第三章

第15話 夢から覚めて1

 三十日目、早朝。

 忘れたくても忘れられない。痛くてたまらないけれど、目を伏せることなんてできない。砂利道を逃げるように走り続けたあの頃を、今でも俺は夢の中から思い出す。

 秘密基地で遊んでいたまだ幼い頃、あの少し広めの空間で無邪気に笑う子供が四人。壊れてしまったゲーム機も、昔は最先端の遊び道具だった。

 トランプやUNO、そうだ、あれは皆で小銭を集めて買ったんだった。その他諸々の玩具だって、浜野の祖母から貰った物や俺の親から貰った物だ。そういう色々な人達の好意によって、あのおもちゃ箱の中身は埋まっていったのだ。


 今日の夢はいつもより長いな。

 まるで自分もその場に存在するかのような臨場感。頭の中がふわりと溶け、うまく思考が働かない。ぼうっとしながら、無邪気に遊ぶあの頃の俺達を眺めていた。

 夢を見るというのは、記憶の整理をするためとも言われていた気がする。あの頃と同じ四人で似たような気持ちを持って遊んでいたからだろうか、こんな夢を見てしまうのは。


「――本当は僕の事恨んでるんだろ?」


 当然、あの日の言葉も共に思い出すことになる。最近はそういうしがらみからも逃れられて、仲の良い、また新しい関係を築き上げることができるんじゃないかと思っていたのに。


 ……いや、大丈夫。もう大丈夫な筈だ。


 皆の様子を見ていても、昔を引き合いに出す真似なんて誰もしない。俺と同じで、過去は過去だと割り切ってくれている筈なんだ。過去の過ちを帳消しにして、新しい関係をと、そう思ってくれているに違いない。

 そう思うのは、卑怯だろうか?

 だってそれが、一番の平和的解決じゃないのか?

 誰も昔のいざこざなんて思い出したくない。声に出してしまうと、今の関係すらも壊してしまうからだ。そんなことばかり考えていたら気が狂いそうになる。

 夢の中だというのに、そんなことばかり思っている自分に嫌気が差してくる。

 握った拳が自らの皮膚に爪を食い込ませる。その痛みにはっとして、夢か現かその境目が段々と無くなっていく。

 その内、薄ぼんやりと目が開いていって、慣れ親しんだ天井が映し出された。背中の汗がひどい。シーツまで汗で汚してしまったくらいだったが、頭が重くて目を開けたままぼんやりとしてしまう。

 そんなまどろみの中で自分の考えを反芻していると、いつもと同じ時間に携帯のアラーム音が鳴り響いた。最近疲れが溜まっているのか、どうにも寝起きが悪い。対処法として、いつもは枕元に置いてある携帯を少し離れた机の上に置き、無理矢理にでも身体を起こさせるよにしていた。


「うるさい……」


 そうぼやいて、アラームを止めるため身体を起こそうとすると、違和感を覚える。

 ひどく重い。身体が脱力しきっているのか、力を込めても満足に動かない。金縛りという訳ではないが、全身に鉛を乗せられたかのように数センチだって動かせそうにない。

 自分の身体だというのに全く言うことを聞いてくれないこの無力感は、あっとうまに恐怖えと姿を変える。

 朝起きた時とはまた違う、悪寒によるゾッとした冷や汗。このままじゃまずい。

 そう思って、スーッと息を肺に溜め込む。勢いを付けて、寝返りを打つみたいに一回転。なんとか動かせたものの、横幅まで計算できておらずそのままベッドから転げ落ちた。


 ドスンと衝撃音が響き、床がその重みに軋む。その拍子に机の上へ置いてあった携帯、それと財布がポロリと零れ落ちた。半開きだった財布から、先週観た映画の半券がヒラリとまろび出てしまう。

 それは最近話題になっている映画で、評判通りの面白さだった。まだ無名に近い俳優も出演していたが、誰一人として演技臭くない。まるで役者という仮面を被っているなんて感じさせないくらい、等身大のキャラクターがそこには映っていた。

 特にラストシーン、まるで目の前の出来事と錯覚する程の迫力で……と、今はそんなことよりも先に、未だ鳴り続けるアラームを止めなければ。あまり放置しすぎると近所迷惑でクレームを入れられかねない。


 先週、萩原や浜野達がこの場所に訪れた時の話。散々に騒ぎ散らして遊んだ結果、翌朝の玄関扉には騒音注意の張り紙を出されていた。こういう些細なことに敏感になってしまうのは仕方が無いことだと思う。

 液晶画面に浮かぶ停止ボタンを押し、ぐっと膝に力を込めて立ち上がる。落ちた時の衝撃で身体に喝が入ったのか、今度はあまり苦労せずに身体を動かせた。

 一先ず水が欲しい。喉はカラカラだし、汗もシャツが体に張り付くくらいべとべとだ。今日一日をこのまま過ごすだなんて考えたくもなかったから、すぐにシャワーを浴びることにした。

 衣服を脱ぎ捨て、少しぬるめの水でざっと汗を流す。髪を乾かしながら軽く朝食を摂っている頃には、体の調子もだいぶ戻っていた。

 さっきのは一体何だったのだろうか。

 少し考えてみるも、まったく答えに辿り着かなかったから家を出た。

 いつも通りの通学路。夏の熱気を鬱陶しく思い、履き古したスニーカーで石ころを蹴飛ばした。

 いつもならこの辺りで萩原と遭遇するんだが……今日はまだその姿が目に入らない。まあ、別に待ち合わせをしている訳ではないのだから別に良いだろう。

 無意識的に萩原の姿を探していたのを恥ずかしく思ってか、少し足取りが早くなってしまい、あっという間に学校へ着いてしまった。すると、偶然にも浜野兄妹の登校と重なった。いつもホームルームの時間ギリギリに来る二人だったから、珍しい。


「おはよう。どうしたんだ、二人がこんな早い時間から学校に来るなんて?」

「おはよう昌。いやなんだ、今朝はちょっと体の調子が悪くてな……。家に居たらあっという間に一日が布団の上で終わっちまいそうだったから、逆に早く学校に来てみたんだ」

「おはよ、昌君。私も同じく体調が悪かったから、早く学校行けば治るかなって」


 歩いている内にすっかり元気になったけどな! ははは! と笑う二人。


「そっか。二人にもそんな日はあるんだな」

「ちょっと、何その意外そうな顔! 失礼しちゃうわ昌君ったら」


 そんな会話をした後、自らの教室に向かった。教室に入ると、クラスの男子生徒がいつもの調子で話し掛けてきたので、軽く談笑を交わしながらホームルームまでの時間を潰した。

 いつもと変わらず授業が始まり、退屈としか思えないこの時間を耐える。空調設備が無いから、窓を全開にするしか身体を涼ませる術はなかった。だというのに入ってくるのは生ぬるい風ばかり。頬をなで、前髪を揺らされる度に嫌気が差す。窓際に座る生徒は、風にたなびくカーテンが視界の邪魔をしているのか鬱陶しげな様子だ。

 ぼうっとしたまま遠くから聞こえる蝉の鳴き声に耳を傾けていると、不意に左ポケットの携帯が振動した。教師に気が付かれないよう携帯の画面を確認する。グループチャット内で鈴からの発言だった。


『杏ちゃんでも寝坊とかするんだね! 珍しい!』


 確か、萩原と鈴は同じクラスだったな。


『何だと。明日の天気予報を見た奴はいるか? きっと雪が降るぞ』


 すかさずに茶々を入れる蘭。


『ごめんなさい、朝はちょっと体調が悪くて。遅れて学校に行くから心配しないで』


 その萩原から送られた一文を見て、そんな偶然もあるんだなと思った。三人同時に体調不良……。同じ時間を共に遊んでいたのだから、あってもおかしく無いのだろうか?

 取り急ぎ『気を付けて』とだけ返事を送って、携帯をポケットの中に押し込んだ。


 それからというもの、より一層と授業へは身が入らず、気の抜けたまま昼休みの時間になり食堂へ向かうことに。教室と違って冷房の効いた食堂は、単純に持参した昼食を摂る場としても使われていた。辺りを見渡しても、見知った顔がちらほらと見受けられる。

 最初の頃は俺や萩原にばかり話し掛けていたから、外部との接点が極端に少なかった浜野達であったが、今ではその傾向も無くなった。適度な距離感でそれぞれ友達を見つけ、上手く立ち回っている。この四人で集まってばかりではあるが、クラス内で浮き彫りになったりはしていない様子だった。

 空いている席を探しつつ、それぞれの友人と簡単な挨拶を交わしながら窓際の席へ。男女で向かい合う形に座り、それぞれ机の上に弁当箱を取り出す。


「わぁ! 杏ちゃんのお弁当、今日もステキだね。私、今朝はちょっとやる気が出なくて、昨日の夕飯の残り物しか詰められなかったよ」

「私のはお母さんが作ってくれてるだけだからね。鈴ちゃんを見習って自分で作れるようにならないと……」


 そんな女の子同士の会話を盗み聞きしつつ、それぞれの手元にある弁当箱に視線を落とすと、どちらも彩り豊かである。萩原の方が色のバランスが均等に摂れるようになっていて、女の子が食べるには丁度良い量に見える。それで本当に足りるのかといつも疑問に思っているが。

 反対に野郎二人はどうだ。俺はそこの食堂で調達した、可もなく不可もない普通の野菜定食。蘭の手元には、お前は肉体改造中の野球部なのかとツッコミたくなる大きなタッパー弁当。だが、いつもと様子が違う。

 茶色っ気は多いがバランスの取れた中身が普段だったが、今日のは真っ白だ。恐らく白米……それしか入っていない。弁当箱の傍らには、誰もが一度は食したことがあるだろう、某食品メーカの粉末食品が添えられている。


「なあ、鈴よ。何で俺はふりかけ一品なんだ」

「めんどくさかったの。言ったでしょ、体の調子が悪かったって。別にこういう時位いいじゃない!」

「ふざけんな! それは聞いたけどよ、中身に格差を付けて良い理由にはならねぇだろ! てっきり俺もお前もふりかけ一品なんだと思ってその条件を受けたのに……詐欺だ!」


 ガタガタと音をたてて席から立ち上がり、青筋を浮かべて憤りを露わにする蘭。

 また喧嘩か……。そういうことばかりしているから、どんどん萩原の保護者力が上がっていくんだぞ。

 すっかり慣れてしまった様子で、これで我慢してね、と言って自らの弁当箱からおかずをいくつか渡す萩原。蘭の弁当箱にバリエーションが増えると、それで満足したのか機嫌を取り戻し飯をかっ込み始めた。単純すぎて見ているこっちが不安になる。

 何はともあれ、これでやっと落ち着いて自分の飯を食べ始められる。


「あ、そういえば」


 ……と、いつもの流れで忘れそうになっていたが、一つ提案があったのを思い出す。授業も聞かずに、ずっと考えていたこと。

 俺の言葉に、三人は視線をこちらへ向けてくれる。


「どうやら皆、疲れが溜まってきているみたいだ。偶然にしては出来過ぎだけど、今日は全員同時に不調を訴えているんだ。暫く大人しくしていた方が良くないか?」


 シオンに頼まれた手伝い――それは只々この四人で遊んでいて欲しいというお願い。未だにそれだけでいいのかとは残るが、本人がこれ以上を教えてくれなかったから、無理にでも納得せざるを得なかった。

 どれくらい役に立っているのかは知る余地も無かったが、この約一ヶ月間、言われた通りに遊んできた。もうそろそろ途中経過を聞いたっておかしくないと思うし、財布も段々軽くなってきた。大人しく、というのならこのタイミングだと思う。


「私は賛成。お母さんにも、最近遊び過ぎだよって注意されたばかりだったし」

「私も杏ちゃんに同じく。さすがに体調崩すまで遊ぶのって、高校生としてどうなんだろうと思ってたんだよね」

「俺もまぁ……賛成。でも、それならシオンに一声あった方が良いんじゃないか?」


 蘭の言うことはもっともだが、さっきまで飯のことで騒ぎ散らかしていたとは思えない発言に驚いた。


「その通りだね。だから今日は秘密基地に行きたかったんだけど……良いかな?」


 わかった、と皆からの承諾を得た俺は、ひとまずホッと息をつく。自分から提案するなんて滅多にないから、断られ田時のことばかり考えて不安になっていた。

 これで後はシオンへ話をするだけ、それだけこなせば今日は終わる。放課後まで後少し。

 雲一つない真っ青な空を見て、秘密基地に行くのならこんな日に限ると――、そうやって楽観的でいられるのもこの時までだった。

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