第27話 家族というもの

 今までは鏡に映った景色しか視界に入れることが出来なかった。持ち主の扱い方によって見ることのできる世界は一切変わってしまうから、ある意味で窮屈な月日だったと思う。

 付喪神とは、物に宿るもの。何十年という長い年月の間、大切にされ続けて初めて宿るものだ。窮屈ではあったが、この手鏡を丁寧に扱っていたのは良く伝わっていたから悪い気はしなかった

 この手鏡は親から子へ、何度も何度も受け継がれて大切にされてきた。本当に、ありがたい話だと思う。浜野の顔を見るのは、これで何世代目だっただろうか。

 それが緋衣の代になって私が実体化するという変化が訪れた。その理由を考えてみたが、きっと、手鏡を話し相手にするような変わり者が緋衣だけだったからだろう。それに私も触発されてしまったのかもしれない。


「紫苑、いないのか」


 その名に違和感を感じなくなるまで、それ程時間は必要なかった。常日頃から、勝手に名を付けられて呼ばれていたのが原因かもしれない。


「なんだ。いつも私と話すばかりで、友人はおらんのかお前は」

「はっはっは、言うじゃないか紫苑! 大丈夫、ちゃんといるさ。学生の時から仲良くしている友人がな。最近はお互いに新婚生活の愚痴なんか語っている所だぞ」


 緋衣は、私が実体化するその少し前に結婚したばかりだった。旧姓は確か、菊池だとかなんとか。


「なら、そいつと話しておれば良いだろう?」

「いくら気の知れた友人でも、何もかも話せるって訳じゃないさ」


 そう前置きを挟んで緋衣は、夫の仕事がどうにも雲行きが怪しいらしいんだと愚痴を零した。確かに、友人に対してこういった身内の相談をするというのは躊躇われるな。

 それからしっかり二時間。旦那が働き詰めで体調を崩さないかとか、中々家に帰って来れないから大丈夫だろうかとか、常にしかめっ面をしていて機嫌が悪そうだとか、徹頭徹尾聞き役に甘んじていた私だが、そろそろ堪えてやるにも限界を迎えていた。


「なあ、結局同じ話を何度も繰り返しているぞ緋衣」

「しかしなぁ、それだけ不安という事なんだよ紫苑」


 そんなもの知るか! と、ばっさり切ってしまいたいのだが……。唯一の友である緋衣を無碍にするのも気が引けた。


「はぁ、少しは辛抱してみたらどうだ緋衣。お前がいくら唸った所で事態はどうにもならん。神様にでも祈って、少しは運任せにしてみるのも一つ手だぞ?」

「それは、洒落のつもりで言ってるのかい?」

「まさか」


 こうして話をするのも何度目か。その度こうやって嗜めては終わる様子をみる限り、本当に話を聞いて欲しいだけなのだろう。普段は気の強い緋衣だが、どこかでガス抜きをしないと肩肘張って仕方がないのだろう。


 ――そう、神様。私のような存在にでも祈っておけば、万事解決だ。自分以外の誰かにも担がせておけば、きっと少しはその重みも和らぐはずだから。

 お前には、これまで大切に扱ってきてくれた事と、名前をくれた恩がある。幸せな人生を、私が保証してやりたい。




 それから数ヶ月が経って、ヒリヒリとした夫の雰囲気も幾分か薄まった頃。緋衣の友人と思わしき人がやってきた。

 浜野の人間以外を見るのは中々新鮮で、思わず身を隠してしまう。


「家にお邪魔するのなんて、いつ以来かしら?」

「そうだな、まだ私が結婚する前だから……もう一年は空いた気がする」


 気になって仕方が無い。緋衣の友人の顔を一目見ようと、思わず前のめりになる。


「それじゃあ、今はさんって呼ばなきゃいけないのね」

「はは、それなら私もさんと呼ばなきゃいけないな」


 ほぉ、羽衣はねいというのかあの女。

 居間へと向かった二人の背中を追う。机を挟み、茶菓子片手に談笑し始めた緋衣は随分と砕けた口調だ。そう、まるで私と話す時と同じように。

 襖の向こうから耳を忍ばせ盗み聞きしようとするも、テレビの音が邪魔で上手く聞こえない。緋衣の友人がどんな奴なのか、この私が見極めてやろうと思ったのに……。

 と、足を滑らせた拍子に襖へ体重をかけてしまう。あ、いけない、破いてしまう……。そう思ったのだが、何事もなくすり抜けてそのまま畳の上へと倒れこんだ。


「あれ、透けるのか、私」


 考えてみればそうか、私は神様だ。壁を透けて通るなんて朝飯前の筈だ。今まで気が付かなかったのは、緋衣の話し相手でしか姿を現していなかったからだろうか。良く考えれば、こうして家の中を歩き回るのは初めてな気がする。


「ん……? おい紫苑、何やってるんだい」


 半ば呆れた様子で緋衣がクスリと笑う。


「え、誰かいるの?」


 しかし、その対面に座る羽衣という女はポカンとしていた。

 辺りを見渡し、緋衣が声を掛けた相手を探そうとしている。


「……どうやら、お前意外には見えないらしい」

「なんだと?」


 また新しい発見だった。どうやら、今の所は緋衣以外に私を認識できる人間はいないらしい。……緋衣の夫の前に現れた事は無かったな。後で試してみるか。


「すまない、邪魔をした」


 緋衣にしか聞こえていないのだろうが、そう一言断って大人しく引き下がる事にした。別に二人の会話を邪魔しに来た訳じゃないからな。

 緋衣の人生を優先させたい。その為には、私という存在はいらないんだ。


 夕暮れになるまで話し込んだ二人は、満ち足りた表情をしている。積もる話も合ったのだろう。机に置かれた茶菓子も、ほとんど手が付けられていないように見えた。

 せっかくだから夕飯を食べていけという緋衣の誘いを、羽衣という女は「これ以上は旦那を待たせられないや」と言って帰ってしまった。

 更に付け加えると、腹を擦る素振りをしながらこれも理由だといった。


「まさか、子供か?」

「違う違う! でも結構真剣に考えてるよ。もうそろそろ良いんじゃないかって。今はその準備期間かな」

「そうか、もう私らもそんな歳か」

「ええ。今度は、私達が親になる番ね」


 大人は子を生み、親になる。その子もいずれ大人になってそれを繰り返す。

 血を受け継ぎ、様々な思いを与えて……循環していく生き物、それが人間だ。それを私は何十年も見届けてきた。緋衣の親も、更にその親も、いつだって傍で見守っていた。それが出来たのも、手鏡を大切に使い続け親から子へと受け継いでいってくれたからだ。

 今の私が居るのも、彼女らがいたお陰だ。女は嫁ぐと名前が変わってしまうから、私を最初に手にした者の名前は忘れてしまったが、有り難かったのは覚えている。


 そう考えると、今の私を産んだのは緋衣、という事になるのかもしれないな――。

 あいつが私の親だと考えると、そのむず痒さに笑いがこみ上げてきて仕方が無い。




 ――それからまた月日が流れ、一年以上は経っただろうか。

 浜野家に、新しい家族がやってきた。

 目の所なんかはヤツにそっくりで、どこか既視感を覚える。全く、赤ん坊というやつはいつ見ても愛いものだ。


「紫苑」


 眠りに付いた赤ん坊の傍で、一緒になって横になっていた緋衣は私を呼んだ。


「……なんだ。あまり私の名を呼ぶなと言っただろう? 周りから見ればお前は壁に向かって話しかけているように見えるのだから――」

「今くらいいいじゃないか。誰も見ていないよ」


 深夜午前一時。誰もが眠りに付き、夢を見ている頃。

 緋衣が周りから奇異の眼に晒されるのを恐れ、積極的に私との会話を控えろといったばかりの頃だった。神様が決め事をしたのならば、徹底的に守らねばいけない。

 ……筈だが、私とて緋衣と話すのは嫌いじゃなかった。この時間ならどうせ誰も見ていない。少しくらい付き合ってやっても良いか。


「見てみなよ、可愛いだろう。さすが私の子供だ」

「愛いことは認めるが、それはお前の子供だからではない。私が神の力を使って祈りを捧げたからに決まっているからだろう」

「冗談だろう? あからさまな嘘をつくんじゃない」

「ははは、流石にばれるか」


 声は抑えて、赤ん坊を起こしてしまわないように。

 愛おしくて仕方がないと言わんばかりに、緋衣は目を細めて赤ん坊を見つめる。


「きっと、いい子に育つからさ。紫苑、あんたも一緒に見守っておくれよ」

「勿論、お前に言われずとも」


 そこには確かに、親の顔をした緋衣がいた。深く、底の知れない愛情を感じる。

 こんな小さな存在が人をここまで変えるのだなと……家族という物は凄いなと、素直に感じた。

 

「立派に育てよ」


 不意に口元から零れたその言葉に、これが愛情なのかもしれないと、少しだけ人間というモノに近付けたような気がした。

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