第04話 写真
以前とは違う高さの世界。あの時と比べて、背丈はどれほど伸びたのだろうか。
無意識に避け続けていたこの通り道は、浜野の祖母の家がある方向だ。
久し振りだということや、グンと伸びた背丈のせいもあって、記憶の中の景色と見えているものが違う。
先頭を歩く蘭に、萩原の手を引き連れていく鈴。それを後ろから眺める自分。並びは昔と同じだが、見える背中はまるで別人だった。
何もかも変わったというのに、大きな違和感も覚えない。むしろあの頃の背中が皆の輪郭をダブらる。
割り切っているのか、未練を残したままなのか、もう自分でも分からない。
「そうだ。昌に杏、親御さんは元気か? 昔世話になったし、今度挨拶にでも行かせてくれよ」
くるりと後ろ歩きになって、蘭がそう口を開いた。
「私は放課後だったらお母さんが家にいるから、たぶんいつでも大丈夫だと思うけど……」
そう言ってから萩原は、ばつの悪い顔をしてこちらへ眼をやった。それにつられて浜野兄妹もこちらへと視線を向ける。全員の視線を浴び、全校生徒を前にスピーチをし始めなければならないような、そんな緊張感を覚える。だんまりを押し通すのも良いがそれでは話が進まない。気分も進まないが。
「一人暮らしなんだ。学校からそんな遠くない所にあるボロアパートで」
「え、昌君一人暮らししてるの!? なんでなんで? はっ、まさかお母さんと喧嘩してるとか……? あっ、家出男子?」
口振りこそ心配はしているが、俺との距離を詰めながらぐいぐい質問攻めをしてくる鈴。気になって仕方がないというのが身振り手振りから溢れ出ていた。
「いや、これといった深い理由は無いんだけれど、親が転職して別の街に行くことになってさ。途中まで一緒に行く考えだったけど、無理言って一人暮らしさせて貰うことにしたんだ。ほら、ちょっと憧れるだろ一人暮らしって響き。本当にそれだけ」
そう、本当にただそれだけ。何となくこの街に残ろうと思っただけなんだ。
二人は納得してくれたのか「なるほど、分かる!」と口を揃えていた。そのはしゃぐ二人の後ろで、萩原だけは渋面になって視線を脇へ逸らしていた。
「じゃあほら、写真取ろう! 昌の母さんに見せてやってくれよ、俺達こんなに成長しましたってさ!」
携帯のカメラを内側に設定し、全員をその枠内に収めようと躍起になっている。
肩をガシッと組まれ、蘭の暑苦しい顔を近づけられる俺。夏場だというのに、むさい男とこんなにも近い距離にいるのは御免だ。さっさと撮り終えてしまうに限る。
「ほら、杏も! そんなしかめっ面してないで、写真撮んぞ!」
「え……あぁ、うん。ゴメンちょっと待って」
女子二人は前髪をちょいちょいと弄り、服装を整える。女性がこういう場面での写りを気にするのは大いに理解できるし、仕方がないことだと思う。しかし、その間ずっと肩を組まれている俺の気持ちが理解できるだろうか? 肌の接触面がじわじわと汗ばんできており、気持ち悪いことこの上無い。なんでこいつは同じポーズで律儀に待機しているのだ。
「よっしゃ、大丈夫だよ! いつでもこい! 女子力だよ杏ちゃん!」
「羽衣のお母さんに送るんだもんね。写りは気にしておかなきゃ……」
「いやいや萩原、たかが俺の親に送る写真にそんな構えることないって」
「よっしゃ撮るぞー!」
蘭の掛け声に合わせて、パシャ、という音が響く。
どれどれと言って確認する蘭を尻目に、辺りを見渡す。忘れているかもしれないが、ここは一応往来のど真ん中だ。辛うじて人通りは少ないが、俺達をチラチラと見てくる者は少なからずいる。それが特に意味を成さない行為であったとしても、羞恥心が沸々と込み上げて来る。
そんな俺の思いも露知らず、ああでもないこうでもないと感想を述べている様子の三人。
「あーっ! くそ、半目になっちまってる!」
「なんで自分でシャッター切ってるのに半目になるの? 馬鹿なの? 蘭以外は良い感じなのに」
騒ぎ散らしている兄妹を余所に、手招きで萩原が俺を呼ぶ。別に自分の親に送る写真なのだから、ツラの確認をしてどうしろと言うのか。写りなんてどうでも……と思っていたが。
「……これは、意外と」
良い写真じゃないか。素直にそう思った。
手の横にピースサインを作り、細まった瞳と笑顔でふっくらとした頬が綺麗さと幼さを両立させている鈴。その横へ、控えめに同じポーズで寄り添う萩原はどうにも華奢に見えて可愛らしい。半目だが、白い歯を覗かせ屈託の無い笑顔を浮かべる蘭は、そうしているだけで雰囲気を明るくさせた。そして、そいつに肩を組まれて笑う俺。
「……昔も、こんな写真を沢山撮ったよな。なあ浜野、その写真俺に送ってくれないか?」
「もちろん。元からそのつもりで撮ってたんだしな」
連絡先は既に交換済みだ。短い通知音と共に浜野から写真が送られてくる。
改めて見ると照れくさいが、文句の付けようが無いくらい良い写真だと思った。
写真が現実を――真実を写し出す物だとするならば、きっとこの思いは本物に違いない。
「また写真、たっくさん撮っていこーね!」
その鈴の言葉には、首を横に振る者はいなかった。
暫くの間はその写真の余韻に浸りながら歩き続けていた。段々と人通りも少なくなってきて、コンクリートの道から砂利でできた道へ。徐々に草木は増えていき、それと比例して人家は少なくなっていく。
途中でバスを経由してから歩くこと数分、昔だったらもっと時間が掛かっていたな……などという感傷に浸っていると、とある一軒家が眼に入ってきた。
「待たせたな二人共! こちらが懐かしの家、兼ねて――」
「私ら兄妹の住む家です!」
少し街から外れ、周りは建築物というより草木といった自然色ばかりが目に入る。元々この街は自然豊かな方で、田舎と都会の良い所取りをしたような場所だ。高層ビルがひしめき合う訳でもないため、土地ばかりが余る。
それ故に、無駄に巨大な施設が多く造られた。体育施設であったり、図書館、ショッピングモールなんかもそうだ。都心部はある程度の賑わいがあるのだが、こうやって街外れまで足を運ぶと途端に様変わりする。
子供の頃は、それが好奇心をくすぐる材料になっていたんだが……少し歳を重ねた今となっては、虫の多さや日陰の少なさに若干の不快感を覚える始末。
そういった環境下にあることも考慮した上で、自信満々に浜野兄妹が見せつけてくる家を見ると――。
「なんかこう、やけに年季が入ったというか、風格が滲んできたというか……」
雨風に晒され屋根や外壁は磨耗し、庭は雑草が伸び放題。この様子だと、家の中も見られたものではないはず。とてもじゃないが、人が住めるような状態ではないだろうという直感が働いた。
「いや、分かる。分かるぞ昌。随分この家もボロくなったよな。でも、ここに住むことを条件に俺ら兄妹の二人暮らしを許可してもらってんだ。一応、内装部分はある程度直してる。今にも抜け落ちそうな床とか、雨漏りしていた天井とか。おんぼろには変わらないんだけどな?」
「ライフラインは整えてあるし、実際もう住める状態ではあるんだよ? こうやって外観だけ見ると住めたモノじゃないし、まだ日用品とかは揃ってないけど、細かい部分は適宜集めるって感じ!」
全くもって問題無いぞ! というのを必死に伝えてくる二人。
萩原も俺と同じことを考えていたのだろう、少し顔が引きつっている。
「なんでそこまでしてこの家に……?」
「さっき昌も言ってただろ、俺らも一人暮らしには憧れがあったんだ」
学校からの距離、立地の悪さ。二人がいくら高説を述べようと理解できなかった俺は、つい訝しげに尋ねてしまう。しかし、あっけらかんとした様子の蘭が、間も開けずにそう答えた。
それならば、こんなに古ぼけてしまった家に住むよりも、俺と同じボロくても安いアパートで色々と都合の良い場所に住めば良かったのに。
親との約束だと言っていたが、どうにもそれが引っかかる。浜野の両親はかなりの親バカだった覚えがあって、わざわざこんな劣悪な環境に自分の子を住まわせるようなご両親だっただろうか。一度許可したのなら、いっそのこと2LDKくらいの部屋をポンと借りていた方がよっぽどらしい。
「とりあえず、今日に限って家のネタはあくまでもオマケだ! さっさと本題に移ろうぜ。見に行くんだろ、秘密基地をよ」
そう、秘密基地。俺達がここまで足を運んだ理由。少し尾を引かれる思いだったがその場を後にし、雑草を掻き分け家の裏側に回った。
段々とその場所に近づいて行くに連れ、背中に流れる汗が増えていった。これは暑さによって生じた物なのか、それとも別の何かなのか。
何はともあれ、一層色濃くなった緑色の中に気持ち程度に敷かれた砂利道。むしろ殆ど獣道のような道のりを歩き進む。
俺も萩原も口数が減り、ただ足を動かすことだけに集中しないと日差しの強さに負けてしまいそうだった。先頭を歩く浜野達は変わらぬ足取りで、鈴の方はおまけに鼻歌なんかを交えて随分とご機嫌な様子だ。
何の気無しにその歌に耳を傾けてみる。一定のリズムで紡がれる音響がどこか心地良い。森の中に澄み渡っていく鈴の鼻歌に、草木が揺れる音と鳥のさざめきが混ざり合い色味が増していく。
気が付くと、自分の口でも同じようなメロディーを口ずさんでいた。昔のTVCMか何かの曲だろうか、不思議と次の音が頭に浮かぶ。どこか懐かしむような面持ちで、皆がその歌に耳を傾けていた。
暫くはその歌を頼りに足を動かしていたのだが、ふうっと息を吐いて一区切りつけた鈴に、つい声をかけてしまう。
「なぁ浜野、その歌なんて曲だったかな。なんとなく懐かしい感じがして」
本当に素直な気持ちでそう尋ねた。しかし返事の内容は想像と違い、今日一日ずっと笑顔を崩さなかった鈴の顔には影が落ちていた。
「昌君、今ここには浜野って名前は二人居るよ。私を呼んだの? それとも蘭を呼んだの?」
俺達は、歩みを止めないまま会話を続ける。
「あ、あぁ、ごめん。紛らわしかったよな」
「お昼に屋上で集まった時も、今こうしている時も……杏ちゃんの事だってそうだよ。なんかちょっと、他人行儀な感じがしちゃう」
「それは、まぁ、ほら。俺達だってもう高校生なんだし、大人になったってことじゃないか」
言葉を交わしていくほど、鈴の顔に影が差していくのがわかった。
違うよ、分かってるんだ。鈴が言いたいのはそういうことじゃなくて――。
「大人になったら関係は変わるの? 昔みたいに名前で呼んではくれないの?」
――どこか躊躇していた部分があった。昔と同じくはいられない、あの頃の俺達はもういないと。
その想いが、昔と同じく下の名で呼び合う事を拒んだのだ。もう届かないものに手を伸ばしても仕方がないだろうと、新しく関係を組み直していくことでしか俺達は共にいられないんじゃないかと、そうどこかで線を引いていた。
だから、呼んだとしても心の中で言うのが精一杯。言葉に出すのを怖がって、眼を逸らし続けた。その結果はご覧の通りである。
返す言葉も見つけられず、靴底が地面を踏む音だけが耳に入ってくる。地面ばかり見下ろしていたからか、頭に熱が溜まって張り裂けそうだ。
そうして歩みを止めないことにだけ必死になっていると、萩原が突然声を張り上げる。
「あ、あれ! 秘密基地じゃないかな!」
そう言って指差す方に視線が向けられると、自然に意識も逸らされる。そのお陰もあって、重苦しい雰囲気は霧散していった。
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