第17話 夢から覚めて3

 もどきの存在――。彼女はの置かれている机の縁に薄ら寒い笑みを浮かべ腰を掛けている。机の上には大きな麻でできた布が被さっていて、少し山になっていた。恐らく、あのヒト擬きが隠されているのだろう。

 暗闇のように真っ黒なセーラー服に身を包んだ彼女は、この純白に輝く空間にぽっかり開いた穴のように見えた。そのせいか、中学生くらいの幼い体躯に乳臭い声であっても、不思議と彼女は僕達に畏れの感情を植え付けてくる。


「置手紙を読んだみたいだな。……それで、何の用だ?」


 ぐっと距離を突き放すみたいに、普段よりも分かりやすく高圧的だ。シオンは俺達四人に向けて、心臓を突き刺すような視線を向ける。不機嫌とはまた違った雰囲気だった。


「あ、あぁ。それの途中経過でも聞ければと思ってさ。俺達が役に立っていたのかは分かんないけど、言われた通りに手伝いってやつは続けてきたんだ。気になっちまうのも仕方がない話だろ?」


 それと言って蘭が指差したモノを、シオンが目で追う。


「あぁ、こいつか? ふむ……、結論から言えば完成したぞ」


 意外にもあっさりと答えを教えてくるものだから、拍子抜けである。


「え、それじゃあ普通に動くの? アンドロイド……みたいなのを想像していたんだけれど、合ってるかな」


 萩原が恐る恐る質問した。

 その問いに答えるように、机の上に被さっている布に手を掛けるシオン。


「まあ、そんな認識で間違いないだろう」


 ばさりと布を剥ぎ取り、そのまま放り捨ててしまう。そして一言、こう付け加えた。


「――失敗作だがな」と。


 一瞬だけ布の下にあるモノを見るのに躊躇したが、薄めでちらりと目を開いてみれば、そこには以前と比べ物にならない程人間に近いモノがあった。病衣に身を包み、おびただしい程に繋がれていたチューブも配線も見当たらない。表情は無かったものの血色は大変良く、二十歳前後くらいの標準的な肉付きだった。

 失敗作だとシオンは言ったが、これの一体どこが失敗なのだろう。


「すごいな、こうして見ると人間と変わらないじゃないか。ヒト擬きの人形だと言われても、実物を見た今でこそ信じられなくなったよ」

「それは、ただの外見の話だろう? 私が失敗したと言ったのは中身の話だ。こいつは失敗だ、まるで使い物にならん」


 そう言ってパンと手を打ち合わすシオン。

 すると、その音に反応したのかヒト擬きの眼がゆっくりと開かれていく。天井の明かりが眩しいのか目を細めながら、しかしそれを手で遮ろうともせず、只々ゆっくりと目を開いていく。

 この時だけは、能天気にもヒト擬きの一挙一動に魅入っていた。

 目を開ききり、上半身に力を込めて身体を起こす。ぼぅっと遠くを見つめながら、まるで寝起きの時のようなぼんやりとした様子でいる。その一連の流れを、名目上手伝いをしたというのもあって、まるで自分事のように喜んでみせた。

 しかし、きっと間違っていたのだ。シオンが言う通りで、見てくれに騙されて油断していたんだ。


「おぉ、本当に人間みたいだ……」


 ヒト擬きは起き上がらせ、辺りを警戒しているのか視線を右往左往とさせていた。

 ふらりと揺れるその視線が俺の眼と合い、動きをピタリと止める。俺は呑気に手でも振ってやろうかと構えたが、俺の意思とはまったく反した動きを見せた。

 ヒト擬きは両手を前に伸ばし、前のめりの姿勢になってこちらへ突進してきた。地の底から響くような獣の叫び声と、爪が自らの手に食い込むほど握り締められた拳。その眼は血走り、何かから執拗に追い詰められているみたいだった。

 一瞬の出来事に、声を出す暇もなかった。腰が引けた拍子に一歩後ろへ倒れ込むと、数秒前まで俺の頭があった所を力いっぱいに振りかぶった拳が通り過ぎた。


「昌っ!」


 俺とヒト擬きの間に割って入る蘭。今にも取っ組み合いが始まりそうな気迫で、互いに睨み牽制し合う。じりじりと肌の焦げ付く雰囲気を嘲笑うように、先程と同じくシオンが手を打ち鳴らした。パンと音がしたその瞬間、人形は糸が切れたみたいにその場へ崩れ落ちる。

 跳ね上がるほどの痙攣を数度繰り返し、暫くすると力尽きたのか動きをピタリと止めた。まるで砂浜に打ち上げられた魚のようだった。

 もう襲ってこない――、それを理解した瞬間どっと疲れが降りかかってきた。荒い呼吸で喘ぎながら、肺の中へ酸素を取り込もうと必死になる。指先一つ動かすのも億劫で、地面に落ちた腰が持ち上がらなかった。

 大丈夫かと蘭が手を差し伸べてくれたが、それを握り返すほどの余力も無かった。


「あははは! いやぁ、すまなかったなぁ。そこまで驚くことでもないだろうに、腰でも抜かしてしまったのか?」


 腹を抱えて笑っているシオン。一体何が可笑しいと言うのか。

 視線が合うだけで襲い掛かってくる……、それ故に失敗作と言ったのだろうか。だとしたら納得である。アレはまるで亡者だ。ホラー映画で湧いて出てくるような、人を襲う生きた屍。そんな非現実的な表現が適切だと思うくらいに、あの人形の形相は印象的なものだった。


「なんで……、どうしてこうなった?」


 シオンに問い掛ける。この結果になってしまった理由を聞きたい。人形の最初の段階を知っていた訳ではないが、あまりにも想像と違う結末で現実を飲み込むことが出来ない。

 懇願にも似た思いで、シオンに視線を向ける。


「失敗の理由か? ふむ、教えてやっても良いがその前に……」


 チラリと横目で崩れ落ちた人形を見やって、何やら物騒なことを口にした。


「アレは捨てておかないとな」


 シオンの視線が、ヒト擬きに穴が空きそうなくらい突き刺さる。次の瞬間、さっきよりもよほど激しくびくりと跳ねたかと思うと、まるで重力に押し潰されたみたいにひしゃげていく。骨の折れ曲がる歪な音を奏でながら、段々と小さく丸められていく内に、かすかなうめき声が聞こえてくる。

 プツっ、と千切れるような音と共に赤黒い液体が飛び散った。

 床に大量の液体が落ちる音がビシャビシャと鳴りながら、どんどん血の水溜りが出来上がっていく。

 潰されて消滅してしまったのか、もう影すらも残っていない。


 ――グチャグチャになって潰れた果物、何かを覆い隠すように敷かれたブルーシート。いつの日か見たあの凄惨な事故の光景が、頭の中をフラッシュバックしていた。

 鈴と萩原の二人がその光景を見て、耳をつんざくような悲鳴を上げた。俺は胃の奥から込み上げて来るものを必死に堪えるしかなかった。

 蘭は俺を庇う位置にいたから、服に飛び跳ねた血で制服のジャケットを汚してしまっていた。こちらからだと表情はよく見えず、今どんな感情でいるのか俺には考えることも出来なかった。


「はぁ、これは擬きだぞ? 人間じゃないと何度も言った筈だが? そんなに騒いだってやかましいだけだ」


 あくまでも冷徹なシオン。その顔を見ると、初めて俺が出会った時に受けた恐怖を思い出してしまう。

 幼い体躯に、未だ乳臭い声。それなのに、彼女の存在感は計り知れない。視界に入っているだけで俺の精気を搾り取っていくような、そんな途方もない恐怖感。背筋が凍りつき、蛇に睨まれた蛙の如く動けない。

 この世の者ではない、見てはいけない恐ろしい何か。そうだ、それが彼女なんだ。俺はそれを知っていたのに、どうして忘れていた。幾度か言葉を交わし遊んだだけで、すっかり打ち解けた気になっていたのだろうか。

 これは俺の失態だ。俺がもっと注意を払っていれば、こんな事態にはならなかったかも知れない。そう、俺が……、あの時安易に手伝うだなんて言わなければ避けれた状況かもしれないのに。


「なんだ、何をした……。どうなってんのか俺にはさっぱり分からなかったぞ。なあ、お前がやったのか今の――、答えろよシオン!」


 蘭が声を荒げる。

 そう、今のはどうしたって説明の出来る光景ではなかったのだ。

 勝手に押し潰されて、勝手に消滅した。そうとしか言えない。だが、そのきっかけはシオンが視線を送ってからだ。彼女の力が一枚噛んでいるとしか思えない。


「そろそろ頃合いか。良いだろう、教えてやる。だが場所を変えようか? 私はこの場で続けてやってもいいのだが、後ろの二人はそうもいかないみたいだからな?」


 後ろを見ると、萩原と鈴は唖然とした様子で座り込んでいた。


「くそ、わかったよ……、場所を移そう。動けるか昌、二人を運ぶぞ」


 こくりと首の動きだけで返事をし、ガタつく膝に力を入れて立ち上がる。俺だってこんな有様なんだ、女の子である二人も相当なショックを受けているに違いない。

 蘭は鈴を、俺は萩原の元へ向かった。


「おい、大丈夫か萩原」

「うん……ごめん、ちょっと眩暈めまいを起こしちゃって。手を貸してくれると、嬉しいかな」


 任せろと言って萩原の手を取って体を支えてやる。蘭を見てみると、鈴は既に回復し始めているようで、特に問題はなさそうに見えた。むしろ、俺の方が精神的に深手を負っている気もしてならない。だが、こういう時くらい自分に鞭を打たなくては男として情けないと思う。自らを奮い立たせ、萩原を支える手に力が篭もる。

 地上へと移動しながら、俺にだけ聞こえる声で蘭がぼそりと呟いた。


「さっきのシオンの様子、普段とは明らかに違ったと思わないか。俺には恐ろしい何か……化け物にしか見えなかった。正直、今でも身体の震えが治まらねぇ」


 見てみると、小さく肩を震わせている蘭。その声も、普段では想像出来ないくらい消沈したものだった。


「大丈夫。気休めにもならないけど、俺だってほら……手が震えて止まらない」


 自嘲にも似た苦笑い交じりで、蘭の背中を軽く叩く。


「強がりめ」


 蘭も苦笑いで返事をする。

 それから、ゆっくりとした足取りで梯子のある場所まで移動していった。シオンは……今は構っていられる状況じゃない早くこの場から逃げたかった。

 蘭と鈴は前を歩き、先に梯子を昇っていった。やっとのことで俺達も辿り着くと、その頃には萩原も調子を取り戻してきたのか、もう大丈夫だと笑顔を見せてくれた。

 萩原を先に昇らせ、万が一に備えて俺は下で構える。視線は他に逸らした。

 昇り終えたのを無事確認し、チラリと後ろを見る。シオンの姿は見当たらない。もしやと思って駆け足に梯子を昇ると案の定、シオンはそこに居た。


「だから、何で俺達より先に居るんだよ……。確か前もあったよなこういうことが」


 以前、初めて地下に降りた時と同じだった。あの時は初めて見る景色に気を取られて深く考えなかったが、今回は違う。無駄話なんてしていなかったし、回りにも注意しながら上ってきた。俺達の目を盗んで先に行くなんて出来る筈がない。


「あぁ、まずはそこから説明が必要か……。仕方がないな」


 億劫そうな顔を隠しもせず、おもちゃ箱を開いて中から電子タブレットを取り出すシオン。蓋を閉めその上に腰を乗せ、タブレットを操作しながら気だるげに口を開く。


「まぁ、お前達も座るが良い。そんな所で突っ立っていても仕方があるまい」


 あくまでも片手間といった雰囲気で、躊躇ためらいもなく言葉を並べるシオン。俺達はその言葉に従うほか無く、警戒心を強く持ったまま椅子に腰を下ろした。

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