吸血鬼 ⑨




「スラムの遺体はどうでしたか?」


 スラムで回収した遺体を火葬場まで運び、焼いている間にラガロ・バーガスの奴隷商館に出向いて荷車に転がした押し込み強盗三人を売り払った。


 ラガロ・バーガスは店頭に出て来なかったが、あいつが男の売却に立ち会うことはほとんどない。

 対応した従業員は荷車に転がされた男たちの状態に眉を顰めたが、すぐに覆い隠すように布をかぶせ、別の従業員に商館の奥へと荷車ごと運ぶように指示していた。


 奴隷を買うときには面倒な契約がいくつか付き纏うが、奴隷ではない人間を売り払うのは意外と簡単だ。

 さらにサイランの市民権を得ていないと判ればなお早い。簡単な書類の作成とサインだけで事は済み、後は売却金を貰えば押し込み強盗の三人とは未来永劫、二度と会う事はない。


 本来なら奴隷は身売りをしただけの、のちに自分の力で自由を取り戻せる一時的な境遇や職業でしかないのだが、身元が不確定な犯罪奴隷となれば話は別だ。

 罪を奴隷として清算するための期間を定めた法など存在せず、一度奴隷の身分に落ちれば永久に奴隷として扱われる。

 その扱いも酷いものだ。粗末な衣服に最低限の寝食だけが与えられ、その後は人の嫌がる仕事——公衆便所やゴミ処理場での重労働、鉱山や悪魔憑きバンシーが蔓延る“呪われた大森林”などで死の危険と隣り合わせの採掘・採集作業に従事することになる。


 それも死ぬまでずっとだ。そこに“解放”の二文字は存在しない。

 

 俺もサイランとスラムを渡り歩いて金儲けをしている以上、いつ何時なんどき同じ状況になるかわからないが——その時は全力で逃亡だな。


 夕暮れに染まる墓守小屋に帰って顔を見合わせたファイスの問いに「酷いものだったさ」と、何気なく答えながらも、そんなことを考えていた。


 スラムの住人が遺体を再利用することを忌避するほどの損傷を負った遺体には、やはりサイコパスの署名行動とも言うべき首筋に空いた二つの穴、そして今回も内臓が持ち去られていた。

 だが、その程度だったらスラムの住人も死者に遠慮することはなく。骨粉肥料とすべく遺体を自分たちで焼いたことだろう。


 俺が回収に行った先で、今回の”餌”となった青年は——逆さ吊りにされて高木の枝に括り付けられていた。

 生きたまま血肉を喰われたのか、眼球と舌を抜かれた青年の顔は今にも絶望の絶叫が聞こえて来そうな形相だった。

 そして、胴体は内臓を抜いた上で重ね畳むように縛り上げられているため、およそ人であるとは思えないほどに細く、捻るような状態で逆さ吊りになっていた。

 その真下の土はドス黒く変色し、細かい肉片や骨片が周囲に散らばり、それが別の虫や動物を引き寄せ、モゾモゾと蠢く様はまさに地獄絵図となっていた。


 だが、そんな事を事細かに説明する必要はない。


 墓守小屋の中を見渡すと、朝とは違って今度はアンの姿がなかった。


「アンは納骨堂か?」

「いえ、夕食に使う調味料が切れたので食材店へ行っています」

「カタリナのところか?」

「はい、そうです」


 カタリナ・トニッシュという30代半ばの女は、新婚の夫であり猟師のベガート・トニッシュと共に、派遣教会ギルドに比較的近いところで食材店を営んでいる。

 吸血鬼が跋扈していることを考えれば、日が暮れたサイランを少女一人だけで歩かせるのは少々危険な気もする。


「……迎えに行かれますか?」


 わずかな俺の沈黙で、ファイスは俺の思考を読み取ったようだ。


「あぁ、行ってくる」

「なら、お伴します」


 ファイスは枢機卿カーディナルであるヘーゼンベルク卿のもとで長く奴隷として従事することで、相手の感情の変化を顔色から判断することや、わずかな時間で知り合った人物の性格や心情の偏りかたを見抜くことに長けていた。

 そして、奴隷の身分から解放されたことで少しずつではあるが自分の意見——自分のやりたいことを口にするようになっていた。


 その変化を否定するつもりはないし、俺はイエスだけ答える人形をそばにおいたつもりもない。


「好きにしろ」


 それだけ言い、再び墓守小屋の外へと足を向けた。




******




 サイランの街並みに電灯なんて照明設備は存在しない。夜の街が闇色に沈まぬように照らすのは、適当な間隔で立てられた動物性油を利用したオイルランプ灯だ。


 墓守小屋から派遣教会ギルドの脇道を通って大通りに出ると、光と闇の陰影がハッキリと別れた夜のサイランが姿を現す。

 日が沈んだばかりの街角は、一日の仕事疲れを癒すために繁華街へと繰り出す労働者の群れであふれていた。

 夜道を照らす灯りの下には様々な屋台が場所を取り、香ばしい肉の香りに威勢のい客寄せの声が響く。

 逆に灯りの届かない影の部分には獲物を物色するような鋭い目つきの男たちや、扇情的な衣服で身を包む娼婦たちの姿があった。


 いつもと変わらぬ雑踏と喧騒の中を無言で歩き、その後ろをファイスもまた無言でついてくる。

 たびたび暗闇へ通ずる細道から声を投げかけられるが、それに愛想のない返事を返して歩を進める。

 どいつもこいつも便利屋の仕事を通じて知り合った奴らだが、今は相手をするつもりはない。


 賑わいを見せる灯の下の露店をチラ見しつつ、目的の食材店が見えてきた。


「灯りが消えています」

「あぁ、まだ店を閉める時間には早いはずだが……」


 食材店のそばに立つオイルランプ灯には灯りが点いておらず、その周囲の明るさと賑わいとは正反対に、暗く物静かな食材店前は人通りも少なく、ぽっかりと隔離された闇色に沈んでいた。

 周囲のオイルランプ灯には明かりが点いているのに、この一本だけ消えているのはおかしい。


 何か嫌な予感がする——。


「ファイス、何か武器は持っているか?」

「武器ですか? 頂いた護身用の短刀程度なら持っていますが」


 そういえば、護身用としてナイフを渡してあったか——俺の武器は胸元のホルスターに挿したSIG SAUER P226と、左腕に着けている鋼索腕輪。


「すぐに抜けるように準備しておけ、カタリナの店で何か起こった——」


 ファイスにナイフをいつでも抜けるように指示した瞬間、食材店の中から何かが割れる音がした。

 俺とファイスの視線が即座に食材店へと向く。


「——いや、起こっているようだな」


 ファイスへと振り返り、一つ頷く。それにファイスも頷き返し、食材店へと駆け出した。




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