第二章 馬車の乗客

馬車の乗客 ①



一台の旅馬車がバルミヤ山脈を下る山道を爆走していた。二頭立ての旅馬車は箱型のキャビンを激しく揺らし、キャビンの上部に積み上げられた大きな荷物は今にも落下しそうになっていた。


 その旅馬車の後方を、バルミヤ山脈の関所から出動した山岳警備隊が跨る騎馬隊が追走していた。


 なぜ旅馬車は山岳警備隊から逃げているのか? それは関所での荷物検査の際、簡単な目視確認で終わるはずだったキャビン内の検査で、乗客の男が座る座席の下から、うめき声らしきものが聞こえたことが発端だった。


「今の声はなんだ?」


 関所の検査官がキャビンのドアを閉めようとした時、明らかにキャビンの軋み音でも動物の鳴き声でもない、人の声が聞こえた。


 検査官の視線がキャビン内を巡り、微動だにしない乗客の男と視線が重なる——次の瞬間、乗客の男は検査官を蹴り落とし、御者に聞こえるように大声を上げた。


「積荷がバレた。出せッ!!」


 あらかじめ馬に鞭打つつもりでいたのか、御者は乗客の声に戸惑うことも聞き直すこともせず、二頭の馬の尻を叩いて旅馬車を急発進させた。


「関所破りだ! 追え〜!!」


 そこから始まったのが旅馬車と山岳警備隊との追走劇だ。曲がりくねった山道を猛スピードで駆け下り、キャビンは激しく上下し、車軸は軋み音を上げて猛回転した。

 追走する騎馬の数は時間の経過と共に増えていき、旅馬車に追いつくのも時間の問題と思われたその時、崖を面にした山道で旅馬車の車軸がヘシ折れ、旅馬車は横転しながら二頭の馬と共に岩場に激突し、跳ね返るようにして崖下へ転落した。


「生きていると思うか?」

「いや、確認しなければ判らないが……助からないだろう。サイランの詰所に連絡して、引き揚げ機具を持っている工房に連絡をとってもらおう」


 山岳警備隊たちは崖の中腹で止まった馬車を見下ろし、粉砕されたキャビンと散乱する荷物、そしてゆっくりと広がっていく赤い血溜まりに、生存者がいる可能性を真っ先に否定した。




******




「それでな、儂は言ってやったんじゃ。『儂の工房を買い取ろうってなら、神王都に宮殿が建つほどの金を持って来い』ってなぁ!」

「このオンボロ工房にそんな値打ちがあるとは思えないがな」

「バカ言ぇ、この剣を見ろぉ〜。この薄さ、この強度、一振りすれば鉄兜を両断し、使徒が持とうものならフルプレートメイルも一刀両断にする業物ぞぉ!」

「剣の出来など知らん。相手を刺し殺す事ができれば串でもペンでも同じだ」

「何をバカなことを、串なんぞ何の脅威にもならんぞ」


 その日、俺が懇意にしているデグ—デグストン・ババールの工房に来ていた。彼とはP226のホルスター製作を依頼してからの仲だが、お互いに酒好きとあって飲み友達のような関係を続けている。


 デグスター・ババールは50を越えた小柄なジジイで坊主に近い短髪。逆に白いあご髭を伸ばして紐で縛り、それを摩りながら自身が製作した品を自慢げに語ってくる。

 それを蒸留酒が注がれたグラスを片手に俺が品評するのが、この飲み会のいつもの流れだ。


「は〜い、おつまみのタラ豆が茹で揚がりで〜す!」


 工房の奥からアンがオレンジ色の枝豆に似た豆を塩茹でしたものをザル一杯にして運んで来た。

 品評会の会場となった作業テーブルの中央にドスっと置き、代わりに並んでいた短刀を一本持ち上げた。


「私はデグの鍛冶仕事はサイランで一番だと思いますです」

「おぉ〜! カネガと違って嬢ちゃんは判ってるのぅ!」


 最近は墓地を留守にする時にアンを連れて出るようにしていた——理由はいくつかある。


 “富の神ネーシャ”に納める上納金を含め、金儲けをする上でアンは重要な相棒となる。俺のやり方、考え方、金儲けの仕方、その全てを理解してもらわなければならない。

 だが同時に、俺がメインの金儲けとしている裏事は危険な金儲けでもある。特に先日——伝説とも詠われる異端教団ドミニオン、シオル修道会と思わしき人物と関わりを持った。

 その関わりが俺とアンに危害を加えるものかどうか、それがしっかりと判断できるまでは、無防備に背中を晒すようなことをはしたくない。


「……見せてみろ」


 俺の一言を待ち望んでいたかのように笑みを浮かべるデグスターは、完成したばかりだと言う長剣を回転させ、うやうやしく頭を下げながら長剣の柄をこちらに向けて差し出した。


 ザルに山積みのタラ豆に手を伸ばしつつ、長剣を受け取る。


タラ豆は味も枝豆によく似ている。塩茹でされた皮を指先だけで剥き、中身を口に弾き入れて上着の内ポケットに手を入れる。

 取り出したのは片目を覆うほどの眼帯だ。目の部分には短い筒状のルーペが付いており、これを着けて鑑定眼プライスを発動すれば、金色に変化した右眼と刻印ラースを見られずに能力を使う事ができる。

 製作したのは目の前でニヤけるデグスターなのだが、こいつは剣を打つ鍛冶屋ではなく、ホルスターや眼帯ルーペを作る革職人でもなく、自らを発明家と名乗っている変り者だ。


 受け取った長剣の刀身、鍔、柄、それに細部の意匠に至るまでを細かくチェックし、浮き上がる価値の値で物の良し悪しを判断する。

 鑑定師の真似事でしかないが、それが市場に出た時に評価がそう外れないというのは、サイランの工房職人の中では共通認識となっていた。


 デグスターの製作した長剣は見事なものだった。刀身も鍔も柄も、どこを見ても高額な値が浮き上がっている。


「悪くないな、6万ドーラってところだ」


 鑑定眼プライスを解除し、眼帯ルーペを脱いでテーブルに置く。長剣は同じように回転させてデグスターへ柄を差し向ける。


「ふふん、当たり前だぁ。新しく作り上げた鍛治炉の火力は以前より三割増しぞぉ!」

「さすがはデグさんですね」

「カッカッカッ! 嬢ちゃんの茹でたタラ豆も美味いぞぉ〜」


 俺の鑑定に満足したのか、デグスターのタラ豆を口に運ぶ勢いと酒を呑む勢いが増していく、このままだと酔い潰れて寝てしまうだろう——その前に。


「デグ、俺が頼んでおいた物は出来たのか?」

「ん? あぁ、アレか、出来てるぞ。注文通りに作ってみたが、これはこれで面白い製作だった」


 デグスターはグラスをテーブルに置き、乱雑に工具や設計図らしき図面が散らばる作業デスクへ歩いていくと、いくつかの引き出しを開けては閉め——。


「おぉ、あったあった。ほれッ!」


 ——と、俺に投げて寄越したのは腕時計ほどの腕輪だ。地味で目立ちにくいデザインだが、材質は軽く耐久性もある神世界フェティス特産のガリウム鋼製。


 リング状の腕輪は採寸通りのサイズで俺の左手首に嵌まり、輪の一部を引くと——T字型に分離した。

 分離したT字型のパーツは巻尺コンベックスのように極細の鋼索で腕輪に繋がっており、そのまま引っ張ると両手を大の字にして引いてもまだ余裕があるようだ。


 パッっとT字型パーツを手放せば、ゼンマイバネの仕掛けによって勢いよく腕輪に戻っていく。


「不思議な構造です」

「悪くないな」

「最高だろうが、バカタレェ。注文通り、大人一人分の重量程度では千切れない強度に、絹糸のように軽い重量、ゼンマイ機構含めて面白い仕事じゃったわ」

「代金は?」

「それなんだが……」


 離しながら腕輪の一部を引いては離し、また引いては離す。鋼索を動かした時のゼンマイ機構が立てる音の大きさを確認していたが、その手が言い篭るデグスターの言葉に止まる。


 視線を腕輪からデグスターに向けると——。


「……少し足が出た」

「渡した金は釣りが出るほどの十分な額だと最初に言っ他のは、デグのはずだが?」

「そ、そうなんだが……その腕輪に入るゼンマイ機構を完成させるためには、最適なゼンマイバネの作成が必要不可欠でな……」


 この腕輪の作成にあたり、すでに製作費の全額を前金として渡してあった。渡した金で何を実験しようと気にしないが、足が出るというのは話が違う。


「渡した金以上は払わないぞ」


 作業用デスクに背を向けて寄りかかるデグスターにピシャリと言い放つと、その顔が“やっぱり”とでも言いたげな残念顔を見せて顔を伏せた。


「こ、このままじゃ嫁に絞め殺される……」


 デグスター・ババールには威勢と恰幅のいい嫁と小さな娘が一人いる。工房は住居とは別棟なのでこの場にはいないが、何度か見かけたことはある。

 恐妻——とまでは言わないが、ズバズバと物を言う、体もデカけりゃ声もでかい女だ。


 だが、夫婦喧嘩は犬も喰わぬと言う通り、俺が口を出すことでも手を出すことでもない。それどころか、下手をすれば差し出した手すら噛まれるかもしれない。


 頭を抱えて途方に暮れるデグスターに、「残念でしたね」とアンが慰めの言葉を掛けていると、工房の入り口から複数の従士たちが入ってきた。


「デグはいるか?」


 聞き覚えのある声に視線を向けると、そこには馴染みの従士であるダストン・マールの姿があった。


「ん? なんだダストンじゃないか」

「お、そっちにいたかデグ。それにカネガ、お前までいるとはな」

「怪我はすっかり治ったようだな」

「おぅよ。俺も部隊の連中もすっかり元通りだ」

「それは何よりなのです」

「ありがとよ、アン嬢ちゃん」


 ダストン・マールとその従士隊のメンバーは、先日のダダーリン兄弟捕縛作戦の際に正体不明の異端教団ドミニオンと遭遇し、乱戦となって多くの怪我人を出した。死人こそ出なかったが、ダストンも軽傷を負い、軽口は叩いても現場復帰は様子見をしていたはずだが、この様子だとそれも完治したようだ。

 ダダーリン兄弟の潜伏位置を教えたのは俺なのだが、お互いに情報屋として利用し合っているので、それを公言するような真似はしない。

 たとえ二人っきりで話していようとも、重要な情報をやりとりしたことを匂わせることはないのだ。


「それで、ワシに何かようか?」

「あ、あぁ……デグ、お前の発明品とやらに崖下に落ちた荷馬車を引き上げる道具があったと記憶しているんだが」


 工房の入り口に従士隊のメンバーを待機させたダストンは、ひとり工房の中へ入ってきてデグスターが立つ作業用デスクにまで来ると、ここへやって来た目的を話し始めた。


「確かに、ワシが発明した巻き上げ機を使えば、崖下の荷馬車を引き揚げるなど造作もないッ」


 踏ん反り返るように言い放ったデグスターだったが、発明好きの彼が作るのは神具アーティファクトではなく、手動工具がメインだ。

 工房を構えていても、神具アーティファクト職人とは根本的に職種が違う。なまじ神具アーティファクト神器セイクリッドなどと言う、鉱石と神への祈りだけで魔法のような現象を引き起こすものが存在するため、電力を発電させる技術は存在しない。


 全く同様の力が“雷の神ライドン”への信仰で得られるのだが、それを利用して機械を動かす——といった発想がないため、送電技術に関しての発展は見込めそうもない。


 俺自身もそんな知識は持ち合わせていないし、アンの知識にもそんなものはないので、何も言うことはないが——。


「そいつを貸してもらいたいんだが、いいか?」

「それは構わないが、操作はワシにやらせてもらうぞ? 人に使わせて壊されでもしたら替えが利かないからのぅ」

「それは任せる。それとカネガ、お前にも一緒に来て欲しいんだが、墓地を開けても平気か?」

「ワシもカネガに同行を頼みたい」


 ダストンとデグスターの間で話がまとまると、今度はこちらに両者の視線が向いた。


「報酬は出るんだろうな?」

「金儲けの時間です!」


 俺の答えは一つだった。金さえ貰えれば、時間と仕事の都合をつけて請け負う。相手は知った中であるダストンとデグスターだし、サラマイヤー家を取り巻く密輸事件のような事にはなるまい。

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