馬車の乗客 ⑨




 聞きたい答えは得られなかったが、典礼ミサがおこなわれた倉庫でファイスと別れ、アンと共に墓守小屋に戻って一仕事を終えた後、手がかりがなくなった調査をどう進めていくか、それをグラスを傾けながら考えた。


「この先どうするですか?」

「手かがりは少ない——生贄競売サクリファイス・オークション……二人の少年少女……馬車……御者と乗客……それと」

「……イレズミ、です」

「それだな」


 この依頼の手がかりは驚くほどに少ない。だからこそ、ラドバルディア夫人とヘーゼンベルグ卿は墓守の便利屋である俺にまで声をかけたのだ。

 神王都の商人や枢機卿カーディナルでは近づけない場所、話を聞けない人物、そこへ接触できるのが俺だ。


 次に追うべきものは決まった。御者と乗客の男たちは神王都方面からこのサイランに向かっていた。積荷は二人の少年少女、つまり——それの受け取り手がサイランにいる。

 それを追えば、自ずと生贄競売サクリファイス・オークションとやらにも行き着くはずだ。


 そいつが落札者なのか、それとも競売人オークショニアなのかは——それは追ってみなければ判らない。


 だが、その作業は根気のいる仕事だ。墓守としての仕事をこなしながら、サイランの繁華街、住宅街、工房街、スラムと渡り歩き、俺が顔を繋いでいる裏側の人物たちにイレズミを書き写した羊皮紙を見せて回った。


「みたことねぇな」

異端教団ドミニオンの印? 聞いたことないな」

「神王都のガサラ一家の家紋にも似てるが、あいつらはサイランなんかに用はねぇよ」

「ねぇカネガぁ、たまにはウチの仕事も手伝っておくれよぉ」

「その話聞いたぜ、枢機卿カーディナルの娘が拉致られていたそうだな」

「俺は大商会の後継だって聞いたぜ? どちらにせよ、そんな上位階級を狙うのは街のチンピラにはムリムリ」

「密輸に関してなら『サンドパール』って酒場にいるオークスって奴を当たってみな」

「オークス?」


 回りに回って聞き込んだが、有力な情報はなかった。


 だが、裏路地に住み着くゴロツキの一人から聞けた酒場の名は、別件で向かう予定があった名でもあった。


「チッ——」


 後回しにしようかと考えていた裏事が一番の方策とはな——それは、マダム・グレイからの情報を手に入れる上で、俺が取引材料として解決する裏事だった。


 前回の仕事でも取引として裏事を依頼された。その時はグレイテシアで学んでいた高級娼婦が、変態の金持ちに無理やり囲われて帰ってこられなくなり、そこへ家出娘を探しに店へ訪れた俺が現れた。


 マダム・グレイは情報提供の交換条件として、俺にその高級娼婦の奪還を依頼したわけだ。


 その頃にはすでにサイランの裏側で、俺の裏事処理能力に一定の評価が出ていた。マダム・グレイにそれを知れるほどの情報収集能力があるとは知らなかったが、よくよく考えてみればそれは当然の力だった。

 高級娼婦たちを従え、街の有力者たちと睦言を交わす夜を続ければ、自然とそれは秘密の会話となって行く。


 その全てがマダム・グレイへと集約され、整理され、繋ぎ合せていけば、サイランの裏側が見えてくる。


 結果的に俺は高級娼婦を金持ちの変態から救い出したのだが、その邸宅が半壊するほどの大乱戦となり、俺も無傷というわけにはいかなかった。


 そして今回の取引では、サンドパールの店主が滞納している高級娼婦派遣の手数料の取り立てだ。


 前回に比べれば穏便に済みそうなものだったが、裏事としての取り立て——集金の類は基本的に受けないことにしていた。

 俺は金貸しと取り立ての仕事で恨みを買い、命を一度落とした。それを繰り返すような真似はできれば避けたかったが、金儲けの取引条件として提示されれば——場合によっては受けざるを得ない。


 世渡りはすべからず金次第なのだ。臨機応変に対応できなければ、生き抜くことは難しい。




******




 一緒について来ようとしたファイスに墓地の墓守仕事を任せ、アンは教育係として側に着くように指示し、酒場が最も賑わう夕暮れから暮夜へと変わるころ。

 繁華街の一画にある飲み屋通り、そこから一本裏路地に入ったところに建つホテルのような建物。


 そこが『砂漠の真珠サンドパール』——枯れた男女たちがオアシスを求めて集う場所。


 サンドパールの前には長い行列ができていた。この店には美味い酒と料理、そして耳に残る音楽があり、裏路地に建つ酒場と言っても格は一流。

 サイランの裏側で名を馳せる多くの有力者たちが席を取り、彼らと一目でも顔を繋ごうと様々な人物がここへ集まる。


 そんな有名店にも関わらず、グレイテシアの高級娼婦に払う金をケチるとは——実にサンドパールらしい。


 行列に紛れ込むように並び、中へ入れる者、入店を断られて追い返される者の様子を見ながら、俺の番が来るのを待った。


「紹介状は持っているか?」

「あぁ、これだ」


 サンドパールの入り口に立つ屈強そうなガードマンに、マダム・グレイから預かった紹介状を手渡す。一見すると普通の紹介状とは違うデザインにガードマンの表情が一瞬曇ったが、カードを開いて紹介者の名前を確認すると、「どうぞ」とだけ呟いで入店を促した。


 サンドパールの中は吹き抜け型の二階建て、一階はバーカウンターと広いダンスフロア、ライトアップされた演台で構成され、演台で歌う女とミュージシャンたちの音楽に合わせて客たちが踊っている。

 二階は照明が少なく薄暗く、個室とVIP席で構成されており、給仕たちが酒と軽食を片手にテーブルを回っていた。


 一見すれば酒場というより、ナイトクラブと言ったほうがしっくりと来る。賑わう一階のダンスフロアを横目に、二階へ上がる階段を登って行く。

吹き抜けを見下ろせる手すりには若い男女が肘を突きながら酒を片手に談笑し、VIP席では目つきの悪い男たちが一階の喧騒に紛れて何やらヒソヒソと商談をおこなっていた。


 俺は目的の場所に向かいながら周囲へ視線を巡らし、同時にこちらを怪訝そうに窺いながら商談を中断する者たちと睨み合い、無言で二階の一番奥——サンドパールのオーナーがいる個室のドアの前に立つガードマンに声を掛けた。


「マダム・グレイの使いだ。オーナーはいるか?」

「マダムの……?」


 ドアの両側に立つガードマンの一人がドアをノックし、軽く開いて中にいるであろうオーナーに客が来たことを伝えると、再びこちらに視線を向けて顎の動きだけで入室を促した。


 その横柄な態度に少しイラつきながらも、個室の中へ入って行く。


 個室の中は棚に囲まれ、多数の書物や調度品が飾られていた。天井付近には歴代オーナーらしき肖像画が掛かり、正面にはひときわ豪奢な執務机とランタン。

 そこに座るのはカイゼル髭を蓄えた中年の男、鼻を突く香油らしき整髪料をベットリと塗りつけた茶髪を後ろへ流し、口には手巻きタバコを咥えていた。


「ふぅむ、よく来てくれたね。マダム・グレイの使いだと聞いたが、何用かな?」

「俺はゼン・カネガ。あんたがこの店のオーナーか?」

「いかにも、このサンドパールでお客様方に至高のひと時を提供している、ブラッド・ストレウムだ」


 ストレウムはそう言って口元のカイゼル髭を指で摘んで丁寧に手入れすると、執務椅子に大きく背を預けて一つ息を吐き、俺の姿を見て上から下へ、また下から上へと視線を動かした。


「グレイテシアから手配した娼婦に、金を支払っていないらしいな」


 その動きを無視しつつ、マダム・グレイからの依頼を進める。


「あぁ、その件ですか……」


 だが、ストレウムは俺の話も——そして、俺自身にも興味を失ったように視線を逸らした。

 その視線の向く先にあるのは金の呼び鈴、一際豪奢な小物入れ、ペン立てに入れられたやたら大きな羽のペン。

 書棚にも骨董品らしき短剣や木製パイプ、宝石の原石らしき鉱物などが置かれ、敷き詰められた古書の数々——その何かに見惚れて僅かに惚ける。


 俺から顔を逸らしてわずかに惚けた瞬間——右目に意識を集中して鑑定眼プライスを発動させる。


 俺の黒眼が金眼へと変貌し、刻印ラースが浮かび上がった。


 視界に映すのは執務机に置かれた小物たちの価値——金の呼び鈴や豪奢な小物入れは素材相応の価値が浮かび上がっているが、デザインや意匠にはそれほど価値はないようだ。

 3万ドーラから8万ドーラほど、大きな羽のペンは希少動物の羽なのか、これらを遥かに上回る15万ドーラ。

鉱石や短剣にもそれなりの価値が浮かび上がっていたが、何よりも目を引く価値を表示しているのは、一見すると古いだけの素朴な木製パイプだ。


 表示されている価値は120万ドーラ。超高価な一品——というわけではないが、高価なものであるのは確かだ。

 書棚に並ぶ古書にも視線を向けたが、木製パイプほどの価値は見当たらない。


 ストレウムが惚けていたことを自覚したのか、目をしばたかせてこちらに顔と視線を戻した。


 その時には既に、俺の金眼は黒眼へと戻っていた。


「娼婦たちには十分な代金をお渡しする予定でしたが、生憎と娼婦を呼ばれたお客様の持ち合わせが足りなかったようです」

「その場合、サンドパールが一時的に代金を肩代わりする契約だと聞いているが?」

「その通り……ですが、サンドパールの経営も大変でしてね。まぁ、君のような集金係に言っても何も判らないでしょうが、今は手持ちがありません。後日またいらして下さい、その時にはもしかすると、渡せる代金があるかも……しれません」


 そう言って鼻で笑うストレウムだったが、俺もマダム・グレイから依頼を受けた以上、何も回収できずに退散したとなれば、便利屋として金儲けを続けていくことは不可能になる。


「そうか、現金が無理なら現物で回収させてもらう」

「現物で回収?」


 俺の言葉を繰り返すストレウムを無視し、執務机に置かれた金の呼び鈴を手に取る。


「これはゴールドか?」

「もちろんだ。純金製の呼び鈴、それほど高価なものではないが、私のお気に入りの一つでね。汚い手で触らないで貰いたい」


 確かに、鑑定眼プライスで見えた価値はそれほど高価ではないが——鑑定眼プライスで見えた価値が気になる。


 腰のポーチから黒い小石を一つ取り出し、呼び鈴に近づけてみる——。


 ——コツン。


 黒い小石が金の呼び鈴にくっ付いた。


「……あなたは何をしているのですか?!」


 ストレウムは執務机の椅子立ち上がって俺の手から呼び鈴を取り返すと、その胴体に張り付いた黒い小石をゴミを取るように摘んで俺の胸へ投げて来た。


「おいおい、この石こそ貴重なものなんだ。丁寧に扱ってくれ」


 投げつけられた小石をキャッチし、またポーチへと戻す。


「そんな石コロが貴重だと?」

「あぁ、偽物を見極めてくれるありがたい石だ」

「ニセモノ……?」

「その呼び鈴、純金じゃなくてメッキか合金だ」

「なに?!」

「お前が投げ捨てたこの小石は、天然磁石の磁鉄鉱だ。磁性金属ではない純金製ならば、この磁石がくっつくはずがない」

「……磁鉄鉱?」


 本来ならば、純金と合金の見分けは簡単ではない。だが、即席の見分け方として磁石を用いるのは一定の効果がある。

 くっ付いた場合にそれが金メッキなのか合金なのかは次の検査を行わなければ判断しかねるが、純金か否かはそれで判断できる。


 俺の説明に顔を青くして呼び鈴を見つめるストレウムだったが——どうやらこの男、随分と上昇志向に囚われているようだ。

 この部屋を見渡しても、それが如実に現れている。一見高級そうに見える調度品を並べ立て、自身の財力を常に周囲へ主張し、それらに囲まれる生活に恍惚感を感じているのだろう。


 実際にはそれほど高級品ばかりではないところを見ると、素人知恵の収集好きか。


 磁鉄鉱の小石をポーチに戻し、ストレウムが眉を潜めて呼び鈴の金色を凝視しているうちに、集金の本命へと手を伸ばす。


「そんな紛い物よりも、このパイプの方が良さそうだな?」

「なっ、それに触るな!」


 書棚に飾られていた古びた木製パイプを手に取ると、ストレウムの焦りと激昂は金の呼び鈴の比ではなかった。

 顔を真っ赤に紅潮させ、先ほどまでの余裕も呼び鈴への怪訝な目も消え失せ、目を血走らせて声を張り上げた。


「その価値が貴様なぞに判るものかっ! 早くそれを元に戻して帰りなさい!」


 ストレウムの怒声に、部屋の外で待機していたガードマン二人がドアを開けて何事かと入って来た。


「あなた達、この無法者を早く追い出しなさい!」


 ストレウムも突入して来たガードマン達の姿に冷静さをわずかに取り戻したのか、すぐに俺を指差して指示を飛ばした。


「こっちに来い!」


 その指示に、ガードマンの一人がすぐに行動を起こす。俺の肩口へ手を伸ばし、部屋の外へ——店の外へ放りだそうと摑みかかるのを上半身を逸らして躱す。

 肩に伸ばされた右手が空を切り、ガードマンの体勢が泳いで崩れかかる。木製パイプを持つ手とは逆の手で、その横顔を鷲掴みにし——一歩踏み込んでストレウムの執務机に叩きつけ、擦り付けるように滑らせていく。


「ひぃぃぃぃぃ!」


 金の呼び鈴を弾き飛ばし、豪奢な小物入れを叩き潰し、その勢いに仰け反るストレウムを無視して、反対側の書棚にガードマンの頭部を突き刺して振り返る。


「こ、このっ!」


 恐怖に身を竦めるストレウムとは違い、もう一人のガードマンは勇敢にも殴りかかって来たが、それも軽くいなして空を切った手を捻り上げ、膝を蹴り折って跪かせたところで執務机に頭部を打ち付けて意識を飛ばした。


「ストレウム、無駄な言い訳をせずに大人しく代金を支払うか、それともこのパイプを代わりに差し出すか、どちらかを今すぐに決めろ」


 尻餅をついたまま後退りし、壁に背を貼り付けて動かないストレウムを見下ろし、二択を迫った。


 いつまでもここで時間を無駄にするような会話を続けたくはない。時は金なりとはよく言ったものである。金儲けには一分一秒足りとも無駄に費やす時間はないのだ。


「こ、このような事をして、ただで済むと思っているのですか……?」

「ほぅ、脅すつもりか? 俺は正規の支払いを求めているのに対し、お前は虚言でこれを誤魔化し、暴力で封殺しようとしている」

「うっ……」

「果たして、神はどちらの味方をするだろうか?」

「わ、判りました……代金を支払います……」


 ブラッド・ストレウムという男は、サイランの裏側に住む異端者というわけではない。彼らにサンドパールという場を提供しているだけで、裏事を生業にしているわけでもない。


 強く押せば引く——それが普通の人というものだ。


「代金の他に、聞きたいことがある」


 ストレウムの心が折れたところで、このサンドパールへやって来たもう一つの目的に取り掛かる。


「き、聞きたいこと……ですか?」

「そうだ。それに答えれば、このパイプは傷ひとつ付かずにお前の手元に戻る」


 左手でクルクルと弄ぶ古びた木製パイプの動きにストレウムの視線が敏感に反応している。

 指を滑らせて床に落とさないか心配のようだが、その程度の動揺ですら、心理状態を誘導するのに手助けとなる。


「何も隠しはしない! さぁ、早く聞いてくれ!」

「よし、立て」


 ストレウムの胸元を掴んで無理やり立たせ、肩に手を回して腰が引けているストレウムを部屋のドアにまで連れて行き、ドアを少しだけ開いて店内を見渡す。


 一階のダンスフロアから聞こえる大音量の音楽も、二階の客席の賑わいも変わりなく、この部屋で起きた些細な交渉に誰も気づいてはいないようだ。


「この店の常連に、オークスと言う奴がいるはずだ。今夜も来ているか?」


 ストレウムの目の前で木製パイプを弄りながら、このサンドパールへ来たもう一つの目的について問い質す。


「オークス? あ、あぁ、この時間ならいるはずだ……」

「どの男だ」

「男? あそこの一番テーブルに座っている下品な髪型の……女だ」

「女?」


 女の密輸業者とは珍しい。今回の依頼の発端となった旅馬車の乗客と御者もそうだったが、密輸仕事は見つかり次第死罪となってもおかしくないほどの重罪。

 旅馬車が正しく命懸けで逃亡を図ったように、異端者にとっても非常に気力と体力を使う裏事だ。


 オークスが実際に輸送をおこなっているかは判らないが、密輸も——それを取り仕切る統率力も、非常に高いレベルが要求される。


 それをあの——緑髮モヒカンと鼻ピアスの女が持ち合わせているとはな……どうやら、これはタフな交渉になるかもしれない。


 ドアを閉め、再びストレウムを部屋の床へと転がす。


「それではブラッド・ストレウム。契約に従い、グレイテシアへの支払い代金を渡せ」

「わ、判った……」


 床に両手両膝をつけて這いずるストレウムは、ガードマンの一人を叩きつけて歪んだ執務机の引き出しを開けて中から鍵を一つ取り出すと、もう一人のガードマンを突き刺した書棚の奥をゴソゴソと漁り始めた。


 棚板が割れ、古書や調度品が乱雑に崩れ落ちた一画を整えると、その背面部分に隠し金庫が収まっているのが見えた。

 執務机から取り出した鍵で隠し金庫を開けると、中から革袋を一つ取り出して俺へ差し出した。


 それを受け取り、中を確認する——そこにはドーラ硬貨が大量に詰まっていた。手を入れて金貨や銀貨の枚数を数え、マダム・グレイから聞いていた回収金額が揃っていることを確認する。


「用意してあるなら最初から出せ。そうすれば誰も、何も、傷つかずに済んだはずだ」

「くっ……」


 ばつが悪そうに俺から視線を逸らすストレウムを横目に、傾いた執務机に木製パイプを置く。

 ドーラ硬貨が詰まった革袋は上着の内ポケットへ突っ込み、これを届ければマダム・グレイとの取引条件はクリアだ。

 

 沈黙したままのストレウムを捨て置き、部屋から出て二階の客席フロアへと戻った。



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