吸血鬼 ⑧
従士隊に呼ばれて遺体を回収しに行った先で見たものは、やはり首筋に空いた二つの穴と、内臓が抜き取られた骨と筋だけの遺体。
そして、鍛え上げられた胸筋や腹筋を喰い千切られた青年の残り香だった。
遺体を現場で検分し、従士隊に吸血鬼の犯行である可能性が極めて高いと報告し、遺体は荷車に運んでファイスとアンに火葬場へと運ぶように指示した。
二人と分かれた後、今度はスラムで放置されている遺体を回収するため、まずはミステル・バリアンローグの住処へと向かった。
「ミステル、いるか?」
いつも通りにドアをノックせず、一声かけるだけで中へ入っていく。
「ざ〜んねん、ミステルは留守よぉ〜?」
ミステルの住処である平屋にはいると、そこは薬剤師としての作業場になっている。いくつもの鉢や干した薬草が並ぶ作業机の椅子には、ミステル・バリアンローグ本人ではなく、その恋人兼用心棒の一人であり、スマッシュの相棒でもあるダリアが
「お前しかいないのか、スマッシュは?」
「“お前”だなんてぇ〜随分なご挨拶ね、ゼ〜ン。スマッシュはミステルと一緒よぉ〜?」
ダリアの甘ったるく伸ばした口調は実に特徴的だ。イントネーションも独特で、聴くものによってはその神経を激しく逆撫ですることだろう。
しかし、下着同然の薄着姿と腰まで伸びるウェーブのかかった金髪。それに目鼻立ちが整った美貌は妖艶な雰囲気を醸し出し、ダリアの本質を知る者ならばその印象は全く別物となる。
この女は相手を溶かし、腐らせて捕らえる——まるで食虫植物のような女だ。
「そうか……スマッシュが今朝俺のところに来たらしいが、要件は聞いているか?」
「もちろんよぉ〜? ゼンのところへ行かせたのはミステルだしぃ〜、要件も知らずにスマッシュを男のところへなんて、行かせるわけないじゃな〜い」
少し垂れた目で微睡むような視線を俺に向けるダリアが吸っている
こちらの意識まで溶かし、甘く微睡む沼地にでも引き込まれるような錯覚を覚えるが、ソレがダリアという女の常套手段——吐き出される煙の流れを避けるように入口ドアから移動し、煙の流れてこない位置へと移動する。
それを面白そうに微笑みながら見つめるダリアをみれば、
そして、それに一々反応するほど俺は付き合いの
「ダリア——こっちは仕事で来てるんだ。本来ならスラムの遺体は俺の管轄外、特別報酬がなければ持って行かんぞ。早く回収場所を教えろ」
「ふ〜ん、あなたって本当にお金が一番よねぇ〜? まぁいいわ〜、ゲスな男や
ダリアが吸っている
ぷっくりとした桃色の唇の間から、白い煙を吐き出し抜き取る姿は、個人的には全く興味のない女とはいえ、とても扇情的な姿に映る。
だが、このダリアもスマッシュやミステル・バリアンローグ同様に、男に興味を持たぬ——それどころか嫌悪感すら隠そうとしないレズビアンなのだ。
好きな性別が同性だろうと異性であろうと俺は全く気にしないが、男に対する容赦のなさには、正直面食らう時も少なくない。
ダリアは
と同時に、俺の背後のドアがバンッと勢いよく開けられた。
「動くな!」
「ちっ、客がいやがる」
「おい、そこの男! お前も動くな、何もさわるなよ!」
外からドタドタと飛び込んで来た男たちは、勢いそのままに大声を張り上げて威嚇して来た。
押し込み強盗か——背後から聞こえて来た声と足音は共に三種類。ダリアの視線の動きも、俺を挟むように三箇所を見つめて瞬き、最後に俺へと視線を合わせ——微笑む。
「そんな大きな声を出して〜、何か入り用かしら〜?」
「あ、あぁ……あぁ、入り用だとも!」
ダリアのとろんとした声に戸惑う強盗たちの気配を背中に感じたが、すぐにその勢いを取り戻して、持ち込んでいた荷袋を作業台へと投げた。
「その袋にありったけの
「あ、あと……高く売れる丸薬と金だ! それも入れろ!」
「お前は動くなよ、こっちも絶対に見るな! 動いたら……わかるな?」
背後の声色はどれも若い男の声、息遣いが荒く、何度も唾を飲み込む音が聞こえる。そのうちの一人が俺の背後に回り、肩を抑えながら首筋に黒ずんだ刃のナイフを当てる。
依存者か——。
ミステル・バリアンローグが調合する薬の中には、現代日本で覚醒剤や麻薬などと言われる
その用途は治療用の鎮痛剤として、またはひと時の幸福感を得るための向精神薬、精神刺激剤として使われる。
そして、こういった
まさかこっちの世界でも依存者の世話をすることになるとはな——。
プルプルと震える手で握るナイフの刃が、何度も俺の首をノックする。このままにしておけば、何かの勢いで横に引きかねない。
ここはミステル・バリアンローグの縄張りである自宅兼作業場なので、厄介ごとが起きたら留守役のダリアが処理すべきだ。
この女にはそれだけの力があるのだが、今はうっすらと笑みを浮かべて三人の男たちが口々に叫ぶ要求を聞き流している。
お前がやらないなら俺がやるぞ? そう目線だけで訴えると、ダリアは俺のことを困った子供でも見るかのように見つめて短く一息だけ吐くと、次の瞬間には作業机の下から手を抜いて振った。
「あだっ!」
「いでぇ!」
「がはっ!」
ダリアが腕を振り抜くのと同時に、乾いた弾ける音が短く三度鳴り、三人の男が痛声を上げてよろめき、俺の首筋にナイフの刃を当てていた男も大きく仰け反ってナイフが首筋から離れる。
その隙を見逃さず、背後の男に肘鉄を喰らわして振り返り、さらに浅黒くコケた顔を殴り飛ばした。
「あら、痛かったぁ〜? けれど、ミステルから
殴り飛ばした男は部屋の壁に頭を打って気を失った。視線を回せば残りの二名も鼻っ柱や目元に真っ赤な筋を一本作り、涙目になってヘタリ込んでいた。
一瞬にして強盗どもの気勢を叩き折ったダリアへと振り返ると、その手には黒い柄から伸びる太い革紐が握られていた。
これでアイマスクとボンデージスーツでも着れば、どこかの女王様と変わりないものになるだろう。
これでいて信仰する神も“支配の神ドネール”だと聞くから納得だ。
「男の俺にそれを聞くな、それで……こいつらはいつも通りに処理すればいいのか?」
「えぇ、お願いねぇ〜」
ミステル・バリアンローグの住居兼作業場に押し入り強盗が入ることは、これが初めてでも珍しいことでもない。
だが、撃退することは容易だとしても、その後の処理はそれほど手慣れているわけでもない。
単純に戦意を喪失させたもの、行動不能にしたもの、そして命を奪ったもの。
そのどれもが、女手で運ぶにはあまりにも重いものだった。自然と男手を欲するのだが、そこは男嫌いにして男勝りの女三人組である。
金を出せば死体だろうが薬中毒者だろうがお構いなく運び出し、自分たちが納得する方法で二度と眼前に現れることがないように処理をしてくれる便利な男が必要になる——つまり、俺なわけだが。
涙目で腰からヘタリ落ちた二人に近づき、一方の側頭部を
二人の男が動かなくなったのを確認し、ダリアへと振り返る。
「上がりは?」
ダリアが今回もいつも通りの方法で処理することを頼むのならば、次に聞くことは決まっている。
上がり——とは、これから押し込み強盗三人をラガロ・バーガスの奴隷商館に売り払って得る、その代金のことだ。
相手が女・子供であればダリアたちも即刻奴隷などにせず、多少の情状酌量の余地があるのだが、これが男となればその処遇は決まっている。
これまでその処遇が覆ったことは一度もない。
「そうねぇ〜、上りは元々頼む予定だった回収代金として差し上げるわぁ〜」
だが、ダリアの返答は俺の予想とは少し外れていた。
「……回収代金として? おいおいダリア、それはもしかして……最初っから俺への報酬は用意していなかったのか?」
言葉尻に僅かな怒気を含めてダリアを睨むが、当の本人は飄々とした態度でブルウィップを作業台に載せると、再び
「まさかぁ〜? ここにちゃ〜んとあるわ。けれど〜、売った代金の方がいい稼ぎでしょ〜?」
ふーっと長く白い煙を吐き出し、ダリアは胸元から小さな赤い茶巾袋を取り出すと、赤いとじ紐を摘んで揺らす。
少し軽そうに見える茶巾袋が気になるが、報酬はちゃんと用意してあったらしい。
「——それならそれでいい。こいつらを縛るロープか何かはあるか?」
「そ〜こ」
怒気を沈め、作業場を見渡してダリアが指し示す太い草紐を手に取り、押し込み強盗の三人を縛り上げていく。
その後はスラムで用意した板張りに二輪だけの荷車に三人を転がして縛り付け、隠すように布を被せてミステル・バリアンローグの住居兼作業場を後にした。
元々回収する予定だった遺体の場所もダリアから聞き、後は吸血鬼による新たな被害者を回収し、墓場に戻るだけだ。
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