吸血鬼 ⑥
マデリアス・シュターゼンが俺たち墓守の前へと姿を現した理由は、先日のサドラ・バルミヤを襲った惨劇の犯人についての情報収集にあった。
俺がラジを使って従士隊のダストン・マールに送った情報は、そのまま上層部である騎士たちの耳にも伝えられた。
“吸血の神ドラバー”を信仰する
そして、その情報を上層部も無視することはなかった。それだけ、サドラの事件は異常な事件だと認識していたのだろう。
情報源としての俺の名は伏せられていたようだが、騎士団はすぐにサドラ同様の被害者が他にいるのではないか?
単なる猟奇殺人、もしくは事故死として処理された遺体の中に、サドラと同じように臓器を抜き取られた者、もしくは体の一部がなくなっていた者がいたのではないかと疑問に思った。
だからこそ、サイランで最も遺体と頻繁に接触する墓守の三人を集めたのだった。
そして、その予測は正しかった。
南墓地を管理するガニエルのところには両脚を喰い荒らされた女の遺体が、西墓地を管理するライドのところには、手首を噛みちぎられた絞殺遺体が運ばれていた。
サドラの惨殺死体と比べれば、だいぶ大人しい——そう考えることもできるのだが、時系列を考えれば、そう簡単なものではなかった。
ガニエルのところに運ばれたのは、高級娼婦の遺体だった。その時期はサドラの二週間ほど前のこと。
事件を担当した従士は、娼婦を買った犯人の性欲が暴走して娼婦の白く艶やかな太ももに噛みつき、力加減を間違えて肉を喰い千切り、出血多量で殺してしまったものと推測した。
その後、人気のない路地裏に放置し、その遺体をさらに腹を空かせた犬かネズミが食い荒らしたのだろうと見ていた。
だが、ガニエルはその太ももに残った噛み跡のいくつかが、動物のものとは思えない印象を記憶していた。
ライドのところに運ばれたのはガニエルよりも更に前のこと、上位階級の商家の娘に起こった事件だった。その娘は真面目で頭が良く、実家の商いを手伝いながら商売を学ぶ才女だったそうだ。
だが、近頃になって急に色めかす様になり、両親は恋を知らぬ愛娘に春が訪れたと喜び、心配していたのだが、実はそれが命を落とすほど危険なものだとは思わなかった。
相手を紹介するよう娘に何度も催促するも、娘は相手に迷惑がかかるからとそれを拒み、密会を続け——ついに帰らぬ朝を迎えた。
ライドは娘自体にはたいして興味もなかったのだが、悲しむ母親のことをよく覚えており、関係こそ持っていないが、話し相手として娘のことを何度も聞いていたそうだ。
特に手首を噛み千切られたことを何度も聞いており、母親はそんな変態をなぜ近づけてしまったのか、なぜ危険性を察知できなかったのかと悔やみ続けていたそうだ。
ブラザー・ジルバや騎士シュターゼンはその二件を直ぐに同一犯とは考えなかったが、俺は同一犯である可能性を見過ごせないと思えた。
なぜならば、そこにサイコパスに似た凶行の進化——または精神崩壊が進んでいる事が見て取れるからだ。
最も初期の頃と思われる凶行は、ライドが管轄する西墓地に埋葬された商人の娘。
初めて他人の血を吸血したのは、無意識的な行動だったのかもしれない。普段から吸血している白い手首を見た瞬間、自分にしているのと同じように噛んだ——その感覚は、その幸福感はどれほどのものだったのだろうか。
吸血という奉仕、血という甘美なる赤い汁、失われる感覚はなく、ただひたすらに満たされていく至福のひと時。
その男が正気に戻った時、目の前には急な失血で貧血を起こし、グッタリとした娘が倒れていたのだろう。
自分のしたことに恐怖し、取り返しのつかない事態に混乱し、善悪の判断をつけることが出来なくなる。
その状態で考えることができるのは、ソレが目の前から“消えればいい”——思考はそれで一杯となり、弱々しい呼吸がやけに
そんな情景が目に浮かぶ、現代日本でもよく見たシチュエーションだ。痴話喧嘩の果てに小物で殴り倒す、思わず台所の包丁を手に取って刺す。
その後片付けを裏事として請け負うことも度々あった。感情の——欲望の爆発を抑制することは難しい。
常に冷静な判断を下すことは、特殊な訓練を受けでもしなければ出来やしない。人はそれほど無感情ではないのだ。
ガニエルが管轄する南墓地に運ばれた遺体もそうだ。
他人の血を吸うことを覚えた男は、次により美味しく頂く方法——というより、吸い方、食べ方を考え始めた。
ガニエルが見た太ももの傷は複数あり、何度も噛んだ場所や、噛み切った場所があったという。
実際に見なくては判断しきれないことだが、何度も場所を変えて噛んでいるのは、初めての殺しでよく見られるためらい傷の可能性が高い。
人肉を美味しく喰うにはどこを噛めばいいか、それも噛み千切れればいいわけじゃない。より血が滴り、噛めば肉汁が溢れるステーキのような上質な質感と血肉を求める——その反面、最初の衝動的な行動ではなく、理性的な行動には常に罪悪感がつきまとう。
この男は上位階級の商家の娘と密かに付き合い、高級娼婦を買う金と場所を持っている。さらには、自分が信仰と欲望のままに行なっている行為が“悪”だと、許されざる行為だと理解している。
元々は裏事に関与するような裏の人間ではなかったはずだ。むしろ確固たる立場、職に就く、真面目で誠実な人物だったのかもしれない。
だがそれも変わった——裏事に手を出した人間の精神は、思考の基準点が180度変わる。それまで悪だと感じていたことが、善だと感じるようになる。
より凶悪な行いが、相手を幸福に導く最良の手段だと感じるようになる——それがサイコパスの精神崩壊だ。
まぁ、この辺りは俺も人のことをとやかくは言えないが、少なくとも俺の善悪の判断はまだ逆転していない。
俺は悪事を悪事と理解した上で、裏事の手段として利用している——要は悪党なのだ。
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