第33話 どれだけ叫んでも
あれから慌しい日が随分と続いた。それはたった一週間ほどのような気もすれば、何年もずっと続いていたかにも思える。
緋衣と話す機会もあまり作れず、少し顔を出してみても家の中には知らぬ顔の人間ばかりで居心地が悪かったから、鏡の中に引き篭もってばかりになってしまった。
忙しさがやっと落ち着いてきても、家の中に前ほどの活気はない。普段から家の中でゆっくりしている夫の姿を見る事もなかったから、それほど違和感は無いはず。
――その筈だったが、何かどんよりとした粘り気のある空気が漂っていた。
唯一の救いになったのは、子供達の純真無垢な笑顔だけだろう。
もともと緋衣の夫と子供達とは関係が薄い。皆が遊んでいる時間に仕事をし、寝静まった頃に帰って来ては誰よりも早く起きては仕事へ赴く。そんな生活を何十年も繰り返していたのだ。身体に支障をきたしても文句は言えまい。
それに口数も少なければ「私のような男が育てるべきではない」などと冷たく突き放してしまうような人間だった。子供達にとって夫の死とは、いまいち要領を得られていないんじゃないだろうか。
緋衣はあれから「頼れる人がいなくなってしまったからね」などと言って前よりも明るく努めていた。しかし、それが空元気であると私は気が付いている。私とお前、何年の付き合いになると思っているのだ?
六月も既に下旬を迎える。あっという間に過ぎていったこの一ヶ月、経験したものの大きさは計り知れないだろう。
梅雨入りの季節だ。じっとりとした雨が連日降り続けている。
子供達は今日も今日とて遊ぶ為に集まっていたが、さすがに表に出て遊ぶ事はしない。いつもの場所……秘密基地に集まってカードゲームとやらを始めていた。
「なんでー! アンズばっかり勝っててずるいよ! 僕にも勝たせてよ!」
「やっぱり、同じ兄妹でも頭の出来は違うよね!」
「スズだっていつも僕の一つ上の順位だろ! そんな変わらないくせに調子に乗るなよ!」
杏が一位を取って、二位を昌が追いかける。三位に鈴が納まって、四位と蘭は常連になっていた。この順位を見るのはもう何度目だろうか? しかし不思議と、見続けていても飽きがやってこない。
こういった頭を使うゲームは杏や昌が強いのか。やはり、普段から落ち着いた者の方が戦局はよく見えているのかもしれない。
「ほら、あんまり喧嘩しないで。次はラン君が勝てるようにしてあげるから」
「いやアンズ、そうやって勝たせてあげてもランのためにならないよ。本気でやらないと失礼だ」
「アキラ、僕に厳しくない? ……ふん、どうせアキラは僕だから勝てるだけで、本当はたいしたことない――」
「いや、誰が相手でも負けない」
ぴしゃりと言い放つ昌。未だ小学生というにも関わらず、なかなか意地張った性格だ。なんだか緋衣に似通っているなと思う。いつも遊びに来る度に緋衣と話しているようだったから、なにかしらの影響があったのかもしれない。
誰が相手でも――。
この子らと遊ぶ別の誰か、五人目の存在。
ふと、緋衣の言葉を思い出す。
「――今の内だけでも、一緒に遊んでやってはくれないものかな……」
今の内、とは、一体いつのことを指していたんだろう。
この夏が続いている間か?
この子らがまだ幼い間か?
私が姿を現している間か?
夫が死ぬそれまでの間か?
――それとも、お前がいなくなってしまうそれまでの間なのか?
嫌な考えが頭を過ぎる。
いや、考えすぎだと頭を振ってみるが、その思考のもやは消えてくれない。むしろ、段々と膨らんで大きくなり、頭の中を占領しはじめた。そして、いずれか確信めいたものにまでなっていた。
緋衣は夫の死が近いことに気が付き、自らの余命を悟ったのではないだろうか。人間の寿命などそう大差ない。自分ももうすぐだと、どこか諦めてしまったんじゃないだろうか。
だからこそ、私にあの四人の遊び相手を頼んだのではないだろうか。自分が動けなくなった時、代わりに子供らと一緒に笑ってあげられるようにと。
――若しくは、少しの時間だけでもいいから、夫と過ごす時間を少しでも多く刻みたかっただけなのかもしれない。
考えれば考えるほど、己の考えが散らばっていく一方だ。その思慮の足らない、浅はかな考えで緋衣の気持ちも露知らず、私は自分本位に断ってしまった。
皆が前へ進もうと足掻いている中、唯一その場で足踏みをしているだけの私――。
緋衣に対して身の縮まる思いが湧くのと同時に、人間からこんな事を学ばされるとは想像もしなかったと、内心驚きも隠せなかった。
一歩踏み出すなら、今この瞬間かもしれない。
緋衣の力になれるのは、これからなのかもしれない。
――それから一晩の時間をかけ腹を括った。もう大丈夫、気持ちはぶれない。
今日も空模様はどんよりとしていて、こんな日に初の顔合わせになるのかと少しだけ憂鬱になる。しかしきっと、今日を逃せば永遠と先延ばしにし続けてしまうだろう。この子らならば、こんなくだらない雑念も振り払ってくれるに違いない。
初めて直接触れた秘密基地の取っ手口。これまでは透けて通る方が楽だからと横着していた為こんなに重い扉だったのかと戸惑ったが、全身の力を込め開け放つ。
開いた先にいるのは四人の子供。またカードゲームで遊んでいたようだが、一斉に目線がこちらへ集まる。
「ぉっ……だ、だれ?」
最初に口を開いたのは蘭だった。
やはり、私の姿は見えているようだ。それも蘭だけじゃなく他の三人も。まあ、これまでの経験から予想できていたから良しとする。
しかしだ、なんと返事をしたら良いのだろうか?
緋衣にはこれといって相談もせず、見切り発車でこの場へ赴いてしまった。
「ぉ、お前こそ誰だッ! 人に名を尋ねる前には、まず自分から名乗るものだぞ!」
だから、思わず喧嘩腰で返してしまった。
そうだな、驚くよな。緋衣以外と話すのはまだ慣れてないのだ、許して欲くれ。
「え!? えっと、浜野蘭です!」
「妹の鈴です!」
「と、とと友達の、
「……同じく友達の、
急に表れ、大きな声を浴びせるものだから驚かせてしまったなと反省。しかしだ、嬉しい事に全員が返事をくれた。つくづく、私には勿体ない良い子らだなと思う。
「そうか! 私は紫苑だ! その……緋衣に誘われてな、遊びに来てやったぞ!」
「ばあちゃんの……? でも、知らない人には着いて行くなって言われてるし……」
「連れ去るわけではない! 遊ぼうと言っているだけだ! よく見ろ、人畜無害そうな見た目をしているだろう? 私が危ない……に、人間に、見えるか?」
お互いの顔を見合わせて、目線だけで会話をする。どう思う? 大丈夫そうか? 僕は大丈夫だと思う、私もそう思う。そんな会話が聞こえてきそうだった。
そんな時だ。納屋に近づく一つの影。ゆっくりとしているがどこか忙しない足音。
やがて扉が開かれると、そこに立っていたのは緋衣だった。
「おや……これは……。不思議とこの納屋が気になってしょうがないから、何かあるのかと来てみれば――全く、お前というやつは」
緋衣は心底安心したかのように破顔して笑った。
「おばあちゃんの友達なの?」
緋衣を見上げながらそう尋ねる鈴。
「あぁ、そうだよ。私の大切な友達だ。皆も仲良くしてくれると、私は嬉しいな」
「……そっか! それなら大丈夫だな! とりあえずここに座れよ、シオン!」
隠れ家の中央、木造の椅子を手の平で叩いて促す蘭。今度は白い歯をニッとみせ、いつも私が隠れて遠くからしか見れなかった笑顔があった。
その横でふにゃりと笑う鈴に、緊張の色が残したまま歩み寄ろうとしている杏。そして――。
「……しおんって、どんな漢字で書くんだ?」
なんてぼやいている昌。
もう少しくらい可愛げのある子供だと尚良かったんだが……まぁ、それもこの子らしさだ。何もかも面倒を見てやろうじゃないか。
先程まで静かに降っていた雨はいつの間にか止み、空には青色がほんの少しだけ顔を覗かせていた。……ただの偶然だろう、どうせまたすぐに降り始める。
それでも、今この瞬間を祝福されたような気がして、少し頬が緩んでしまう。
このことは緋衣にも内緒にしておこうと思った。
「……そういえば、どうして緋衣は私が子供らと会ったと気が付いたんだ?」
「さぁね? ……ただ、私とお前は付き合いが長い。きっとどこかで、お互いの心が繋がっていたのかもしれないよ。親友なのだからさ」
そうかもな、だなんて恥ずかしく、とてもじゃないが言葉にできなかった。
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