時代はあったのだろうか?
ある日は納屋の表で駆けっこや虫取りなんかをしていた。納屋の中にいる時は、持ち寄った漫画雑誌や小さな機械仕掛けの箱……げぇむ? で遊んでいた。またある日は、茂みの中を流れる沢のところで遊んだり。あまり遠くに行くなと言われている筈だが、子供らの好奇心を止められる者はどこにもいなかった。
まあ、その為に私がいるのだから安心して欲しいのだが。
「探検してるみたいで楽しいな!」
「気持ちは分かるけど、ラン、おばさんに遠くへ行くなって言われてるだろ? もうそろそろ秘密基地に戻った方がいいんじゃない?」
「ちぇー! アキラは真面目すぎるや! もうちょっとだけ! すぐ戻るから大丈夫だって!」
蘭が先頭を切って進む。その直ぐ後ろには鈴が付いていく。そんな二人に連れ攫われるように引っ張られていたのは、杏と昌だった。
この並びは、この子らの中じゃ当たり前になっているんだな。
そう思って、少しクスリと笑みが零れる。
「あまり遠くへ行くんじゃないよー……なんて、な」
これで大人しく戻ってくれれば楽なものだが……そう上手く事は運ばない。聞こえないのを良い事に、子供達からは見えないほど背の高い樹の上から声を掛けた私は、今度は自嘲気味な笑いが零れた。
まぁ、危険になるものが子供らに近付かなければ良いだけの話だ。熊や狼が出るわけでもないが、そういった類のものが近付けば遠ざけてやれば良い。足を滑らせ、転びそうになったのなら支えてやれば良い。それらは全て、私の念力があればどうにでもなる。
そう、念力。最近やっと使いこなせるようになったばかりで、未だ加減が難しいが……ちょっとしたものを浮かせたり、力を込めたり、引っ張ったり、支えたり、使い勝手の良い力だ。
つくづく思うが、こうして異能を扱い、人間に視認されず、壁は通り抜け、何年経っても姿かたちが変わらない。己の理解が深まるほど、全く別の存在であると思い知らされる。
そんな事を考えている内に、子供達の様子に変化があった。
意気揚々とその足を前に進めていたのだが、今はピッタリとその足が止まっている。近くにこれといった危険が迫っているわけでもない。何事かと思って子供らの会話に耳を寄せてみる。
「……ねぇ、今の誰。私達の声じゃないよね……やだ、冗談はやめてよラン君」
「いやいや! 何で僕が疑われるの!」
「ラン! アンズちゃんを怖がらせるなんて許さないよ! 謝って!」
「ここで喧嘩してもしょうがないよ……だからさっき言ったんだ、戻ろうって……」
各人各様に焦りが見えた。
何をそんなに狼狽する? 声? 私には聞こえなかったが……。いや、まさかとは思うが、私か? 聞こえていたのか?
これまでに一度、この姿を蘭に見られたことがあってからは特に気をつけていたんだが……姿が見られている可能性があるのなら、この声が聞こえる可能性があってもおかしくはない。
「も、もしかして、聞こえているのかー……?」
少しだけ、先程よりも大きめの声を出してみる。
見守るだけで良いとあれだけ言ってきたのに、この行動はまるで反対だ。子供らと一緒にいる時間が長くなってきて
「ほらぁ、やっぱり! お、お化け! 女の人の声だ! もうやだ! 私、秘密基地に戻るから!」
「あ、ちょっと、アンズ!」
そんな私を尻目に、子供らは踵を返し走って逃げてしまう。私の声は、そんなに不気味に聞こえたのだろうか……? それこそ、お化けのような……。
何はともあれ、無事に子供らを帰すことができた。それで良いじゃないか、うん。
……怖くないよな? 私の声は。
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