吸血鬼 ⑩




 食材店の正面ドアには“閉店中”の掛札がぶら下がっていた。ドアガラスの内側には視界を塞ぐカーテンが閉められていたが、僅かに開いた隙間から中を伺うと店内も外同様に暗く人の気配はない。

 だが、店内の商品棚にはまだ食材が陳列されたままになっている。本当に閉店なら、食材は貯蔵庫なり冷暗所なりに移動させるはず。


 店舗前周辺を見渡し、人の目がこちらへ向いていないことを再確認してドアノブを回す——鍵は掛かっていない。

 

 中へ侵入することをファイスに視線だけで伝え、音を立てずにドアを開いてするりと店内へ入った。


 中は静かだ。先ほど聞こえた何かが割れる音は、奥の居住区の方だろうか? 


 ドアガラスからはよく見えなかったが、カウンターの上には会計待ちと思われる食材と調味料の小瓶、そして僅かな硬貨が散らばっていた。


 ファイスもそれらを見て思うことがあったのだろう。肩を強張らせ、表情は曇って綺麗に切り揃えられた両眉をひそめている。


「アンが買うはずだった調味料です」


 ファイスが小瓶の調味料を見て小声で囁く。


 それに返答はしないが、上着の胸元に手を入れてP226を引き抜く。ファイスの視線も俺の動きを追ってP226を見ているが、一々説明するつもりも時間もない。


 ただ一言——。


「——俺の前には立つな」

「……はい」


 それだけ判っていればいい。スライドを引いてチャンバーに初弾を送り込み、P226を両手でホールドしながら胸の前に構え、銃口を斜め下に向けながら部屋の奥へと歩き出す。


 間仕切り代わりに垂れ下がる布のカーテンを僅かにめくり奥を覗くと、そこは狭い廊下になっていた。


 そして漂ってくる鉄と生臭い臭い——。


「血の臭い……」

 

 漂ってくる臭いの元は狭い廊下の奥から——横には二階へ上がる階段が見える。


「ファイス、お前はそこで上を監視しろ、何かを見たり誰かが降りてくるようなら俺を呼べ」


 ファイスへ振り返り、小声で指示を出す。


「ミスター・ゼンは?」


 ファイスもすぐに状況を理解して小声で返してくるが、俺は声を出して答えることはせず、視線と顎先の動きだけで廊下の奥を指し示して先へ歩き出す。


 足元の廊下は土間のように固められているので、歩く音はそれほど大きくはない。だがそれでも、足音を立てないように慎重に進み、気配を殺しながら奥の部屋へと近づく。

 狭い廊下の壁には量は少ないが血が飛び散り、土床には強く擦ったような跡も残っている。


 明らかに何かがあった——そして、より強く漂ってくる血の臭い。


 その発生元は食材貯蔵庫——現代の冷蔵室に似た冷えた倉庫だ。鉄製のドアが半開きになっており、赤黒い血溜まりが床に広がっていくのと、庫内の端には誰かの靴裏が見えている。


ゆっくりと警戒しながら近づいていくと、ドアの隙間から流れてくる冷気に乗ってより強い血臭が漂ってきた。

 半開きになっているドアをP226の銃口で軽く押しあけ、すかさず体を滑り込ませてP226を血臭と血溜まりの発生源へ向けて構える。


 そこにあったのは、食材貯蔵庫の棚にもたれかかるように伏せて倒れる男の体だった。


 それほど広くない食材貯蔵庫には他に人影はない。警戒を解き、そっと伏せている男の首筋に指を当てる。


 脈拍を感じない——死んでいるようだ。


 伏せている男の顔を覗き見ると、それが食材店の店主、ベガート・トニッシュであることはすぐに判った。

 僅かに体を起こすと赤く腫らした鼻から血を垂らし、腹部から臓物が垂れ落ちる。どうやら、腹部を鋭利な刃物——それも、随分と刃渡りの長い物で一斬りにされたようだ。


 ベガートが伏せる側には、防犯用と思われる鉄棍も転がっていた。その持ち手には血に濡れた白い布が巻かれており、ベガートの鼻血が着いたのだろうと推測はできる。


 ガタンッ!


「それ以上近づかないでッ!」

 

 食材庫の状況が見えてきたとき、上の階から大きな物音と女の叫び声が響いた。


 すぐさま食材庫から飛び出し、廊下の階段下から上を見上げるファイスと視線を合わせる。


「ミスター・ゼン!」

「お前は従士隊の詰め所へ行って誰か呼んでこい、奥でベガートが腹を裂かれて死んでいる」

「ッ?! で、ですが……ミスター・ゼンは?」

「上を見てくる。早く行け」


 ファイスは一瞬だけ逡巡したが、一度だけ視線を階段の上に向け、次に俺の背後の食材庫に向けると、「すぐにミスター・マールを呼んできます」とだけ言い、食材店の外へ駆けていった。


 その後ろ姿を一瞥し、音を立てないよう慎重に二階へ登っていく。




******




「べ、ベガートはどうしたの?!」


 階段を上がっていくと、再び女の叫び声が聞こえた。カタリナ・トニッシュのものだ。 


「ふひ、フヒヒ……あぁ、香る……香るヨォ〜。これは間違いなく、探し求めた天使の薫りィ〜」

「て、天使なんてここにはいないです!」

「そのさえずりりも心地いい歌声ェ〜、さっきの男は煩い雑音で不愉快だしィ、血も臭いしィ、供物にもならない汚物でしかなかったヨォ〜」

「べ、べガードに何したの!?」


 そして聞こえてきたのは、どこかしっかりと発音できていない若い男の声と、“富の神ネーシャ”より遣わされた天使アンの声だ。


 階段を上がった先は居間になっていた。その部屋の隅で、二の腕から血を流して座り込むカタリナと、その前でカタリナを守るように両手を広げて立つアン。

 顔を青くし肩を震わせながらも、その真っ直ぐな瞳が睨みつける先には、黒いフードコートを被り、手には血濡れの長剣をぶら下げた男が立っていた。


「そこまでだ」


 その背中にP226を構え、ゆらゆらと肩を揺らすフードコートの男に声をかけた。


「ゼン!」


 居間の入り口から俺が姿を見せたことで、アンの顔に安堵の表情が浮かんだ。


 俺の声とアンたちの表情に、フードコートの男も俺の存在に気づいたようだ。


「ン〜?」


 フードコートの男はこちらに向き直ることなく、不自然なほどに背中を反らせ、半身を捻るようにしてこちらを見た。

 そのツラは深いフードによってよく見えないが、口元には銀色に輝く鋭い牙が並んでいた。


 なんだコイツは——押し込み強盗じゃぁない。目元は見えなくとも口元の歪みを見れば判る。コイツは殺しを楽しむタイプの人間だ。

 それに、口に嵌めているのはマウスピースか? あれじゃぁまるで——。


「——そうか、お前が俺の金儲けを繁盛させている、吸血鬼か」


 俺の一言に、フードの奥のマウスピースが不敵に開き、血のように赤く、人間離れした長い舌を伸ばして不敵に嗤う。


「そういう君はァ〜? あぁ……あぁ、あぁ、あぁ、墓守ィ〜」


 俺を知っている? 


「お前みたいなサイコパスにまで顔を知られているとな……」

「サイコパス? それは悪魔憑きバンシーのことかなァ〜?」

「ふん——お前みたいなヒル野郎のことだ」

「ヒ、ヒル〜?」


 どうやらお気に召したらしい。フードコートの男は長い舌で見せつけるように銀歯を舐めていたが、その動きが止まった。


「ヒ、ヒヒヒッ! この“吸血の神ドラバー”様より頂いた力を……あ、あ、あ、あ、あんなぬめった生き物と一緒にするとはァ!」


 次第に発狂していくフードコートの動きが大きく揺らめいた——そう感じた瞬間、こちらへ向き直ったかと思うと、その姿が搔き消えるように目の前から消えた。


「ヒヒッ!」


 フードコートの姿は忽然と消えたわけではなかった。その姿勢は床に這いつくばる程に低く、はためくコートの裾は翼のように広がり、床を飛ぶように素早く駆ける。

 その動きを常人が追うことは難しく、俺が使徒でなければ消えたと感じた瞬間に一刀の元に斬り伏せられていただろう。


 視界の隅で駆ける影に向かい、狙いを定めずにP226のトリガーを引いた。

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