黒ドレスの女 ⑨




 ザイドン・ラーゲンヘルツの別邸から荷馬車を一台拝借し、闇夜のサイランを走らせて墓地へと向かった。

 夜会の会場となった別邸は、荷馬車が走り出す瞬間もまだ騒ぎで沸き返っていた。ライオリラは普通の人間が捕縛できるような動物ではない。

 まだ仔とはいえ、一度暴れ出したライオリラを再び檻に入れるのはホネだろう。


 夜間に荷馬車を走らせるのは神経を尖らせる。巡回する従士の目に止まれば、荷物を検査される恐れがある。

 顔馴染みのダストン・マールたちなら誤魔化しもきくが、別の部隊が相手だと面倒だ。


 やがて派遣教会ギルドが見えてきた。その裏手の細道を入っていけば墓守小屋がある墓地へと繋がるのだが、そちらへ行く前に——。


 派遣教会ギルド前で荷馬車の速度をゆっくりと落として行く。視線を派遣教会ギルドとは反対側へ向け、闇夜の陰にうずくまる影を探す。


「——ラジ」

「こんばんは、旦那。何か仕事か?」


 派遣教会ギルドの向かい側に建つ建物の間の暗い裏路地に声をかけると、小汚い少年が暗闇の中から現れた。


 荷馬車を止め、まだ10歳程度にしか見えない少年——ラジに向かって硬貨を投げた。


「至急、伝言を頼む。それと、テテンは一緒じゃないのか?」

「テテンにもか? おい、テテン! カネガが仕事くれるってさ!」


 ラジが受け取った硬貨を服の中に突っ込むと、誰もいないように見える裏路地へ声を発した。


「ん〜? アタシにもおしごとあるの〜?」


幼い声と共に暗がりから姿を現したのは、ラジよりもさらに幼い少女だった。


 この少年少女は、派遣教会ギルドの近くに住み着いているホームレスの兄妹だ。


 スラムという行き場のない者達が住み着いた区域が存在していても、サイランの街中に浮浪者がいないという訳ではない。

 派遣教会ギルドの付近に住むつくことには、いくつかの利点が存在する。


 まず重要なのは食料の確保——定期的に行われている炊き出しはスラムの一画で行われるが、誰しもが喜んで炊き出しの準備に手を貸すわけでもない。

 治安が決して良いと言えないスラムでの炊き出しを、快く思わない派遣教会ギルド職員も大勢いる。

 だからこそ、その炊き出し自体を手伝えば美味しいスープを貰えるだけでなく、材料となった食材や余り物を貰えるのだ。

 また、派遣教会ギルドで受けた仕事をこなすのに人足が必要となった場合、派遣教会ギルドの近くにいれば他の者より先んじて仕事にありつける。


 だからと言って、派遣教会ギルドの周辺に多数のホームレスが住み着いている訳ではない。

 街の治安を考えれば、ホームレスなどいないほうがいい。街の治安を守る騎士団や従士たちは、サイランの重要施設である派遣教会ギルド周辺を重点巡回区域と定めて見回っているため、住み着く先から追い出されている。


 それでも騎士団や従士達は心ある人間だ。ホームレスの幼い兄妹をスラムに閉じ込めるような真似をすることはなかった。

 孤児院に送ったこともあったが、その度に逃げ出しては派遣教会ギルド周辺に住み着くので、従士たちもそこは諦めた。


 そして今では、派遣教会ギルド前で仕事を受ける—立派な便利屋だ。


「テテン、この馬車をデグの工房まで運んでくれ」

「デグの工房かぁ、いいよ〜」


 デグというのは、この街で工房を経営するデグスター・ババールのことだ。俺のSIG SAUER P226のホルスターを依頼した時からの付き合いで、気のいい親父だ。


「デグに馬車の解体と売却を頼んでくれ。駄賃はそこから取ればいい」

「は〜い!」


 荷馬車から降りて荷台に載せてある大きな樽を一つ担ぎ上げると、代わりにテテンが御者台に上がって馬の手綱を振るった。


「で、俺は誰に伝言を伝えればいいんだ?」

「ラジ、お前には——」

 

 遠ざかって行く荷馬車を見送りつつ、ラジに伝言と相手を伝え、大樽を抱え上げて墓地へと向かった。




******


 


「おい、いい加減目を覚ましたらどうだ?」


 全ての準備が整ったところで、横たわるように台に縛られた男に桶の水をぶち撒けた。


「ぶっはぁ! な……なんだここは、誰だお前は?!」


 台に縛られている男——バルブロ・ダダーリンは突然の水に咳き込み、頭を振って水滴を飛ばすと、ゆっくりと自分の状況を確かめ始めた。


 両手足を広げ、仰向けに寝かせられて台に縛られ、着ていた服を剥がされて下着一枚しか履いていない。猿轡も目隠しもされていないが、手も足も動かすことはできない。

 周囲は剥き出しの土壁で、掘るように作られた棚には埃まみれの壺がいくつも並び、何かの名前が書かれた札が貼られていた。

 部屋の明かりは床の上に無造作に置かれたランタンと、壁に掛かる小皿の燭台のみ。


 どこかの倉庫内にも見えるが、ひんやりとした空気と耳が痛くなるほどの静寂は、ここが倉庫などではないことを物語っている。


「地下……納骨堂?」


 バルブロ・ダダーリンは程なくして正解を導き出した。ライオリラを檻から脱走させ、混乱を引き起こして闇取引の会場からダダーリン兄弟を連れ出した後、バルブロ・ダダーリンを殴打して気を失わせた。

 そして倉庫にあった空の大樽にバルブロ・ダダーリンを押し込め、弟の方は死んだ事を確認して放置、あとは適当な荷馬車を奪ってここまで運んだのだ。


「——そうだ。ここには異端教団ドミニオンによって命を失った者達が納められる納骨室。中にはお前たちが殺した者もいるかもしれないな」


 自身のつぶやきに答えた俺に視線を向けると、バルブロ・ダダーリンは目を細めて自身の記憶と俺の顔を照らし合わせていた。


「お前、夜会にいた奴だな……誰だ?」

「質問するのは俺だ。お前たちダダーリン兄弟の根城はどこだ? それと、サラマイヤーの店から鉱石を奪っただろう? どこに保管している?」

「お前……最初っからそれが目的で……まさか弟の怪我は……?」

「あぁ、俺が足を撃ち抜いた。二人ともここへ運ぶのは面倒だし、情報を聞き出すのはバルブロ、お前がいれば十分だったからな」

「このクソ野郎っ! ぶっ殺してやる!!」


 棺台に縛られた状態で暴れるバルブロだったが、土床に埋め込むように置かれた棺台はそんな力では動かない。

 奴が身体能力の強化された神の使徒ならば別の拘束方法を考えたが、服を脱がせて身体中を確認したが、使徒であることを示す刻印ラースは見つからなかった。


 俺と同じように目の色が変わるタイプもありえると考えたが、それは“富の神ネーシャ”の使徒であることを隠すための手段に過ぎない。

 本来ならば、神への信仰を集めるために活動する使徒は、周囲に主神が誰であるかを示さねば意味がない。

 身体に刻印ラースが刻まれる位置は、むしろ目立つ部位にあるのが普通なのだ。


「バルブロ、根城と保管場所だ」

「言うわけねぇだろ! それよりこの縄を解きやがれ!」


 静かに問う俺に対し、バルブロ・ダダーリンの激昂はとどまる事を知らない。だが、尋問に時間を掛けるつもりもない。


「ふぅ——」 


 バルブロは自分の状況が理解できていないらしい。


「——アン、用意はできているか?」


 バルブロから視線を外すことなく、俺の相棒とも言える少女の名を呼ぶ。


「は〜い! できていますですよ〜!」


 それまでの陰鬱とした地下納骨室の雰囲気とは全く違う元気な子供の声に、バルブロの顔に困惑の色が浮かぶのが見える。

地下通路から納骨室に姿を現したアンの両手には、水がたっぷりと汲まれた桶が収まっていた。


やや覚束ない足取りで水桶を俺の脇まで持って来たアンは、自分を凝視するバルブロに「フフッ」っと不敵な笑みを魅せ、再び納骨室の外へと出て行った。

 普段は裏事にアンを連れて行かないのだが、俺が何をおこなって金儲けをしているのかを知らないわけでも、反対しているわけでもない。

 やっている事も、この先やるであろう事も、その全てを理解し、同意し、自分にできる形で力を貸してくれている。


 全ては“富の神ネーシャ”の信仰を高めるために——俺が行う全ての行為を肯定しているのだ。


「な、何でこんな所に小娘が……それにお前……」


 バルブロの混乱は見て取るように判った。10代前半の幼い少女が地下納骨室への監禁に何の戸惑いも見せずに協力している。

 そして自身に向けた笑みは同情も哀れみもない、まるで子供が蝶の羽を毟って遊ぶかのような無邪気なものだった。


アンから受け取った水桶を持ち上げ、バルブロの頭の横に置いた。

 

「な、なにをするつもりだ!?」

「バルブロ、根城と——保管場所だ」


 再度バルブロに問いただすが、自分の身に何か良からぬことが起こる事を察し、その表情にだんだんと焦りの色が浮かび上がる。

 だが、水音がする桶の意味が判らず、不安と恐怖で思考が上手く回らなくなっていく。


 桶の中には水がいっぱいに入っているが、他にもタオルに近い厚手の布が沈んでいる。水分をたっぷりと吸い込み、かなりの重さを持つ布を桶から取り出して、バルブロの顔へと被せた。


「なにしてんだお前! ぼ……ごんなので俺が兄弟を売ると思っでるのがっ!」


 布から滴る水を避けようと頭を振るが、頭がある位置はあらかじめ沈み込むように削ってあり、布を振り落とすことはできない。

 それでも暴れる頭を片手で押さえ、桶の水を柄杓で汲んで布の上から口元へ垂らす。


「ゴボッゴボッ! や、やべろぉぉー!」


 流し込まれる水にむせ返るバルブロだったが、水を垂らすのを止めるつもりはない。もう一度口元に垂らし、その次には鼻目掛けて水を垂らす。


「根城と、保管場所だ」


 咳き込み暴れる頭部を片手で押さえつけ、再び同じ質問をする——返答がなければ、水を垂らし、また質問をする。


 この水責めの尋問手法は、某情報機関で使われて大きく世に広まった手法だ。水桶に直接頭を突っ込ませる手法は息止めによってその効果を軽減できるが、水分を含んだ布越しに上から水を垂らす場合は、呼吸するたびに水分が器官へ流れ込んでくる。

 こうして瀕死状態へ追い込み、思考能力を奪って質問に答えさせる。強靭な精神力と耐久力で口を割らなければ、さらに寝ることも食事をすることも許さず尋問を続ける。


 使徒となった今では、睡眠時間が短くても以前ほど辛くはない。まったく——以前なら複数人で行うこの方法が、俺一人の手で出来てしまうのだから、使徒の身体能力というのは実に使い勝手がいい。


 身体的に責め立てるのに加え、精神的にも追い詰めていく。


「ここは異端教団ドミニオンや異端者に殺され、一家惨殺や身寄りのない、供養する者が誰もいない者たちが眠る部屋だ。地下納骨堂の奥深くにあり、どれだけ声を荒げても誰にも聞こえないし、誰も来ない」

「お、お前……そ、そうか……お前が墓守の……便利屋か……」

「ここは死者の眠る静寂の神殿であり、同時に俺の城だ。ここのことはなんでも知っているぞ」


 棺台の周囲を回りながら、壁の土棚に置かれている骨壷を一つ一つ紹介していく。


「これはサイラン外部の農家、バス家の骨壷だ。若い夫婦の家に押し込み強盗が入り、夫を縛り付けてその目の前で妻を凌辱し、最終的にともに殺害」


 バルブロは咽せながらも俺の話を黙って聞いていた。


「こっちの骨壷は鍛治師のヤード。引退間近の老鍛治師だったが、工房の炉に右手を突っ込み、左手はハンマーで叩き潰され、保管されていた新作は根こそぎ奪われた」


 バルブロは俺がなにを言いたいのかを咳き込みながら悟った。


「この骨壺には鉱石商の家族が眠っている。二人の子供が激しく殴打されるのを見せつけられ、最終的には夫も殴り殺された。この骨壷にはその三人の……」


 そこで言葉が途絶えた——骨壷に貼られた納骨者の名前を指でなぞる。


 夫に、息子、娘、そして……。


「——バルブロ、この中にはダダーリン兄弟の犯行だと言われているものもある。覚えがあるんじゃないか?」


 バルブロはこの質問にも答えなかった。


「沈黙は肯定と受け取るが? まぁ、いい。ここからは彼らにも手伝ってもらおう」

「なに?」


 バルブロは俺以外の誰かがこの部屋に入ってきたのかと頭を起こして扉の方へ視線を向けるが、そこには誰も姿もない。アンの姿も現れる事なく、代わりに頭の横に三つの骨壷が置かれた。


 密閉された骨壷を開け——。


「おいおい、何をする気だ」


 開けた骨壷から遺灰を柄杓ですくうと、再びバルブロ・ダダーリンの頭部を掴んで口を無理矢理開けさせ、そこへ遺灰を流し込んだ。


「おい、や、やめろ! ゴホッ! や、やめっ!」

「死者もお前らに復讐したいだろう。その怨讐を存分に喰らえ」

「ゴホッ! やめ、やめろ! グェッ!」




 バルブロが質問に答え始めるまで、そう時間は掛からなかった。


「はぁはぁ……根城にしているのは……スラムの西だ。」

「何か目印になるものはあるか? 侵入者対策や兄以外の仲間は?」

「し、質屋の二軒隣……を抜けた裏の小屋……」


 一度話し始めれば、もうそれを止めるものはなにもない。堰の壊れた水路のように、聞く事全てに答えていった。


「保管場所」

「こ、鉱石もそこだ……兄のバースが一人で守ってる」


 なるほど……。


「こ、これでいいだろ? 解放してくれ、お前のことは黙ってる。お前の雇い主に情報を伝えろ。襲撃される前に俺たちは消える……」

「その前に一つ答えろ。お前たちは賢者のフィロソフィスの情報をどこで手に入れた」


 闇取引の会場で見本として並べていた赤い石——賢者のフィロソフィスを一粒摘まみ上げ、バルブロの眼前に突きつける。


「さ、サラマイヤーが神王都から禁制品を運んでいるって噂を聞いただけだ。それが何かは吐かせるまで判らなかったし、取引相手も知らなかった」

「知らなかった? なら今は知っているのか?」

「お、お前もこんな仕事してんだ。噂ぐらいは聞いたことあるんだろ……シオル修道会だ」


 シオル修道会——確かに知っている。少しでも裏事に足を突っ込めば、いやでもその噂が耳に入ってくる異端教団ドミニオンの名だ。


 神王国ベネトラにいつの頃からか存在し、そのメンバーには王家や国の重鎮も名を連ね、多くの民衆から畏敬の念さえ向けられていた。

 だが、時代が移りゆく中で神への信仰の形が変化していき、いつしか異端教団ドミニオンと認定され、歴史の影へ潜むようになっていく。


 今では噂話の中にだけ存在する、伝説の異端教団ドミニオンだ。


 確かに、賢者のフィロソフィスなんて代物を密輸する異端教団ドミニオンはシオル修道会くらいしか思い当たらない。と同時に、この後どう動くかも決まってくる。


「お、俺は……この後どうなる……」


 掠れた声と朦朧とした意識の中で、バルブロは自分の身にこれから起こることを正確に予測していた。


「——子供を使って拷問しておいて、自分が生きて帰れると少しでも思ったのか?」


 ホルスターからP226を引き抜き、即座にスライドを引いて薬室チャンバーに初弾を装填。

 俺が何をしているのか理解できないバルブロの顎にサイレンサーを押し付け、躊躇なくトリガーを引いた。




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