第23話 最後の日2

 傷心の杏を担いで居間に戻ると人数分の朝食が机の上に並び、味噌汁の香りが俺たちの胃を目覚めさせてくれる。

 杏をなんとか座らせ、皆で口を揃えいただきますと手を合わせる。


「決戦前って感じだな、こりゃあ」

「ゲームのやり過ぎだぞ蘭」

「まあ、だとしたら勝たなきゃいけないよね。負けられない戦いだ」

「じゃあ、ちゃんと腹ごしらえしておかないと」


 ゆっくりと、静かに、噛み締めるように食事を摂っていく俺達四人。鈴の料理はどんな時でも相変わらず美味しかった。

 これを最後にする気など一切なく、つい箸を持つ手に力が籠もってしまう。

 気を紛らわすために雑談も挟みつつ朝食を摂り終えた後、それぞれが身支度を始める。少しの緊張感と不安を織り交ぜて、刻々と時間だけが過ぎていく。

 そうしている内に時刻は午前九時。準備を整えた俺達は、いつも通りに裏の獣道を歩いて秘密基地に向かい始めた。この時間帯に秘密基地へ向かうことなどほとんどなかったから、普段見ていた森の顔とまた異なり、別の国にやってきたかのような静けさを感じる。朝露に濡れた木の葉が陽光を反射し、夜に冷やされた空気が身体をひんやりと覆っている。


「死にたくは、ないよな」


 目的地に着くと、蘭が珍しく弱気に呟いた。大丈夫だと活を入れる意味を込めて背中を叩く。そしてそのまま、秘密基地の扉に手を掛けた。ぎぃ……という普段よりもより一層不気味に聞こえる音が耳障りだ。

 部屋の中を見ると、数日前に地下で話した時と同じ佇まいでシオンが机の縁に腰を掛けていた。


「やあ、案外来るのが早かったじゃないか。もう覚悟は決まったのか?」


 作り物のように無表情、平坦な声でシオンが言う。よく見ると、机の周りに置かれている四つの椅子には、人間台の大きさを持つ人形がそれぞれ鎮座していた。


「シオン――それは?」

「質問してるのは私だぞ……まあ、良いか。これはあの時見せたヒト擬きの人形を複製した物、有体で言うとクローンだ。中身が足りていない故、これも未完成だがな」


 シオンの力の前では何事も叶えてられてしまうなと、本当にこの子は神様なんだと、改めて痛感させられる。

 そして、人形が四人分用意されていることに背筋が強ばる。俺達を使って、四体分のクローンを作ろうとしているということだ。現実がすぐ目の前までぐっと近付いてきて、奥歯が震えるほどの恐怖を覚え始める。なんとかグッと堪え、シオンに悟られないようあくまでも気丈に振る舞う。


「なるほど、それで俺達を殺してそのクローンを完成させようって訳か」

「はっ、強がりおって……その通りだ。今度こそ失敗せぬよう確実に創り上げる。前回はいらぬ感情、負の感情ばかりを取り込ませてしまったからな。見るもの全てに不信感を抱き、暴力性を向けてしまう……そこからは負の連鎖だ。やがて幻覚、幻聴まで引き起こしてしまった。だから、今度はお前達をそのままクローンに取り込ませる。中途半端に精気を吸い取ったりしない、そっくりそのまま、取ってやろう……!」


 それこそ強がりだが、どれだけ威圧的に出てこられようが真っ直ぐ向き合わせた視線は逸らさなかった。吹けば消えてしまいそうな根性を必死に掻き集め、顔だけは絶対に伏せまいと拳を握る力が強くなる。シオンに怯えるな、恐怖に取り込まれるな、笑って構えるのだ。そうやって自らを奮い立たせ対峙する。


「俺達は従うしかないよ。どうやったってシオンに敵わない事は分かっている。でも……それでシオンは満足するのか?」


 少しずつ距離を詰めていくんだ。どれだけ時間を掛けたって良い。どうか皆が納得するような結末を迎えるんだ。

 俺の言葉に苛立ちを覚えたのか、シオンの眉間がピクリと動くのを見た。


「……何? 私が? 最初に言った筈だろう。それが私の目的で、ずっと人間を作りたかったんだと。何を今更――」

「あぁ、そうだったな。しかし、こうとも言っていた。『友達が居なくなって』『寂しさを理由に』それは達成できたのか?」

「――なんだ、何が言いたい」


 シオンの苛立ちが眉間に現れたのを見た。隙が生まれるならこの瞬間だ。

 未だ半信半疑であるが、掛けるしかない。俺達の切り札――。


「これ、見覚えは無いか。全部読ませてもらったよ、

「……何だそれは。寄越せ」


 隠し持っていたおばさんの日記。それをシオンに見せると、俺の手からふわりと浮かび上がり、シオンの手元に吸い寄せられていく。


「この字体は……緋衣ひごろものものか」


 緋衣という言葉を聴き、一体何の事かと思ったが「浜野緋衣はまのひごろも、ばあちゃんの名前だ」と蘭が教えてくれた。

 やはり、あの日記はおばさんの物で間違いなかったのだ。そして、シオンの反応。日記に登場してきた紫苑は、きっと俺達の知るシオンと同一人物だ。間違いない。


「なあ、シオン。お前本当は、この場所に取り付いた付喪神なんかじゃなくて、おばさんの……あの手鏡から産まれた付喪神なんだろう?」


 シオンは何も言わない。つまり、それが答えだ。


「その鏡の中から、ずっと俺達の事を見ていたのか?」


 おばさんの日記から目を離せないシオンは、手も、足も、声も、全てを震わせており立っているだけでも精一杯のように見えた。この日記はシオンにとっても感知せぬものだったらしく、これほど狼狽してしまう事があるのかと、こちら側も驚きを隠せなかった。


「……だから、何だと言うのだ? それが事実だとして、私がクローンを、人間を創る事に何の関係が?」


 これはあくまで推測だ。自分だけの、俺の想い……今度は間違えない。俺を信じてくれる友達が居ることに、今度こそ応えたい。


「……寂しかったんじゃないのか。だからその穴を埋める為に人間を創ろうと思ったんだよな? でもなシオン。例え俺達の感情を使って人間を創っても、お前の寂しさは誰にも埋められない。感情だけ与えても、その感情の意味を知らないままじゃ人間とは呼べないんだ」

「そんなもの、憶測でしかない……知った口を利くな」


 喜びも、怒りも、悲しみも、何だってそうだ。感情だけ知っていても、それはただの操り人形でしかない。テンプレートな感情の動きだけ理解したつもりになっていては駄目なんだ。悩んで迷って、身を焦がす程自分を追い詰める。人間とはままならない生き物だ。

 この身に欠けた物ばかりを求め、目に見えている物には価値を見出せない。割り切れない、諦められない、それが人間らしさだ。たくさん失敗して、何度も傷を負って、そうして築き上げてやっと本当に欲しかった物が見えてくる。かさぶたを何回も作って強くなっていくのと同じだ。

 実際、そうやって俺達はここまで来た。喧嘩もした。顔の腫れはまだ治らない。そういうのを全部纏めて羽衣昌という自分が出来上がっている。


「なあ、シオン。分かっている筈だ。おばさんとずっと仲良くしていたのなら尚更、あの人がそういう事を俺達に教えない訳が無い。よく言ってたよ、子供の内にたくさん怪我をしておけって。そして大人になっていけって。たくさん怪我をしていかないと、俺達はいつまでも子供のままだ。誰だって昔と同じじゃいられない。そうやって変わっていけるから人間なんだ。クローンなんかで代わりになる代物なんかじゃない」


 何年もの月日を掛けて、やっと学んだ事。おばさんの言葉をやっと理解できたような気がした。


「綺麗事だな。前にも言ったが私は既に何百年も人間を見てきた……。お前達のようなたった数年の人生とは訳が違う。何度も何度も、様々な人生を見届けてきた。そしてその殆どが薄汚く、稚拙極まりない。生きていても仕方のないようなものばかりだ。そう、丁度お前達と同じように!」


 ずっと本音を隠したまま、上っ面でしか話していなかった俺達。シオンにそう言われてしまっても返す言葉がない。


「手鏡に宿った付喪神? ずっと見ていたんだろ? あぁその通りだ! 人間達の事は鏡の中からずっと見続けていた。変わっていけるから人間? 違う、変わってしまうからクローンを選んだんだよ私は! 薄汚れてしまう前、まだ純朴で、綺麗なままの姿で永遠に残したいと願っているのだ!」

「それじゃあ、シオン……! お前はずっと一人ぼっちのままになってしまう……」

「一人で結構。初めて知った失うことの哀しみ……。願わくば、もう味わいたくないのだ」


 きっと、おばさんの事を言っているんだろう。あの日、交通事故によって大切な物を失ったのは俺達だけじゃない。シオンにとっておばさんは親友のそれと同じだったのだろう。日記は三と書かれていた。つまり、それ以前からずっとおばさんとシオンの間には交流があった、絆があった。それを断ち切ってしまったのは……。

 いや駄目だ。そんな事を考えたって仕方がない。


「シオン、過去の話は止めよう。じゃないとお前はいつまで経っても前を向けない」

「はっ! 一体どの口が――」

「俺だから言えるんだ!」


 過去にばかり縛られ、今を見れていなかった俺だからこそ、シオンに言わなければならない。


「よくさ、『昔は良かった』だなんていう人が居るだろう? あれ、嫌いだったんだ。なんだか自分の事を言われてるみたいで……でも今はこう考えてる、『昔も今も良かった』って。昔の自分があったから、今の自分が居る。つまり、昔ばかり見ていても、今の自分は見えやしないんだ」


 蘭や鈴、杏に教えて貰った事。もう俺達は昔と同じじゃない。だからこそ、過去も今も全部ひっくるめて、もう一度友達になろう。これから先おぼえられない程、新しい思い出を作っていこう。


「おばさんが死んだとき、失った哀しさだけが頭の中を占めたのか? 違う筈だ、きっとそれまで二人が紡いできた思い出が頭の中を過ぎていた筈だ」


 俺達の知らない頃の紫苑と、浜野緋衣との思い出。

 一晩掛けてあの日記は全部読んだ。そうすると自ずと分かってしまう。シオンもおばさんも楽しかったんだと。それでなければあれだけ毎日繰り返し、シオンとの会話ばかり書き続けることも無かった筈だ。


「そんな……事は、ない! 私は只々思っただけだ、人間とはなんと脆い生き物なのかと……あんな、車に撥ねられたくらいで死んでしまうとは……。やはりクローンを作って、例え車に撥ねられようとも壊れてしまわない友を作る! 話し相手が居なくなったくらいで寂しくなど……!」


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