黒ドレスの女 ⑩
ラジに連れられてメリナ・サラマイヤーが墓地に姿を現したのは、俺が地下納骨堂から戻って一時間もしない頃だった。
「深夜に呼び出して悪いな」
「いいえ、貴方からの連絡を待ちわびていました」
「判り次第すぐに連絡をと思ってな——それで、後ろの男たちは?」
メリナ・サラマイヤーの背後には、見覚えのない男が二人待機していた。まるでメリナを護衛するかのように無言で佇み、その視線は俺を射抜くような鋭い視線で睨みつつも、闇夜の墓地全体に気を配っている。
「彼らは私の友人です。このような時刻に外出するのを心配して同行してくれました」
確かに女一人で出歩くには些か危険な時刻だが、そのわりにはメリナの服装は初めて会った時同様、黒いチュールで顔を隠した黒ドレスのままだ。
そして雲の切れ目から差し込む月光に照らされた金髪は、神々しいまでの艶やか輝きを放っている。
「そうか……ラジ、お前は小屋に行って待っていろ」
「まだ何かあるのか?」
「アンが夜食を用意している」
「マジで?! やりぃ〜!」
ラジにはメリナが宿泊している宿まで伝言を頼んでいた。ここまでメリナたちを案内した後、少し離れた位置で話を傍観していたが、飛び跳ねて墓守小屋へと駆けて行った。
その背中を見送り、ラジが墓守小屋の中へ消えていくのを確認すると、メリナへと一歩近づき、声を潜めて話を続けた。
「——お前たちの店を襲ったのはダダーリン兄弟だ。そのうち二人、三男と次男は情報収集の過程で殺した。遺体の処理はサービスとしてやっておく」
「そうですか……では、長男の居場所と鉱石については?」
「それは調べがついている——」
バルブロから聞き出した情報をメリナに伝えると、彼女は背後へ振り返って佇む男に一つ頷きを見せた。
男もそれに頷き返すと、前に進み出て手に持っていた重そうな革袋を俺の前に置いた。
「カネガさん、ありがとうございました。これは報酬のお金です」
「まだ依頼を全て完了したわけではないが?」
「いいえ、ここまで判れば十分です。あとは私どもで対処します」
「これで終わりか?」
「えぇ、終わりです」
「——なら、ありがたく報酬を貰う。あとは気の済むまで復讐を楽しめ」
足下に置かれた革袋を足で俺の後ろに動かすと、右手をメリナに差し出す。
メリナも手を差し出し、軽く握手を交わす——柔らかく、スベスベとした少し冷たい女の手。二人の子供を育て、資金繰り厳しい鉱石商を支えていた手とは——。
「ありがとうございます」
そう言って一礼すると、メリナは二人の男を連れて墓場から出て行った。
その背中が墓地に漂う夜霧に消えるまで見送っていると、墓守小屋の扉が僅かに開いてラジが顔を出した。
「行った?」
「あぁ、そのようだ」
「あのおばさん、スッゲェ怖かったな」
「そうか?」
ラジに聞き返しながらも、俺も同様の印象を持っていた。子供の感じる“怖い”という印象よりも、もっと妖艶で怪しい雰囲気を——ではあったが。
「それよりもラジ、伝言はちゃんと伝えたか?」
「あぁ、もちろんだよカネガ! あのオバさんとこ行く前に、ケンに従士の詰所にいってダストンのおっちゃんを呼び出せって伝えておいたよ!」
「それなら、もうすぐ姿を現わすな」
「それより早く飯食おうぜ! アンの奴、カネガが来ないと食べちゃダメだって言うんだ!」
ラジの催促を聞き流しながら小屋に入ろうかと動き出すと、夜霧の中を小さな影と大きな影が並んで歩いてくるのが見えた。
「ゼ〜ン!おっちゃん連れて来た〜!」
「ふぁ〜〜おい、カネガぁ。お前こんな夜更けに人を呼び出すってのは、一体どういう了見なんだ?」
夜霧の中を歩いて来たのは、深夜にも関わらず元気いっぱいなテテンと、眠気まなこで欠伸をする従士のダストン・マールだ。
彼にはこれまでに得た情報の“一部”を渡して貸しを作るつもりだったが、その予定を少しだけ変更することにした。
「ダダーリン兄弟の情報がある。今すぐ行けば逃げ出す前に捕縛できるだろう」
「今すぐ?! お前いまが何時か知っているのか?」
「テテン、アンの夜食ができてるぞ!」
「ほんと〜? やったぁ〜!」
ラジに呼ばれて墓守小屋に突入していくテテンを横目に、内ポケットから小さな小袋を取り出してダストン・マールに投げる。
「ん?」
難なくキャッチしたダストン・マールが小袋へ手を入れると、中から赤い小石を一つ摘み上げた。
「それが何か判るか?」
「……ルビーじゃないな、ガーネット?」
「賢者の
「あぁ、ふぃろそ……賢者の
「そうだ。ダダーリン兄弟はそれ目当てでサラマイヤーを襲った」
「なんだと?! じゃぁ、サラマイヤーがコイツを密輸してたって言うのか?」
「詳細は知らん。だが、俺がこの情報を入手したのと同時刻ぐらいで、サラマイヤーの“本当”の取引相手も情報を手に入れたはずだ」
「なっ、それを早く言え!! それならすぐにでもダダーリン兄弟を襲うってことじゃないか!」
「その小袋の中にダダーリン兄弟の根城の位置も書き記しておいた。せいぜい人を集めて向かうんだな」
「あぁ、そうさせてもらう。それじゃぁな!」
ダストンは賢者の
これでいい——。
「カネガぁ〜! 飯ぃ〜! 食うまで帰らないからな!」
「からな〜!」
さて、腹を空かせたガキどもにアンお手製餡掛けスープを食わせてやるか。
******
その日は長い闇に包まれた夜となった。俺からの情報をもとに、ダストン・マールは騎士団と連絡を取り、従士隊が先行してスラムにあるダダーリン兄弟の根城へ強襲を仕掛けた。
そこに法的手順や規則などは存在しない。もとよりサイランの外部と認知されているスラムの一軒家に、治安維持を名目に強制捜査を執行しただけの話。
だが、そこにいたのはダダーリン兄弟だけではなく、正体不明の一団がいた。
ダストン・マールたち従士隊が目にしたのは、血だるまで息も絶え絶えの状態で横たわる男と、大量の賢者の
無言で見つめ合う従士隊と正体不明の一団。女の手から赤い石がこぼれ落ちたとき、両陣営が咆哮のごとき雄叫びをあげて激突した。
そんな大捕物の激戦をよそに、俺は食後の蒸留酒を楽しんでいた。
一仕事を終えた後の酒は美味い。革袋の中には依頼を受けた時の条件通り、強盗一人当たり30万ドーラの、計90万ドーラが入っていた。
その一部を“富の神ネーシャ”に奉納し、残りは地下納骨堂の一区画に隠しておく予定だ。
ラジとテテンは餡掛けスープを何度もお代わりし、眠気も吹き飛ばす勢いで平らげている。
毎夜泊めているわけではないが、仕事を頼んだ後には泊めてやることは多い。このガキどものような、浮浪者のネットワークは決して侮れない。
どこにでもいて、普通に生活している者たちから見れば意識して視線を向けることを忌避される存在。
居るのに居ないものと認知され、何を見られても、何を聞かれても、それが広く共有されていることなど露ほどにも思われていない。
彼らのネットワークに流れている情報は様々だ——あの料理店は残飯を裏手のゴミ箱に捨てている。あそこの質屋は盗品を買い取ってくれる。露店通りの果実屋で店番をしている老婆はほとんど目が見えていない——等々、基本的には彼らの生活を繋ぐためのものが多い。
ダダーリン兄弟の情報も、ミステル・ローゼンバーグが調べられなければスラムの浮浪者たちを使うつもりだった。
ミステル・ローゼンバーグの方がダダーリン兄弟に近いと考えたから先に声をかけたが——。
空になったグラスへ琥珀色の蒸留酒を注ぎ、ツマミ代わりに上着のポケットから赤い石——賢者の
サラマイヤーの店で見つけた最初の——ダストン・マールには渡さなかった一粒だ。
「あ〜! 絵本がある! ラジ読んでぇ〜」
「本当だ。カネガの旦那、アンに買ってやったのか?」
「いや、それは……まぁいい、好きに読め」
サラマイヤー家の惨劇現場で見つけた血濡れの絵本、すっかり血が乾いてコーヒーを溢したみたいに変色しているが、読む分には何も問題なさそうだ。
「ラジさん、私にも聞かせてくださいです」
アンも血濡れの絵本に興味を持ったのか、それとも知識欲が湧いて中身を記憶しておきたかったのか、ラジの両サイドにアンとテテンが寄り添うように座り込み、ラジは少し顔を赤くしながらやや浮ついた声で絵本を読み始めた。
「ある町に一人の若い商人がいました。若い商人は国で一番の商人になることを夢見て、まずは自分の足で歩いて物を売る行商人になりました」
「うんうん!」
「お金儲けの基本は自分の足で稼ぐ事ですね」
「若い行商人には商才がありました。商品を安く買い取り、別の町で高く売ってお金を稼いでいました」
「いいなぁ〜テテンもお金いっぱいほしぃ〜! あ、ゼン〜お馬さん売ったお金をデグ爺が取りに来いって〜」
絵本に夢中かと思ったが、テテンが思い出したかのように荷馬車を処理したお金の話を伝えてきた。
「あぁ、明日の朝にでも行って来よう」
「アタシの取り分はもう貰ったからぁ〜」
「テテンちゃんにも素晴らしい商才がありますです」
「えへへ〜ラジ、つづき〜」
「はいはい——若い商人の行商は波に乗り、大きな成功を目前にしたある晩。彼が泊まった宿が悪魔に襲われました」
ラジが読み聞かせる絵本の内容が耳に入ってくる。視界に映るのは賢者の
「若い商人は悪魔に言いました——『売り物は全て差し上げます。どうか命だけは助けてください』と」
「商人助かった〜?」
「命あっての物種とは言いますが……」
「悪魔は答えました——『お前の命はそんな
ダストンは上手くやっただろうか? 今ごろはダダーリン兄弟の根城で三つ巴の激戦でも繰り広げているかもしれないが。
「いのちは大事だよねぇ〜」
「命の価値は簡単ではないのです」
「この場を生き延びるために、若い商人は嘘でもいいから悪魔を納得させようと考えました。そして『なら、取引をしよう』と、若い商人は悪魔に提案しました」
あの黒ドレスの女は——メリナ・サラマイヤーではない——当の本人は、すでに死んでいる。
「そうして、悪魔と取引をすることになった若い商人は、行商をしながら“悪魔の魂魄”を運ぶ約束を結びました」
「こんぱく〜?」
「何か特別な品物のようですね」
サラマイヤーの店で見た家族の肖像画——仕事を依頼してきた黒ドレスの女の髪色——地下納骨堂で見つけた骨壷の名前。
その全てが……一致しない。
「悪魔と取引をした若い商人は、生まれ持った商才と悪魔の加護によって今まで以上に商売が繁盛しました。最初は悪魔との取引に脅えていた若い商人もその成功に味を占め、悪魔と取引をしている恐怖感をすっかり忘れてしまいました」
「うんうん!」
「成功は万能の媚薬です」
そして、この賢者の
「しかし、若い商人の成功は長続きしませんでした」
「えッ、なんで〜?」
「急展開です!」
「若い商人が運んでいた“悪魔の魂魄”は、この世のあらゆる悪を引き寄せる力を持っていました。それは憎しみ、妬み、恨み、蔑み、怒り、ありとあらゆる邪な感情が若い商人に向けられ、よくないことが頻繁に起こるようになりました」
サラマイヤー一家に起こった出来事は、ある意味で必然——起こるべくして起こったこと、サラマイヤーは引き際を見誤ったのだろう。
いや——引くに引けないところまで来ていたのかもしれない。
「若い商人は悪魔と取引したことを酷く後悔しました」
「うんうん、もうやめた方がいいよ〜」
「後悔先に立たずです」
「そして、若い商人は思い切って悪魔に言いました。『私は貴方との約束を十分果たしたはずだ。これで終わりにしたい』と——」
ダダーリン兄弟の襲撃は、黒ドレスの女たちにとって予定外の事態だったのかも知れない。そこで、従士や騎士団よりも先に襲撃犯を見つけるため、サイランの裏事をよく知る人物——俺に話を持って来た。
「悪魔は若い商人の申し出を黙って聞いた後、地獄の底から響くような冷徹な声で返しました『お前は命の対価に悪魔の仕事を選んだ。悪魔との取引に終わりはない、命が不要ならば、魂魄となって永久に一つとなれ』」
「え〜? たいかって何ドーラ? 100ドーラくらい?」
「100万ドーラくらいかもしれないです」
それが判った時、俺は依頼を正しく完了することをやめた——この依頼には最初から“嘘”があった。
金儲けをする上で、根底に嘘があっては事が成り立たない。金儲けで嘘をつくな——と言いたいわけじゃない。
過程で嘘を混ぜるのは騙される方が悪い。だが、スタート地点が嘘から始まっては信用も信頼も成り立たないのだ。
「若い商人は悪魔の言葉に全身の熱が全て消え去る感覚を覚えました。頭が締め付けられるように痛くなり、首から下はどんどん力が抜けて行きます。この時、若い商人は自分がどこで何を間違えたのか考えましたが、その答えが出る前に、若い商人の体は冷たくなって二度と行商に出る事はありませんでした——おしまい」
「え〜、こたえって何? ねぇ、ゼン〜こたえって何〜?」
「これは何を教える絵本なのです?」
もとより俺は誰も信用しないし、信頼もしない。全ての関係はお互いの金儲けの上に成り立つ利害関係のみ。
今回の依頼も、その真実が見えて来た段階で俺にとって有益な金儲けへと利用させてもらうことにしたのだ。
「軽い気持ちで約束をするなって事だ」
「へぇ〜、約束は大事だよね!」
「なるほど、商人にとって約束とは契約、その大事さを教えているのです!」
悪魔と正直に交渉して命が助かったとも思えないがな——。
グラスに残った蒸留酒を一気に呷り、カウチに体を預けて目を閉じる。
「俺は寝る。朝には縄張りに帰れよ」
「毛布を用意しますです」
「おう!」
「は〜い!」
そうして、黒ドレスの女から受けた依頼は終わった。
数日後、ダストン・マールとは雪花亭で再び顔を合わし、軽傷を負いながらもダダーリン兄弟の長兄を捕縛したことを聞いた。
その場にいた謎の女と男たちの話も出たが、女はいつの間にかに消え、男たちは数人捕まえる事ができたが、詰所に移送するまでの間に全員が舌を噛んで自害したそうだ。
俺からの情報通り、小箱いっぱいの賢者の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます