第38話 憎しみの起源
孤独にいるだけで一日も一月もまるで同じに感覚かのように思わせる。瞬きすれば太陽が落ち、考え事をしていれば季節が変わっていた。
日を追う毎に洗練されていく付喪神の――いや、化け物の力。出来ることが段々と増えていくのを強く感じていた。
相手の思考を読み取り、記憶を操る力。
自らの手で触れずとも、物を持ち上げ、捻り潰す念力。
己の欲する物を現実に、映し、創造する力。
鏡はいつだって真実しか映してくれない。どれだけ望もうと己の私欲に塗れた願望は見る事はできない。だからこそ――手に入らぬものだからこそ、より一層付喪神としての力に影響を及ぼし、この存在を昇華させるに至ったのかもしれない。
なんて自分勝手で都合の良い力なんだろうと、初めてこの力を発した時は思わず失笑してしまったのを覚えている。
そんな力を思うがままに使っている内に、この地下空間も段々と小奇麗になってきた。岩肌の歪だった壁も念力で凹凸を削って平らに整え、浜野家から電気を引っ張り明かりを灯した。
形だけは綺麗に整っているが中身は空っぽの空間をみていると、まるで自分自身をそのまま表現しているようだなといつも思う。
その反面、地上の納屋は対照的だ。誰も足を踏み入れず、好き勝手に伸びた雑草で辺りは鬱蒼としていた。納屋と浜野家を繋いでいた砂利道も、より一層獣道と化している。納屋の中は埃まみれ。あの子らが遊んでいた玩具などは、陽に焼けてくすんでしまった。
この場所が、誰からも忘れ去られてしまったことに何も感じなくなってから暫く経った頃――突然の出来事だった。若者が男女で複数名、下品な声を上げながら納屋へとやってきたのだ。
「誰も住んでねぇ一軒家の奥深く、こんな場所があったなんてなぁ」
「おぉ、こりゃ良い雰囲気出てんじゃねーの」
「微妙に歩くが、溜まり場としては使えそうだな。こんな君の悪い場所、誰も来ねーだろうし」
生意気そうな男がずけずけと足を踏み入れ、その後ろには派手な髪色の女が後を付いていた。その手には煙草や飲料水、雑誌に菓子の袋などが持たれている。
納屋の入り口まで来るや否や、手にしていたそれらを遠慮無しに地面へ放り投げ、取っ手に腕を伸ばす。前から立て付けが悪かったが、経年劣化もあって更に扉は重くなっていた。それに腹を立てたのか、男が足で無理に蹴り飛ばして開け放つ。悲痛な音を上げた扉は、今にも壊れてしまいそうだ。
「おい……なんだ、何をしている……?」
あまりの衝撃に唖然とし、身体が固まって思うように動かなかった。
どかりと腰掛けられた、あの子らが使っていた椅子。
皆の大切なものが詰められていた箱は邪魔だと言って足蹴にされ。
窮屈そうに走り回っていた床板の上には、煙草の吸殻が踏み潰されていた。
「やめろ、止めてくれよ……!」
肩を震わせながら声をあげるも、この者らには何一つ聞こえていない。
「ねぇ、なんであたしこんなキモイ場所にこなきゃいけないのよ。いつもみたいに、あんたの家に集まればよかったじゃん」
「ウチのクソジジイがうるせーからわざわざこんな場所まできてんじゃんか……。ほら、たまには良いじゃん? 『心霊スポットなーう』って、明日は他のやつらも呼んで盛り上げようぜ」
私の声には一切耳を貸さず、お構い無しに携帯で写真を撮っている。
やめろ、止めてくれ。お前達人間をこれ以上嫌いにさせるなよ。
――あの日の事を、思い出させるなよ。
どれだけ必死に声を上げても、誰一人として手を差し出してはくれなかった、あの醜い人間共の事を。
追い払うだけ、少し驚かせるくらいのつもりだった。
心底嫌だったが、男の内一人の頭をこの手で直に鷲掴んだ。私に掴まれている感覚はあるがやはり姿は見えぬようで、情けなく不細工な顔を浮かべ狼狽している。
ついでに相手の記憶を読み取り、この場所は危険な場所だと根深い所に刻みつけた。二度と近づかないようにと、どこまでも先の見えない暗闇から己の背丈の何倍もある怪物が鋭い眼を光らせ、大木のような太い腕で身体を押し潰されるような、簡単には忘れられない恐怖を植えつけた。
ただ、それだけのつもりだったんだが……急に掴んでいた男の身体から力が抜け、そのままバタリと地に伏してしまった。気絶している様子が分かるのと同時に、自分の中に不安や恐怖といった感情が伝播し、生々しく渦巻いている事に気が付いた。
これまで以上に鮮明な感情を感じ取り、不思議と身体が軽くなった。今思うと、この手で直接触れて人間の感情を読み取った事はなかった。
……掴んでいた男の精気でも奪ってしまったのだろうか? 気絶させてしまった反面、自らはすこぶる良い調子だ。
幸い、命を奪うには至らなかったが、後もう少し長く触れていれば命を奪っていたのかもしれない。
久しく人間に触れていなかったからか、新たに備わっていた己の力にこんな形で気が付くとは……。こんな力、道行く者全てを傷付ける悪鬼と変わらぬではないか。
「ひっ……! な、なんだよ急に、冗談にしてはタチがわりぃぞ!」
もう一人の男が砕けた腰のまま逃げ出そうとしていたので、念力で軽くその足を握って転ばせてやる。男は顔から地面へ転倒し、その痛みと握られた足を擦りながら呻き声をあげていた。軽く力を込めたつもりが、どうやら人間にとってはかなり強い力だったようだ。
「い、痛い! いたい痛い! なんだよこれぇ! 止めろって、ふざけんな!」
――それはこちらの台詞だ。
勝手にこの場へ立ち入り、踏み荒らしたのはお前達だろう。
先程掴んだ男から吸収した感情に左右されていたのか、やけに頭へ血が昇る。足を掴んだままの男に近付き、ぐいとその髪を引っ張る。
「ここから立ち去れ。そこで倒れている男も忘れるな」
その言葉が正しく届いたかどうかは分からない。
だが、男は顔を真っ青にして倒れた男を担ぎ上げ、先ほどまで掴まれていた足を引き摺りながら一目散に逃げ去った。女も何人かいたが、いつの間にか消えている。
ほんの数分程度だったかもしれない。
それでも、耐え難いものがあった。
そして改めて、自らが人間とは全く違う存在だと実感した。過去にこの力を人間へ向けて使ったことは無いが、人ひとりなど簡単に殺めてしまえるじゃないか。
その刹那――もし、あいつの最期は私が触れていたのが原因だったのではないかと、一瞬だけ脳裏に過ぎる。
――触れた者の精気を吸い取る。
私が触れなければ、あいつの身体を抱きしめなければ、もしかしたら――。
そんな筈ないと直ぐに打ち消すも、あの男たちへの行いを思い返すと、完全に否定する事はどうにも難しかった。
※※※
悶々としながら数週間が経ち、あの若者たちの事も徐々に忘れかけていたが、どうやら懲りずに再び来たみたいだ。見覚えのある顔も数名いる。
今度は納屋の中まで絶対に入らせまいと、早々に驚かせて追い払うつもりだった。
その思惑だったが、どうやら今夜は前回と様子が違う。
「おいおい、出るって……本当かよ。雰囲気だけは立派だけどよぉ」
「でもほら、この文章読めって! 心霊スポットに当てはまる要素、ここは十個中八個も当てはまってんだぜ!?」
前回足を掴んで驚かせてやった男、そいつの手元には雑誌が握られていた。『オカルト・心霊スポット特集』と書かれた記事を指差して息巻く姿がうかがえる。
心霊とは、死んだ人間の中身……魂の事を言っているのだろう。人間にとって心霊は恐れる存在だと聞いた事がある。姿かたちの見えないもの、理解の及ばないものへ恐怖を感じるのが人間と聞いた。
だが、あの集団は恐れや不安だけでなく、興奮や期待といったこの場に似つかわしくない感情も抱いている。
一体どういうことだ? 人間は死者を弔い、慈しむ生き物ではなかったのか?
それを何だ、お前らの好奇心を満たす為だけにこの場所を愚弄するのか?
この場所は、下らぬ余興の為にある場所ではないぞ。
この数週間必死に落ち着かせていた気持ちが再度熱を帯び、若者達へ向かって鋭く突き刺さった。己の感情は制御できず、怒りに任せて念力を解き放つ。
お前らは何度私を
みしりと唸りを上げ、若者たちの傍にあった樹の枝を一本へし折った。かなり枝の太いものを選んだから、驚かすには充分だろう。
「出て行けッ!」
発する声は振動へと変わり、若者らの耳に届く代わりに木々を揺らす形となった。
「うわぁ! まじかよ!」
「だから言っただろ!」
拍子に、男は手にしていた雑誌を落として再び逃げ去っていった。
だからゴミを捨てるなと――いや、もういいか。
うんざりした気持ちだったが、処分しておこうと思い雑誌を手に取る。これほど雑草が生え散らかった有様で何を今更だが、少しでも綺麗なまま保ちたかった。
手にした雑誌に視線を落とす。苛々した手つきで、何となく数ページほど捲ってみる。折り目の付いたページが自然と開き、『オカルト・心霊スポッド特集』という文字が目に入った。こんな記事が世に溢れているせいで、あのような不届き者が調子に乗るんじゃないか思うと腹が立つ。
――ただ、少し目を通してみると、以外にも興味深い内容である事に気が付く。
心霊スポッドの要素などそんなものはどうでも良かったが、もう一枚捲ってみるとオカルトと呼ばれる分野の記事が載っていた。
世の中には自分と瓜二つな――合わせ鏡のような存在がいるのだとか。どこからどう見ても同じ人間にしか見えないらしく、本来であれば出会う筈のない存在。だからこそ人間はその存在を恐れ、同じ顔を見ぬよう祈りながら日々を過ごす。
何故なら出会ってしまったが最後、同じ存在がこの世に二つと在ることはできないからだ。出会ったしまった二つは一つとなり、どちらの魂がこの世に残るのかは誰にも分からない。
その忌むべき存在を、人はドッペルゲンガーと呼ぶ。
細胞の一つ一つから、まるで瓜二つの存在――。まるで生き写しだ
一つの細胞……遺伝子を、別の人間へ移植。全く同じ存在のかのように写す。
そういった人口的な存在は、また別の呼び方で例えるらしい。
クローン――。クローン生命体。
あいつと……私の親友と、再び言葉を交わすことは可能だろうか。また、この私と心を通わせてくれるだろうか。
自分の中で、何かがカチリとはまる音がした。
無為に死ぬのを待つだけだったこの命に、突然息を吸って良い意味が沸いて現れたような、とても晴れやかな気分を覚える。
そうと決まれば急ごう。あいつと過ごせる時間は少しでも永くあって欲しい。
今度はそう、何があっても死なぬよう頑丈に作ろう。ちょっと鉄の塊に弾かれようがどうとないくらいに。
心と記憶は私の力で用意すれば良い。この力を有効活用し、そこらの人間から感情を奪い、蓄え、私の中の思い出を注ぐ。
――下らない
「緋衣――」
私の進む道は間違っているだろうか。
だとしても、誰もそれを教えてはくれない。正してはくれない。
夜空を仰ぎ、あいつの名前を呼んだ。当然返事は無い。
でも大丈夫、私の記憶はまだあいつの声も姿も忘れていない。忘れる筈が無い。
――あの太陽のような清々しい声で、またお前に叱られていたかったな。
指先から抜けていく体温を、冷えた夏の夜風に吹かれた所為にした。誰に聞かせる訳でもない弁明をし、私は一人、地下空間へと落ちていくのだった。
鏡の先に君をみた。 たんく @tan-k-
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