吸血鬼 ⑦




 俺が担当する北墓地に戻ってくると、新しく部屋を増築した墓守小屋の排煙口から、細く白い煙がゆらゆらと立ち昇っていた。

 時刻はすでに昼を回って三時のおやつと言ったところだ。騎士シュターゼンたちとの集まりは、予想以上に長時間なものとなっていた。


 騎士シュターゼンは俺たち三人の墓守から気になる遺体の話を聴取したあと、遺体の取り扱い方や腐敗の進み方を訊かれ、墓場や霊安室での保存方法に、火葬場の話など、俺たち墓守が遺体や骨壷を預かった後にどのようにして安置しているのか、その辺りも事細かに聴取された。


 飄々と答えるライドに対し、ガニエルは細か過ぎる質問に苛立っていたが、相手が騎士となればそれをあからさまに出すことも出来ず、たびたび懐の酒瓶に手を伸ばしては、ブラザー・ジルバに睨まれていた。


 俺の管轄である北墓地の場合は、そのほとんどの遺体が火葬されて骨壷へと収められるので、それほど多く質問を受けることはなかった。

 すでに地上の墓石は満員御礼状態なのだ。新たに地上部での埋葬を希望するのならば、管理費を滞納している墓石から順に柩を掘り起こしていくか、最安値の管理費を支払っている墓石から順に切り捨てていくだけだ。

 まぁ、その辺りの交渉は墓守の仕事ではなく、ブラザー・ジルバの管轄だから知ったことではないが。


「あっ、お帰りなさいです!」


 墓守小屋のドアを開けて中へ入ると、囲炉裏の上に掛けた土鍋をゆっくりとかき回しているアンの声が上がった。


「あぁ、戻った」


 もう一人の同居人の姿を探したが、居間にも増築した奥の部屋にもいる気配がない。


「ファイスさんなら買い出しに出ていますよ。もうすぐ帰ってくると思います」

「そうか——それは?」


 ファイスの行き先がだいたい判ったところで、アンのかき回す土鍋が気になる。


「お昼にと思って作っておいたスープです。そろそろ帰って来るんじゃないかと思ったので、温め直していましたです。すぐに食べます?」

「あぁ、頼む。ブラザー・ジルバの話が長くてな、昼を食べてないんだ」

「ハイ、です!」


 アンが土鍋のスープを木製の器によそうのを横目に、上着を壁のコートハンガーに掛け、カウチへと腰を下ろす。


 一仕事終えた後にまずすることは、美味い蒸留酒を一杯やることだ。


 サイランの酒場で見つけたお気に入りの一瓶に手を伸ばし、王都のガラス細工職人が手掛けた最新デザインのグラスも一緒に取る。


 ——が、蒸留酒の瓶を持ち上げた瞬間に違和感を感じた。


「ん? おい、アン……俺の酒が空っぽなんだが……」


 手に持った酒瓶からは琥珀色の蒸留酒が入っているような重さはなく、軽く振っても液体が揺れる音すらしない。

 からになるまで飲んだ覚えはない。むしろ、この一瓶は楽しみに取っておいた物だ。満足に楽しむことなく、なくなるほど飲むわけがない。


「あっ……その……ゼンが派遣教会ギルドへ出かけてすぐに、スラムのスマッシュさんが来て……」

「——飲んで行ったわけか」

「……ハイです。一応、酒代だと言ってお金は置いていきましたが……」


 申し訳なさそうにするアンに怒ってもしょうがない。スマッシュが俺の留守中に訪れ、墓守小屋の酒を飲み干したり、持って行ったりするのはよくあることなのだ。

 酒代は毎度のように置いていくので泥棒とまでは言わないが、酒の価値と酒代が釣り合っていないことも多い。


 スラムの住人であるスマッシュが日中にサイランの街中を歩くことは難しい。基本的に、スラムの住人は異端者として騎士団や従士たちから追われる身だ。

 都市の外であるスラムでの取り締まりに力を入れていないからこそ、街のすぐ側で自由を謳歌できてはいるが、街中で目立つような行動をとればすぐに従士隊が駆けつけ、一騒動起こしようものなら外から異端者を狩る専門集団——異端審問官ドミネーターがやって来かねない。


 だからこそ、スマッシュのようなスラムの住人は気軽に酒場などに出入りはできない。


 酒好きのスマッシュにとってそれはかなり致命的なことなのだが、その解決策の一つが俺の墓守小屋というわけだ。


 半ば呆れたように一つ息を吐き——。


「それで、スマッシュの要件はなんだ?」


 買い置きしてあった安酒の酒瓶に手を伸ばし、鼻の利くスマッシュが見事に安酒を避けて高級酒ばかり飲んでいったことに呆れつつ、栓を抜いてグラスの1/4ほど注いで一気に呷る。

 グラスを一段高くなっている囲炉裏の縁に置き、アンが差し出す白い湯気が昇るスープが入った器を受け取る。


「熱いのでお気をつけてです!」

「あぁ」


 スープの中には大きな鶏の白身肉に芋と野菜が入っていた。スープを一口飲めばクリーミーな舌触りに深いコク——美味いな。


「スマッシュさんが言うには、サイランで噂になっている吸血鬼がスラムにも出たと……その遺体の処理をゼンさんにお願いしたいそうです」

「吸血鬼?」

「ハイです。あの血を吸って肉を喰らう猟奇犯です」


 サイランの市民が死んだ場合、その遺体は例外なく三箇所の墓地のいずれかに埋葬・安置される。

 しかし、サイランの一部とみなされていないスラムの住民が死んだ場合、当然ながら遺体が墓地へ運ばれることはない。

 だが、遺体をただ土葬しただけでは、“闇夜を徘徊する者ナイトウォーカー”となってゾンビ映画よろしく地中から這い出て来る可能性もある。

 何かしらの処理が絶対に必要なのだが、むしろスラムの方がソレを積極的に行っていたはずだ。


 ソレ——とは、古代日本から現代に至るまで利用されてきた——人骨肥料だ。


 人に限らず、家畜の骨にはリン酸が含まれており、それを利用したリン酸肥料は植物の育成に必要不可欠なものだ。

 倫理的な側面から忌避されることもある人骨肥料だが、大昔は当たり前のように使われていた。


 スラムを始め、この神世界フェティスの住人が細かい化学的効能や農業知識としてリン酸肥料の有用性を認識しているわけではないだろうが、昔ながらの伝統的な農業知識として、遺体を焼いて残った骨を砕いて肥料にすることは当たり前のように行われていた。


 それなのになぜ今回は遺体を俺に回収させるのか。


 アンがスマッシュから聞いた話だと、その遺体の損傷具合があまりにも激しく残酷なことから、さらに焼いて肥料とするのは、あまりにも無慈悲だと。

 自分たちの生活のためなら喜んで人糞すら取引する連中でさえ、敬遠したくなるほどの嗜虐性を持つ男が、サイラン中で噂になりつつある吸血鬼と言うわけだ。


 その話がすでにスラムにまで広まっているとは驚きだが、奴らの情報網は以外と広い。今朝の集まりで見えてきた吸血鬼が進化——あるいは精神崩壊していく道筋も、すぐに尾ひれはひれが付いて広まることだろう。

 もしかすると、それによってサイランの住民が警戒するのを嫌がり、吸血鬼の狩場がスラムに変わったのかも知れない。


「ただいま戻りました」


 アンからスマッシュの話を聞いていると、買い出しに行っていたファイスが墓守小屋に戻ってきた。


「おぅ」

「お帰りなさいです!」


 ファイスは両手で抱えた籠一杯に野菜や果物を詰めていたが、それを食材置き場となっているスペースにおくと、すぐにこちらへ振り返り——。


「ミスター・カネガ、また例の異状死体が出たそうです。従士隊から回収要請を受けました」

「何?」


 どうやら、狩場を変更したのではなく——広げただけのようだ。


 

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