第22話 最後の日1
――早朝。
俺は蘭の部屋、杏は鈴の部屋でそれぞれ一晩を明かした。俺に限っては風呂も服も借りている始末で、至れり尽くせりである。
時計の針はもう間もなく午前六時を指す所だった。あまり眠れたような気もせず、寝ぼけ眼を擦りながら布団より身を起こす。蘭はまだ寝息を立てていたから、起こさないようそっと部屋から出る。朝方特有の澄んだ空気を吸いたくなって、そのまま外に出ることにした。
何の気なしに、昨日蘭とキャッチボールをした場所へ足を運んでいた。
辺りはシンと静まりかえっていたから、どれだけ小さい物音だろうと聞き取れてしまいそうだった。
大きく深呼吸をする。夜の間に洗練された甘い空気が、身体の隅から隅に染み渡って段々と眼が冴えてゆく。思った通り良い空気だ。
空を見上げる。もし、これが最後に見る朝の風景なのだとしたら……。少し心がざわつくが、蘭も言っていた通りこのままで終わらせるつもりは一切無い。
気持ちを入れ直す為に自らの頬を手の平でパチンと打つ。思ったより強く打ってしまったからか、頭の中で山彦のようになってその音が反響していた。すると、それに混ざって足音が一つ、後ろから恐る恐るといった様子で近付いてくるのに気がついた。
「あ……杏、おはよう」
「……おはよ、昌」
昨日から自然と、互いの呼び名を昔と同じに戻したのだ。どこか照れ臭さは残るものの、悪い気分じゃない。
恐らく、杏も俺と同じで眠れなかったのだろう。眼の辺りにクマが出来ていた。
「……眠れなかったのか?」
「まあ、さすがにね。今日で残りの人生が決まっちゃう訳なんだしさ」
「そうだよな。ぐっすり眠れるあの二人が羨ましい」
鈍感と呼ぶべきか、肝が据わっていると言うべきか、どんな時でもいつも通りな二人にはある意味尊敬の念を抱きつつあった。
昨日やっと和解したこともあって、どこか肩の荷が降りた様子の二人。ぐっすり眠っているのも、気を張り続けていた疲れが溜まっていたからなのだろう。
「どうなるんだろうね、私達」
何処か他人事みたいな口振りだった。縁側に座った杏が、空を見上げながらぼんやりと口を開く。実際、その気持ちは理解できてしまう。こんな窮地に立たされても、未だに現実味が湧いてこなかったからだ。これから自分が死ぬと言われても、全く想像がつかない。
死ぬ時は大抵の人がこんな感覚なのだろうか。突然襲い掛かり、理不尽に命を刈り取られる現実。杏のような口振りになってしまうのも、仕方がないのかもしれない。
「さあ……。できる全てをやり切ったのなら、成るように成るさ」
「だよね」
ふふ、と笑う杏。つられて俺も笑った。
浜野兄弟のような賑やかなのも良いが、こういう慎ましやかな雰囲気も悪くない。
「じゃあ、もし私達が明日も無事に生きていられたのなら、昌は何をしたい?」
「え、そうだな……。ごめん、改まって考えるとすぐには思い付かないや」
「何も思い付かないの?」
「……当たり前に来る明日のことを、どうやって過ごそうだなんてろくに考えたことも無かったから。でも、強いて言うなら――」
右ポケットの携帯を手に取り、電源を起こした。
表示するのはそう、昨日母親から届いた一通のメール。
「これ、昨日俺の母さんから届いたメール。見てもらってもいいかな」
「うん、いいよ。見せて」
内容は俺達が再会したあの日――、記念に撮ったあの一枚の写真についてだった。元々あれは親に見せるのが目的で撮った写真である。うっかり伝えるのを忘れてしまっていて、親へ連絡したのがつい数日前になってしまっていた。その返事がちょうど昨日送られてきたのだった。
「『あなた達、今でも仲良しなのね。昔のあなた達を見ているようで安心したわ。良い顔してるじゃない、これからも大事にしなさいよ』だって」
「ふふ、昌のお母さんにまで言われたら間違いないね」
「やっぱり俺達が楽しいと感じていたのは嘘じゃなかったんだ。親公認なんだよ? 間違いないさ」
だから、杏の質問に対してはこう答えよう。
「――明日も生きていられたのなら、こんな写真をもう一度撮りたいな」
俺の言葉を聞いた杏は、柔らかく、そして優しい笑顔で「そっか」と短く呟く。しかし、まだ何か続きがあるのだろうか? 言葉の端が尾を引いて俺の耳に残っているような気がした。
いつかこんな場面があったのを思い出した。その時はこちらから助け舟を出さなければまともに話が進まなかったのだが、今は違う。杏は真っ直ぐに空を見据えて、視界に広がる空模様と同じく晴れやかな表情をしていた。
「あのさ、私があの時に聞きそびれた話って……何だと思う?」
「そんなこともあったね……ごめん、そっちは本当に思い付かないや」
杏は優しく笑い、息を大きく吸って言葉の続きを発する。
「……それは、私のことも昔と同じく下の名前で呼んでくれないの? って話だよ。だから、今こうして昌と話せていて嬉しい。やっと昔に戻れた気がして、夢を見続けているのかと勘違いしちゃいそう。だからこそ、絶対に今日で終わらせたくないの。当たり前に皆と過ごせれば、これまでと同じように笑って過ごせれば、私はそれで良い。シオンちゃんは『本当に楽しかったのか』って聞いてきたけれど、私は楽しかったよ。今も昔も、私達が集まれば何だって楽しくなるもんね」
自然に零れた杏の笑顔がとても心地良くて、思わず魅入ってしまう。この後死ぬかもしれない人間の表情だなんて、一体誰が思うだろうか。
不思議と、杏を目の前にすると気持ちが和らぐ。俺の中でその他大勢の女性には抱かない感情が、杏に対してだけは誤魔化せないくらいに膨らんでいる気がしていた。
じぃっと見つめていれば、当たり前だが杏との視線が絡み合っていく。顔に熱がこもっていくのが手にとるように分かって、思わず眼を背けてしまう。
「……う、うん。だよな。俺も皆といつも通りに遊んで、笑えればいい。明日に望むものなんて、それで十分だ」
「なにそれ、後出しなんてずるい。でもちょっぴり優しい。昌のそういう所が――」
言葉が途切れ、ふと視線を戻してみれば、じっとこちらを見つめる杏と視線が交わり、鼓動を早める。それは、頭が茹で上がる程の熱をもっていた。
「好きだよ」
たったその四文字に気を捕らわれ、返事をしようとするも言葉が詰まって上手く口を開けない。息は上手く吸えているか? 頭の熱は更に高まっていく。
「どうしたの? もしかして……照れてる? こんなありきたりな単語に意識しちゃった?」
「…………くそ、ずるいのはどっちだよ。そういう卑怯なのは、駄目だろ」
「あはは、私の手のひらで転がされてる昌も可愛いね。ほら、そろそろ二人を起こしに行こう?」
俺の返事を待たずに、いそいそと家の中に戻ってしまう杏。
「ま、待ってくれ! モヤモヤしたまま放置されるのはもっと駄目なんだ!」
情けなくもその背中を追いかけるしかなかった。でも、俺はしっかり見てしまったのだ……杏の耳先も真っ赤に燃え上がっているのをな。
しかし当の俺も顔はゆでタコと化していたので、杏との会話を一旦切り上げ蘭を起こしに部屋へ戻ろうと縁側から家の中に戻る。すると何故か、先に行ったはずの杏が廊下に立ち止まっていた。不思議に思ってその先を見てみると、大小二つの影。
「あ、おはよう昌。早起きとは結構なことだ」
「おはよ、昌君。杏さんと何を話していらっしゃったのかしら?」
とは言うものの、ここは縁側のすぐ裏手。もしずっとこの位置に居たとすれば、俺達の話なんて全て筒抜けのはずだ。同じ格好で口に手を当て「シシシ」と笑う芝居がかったその様子に、なんとも二人らしさを感じてしまう。
「……聞いてたの?」
震えた声で杏が問う。
「んー……どうだろうね。ま、冷めない内に朝ごはん食べよう? お熱い二人なら、ごはんが冷めることもないんだろうけどさ!」
それがとどめの一撃となり、ガクリと廊下に膝を突き落としてしまう杏だった。
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