第18話 夢から覚めて4

「――まず、私はお前達人間とは異なる存在だ。付喪神と呼ばれる、この納屋という場所に宿った神様が私だ。壁だろうと何だろうと、透けて通るのなんて朝飯前だ。昌は、驚きはしなかったかな?」


 その試されているような問いかけに、こちらの思考を読まれている気分になってギクリとした。

 実際その通りで、初めて出会った時からシオンを人間とは異なる何かではと疑っていたのだ。しかし、付喪神だなんて本人の口から聞かされても、いまいち現実味を帯びないまま鵜呑みにするのは、まだ理解が及ばなかった。


「……いや、まだ信じられない。付喪神でしたなんて言われて、馬鹿正直に受け取るやつはいないだろう? 何かこう解り易く、神様の力とかを見せてくれないのか」


 正直、先程のヒト擬きを潰してみせたのがシオンの力だと言われれば、それで説明は付くかもしれないが判断材料としては適していない。実現性に乏しいが、何か仕掛けを使っている可能性もある。


「そうだな。では、お前達に施したまじない。その種明かしをしようか。昌、お前の考えていることを当ててみせよう」


 ニヤリと笑ってこちらを見るシオン。

 考えを当てる? そんな心理学みたいな真似が何になる……。万が一にも、偶然で正解が起こりうるかもしれないのに。


「……『心理学みたいな真似が何になる。万が一にも、偶然で正解が起こりうるかもしれないのに』……ふむ、疑うのは結構なことだ昌よ」


 一言一句違わないシオンのそれに、ゾッとして腕に鳥肌が立つ。


「『嘘だろ昌、本当に当たっているのか』……まあ、こればかりは顔を見ただけでも分かるな。顔に出すぎるのも困り物だな蘭? 『え、それじゃあ私は……?』あぁそうだとも、お前の考えていることも筒抜けだぞ杏。おいおい鈴よ、『考えないように』と考えても意味が無いぞ?」


 俺達四人は顔を見合わせ、今シオンが言ったのは本当なのか眼で確認し合う。誰もが信じ難いとは思いつつも、首を縦に振る。


「こうやって暫くの間、まじないを通してお前達の感情、思考を読み取らせて貰った。それが私の持つ力の一つだ。ついでにあのヒト擬きに流用する目的で、まじないを媒介にお前達の精気も吸い取らせてもらった。ここ数日は日常生活にも支障をきたしていたようだが、まあ許してくれよ」


 只の疲れだと思っていた身体の不調は、シオンのまじないが原因だったということか。

 同じタイミングで同じ量の精気を徐々に吸い取られていた俺達四人。今朝皆が同時に体調不良を訴え出したのも、これが真実であるなら納得できる。

 前々からその兆候はあった筈だ。自分の想定以上の疲れや倦怠感を覚えていたのに、なぜもっと早くから重要視できかった。もっと慎重に考えていれば、こんな状況になる前に防げたかも知れないのに。


「……それじゃあさっきのヒト擬きについて、最後に起こったことを説明してくれ」

「それなら、これを見てもらうのが早いだろう」


 シオンが手にしていた電子タブレットで、何か検索を初めた。


「お、見つかった。少し話は逸れるが、私は暇な時に花を愛でるのが好きでな。このタブレットというのは大変便利で、いつでも見たい花をこの手に咲かせることができる。サルビア……お前達はこの花を知っているかな?」


 そう言って、液晶画面の上に指を滑らせるシオン。動きはまるで、テーブルの上のゴミを掃う様に、俺達が座っている目の前の机に向かって、何かを飛ばすみたいに手を動かす。瞬きをしたその一瞬、机の上には鮮やかな緋色の花が咲き誇っていた。何の前触れもなく、ずっとこの場所に咲いていたのかと勘違いしてしまうほどに。


「なんで花が……っていや、おかしくねぇか。どんな原理で咲いてんだこれ」


 蘭が言う通り、花というのは普通土の下に根を張り、それを基盤として咲くものだ。それなのに今は、机の上に咲いている。

 曇りのなく一色に染め上げられて、何重にも重なった花弁がとても綺麗だった。

 街にある花屋でこれを見かければ、素直に美しいと感じるに違いない。しかし、机の上に突然現れたこの花は、その綺麗さも只々不気味になってしまうだけだ。


「どうだ、綺麗な花だろう。不思議と昔からこの花を好んでいてな……。とまあ、それは置き、今私が何をやったのかという話だったな」


 どこか慈しむような表情を一瞬だけ見せたが、すぐにその顔は隠れてしまった。


「私は、頭の中に想像する物を現実に映し出す力も持っている。しかしその力は条件によって左右されてしまう。はっきりと思い浮かべ、構造を理解できなければ脆弱な物しか創れない。ほら、試しにその花、触ってみるといい」


 言われるがままに、恐る恐る花へと手を伸ばす。すると、そこにある筈なのにプロジェクターで映し出された映像かの如く、触れられない。


「そう、私はそのサルビアという花を液晶画面越しにしか見たことがない。情報が不十分な物は外見しか創れないのだ。肉眼で見た時の色は? 実際の香りは? 質感は? そういった情報が足りないとこの程度。先程潰したヒト擬き……、私には時間だけは持て余すほどあったから、深く構造を理解し、これだけは精巧に人間へ近く作れたのだ。あぁ、初めてお前達に見せた時は、まだ中身の感情を入れてなかったから不完全な状態だったんだよ。で、お前達が大変ショックを受けたあの光景は――」


 そこで、机の上に咲く花がふっと消え去った。さっきまで咲いていた部分には、少し窪みが出来ているような気がした。


「……こうやって、現実に映し出すのを止めただけだ。血液だけは現実の水を流用していたから、外側が無くなって中身が零れてしまったという訳だ。今頃は元の水状態に戻っているだろうよ。確か……蘭、服に跳ねてしまっていたな? もう乾いているんじゃないか?」


 蘭の制服、先程見たときはジャケットに飛び掛かっていた。


「……確かに消えてるな。染みすら見あたらねぇ」


 綺麗さっぱり、ここに来た時と変わらない状態になっていた。


「後は簡単な念力が使えるくらいで付喪神の能力は全部になるが……さて、もうそろそろ信じてくれたかな?」


 嫌でも飲み込むしかなかった。到底説明の付かない出来事ばかりを目の当たりにして、それでも尚信じてたまるかと言える人間は、よっぽど心臓に毛が生えた奴だと思う。


「……わかった、信じるよ」

「賢明な判断だな」


 しかし、まだ一つ気になって仕方がないことがある。それは、あの結末について。


「最後に一つ聴きたいことがあるんだが……あの人形、何で失敗したんだ?」


 ふっと、噴き出すシオン。ゲラゲラ笑い出し、何がそんなに可笑しいのかと見ている分には腹が立って仕方がない。

 その後たっぷり数十秒笑い続けていたと思えば、急に電源を落としたみたいに表情が陰り、何とも残念そうな声色で口を開いた。


「失敗――、失敗した理由だな? 本当に知りたいの? 教えてやらんこともないが、世の中には知らなくて良いことの方が殆どだぞ?」

「やけにもったいぶるじゃないか。構わないから、教えてくれないか」


 俺達全員の顔を見定めるみたいにぐるりと顔を回した後、シオンはため息混じりに口を開いた。


「お前達だよ。お前達が原因で失敗したんだ。それ以外は完璧だったのに、やはり手伝いなんぞ頼むんじゃなかったな」


 その台詞を聞いて、ガタリと椅子から立ち上がる蘭。


「はぁ? どういうことだそれは! 俺達はアレに一切触れちゃいねぇし、お前の言った通りにしてきただけだ! そんなもん言い掛かりだろ!」


 蘭が激昂するのをなだめながら、シオンの言葉を待った。


「さっきも言ったが、お前達の感情を吸収しアレは完成したんだ。人間は感情を頼りに息をする生き物だからな、感情が欠けていると話にならない。自分で感情を植え付けられればよかったが、私は人間の感情を深く理解できていない。真似事だけは出来るが、喜怒哀楽も人間特有の歯痒さも、私には何一つ備わっていなかった」


 シオンは人間の感情が理解できない。

 その言葉を聞いて、俺達と遊んでいた時のあの表情が作りものだったのかと心が締め付けられる思いになった。

 彼女もそれを忌むべきこととして認識しているからか、そう語っている時の表情はとても苦しそうだった。いや……その感情すらも無いのなら、俺の気のせいだとでも言うのだろうか。


「――だからこそ! まじないを通してお前達から感情を吸収しようと思ったのだ! それなのに……お前達から流れてくるのは負の感情ばかり。猜疑心、恐怖心、焦燥心、歯車が噛み合っているようで、全くそんなことは無い。それぞれが心のどこかに自制をかけていて、現状に心から満足している者など一人もいなかった。お前達……ずっと同じ時を過ごしていて本当に楽しかったか? 嘘偽り無く、楽しかったと誰か答えられるか?」


 誰一人として、その問いに声を上げる者はいなかった。

 ずっと騙しながら過ごしていたが、シオンにはずっと筒抜けだったのだ。

 いつかの日を境に、シオンは終始不機嫌で俺達との会話も徐々に減っていった気がしていた。今思うと、その辺りから俺達の感情の異変に気が付き、シオンは怒りを抱いていたのかもしれない。いや、そんな感情は無いんだったか。となれば、あれは無関心だったのだ。俺達から興味が失せて、感情がある真似事すらも止めてしまった状態。

 そしてシオンは、お前達と言っていた。それはつまり、俺一人の問題ではなく皆の問題という訳だ。その事実に、俺は何よりも驚いていた。

 今思い返してみると、誰も昔の出来事を話題に挙げなかったと思う。過去を忘れた振りをして、清算することも無く、上っ面の関係でしかなかった。そんな馬鹿な話があっても良いのだろうか?

 頭に血が上って、思わず顔を伏せた。伏せたのは、自分の情けない顔を見られたくなかったのと、皆の表情を見るのが怖かったからだ。

 結局俺は、今も昔も変わらない。大事な部分から逃げたままの大馬鹿野郎だった訳だ。


「誰も――、何も言わないのか。そんなお前達に、とても心苦しいが悲しい話をしなきゃならない」


 衣擦れの音で、蘭や鈴がそちらを見やったのが分かる。が、俺は顔を伏せたままだ。耳だけを傾ける。


「すまないがお前達の身体、実験のためにも私にくれないかの? お前達の精力も奪ってしまったと伝えたな? 気が付けないだろうが、お前達の中身はもうボロボロだ。恐らく寿命をかなり削っている。それなら……もう良いよなぁ? どうせ短い人生だ、せっかくなら私の為に使わせてくれよ。あぁ、拒んだって無駄だぞ。もう決めたからな」


 ニタリと顔を歪め、悪戯をする子供のみたいな表情に平坦で無機質な声。

 全員、息を呑んだのが分かった。シオンならやりかねない。それだけの力は、さっき見せ付けられた。

 全身から汗が噴き出す。じっとりとした汗がとめどなく溢れ、一向に止まる気配がない。それと同時に、頭から血の気が去っていくのも分かった。返って冷静になって、伏せたままの表情を何とか引き上げる。皆の顔を見た。青冷めた表情で、きっと自分もこんな顔なのだろうかと呑気に考えてしまう。


「……シオン」

「あぁ? なんだ、浜野蘭」

「それは、俺だけにしてくれないか……」


 尻すぼみに放たれた言葉はとても弱々しく、それがとても悲しくなって俺は涙を零しそうになった。

 一方シオンは、腰を預けていたおもちゃ箱の上からわざと大きな音を立てて飛び降りる。


「生意気にも口答えするかっ! 小僧の分際で!」


 声を張り上げるシオン。その表情をみて背筋が凍りついた。それほど大きな声ではない筈なのに、鼓膜が震えて脳が揺れる。全身を強張らせ、一歩たりともその場から動かせないような恐怖を再び味わっていた。

 今は恐怖を植え付けるために、わざと強く、恐れ慄かせる為に己を曝け出している。その声には、あからさまな怒りと威圧が孕んでいた。

 萩原と鈴が、声に成らない叫びをあげる。

 額の所にピッタリと拳銃を突き付けられたような、心臓を握られている感覚。全身が震え出し、歯の奥が震えてカチカチと音を鳴らす。もう何も出来ない。一歩たりともその場から動けなかった。


「神である私に対し、何と失礼極まりない男だ! 一度決めれば絶対に曲げないのが私だ! 全員を貰うと言えば、甘んじてそれを受け入れるのが人間の役割だろう……。神とは理不尽極まりない存在、恨むなら私ではなく己を恨め!」


 シオンの怒声に、森がピシャリと震えたみたいだった。

 何か災害が起こる前触れで動物達はその場から一目散に逃げると聞くが、今まさにその現象が起こっている。鳴き声を撒き散らしながら、野鳥たちが段々と遠ざかっていく。森のさざめきも動物たちの息の根も、何もかも辺りは静寂に包まれ、この空間だけが世界から切り離されてしまったんだろうかと錯覚してしまう。

 今この瞬間、俺達の生殺与奪を握っているのはシオンだ。椅子に尻が張り付いてしまったのか、どうしても動けない。もう、どうすることも出来ない。


「だが」


 シオンの次の言葉を、生きるか死ぬかの感情でかき回されながら必死に待つ。


「蘭、お前の度胸に免じて猶予を与えよう。そのちっぽけな勇気にふさわしい、私からの小さな優しさだ。一晩与えるから、遣り残したことを済ませてくると良い。そしてこの場所に、その足で戻ってこい。時間は、太陽が空の天辺へ登りきるまで――。それで全部終わりにするのだ。それ以上も以下もない、お前たちの人生は、明日で終わるんだ」


 ここまで一方的に話して、シオンはスッと透けて落ちるみたいに床の下へと消えていった。恐らく、またあの部屋に戻ったのだろう。

 呼吸の音すら煩わしいこの空間。窓から外の様子を眺めていた。

 ここへ来る時は青空が澄み渡っていて、心晴れやかな天気だったのだが今では見る影もない。

 曇天になってしまった空模様は今の俺達の心情を映し出しているみたいで、なんとも滑稽だと思った。

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