第16話 夢から覚めて2

 最初は遠いと感じていた浜野家も、今ではなんてことは無い。慣れとは恐ろしいなと思いつつ、一ヶ月前の惨状からは想像も出来なかったくらい小綺麗になった外観を見て、時間の流れをひしひしと感じる。

 伸び放題だった雑草は刈り取られ、所々剥がれていた屋根も修繕されている。内装も隅々まで掃除の手が入っていて、埃臭さは一切無くなった。普通に住むのなら、全く問題のない状態である。

 しかし、今は秘密基地に用があるのだ。浜野家を横に観ながら裏手の道を歩き進んでいく。最初は鬱蒼とした草木を掻き分けるように歩いていたが、踏み均された道と、恐らく蘭が整備してくれたのか格段に歩きやすくなっていた。

 とはいえ獣道には変わりない。凸凹とした砂利に足元をすくわれて体力を奪われつつ、目的の場所へと辿り着いた。


「今日は、表に出てないみたいだな」


 シオンの姿を探して辺りを見渡しても、それらしい影はどこにも見つからない。秘密基地の中に入っているのかと思い、相変わらず立て付けの悪い扉を開けてみるがそこにもいない。

 いつ何時訪れたとしてもシオンが居なかった日は無かったから、何の疑いもせず訪れたのだが……。今日に限ってこんな日もあるんだなと、少し驚いていた。

 日を改めるべきかどうか考えたが、部屋の中央……、無骨な木組みの机の上に置手紙を見つけてしまう。


「これ、『用があれば地下に来い』だってさ……」


 皆に伝える意味を込めて、書かれてあった言葉をそのまま読み上げる。地下ということは、つまりあの部屋だ。

 黒ずんだ血が染み込む包帯と、乾いた視線で天井を無心に仰ぐあの眼。自ずとあの日の光景を思い出してしまい、胃から込み上げて来るそれに気分が悪くなる。

 途中経過を聞くという目的もあって足を運んだのだ、アレを避けては通れまい。少なからずとも覚悟していた筈なのに、思い出すだけでも尻込みしてしまうのは本能的な部分がそうさせるのだろうか。

 置手紙の内容を伝えてから皆も同じ心境なのか、表情は陰ったままだ。


 静まった空間に、風に揺れる草木の音と緊張に喘ぐ皆の息遣いだけが聞こえる。

 手伝うと言い出したのも、ここへ訪れるのを提案したのも俺だ。ならば、俺が責任を持って下に降りれば良いだけの話だ。

 俺が行ってくる――、たったその一言だけだろう。早くそう答えろと、一層騒がしくなった蝉の音が、俺を急かしているようだった。

 その場でたじろんでしまい、いつまで経っても言葉に出せずにいると蘭が動きを見せた。何も言わないまま部屋の中央、地下へと続く床扉に向かっている。


「俺が呼んでくる。上まで呼んでくれば、わざわざ皆で降りる必要もねぇしよ」


 自分に言い聞かせるみたいに頷き、あからさまな作り笑顔で蘭はそう言った。


「待て、あんな危険な場所……、行くなら俺も一緒だ」


 危険、という単語が自然と出たことに驚いた。やはり嫌悪感の残る場所なのだと再認識できたが、尚更に蘭を一人で行かせるのは良くないと思った。

 なんとか重い足を振り上げて、蘭の元へと駆ける。

 やっぱりこの男、こういう時には頼りになる。きっかけを作ってくれてありがとうと、心の中で呟いた。


「ははは、大げさだな昌も。でも、そう言ってくれるのならお願いしようか」


 いつもならこうだと決めたら最後まで曲げない男だったが、その顔には緊張の色が見え隠れしていた。強がるなよと言えた立場では無いが、さすがに今回は強情でなくて助かった。


「ちょっと勝手に決めないで、私も行く。止めたって言うこと聞くもんか……!」

「私も……、置いていかれるのは嫌。一緒に行かせて」


 野郎二人で覚悟を決めかけていたその矢先、萩原と鈴がこちらに駆け寄ってきた。危ないから残れと阻止するも、その言葉通り、どうしたって引くことは無かった。


「なんだよ、格好つけて見栄張ったのに……。締まらねぇな、俺も」


 そう言う蘭ではあったが、心なしか安堵しているようにも見えた。

 結局四人で降りることになって、だったら最初からこうしていれば良かったと、静かに笑みを零す俺達。ふと、いつかの言葉を思い出した。


『――全く、お前らは梯子一つ降りるのに何分かかるんだ』


 あぁ、本当にシオンの言う通りだった。

 笑って緊張も解れたのか、数分前よりはいくらか軽い足取りで部屋の中央へ向かう。以前と同じく覆いかぶさっている机をずらし、床扉を露わにする。錆付いた取っ手口を引き上げ、金属の擦れる耳障りな音を我慢しながら、梯子に続く通路を開く。蘭から降り、萩原、鈴、俺の順番で後に続いた。


 一ヶ月振りに見るこの空間。隙間無く舗装された大理石のような壁に、地上とのギャップを激しく感じさせる。訪れるのは二回目だが、やはり慣れない。

 薄暗い廊下に四人分の足音を響かせながら、あの場所へと続く扉を眼前に据える。シオンがやっていた仕草を真似して手を振ってみると、何処かに取り付けられているのかセンサーに反応したような音が聞こえ、無骨な扉は仰々しく、そしてゆっくりと開いていった。


 徐々にあの部屋を照らしている光がこちらへと漏れてくる。眩しさに視界が眩み、思わず視界を腕で覆ってしまう。段々と慣れ始めて視力も戻ってきた中、ふと疑問が浮かび上がった。

 机も床扉も、全てそのままの位置にあった。それならば、シオンは一体どこからこの地下に降りてきたんだ? 

 別の入り口からと言うなら取り越し苦労で終わるのだが、パッと見ただけでもそんな抜け道があるようには見えない。

 自分で降りた後に元の位置に戻すなんて無駄なこと、する意味が無いし理由も分からない。第三者の手によって直されたという考えも浮かんだが、そもそも人の立ち寄らないこの場所に、俺達以外の人間がやってくるのは考えにくい。シオンが言っていた「お前達には特別に教えてやる」という言葉を思い出すと尚更だ。


 ――そうだとするなら。シオン、お前は一体何者なんだ?



「やあ。良く来たな、お前達」



 まるでこちらの心の内を見透かしているようなタイミングで、いつの間にか開ききった扉の向こう――。悠々とした様子に、薄ら寒い笑みを浮かべて彼女は佇んでいた。



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