吸血鬼 15




 ——ドサッ、と棚扉の向こうで倒れる音が聞こえた。


 鑑定眼プライスで見通しても、マデリアスが床に伏したことが見て取れる。

 棚扉を押し開けて工房内へと飛び出し、すぐさまマガジンリリースから再リロードし、装填からチャンバーに初弾を送り込んで倒れこんだ肉塊へと銃口を向けるが——。


 ——グリップ上部のデコッキング・レバーを下げて弾が発射されないようにロックし、ゆっくりとショルダーホルスターへと戻した。


 足元に倒れるマデリアス・シュターゼンは、頭部に幾つもの穴を開け、目を血走らせて見開き、鋭い犬歯のマウスピースはボロボロに壊れ、焦点の合わない視線で俺を見上げながら息絶えていた。


 念のため、警戒しながら首筋に指を当てて脈がないことを確認する。


「ハァ〜……」


 思わず漏れた安堵のため息——そして、ベネトラ騎士団の騎士を一人殺したという事実。

 たとえ相手が吸血鬼と呼ばれたサイコパスであっても、従士隊に引き渡さずに殺したのはまずい。

 だが、生きて引き渡せば俺が“富の神ネーシャ”の使徒だと知られることになる。

 

 それもまた、絶対に回避しなければならない展開であった。


「しょうがない——こいつには行方不明になってもらうか」


 困った時は生死不明で消息を断つ、これに限る。丁度良く、ここには石材を掘るための道具や、いろいろな刃物が取り揃っている。外を探せば、輸送用の荷車の一つも見つかるだろう。


 そう考え、痛みを増してくる胸下の斬り傷を再び手で押さえ、まずは転がっていたイスを立たせて腰を下ろし、一息ついて後始末の手順を考えることにした。

 



******




 サイランを騒がせた吸血鬼——マデリアス・シュターゼンを秘密裏に殺害してから数日が経過した。

 この数日間は食材店で襲われたアンの様子を気にかけたり、逆に深手を負って墓守小屋に戻って来た俺を包帯でグルグル巻きにしたファイスに応急処置のイロハを教えたり、マデリアスの胃袋から取り出した結婚指輪を食材店のカタリナへ届けたりと、事後処理に忙殺されていた。


 もちろん、マデリアスの遺体も綺麗に片付けた。最後の現場となった工房の道具を拝借し、運び出しやすいように小分けにして、裏手に置いてあった荷車を使って地下納骨堂へと運んだ。


 ハッキリ言ってマデリアスがなぜ夜な夜な人の血を吸い、その肉を喰らうようになったのかは判らなかったが、俺は警察でも裁判官でも陪審員でもない。凶行に及んだ動機なんて、俺の金儲けには何ら一切関係ないから知ったことではない。


 だがそれでも、身の回りがやっと落ち着いた今朝ごろ、その動機とおぼしき一端を耳にすることができた。


「あら珍しい、最近は全然顔を見せないから、骨壷と一緒に墓の下に入っちゃったのかと思ったわ」

「あぁ入るぞ、シャイナ。俺だけは生きて出てくるがな」


 その日の朝、俺は定期的に行なっている情報収集を兼ねて、ベネトラ騎士団のサイラン駐屯所近くに構える料理屋、雪花亭せっかていに来ていた。


 入店早々、常連客に向ける挨拶とは思えない冗談を言い放つ看板娘のシャイナに軽く手を挙げて挨拶し、まだ誰も座っていないテーブル席に腰を下ろした。


「それじゃまるで……悪魔憑きバンシーじゃない」


 まぁ確かに、邪神と忌み嫌われる“富の神ネーシャ”の使徒となれば、それは悪魔憑きバンシーと呼ばれても大差ない存在かもしれない。


 そう思いつつも口には出さず——。


「ベーコンチーズブレッドと黒豆の焙煎茶、それと生卵だ。あとでファイスに取りに来させるから、夕食も三人分頼む」

「はいはい、用意しておきますよ〜」


 シャイナは赤毛の三つ編みロングを一つに纏めたおさげを振りながら、調理場の方へ消えて行った。


 朝食が出てくるのを待っていると、顔馴染みの従士たちが意気揚々と雪花亭せっかていに入ってきた。


「よぅカネガ、いるじゃねぇか」

「ダストン」


 入ってきたのは従士隊長のダストン・マールと、その部下たちだ。俺の顔を見つけるなり、他の空いているテーブルを探しもせず、断りなく椅子を寄せて同席し始めた。


 とは言え、俺も最初から断るつもりはないが。


 今朝もいつもと同じように、同席したダストンたちに朝食を奢り、代わりに最新の情報を聞く。ダストンたちもそれを求めて同じ席に座ってくるのだ。


 それからは時に大声で笑い、時に声を潜め、直近の情報や噂話をしていく。


 だが、話の中心は一つしかない——あの日を境に姿を消した騎士マデリアス・シュターゼンと、同じく姿を現さなくなった吸血鬼のことだ。


「騎士シュターゼンは行方不明のままか?」

「……あぁ、しかもあの人には吸血鬼であるとの疑いが掛けられている」

「……何か出たか?」

「出た、なんてどころじゃねぇぜ、ゼンさん。シュターゼンに貸し出されていた住居を調べたら、地下貯蔵庫から人の血や内臓が出るわ出るわ……」

「どれも保存状態を保つために瓶で密閉されていたが、家の中に一歩足を踏み入れれば分かるくらいの血臭が漂っていたんだぜ」

「ヤバいのはそこだけじゃなかったよな。壁には人の皮で作られたコウモリ人形が飾ってあるし、酒瓶の中には血が大量に混じっているしよ……こんな話し誰も信じねぇだろうが、シュターゼンが吸血鬼だとしか思えねぇよ」


 人は誰かの素晴らしさを話すよりも——どれだけ自分より劣っているか、どれだけ無能で嫌らしく、忌み嫌われた存在か、それを話す方が実によく口が廻る。


 ダストン・マールが指揮する部隊員たちは、思いおもいにマデリアス・シュターゼンについて口を開いた。

 ダストン自身はそれほど話さなかったが、自分の娘が喰われなかった幸運と、サイランに吹き荒れた凶行と、騎士団の騎士が吸血鬼という事実に整理がまだつかないのかも知れない。


「お前ら、異端審問官ドミネーターの判断が出される前から吹聴するんじゃない」

「あっ、すいません……隊長」


 隊員たちの声が段々と大きくなり始めたところで、ダストンが周囲のテーブルを気にしながら隊員たちを窘めた。


 マデリアス・シュターゼンに吸血鬼の疑いが掛けられていることは、現在でもまだ公表されていない。


 そりゃそうだ——ベネトラ騎士団から邪神の使徒が……って——。


「——異端審問官ドミネーターが来ているのか?」

「ん? あ、あぁ……元々サドラ婆の事件が起きた時点で派遣を依頼してあったんだ。それが昨日到着してな、すぐに他の騎士二名と共に騎士シュターゼンの住居へ案内したんだが……」


 異端審問官ドミネーターとは、活動が活発化した異端者の集まり——異端教団ドミニオンに対処するための専門集団。従士や騎士すらも捜査する権限を与えられた独立上位組織のことだ。


 異端審問官ドミネーターが来ているとなると、俺の金儲けもやりにくくなるな——。


「……騎士シュターゼンの信仰する神は“吸血の神ドラバー”と目されている。ドラバーは邪神だ。騎士様の信仰神は基本的に伏せられているが、まさか邪神の一柱とはな……ベネトラの叙任方針に疑問が湧いてくるぜ……」

「隊長! そんな事を誰かに聞かれたら、本当にヤバいですよ!」


 ダストンが思わずもらした一言に、隊員の一人が小声で止めに入った。


 そのあとは、お互いにお互いを見つめ合い、朝食を食べに来た他の来客の賑わいに潜むように、小声で話を続けた。


 マデリアスの信仰神が誰なのか、それは住居の捜査に入った異端審問官ドミネーターが即座に見抜いた。

 “吸血の神ドラバー”の使徒についての情報や特徴を、異端審問官ドミネーターが元々持っていたそうだ。

 サイランで起こったいくつかの猟奇殺人と、マデリアスの住居にあった特徴的な祭壇と供物の数々、その正体は火を見るよりも明らかだった。


 マデリアスが姿を消した理由は、従士隊が異端審問官ドミネーターを呼び寄せたことを知り、逃亡を図った。まだ確定ではないが、現状ではその見方が推されている。


 どうやら、誰かに消された——とは、誰も見ていないようだ。


 しかし異端審問官ドミネーターが派遣されたことで、この最果ての魔都サイランは当分の間、異端審問官ドミネーターの監視下に置かれることになった。

 これによって多くの異端教団ドミニオンが活動を潜め、サイランの裏社会は張り詰めた糸のように、いつ切れてもおかしくない緊張感に包まれていった。




 第三章 完



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金の亡者 〜便利屋は墓場に住んでいる〜 地雷原 @JIRAIGEN

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