第06話 かえりみち
あまりに現実味の無い光景。ケラケラと笑う彼女の姿と、得体の知れない何かにおぞましさを感じて気分が悪くなる。
言葉を失った俺達は、そんなシオンの様子を只々眺めることしかできなかった。叶うのならば、今すぐここから飛び出して、日常の中へ戻りたい。
まさか生涯の内に体験するとは思ってもみなかったが、こんなにも人体実験という単語に違和感を覚えない光景は初めてだ。サスペンス・ホラーの世界にでも迷い込んだのだろうか。
そんな俺達の様子を見ているにも関わらず、あっけらかんとした様子でシオンは口を開く。
「いや、すまなかったな。これは、お前達には少々刺激が強過ぎたみたいだ」
刺激うんぬんの話じゃないだろう。あんなにも嬉々とした表情で見せられる物ではないはずだ。まさか、そう思う俺のほうが間違っているとでも言うのだろうか?
「アレは……何なんだシオン」
声を振り絞って問い掛けてみる。すると、待ってましたと言わんばかりの表情で、声のトーンを少し高くしたシオン。
「おぉ、アレの正体が気になるか。詳しく聞きたいと言うのならやぶさかではないぞ昌」
「そういう意味で聞いたんじゃない……! 俺が知りたいのは、アレが本当に人間のする事なのかと聞いてるんだ!」
人目を避けた地下空間に存在するこの部屋。中央――手術台のような物の上に横たわるヒトの形をした何か。
腐った井戸水のように乾ききった眼で、天井の蛍光灯を見つめているソレ。浅い呼吸を繰り返しながら、時折痛みに喘ぐような呻き声が上がる。乱雑に巻かれた包帯からは所々血が滲んでいて薄黒くなっている。
身体の至る箇所から伸びるチューブをみて、人道的な行いではないと容易に想像できた。生きているのか、死んでいるのか。それすらもわからないような状態に、きっと無理矢理にでも延命させられているんじゃないだろうか。
だからこそ、普段じゃ決して出せないような怒気を孕んだ声でシオンに詰め寄ってしまう。が、少しも戸惑った様子はなく、むしろクスクスと悪戯に笑い出す始末だ。何がそんなに愉快なのか理解できず、背筋がゾッとする。
「確かに! 人間の所業ではないだろうな。だがな、お前達は少し勘違いをしているみたいだ。もしや、私が人
「……違うって言うのかよ」
少し間を開けて、蘭が怪訝そうに尋ねた。
「当たり前だ! そんなこと私がする訳ないだろう? アレはそうだな……
その言葉を受け入れるべきか否か、俺達が答えを出すにはまだ幼すぎた。だって、そうだと思わないか? 信じるか否かの以前に、人工物だと言われても納得できないくらい人間味に欠ける行いなのだ。高校生が判断できる領分を優に超えている。
倫理観や道徳観――人間は融通の利かない生き物だ。考える力を無駄に与えられてしまった為に、悩むことが可能になった存在。
……俺は今、思考の袋小路に入って抜け出せなくなっていた。
しかし、普段はふざけた態度の蘭であるが、こういう時ばかりは頼りになる。
「何が目的であんなことを」
蘭の一言で沈黙は破られたのだ。
シオンは答える。
「友人と呼べる存在が、私の前から居なくなってしまってなぁ。その寂しさを理由に、ヒトを作りたいと思ったのだ。何が正しいのかも分からぬまま、今ものうのうと生きているんだよ」
ははは……と、自嘲気味に笑ってみせるシオンの顔には一目では読み取れないほどの感情が絡み合っている。慈しさ、悔しさ、憎しみ、生きているだけで息苦しそうだ。シオン自身も、感情がどこへ向いているのか飲み込めていないように見えた。
ぽっかりと空いてしまった心の穴。寂しさを埋める為にヒトを作る。そんな
俺は、子供の頃の過ちを今もずっと心の内に秘めている。見ないふりをしながら、それでもなんとか生きてきた。そんな内に高校生になっていた。どれだけ時間を重ねても、新しく思い出を積み上げようと、あの日の出来事は忘れられない。
過去に囚われて、何が正しかったのかも分からないまま生きている。不意に、彼女と自分の姿が重なった気がした。
きっと、昨日今日の思いつきで取り組んできた訳ではないのだろう。何年もずっと、心の中に葛藤を覚えながらシオンも戦ってきたんだ。
――同情なんかじゃない。これはただ、自分のエゴである。
「完成させる気はないのか――?」
気が付くとそう口に出していた。
自分でもそんな言葉が口から出るとは思わず、話しながら驚いていた。
「――手伝うよ」
何が俺を突き動かしたのか分からないが、正しいと思ったのだ。アレに携わるのは気が滅入りそうだが、己の姿を重ねてしまったこの子を助けることで自分の過ちを浄化させようとしていた。
ただの偽善でしかない。全くもって姑息で、卑怯な考えだと思う。
「本当に言っているのか? ……となれば昌、お前一人の助力では足りない。他の者も巻き込んでしまうことになるが、本当に良いのか?」
そう言い、三人に目を向けるシオン。
俺の勝手な言動で皆を巻き込みたくはなかった。こんな怪しくて、俺のエゴを満たすためだけの行いに、皆を付き合わせる道理は全く無い。後ろめたい気持ちになって、周りの三人を見る。
「……その前に昌。手伝おうと思った理由だけ、俺に教えちゃくれねーか」
正直、核として言える理由は持ち合わせていない。何故こんなにも軽率に口を滑らせてしまったのだろうか。他に方法は無かったのか? 自責の念に捕らわれて、まともな思考に辿り着くことも叶わない。
でも、その中で一つだけ確かに言えるのは。
「そうするのが……今は正しいと思ったんだ」
「正しいっていうのは、誰にとっての正しいなんだ?」
「……それはまだ分からない、まだはっきりと答えられないんだ」
なんとも曖昧な答えである。もし自分がこんな返事をされてみろ、絶対に賛同しない自信がある。
「……分かったよ、昌」
それなのに。蘭は真っ直ぐにシオンを見やり、はっきりと迷いなくこう答えた。
「俺も協力するぞ。昌が決めたんだ、俺がここで引き下がれるかよ」
一歩前に足を踏み出しながら、続けて鈴も口を開いた。
「私も蘭と同じ意見だよ。協力させて」
まるで、こうなるのを予め予想していたような台詞だった。
「いや、二人共……自分で言うのもなんだが、良いのか? こんな曖昧な理由で納得できるか?」
「おいおい、何を気にしてんだ? お前の言葉を信じないで、どうして友達なんかやってんだって話だ!」
「その通りだよ! 昌君はどんと構えていれば良いの。考え過ぎるのは良くない!」
俺の不安なんか吹き飛ばすくらいの笑顔。あんな光景を目の当りにした直後だというのに、どうしてそんな表情を俺なんかに向けられるんだ?
離れていた数年の間、一体どんな毎日を過ごし成長していったのだろうか。何故二人はこんなにも逞しくなっていて、俺は何も変われていないのだろうか。ズシリと、その優しさが重みを持って心を押し潰す。
「杏よ、お前はどうするのだ」
シオンが淡々と口を開く。俺含めた三人から同意を得たならば、萩原に質問が飛んでいくのも順当である。
「あ……。皆が、協力するって言うなら私も。その、何ができるか分からないけど……」
迷いの残る声で萩原がそう言った。
四人全員からの同意を受けて、シオンの頬は喜びで綻んでいった。
「ありがとう、お前達! よし、せっかくだ、本腰を入れて完成させようかの! なに、少々大げさには言ってみたが、お前達に手伝って貰うことはとても簡単。きっと最高のヒトが出来上がるだろうよ!」
そう言ったシオンがこちらへ歩み寄り、額を貸せと言う。身長差があるから、こちらから屈んでやる。すると、風邪を引いた時に熱を測みたいにして、互いの額を合わせる。
「手伝いは、このまじないだけで結構だ」
コツン、と額を合わせたその箇所がほんのりと暖かくなって、脳みそが静電気に触れたみたいにひりついた。これを四人全員に繰り返し、最後にこう結んだ。
「さて、お前達に手伝って貰う具体的な内容だが……普通に遊んで暮らせ! 以上だ!」
※※※
すっかり日も暮れてしまい、辺り一帯には影が落ちている。
私は今、帰路を羽衣と並んで歩いていた。羽衣はあれから口数が少なく、何か考え事をしてるみたいだ。
……そして、二人きりだった。
「よし、今日はこれで解散としよう。皆、気をつけて帰るのだぞ」
というシオンちゃんの言葉を最後に、私達はその場を後にした。
聞きたいことは沢山あったけれど、あの光景がずっと頭の中を駆け巡っていてそれどころではなくなっていたのだ。今思い出すだけでも気分が悪くなりそう。
鈴ちゃんは……同じ女の子なのに私ほど動揺していなかったし……。いや、動揺はしていたんだろうけど、多分ずっと隠し通していたんだ。強い女の子だと思う。
「ねえ、羽衣」
「……ん? どうした萩原」
目線だけはこちらを向いているが、やはり意識は別に逸れているように見えた。
「明日からどうなっていくんだろうね。ただでさえ、数年越しの再会っていう大きな出来事があったのに。頭がパンクしちゃいそう」
「ん……そうだよな。でも、不思議と不安ではない……かもしれない。たぶんあの二人のおかげなんだと思う。雰囲気っていうのかな、やっぱり落ち着くものだなって」
蘭君と、鈴ちゃん。
屋上で蘭君と再会した時、まず初めに変わってないなと思った。最初こそ緊張していたものの、すぐにその糸は解された。
羽衣の言葉を借りるなら、やっぱり落ち着くんだよね。
「……でも、落ち着くのは二人のおかげもあるけど、それだけじゃないと思うよ」
少し照れくさくなって夜空を見上げた。
視線を上に逸らして、星を探す振りをしながら言葉を探す。
「だって、私達は一番の仲良しだったんだよ? そりゃあ少しくらい変わっちゃう部分もあるけれど、根っこの部分は変わってない。そんな気がするんだ。だからきっと、安心できるんだよ。皆がいるからそういう空間になって、誰かが欠けたらきっと駄目なんだよ」
「俺達四人だから、って言いたいのか?」
「そういうこと」
そう、一人じゃなくて皆で前を向きたい。羽衣だけが抱え込まなくて良いんだよ。
――そんな言葉を掛けられたら、どれだけ今が楽になっただったろうか。
未だ臆病な私は、そうやって遠回りにしか励ませない。
伝わるといいな、届いていればいいな。
羽衣は馬鹿じゃないから、きっと私が言いたかったことを理解してくれるはずだ。……それはそれで、また少し恥ずかしくなるけれど。
歯の浮くような台詞を吐いてしまったからか、段々尻すぼみになっていって会話が減っていく。
遠くを走る車の音、耳元をそよぐ夜風、アスファルトを踏みしめる感覚。誰にも邪魔されたくない、二人だけの世界だ。
段々と見慣れた景色に近づくに連れ、夢から現実に引き戻される。あぁ、もうそろそろこの時間も終わりかと思い始めた辺りで、羽衣が口を開いた。
「シオンが言ってた『普通に遊んで暮らせ』ってやつ、俺達にとっての普通ってなんだろうな」
「普通か……そうだね、とりあえず高校生っぽいことして遊べばいいんじゃないのかな。これといって指定されてる訳でもないんだし、考えたってしょうがないよ」
そうやって返事をすると、羽衣は優しい笑顔を覗かせながら「だよな」と呟いた。
「うん、わかった。変に考えず、とりあえず気楽にやってみるよ……。それじゃあ、ここで。ありがとう萩原、また明日」
「えっ、あぁうん。また明日ね」
気が付くと、丁度二人の分かれ道となる場所まで来ていた。
あぁ、もうこんな所まで進んでいたのか。名残惜しい気持ちもあるけれど、久々にゆっくり話せて良かったと思う。
徐々に遠くなっていく羽衣の背中を見ながら、私は小さく呟いた。
「またね、明日から楽しみだよ」
これを直接言えたら、もっと私と羽衣の距離は縮めていけるのかな。
……いや、無理だな。少なくとも今は無理。
ほんの少し自嘲気味に笑って、私も帰路へとついた。
明日からきっと忙しくなる、お肌の手入れはしっかりしておかないと。お金の出費も大きくなってくるだろう、節約しなきゃな。あぁ、大変だな。
そんなことを思いながらも、さっきからニヤケた顔が元に戻らない。
自然と早歩きになっているのも気が付かないほどだった。
「……がんばろっ!」
思わず出てしまった声が住宅街に響き渡って恥ずかしい思いをするのだが、いつかこの気持ちも、何にも代えがたい思い出に変わっていくのだろう。
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