第24話 最後の日3
弱まっていく語尾と共に、シオンの顔は段々と陰っていく。懐かしむような、もう二度と手に入らぬ物に手を伸ばすような、そんな表情だ。
「……なら、どうしてそんな顔をしているんだシオン。その顔は、お前がおばさんとの毎日を楽しく思っていた証拠でしかないだろう?」
「黙れ! 決め付けるな!」
怒りで誤魔化すように、床を踏み鳴らしたシオン。だんっ! という音と共に、俺の首が何かに締め付けられていくような感覚を覚える。苦しい、酸素が上手く取り込めない。
……そういえば、念力も使えるとか言っていたな。黙れとはこういう事か。全く、何が感情を知らないだ、十二分に怒っているじゃないか。
「昌、大丈夫か!」
「だい、じょうぶ……任せてくれ」
手加減をしてくれているのか、感情に揺り動かされ制御出来ていないのか。どちらにせよ好都合、何とか息を吸いながら声を振り絞っていく。
「寂しい……と言う事は、その人との思い出を大切に思っていた証拠だ……。もうその人との思い出は作れないと理解した途端、寂しいと、感じるんだ……」
「黙れと言っているだろうッ! そのまま首を捻り潰すぞ!」
そんな脅しに、今更怖気づく筈がないだろう。もとより俺達は、この場所に決死の覚悟できたのだ。とっくに腹は括っている。
「……クローンで、永遠を作れたとしても、そんなの悲しいだけだ……。人間には、寿命がある。短い人生の中で……シオンにとっては僅かかもしれないけれど、その限られた時間の中で生きているから、思い出は昇華されるんだ……。それこそ、永遠の人生の中で……そんな中で手に入れる思い出なんて……そんなものに、価値は無い」
「……だとしたら」
途端に、首もとに込められた力が弱まった。不足していた酸素を取り込むため、嗚咽交じりに息を吸い込む。
「だとしたら、お前はどうなんだ。お前は永遠が欲しくないのか。親友と、ずっと共に居たいとは思わないのか……?」
いつの間にか、あの気さくで人懐っこい、幼さの残る普通の女の子。何処から見ても、精々中学生といった、普通の女の子の雰囲気を取り戻しつつあるシオン。
「……永遠なんて、面白くないだろう?」
首元を擦りながら、俺はニヤリと笑ってみせた。
「なに?」
困惑した表情で、シオンは短く言葉を返す。
「確かに、ずっと皆で居られたらって思う時はある。でも、それじゃ意味が無いんだ。放課後に肩を並べて笑うのも、殴り合いの喧嘩をするのも、かけがえのない友と写真を撮るのも、いつか終わりのある人生だからその一つ一つが得がたい思い出になるんだ。永遠の世界に、新しい思い出は作れない。どんな記憶も、何かの劣化にしかならないんだ。面白くないだろう? だったら俺は、誰にも真似できない俺だけの人生を送りたいって思うよ」
「……なんだお前は。普通人間なら死にたくないと思うんじゃないのか? 親友と、ずっと共に居られればと、願っても足りないほど求める物ではないのか?」
シオンの元へ歩いて行く。ゆっくり、ゆっくりと一歩ずつ。
「それを教えてくれたのはシオンだ」
「私が?」
「あぁ。昨日の夜、もしかしたら明日で人生が終わるなんて考えなければ、きっと俺達は本音で心の内を晒せなかった筈だ。もしかすると明日で終わってしまうかもしれないから、全部ぶつけ合えたんだ。見ろよこの顔の傷、全部蘭の仕業だぞ?」
少しふざけ半分で言ってみる。
「ごめん、って言ってるだろ!」
すると後ろの方から野次が入った。ありがとう、それが聞きたくて引き合いに出させて貰った。
「その後に食べた鈴のご飯が本当においしかった。これで最後かなって思うと、怪我の事も忘れてがっついてしまった」
「確かに、無くなるの早かったよねっ!」
鈴が嬉しそうに笑う。
「これで最後になるかもしれない朝の風景を、杏と一緒に見る事が出来た。あの朝はたぶん、死ぬまで忘れられないと思う」
「あのぅ……出来れば忘れて欲しいかなー……なんて」
頬を赤らめた杏が、決まりの悪い顔で恥ずかしそうに言った。
「シオン、お前が教えてくれたんだ。人生は短く、いつ終わりが訪れるか分からない。だからこそ、毎日を楽しく過ごさなくちゃ損だって。ありがとうシオン。お前のくれたきっかけで、俺達はまた友達になれたんだ」
シオンの頭を、ポンと撫でてみる。正直怖い。今はあの恐ろしい形相を引っ込めているが、同じ存在である事に変わらない。しかも神様相手にこんな不躾な……馴れ馴れしく置いた手の平から足の爪先まで汗が吹き出てきた。
「私は、お前達とは違う」
震えた声で、シオンは言葉を搾り出す。
「かつての親友だった緋衣も居なくなって、私は一人だ。おまけに、私は涙の一滴も流れなかった。その時初めて覚えた感情も、それが何なのか良く分からないまま緋衣は死んでしまった。そんな薄情な存在なのだ。そんな私が人間と同じく暮らそうとしているのが、そもそもの間違いだとは思わないか?」
俺からの返事に怯えているのか、自分の両手を合わせギュッと握り締めるシオン。
「この手で掴んだ緋衣の手が、段々と冷たくなっていくあの感覚。どれだけ叫ぼうと、私の声は誰の耳にも届かなかった。そんな私からクローンまでも取り上げられたら、何が残るというんだ。……緋衣に貰った紫苑という名と、手鏡を大切に扱ってくれたが故に授かったこの命。いっその事消し去ってしまう方が……」
「大丈夫!」
俺はシオンの手を取った。
ここからは、皆で話し合って決めた事。昨日の晩、おばさんの日記を読み終わった後に、シオンにどんな言葉を掛ければいいのか。たくさん考えて、これが一番良いと思った。それに少しだけ俺の心も織り込んで、シオンにぶつけてやるのだ。
「俺達が居るじゃないか! もっと俺達と遊ぼう。沢山の思い出を作ろう。今度は、俺達が死んだ時に思わず涙が出てしまうくらい! ただ……シオン、お前は俺達を使ってクローンを作ると、一度言った事は曲げないと言ったよな? それはもう少しだけ待ってくれないか。お前がずっと俺達の事を見守って、またつまらない人間に戻ったと感じたその時、今度こそ俺達の事をクローンだろうが何だろうが好きに使うと良いさ!」
全て言い切った。これ以上は無い。
結局、殆ど俺が言い切ってしまったのだが、これで良かったのだろうか?
今更不安に思って皆を見る。すると、誰も嫌な顔などせず、笑顔で「良くやった、文句無しだ」と返してくれた。
これが、未だ子供で発展途中の俺達にできる最高の判断。ガキの夢物語、体のいい話で、これ以上でも以下でも無い。これでシオンが納得してくれなかったら、その時は潔く諦めよう。そう決めていたくらいだ。
「……もしも、私が気まぐれに、突然お前達をクローンにしてみせたらどうする?」
「そんな事しないって信じてる。だとしたら、何で昨日の内に行動に移さなかった? それに、シオンは俺達と遊びたかったんじゃないのか? それこそ、何年も前からずっと」
「では、もし私がお前達との会話に応じず、問答無用に殺していたらどうするつもりだったんだ?」
「ん……それは考えていなかった。何故か、シオンなら絶対会話に応じてくれると思っていたから」
そうか、そのパターンがあったか。この部屋に足を入れた途端に念力で首を捻り上げられていたら、俺達の苦労も水の泡になっていた。他の三人も同じで、あぁ、それもそうかと鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をしている。
「……はは、ははは! 馬鹿だなお前達は! なんて楽観的なんだ! 命が掛かっていたんだぞ? なぜそんなに呆けていられるのやら……」
「なぜって言われても、これが俺達って事だからな。どうだ、つまらなくはなさそうだろ?」
もし聞かれたのならば、自信をもって言ってやろう。蘭、鈴、杏、この三人は俺の自慢の友達だと。
「……うむ、良し分かった! お前達の言葉、信じてやろうじゃないか! クローンを作るのも一先ず中止、後はお前達次第という事にしてやろう。私の、負けだ」
ふにゃりと笑うシオン。そしてその言葉、脳に届いて理解したその瞬間、胸の奥底から沸々と喜びが湧き上がってくる。
「あぁ! 良かった! まだ生きていられるのね! まだご飯が食べられるのね!」
鈴がその場で飛び跳ねながら喜びを露わにしている。
「結局思う事がそれなの? なんだかんだ食いしん坊キャラだよね鈴ちゃんって」
冷静な振りをしている杏だが、眼の端には涙を浮かべている。
「……良かった」
一番はしゃぐかと思っていた蘭は以外にも静かだった。心底安心した表情で、今生きている事を深く噛み締めている。
「全く、現金なやつらめ。元凶である私の前で、そんなに喜びを表現できるとは……。だがまあ、私に見守れと言ったな……私の監視は厳しいぞ? 本当に良いんだな? 少しでもつまらないと感じたら、それこそ問答無用でお前達をクローンの餌にしてやるからの?」
念を押してくるシオン。もちろん俺達の答えは決まっている。
「もちろん!」
四人の声が重なった。
「はは、少しの迷いも無く言ってのけるか。ならば……早速付き合って貰おうじゃないか。お前達が来る前に準備しておいた、このテレビゲームとかいうやつで!」
「ん? ちょっと待ってくれ。準備しておいた? その口振りだと、予めこうなる事が分かっていたみたいに聞こえるけれど……」
シオンは人差し指で、額の所をトントンと突いた。
「まじない、誰も解いたとは言っておらんぞ?」
まじない、俺達の感情を吸い取り、自分のものとするまじない。
「あ? あぁー!」
どうやら、シオンは昨日の内からこうなる事が分かっていたみたいだ。
ははは! と勝ち誇ったように笑うシオンは、俺達がこれまで見てきた中で一番外見に相応した表情で可愛らしかった。
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