第34話 どれだけ叫んでも2


 私があの扉を開いた日から、まるで夢の中にいるのかと思わせるほど、あっという間に時間が過ぎ去っていった。その内、夫の死による疲弊も癒されつつあった。

 本当に子供たちは体力が有り余っている。毎日どれだけ遊んでも満足などしてくれないのだ。現代の遊びには時折ついていけなかったが、かけっこは大得意だった。

 なんといっても私は神様だからな。そこらの人間とは身体の作りが違う。お前達は壁を透けることが出来るか? 宙に浮くことができるか? 触れずに物を動かせるか? こんな存在が、人間の考えたお遊びで負けるはずが無いだろう?


「ふっ……まだまだお前達も幼い。そのか弱い足で私を追いかけるのは大変だったろうに……。まぁ、出直してくると良い!」

「くっそぉーっ! 腹立つ! 学校じゃ僕の足が一番早いのに!」

「シオンちゃん足はやーい! 汗一つ無いなんてすごいね!」


 地団駄を踏む蘭と、純粋に驚いている鈴。悪い気はしない。


「…………ちょっと、休憩しよう? ほら、また雨も降ってきそうだし……」

「こんなぬかるんだ地面で満足に走れるわけないんだ。今日は仕方が無かったんだ。だからもう今日は中で遊ぼう。はやく座ろう」


 肩で息をする杏と、不自然なくらいにピシッと背筋を伸ばしている昌。話し姿はご立派だが、なんと見苦しい言い訳であるか……が、なかなか体力があるじゃないか。

 そう思ってよくよく顔を見てみると――。


「――昌よ、顔が真っ青だが……大丈夫か?」

「大丈夫じゃない。吐きそう」


 ただの痩せ我慢だったみたいだ。格好をつけたい年頃なのだろう。

 慌てて納屋の中に運び、ぐったりとしてしまった昌を横に寝かせてやる。といっても、椅子を並べて作っただけの簡易的なものだから寝心地は決して良くない。


「大丈夫か?」

「うん……寝ていればその内治ると思うから……」

「すまないな昌、少し羽目を外しすぎたみたいだ」

「シオンが謝る事ないよ。僕の自業自得さ。心配してくれてありがとう」

「本当に格好つけたがる男だ、全く――心配くらいするさ、もっと私を頼ると良い。安心して目を閉じていろ、良いな?」


 そうやって昌を休ませている間に、水でも緋衣から貰ってきてくれと他の子供たちに頼んでおいた。


「すまないが、緋衣から貰ってきて――」

「わかった!」


 食いつくような勢いだった。


「……良い友達を持ったじゃないか?」


 未だ血色の悪い顔をしながらも小さく頷く昌に、私は少しだけ笑った。

 傍らに座って待っていると、子供達はすぐに戻ってきた。おまけに緋衣も連れて。


「はははっ! さては羽目を外しすぎたな昌? ほら水だ、飲めるか? ゆっくりで良いぞ」


 慣れた手つきで身体をさすり、優しく額の上に手を添える。軽く撫でられながら、ゆっくりと水を喉に通していく昌。徐々に呼吸も安定してきた。顔色も数分前よりはましになっている。


「人騒がせだなアキラも!」

「馬鹿者、もっと言葉を選べ! ……蘭、もしも自分だったらと考えてみろ。辛い時に『人騒がせ』だなんて言われると嫌じゃないか?」

「うっ。そう……かも、しれない。ごめんアキラ。でも心配したんだよ! これは本当だから! 早く回復して、早く遊ぼう!」


 よく言えた、なんて緋衣が言いながら蘭の頭を撫でる。

 大丈夫。額に汗を浮かべて一目散に駆けて行ったお前だ。心配してくれているというのは、十二分に伝わっているよ。


「しかし昌。いつも言っているがな……子供の内だけだぞ、こうやって誰かから施しを受けられるのは。そして、それを正しく理解できるかはこの経験があるかどうかなんだ。お前は賢い、例え些細な出来事でも、覚えていてくれたら私は嬉しい」


 厳しくも、優しい言葉。それは、この子の為を思って紡がれた言葉だった。

 昌はよく意味を飲み込めていないのか「ごめんなさい」と謝っていた。説教をされているとでも思ったのだろうか?


「他所の家の年寄りがあれこれ言い過ぎるのも良くないか、お前の親にも申し訳ないしな……よし、何か菓子でも――いや、果物なんかの方が食べやすいか? 昌、何か欲しい物はあるか? なんでも用意してあげようじゃないか」


 食って元気になれ! つまりはそういうことだ。

 何とも緋衣らしい提案だと思う。


「甘いやつが良い……」

「そうだな……食べやすくて甘く、この時期といえば、桃だろうか?」

「あ、桃。食べたい。僕の好きな食べ物だ」

「良し分かった、少し待っていなさい。ばあちゃんがすぐに買ってきてやるから、帰ってくるまでには治しておけよ?」


 もう一度昌の頭を撫で、緋衣が準備よく持ってきた肌掛けを被せる。夏で梅雨の時期だからといって甘く見てはいけない。体調が悪い時は、意外と冷えるのだ。

 よし。と一息ついてから、「それじゃあ、ちょっとだけ留守番を頼んだよ」と言って緋衣は隠れ家を後にした。

 窓の外を見ると雲行きは怪しく、今にも――いや、既にポツポツと雨粒が降り始めていた。片道で三十分以上歩いた先にしか店はない。辺りは草木しかない辺境なのだから当たり前だが、歩いていける距離なだけまだまし……と考える方が楽か。

 何はともあれ、街までをたった一人で、この悪天候の中行かせるのは躊躇われた。荷物持ちは人目があるからできないが、下から支えるくらいはできるだろう。


「緋衣待て、私も一緒に行く! 皆、すまないがここで待っていてくれないか?」

「わかったー!」


 昌以外の三人の声を背中に、神棚に置かれていた手鏡を持って緋衣の後を追う。

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