黒ドレスの女 ⑤




 翌朝、朝の墓地巡回を終えてから派遣教会ギルドの職員であるブラザー・ジルバに会いに行った。

 彼は墓地管理責任者の一人で、俺のいわゆる上司的な位置付けの職員だ。俺が墓守と便利屋の二つの金儲けをしていることが気にくわないらしく、事あるごとに呼びつけて要件と合わせてネチネチと小言を言ってくる。

 この日も地下納骨堂の清掃に合わせ、サラマイヤーの調査で墓地を留守がちにしていることをネチネチとつついてきたが、そのほとんどを聞き流して無視している。


 いちいち相手にしていても、1ドーラの儲けにもならないからな。


 定期的に行われる地下納骨堂の清掃は、派遣教会ギルドの職員とサイランに三つある墓地の墓守が集まり、1日がかりで行う大掃除だ。

 これまでにも数度行って来たが、迷宮のようにサイラン地下に広がる納骨堂は、手分けして効率よく作業を進めないと1日で終わるものも終わらない。


 ブラザー・ジルバとは日時の確認だけを行い、その後はサイランの北側に広がるスラム街へと向かった。


 そこはサイランを治める司教が街の一部と認めておらず、派遣教会ギルドから仕事の派遣、受付を取り扱わないエリアと決められていた。

 しかし、そこに人が住んでいることは周知の事実であり、シスター・マリアナが手伝っている炊き出しなどは、主にスラム街で行われている。


 だが、俺がスラム街に向かった理由は炊き出しが目的ではない。サイランの街を出入りする異端教団ドミニオンは、まず間違いなくスラムと関わりを持つ。

 そうしなければ、住むところに食事、盗品売買など、異端教団ドミニオンがサイランを拠点に活動することなど不可能だからだ。

 騎士団による捜索や掃討作戦も度々行われているが、スラムの住人は騎士団に対して非協力的だ。


 スラム街は行き場を失った者たちが辿り着く最果ての都市サイランにあって、さらに裏の世界に足を踏み入れている者たちが集う場所。

 サイランとはまた別のルールによって形成されてはいるが、金さえ出せば取引はできる。全ては金次第、異端教団ドミニオンの情報でさえ、手に入れることは難しくない。


 ただまぁ、取引をする相手と金額は考慮しなくてはならないが——。


 昼前の時間を選んでいるのにも理由がある。スラムに住む住人の活動が活発化するのは夕暮れから深夜頃、基本的にお天道様が出ている時間はそれぞれの住処すみかに引きこもっているか寝ている。

 スラムを明るい内から堂々と歩くのは、本当に職も金もない貧困層か、巡回する騎士団の従士に取り調べを受けても、後ろめたいものが何もない者だけだ。


 つまり、スラムで誰かに会いたいのなら——住処に引きこもっている午前中が確実なのだ。


 バラックと言えばまだ聞こえがいい、掘っ建て小屋。もしくは壁と天井があるだけの物体とも言えるオンボロ小屋が無計画に建ち並ぶ汚らしい道を進み、それでも商店らしき物置小屋へ無造作に入って行くと、店主らしき見すぼらしい老人に硬貨を一枚弾き飛ばす。


 それを老人は難なくキャッチすると、すぐに懐にしまい込んで俺から視線を逸らした。俺も無言で奥へ入って行き、ドアの役目を全く果たしていない裏手の木板を動かして小屋の裏側へと進んで行く。


 こうして道なき道を小屋から小屋へと繋ぐことで、異端教団ドミニオンたちは従士たちの巡回から住処を遠ざけている。

 だが、蛇の道は蛇。同じ道を使う同類を辿れば、会いたい相手までの道筋は簡単に判る。


 小屋の隙間からこちらを盗み見るいくつもの視線や人影を無視して辿り着いた目的の建物は、周囲のバラックよりも目立つように建てられた歪な三階建て——の、陰に隠れるように奥まった位置に建つ植物に覆われた平屋だ。


 平屋の主に声を掛けることもノックすることもせずに、無造作にドアを開けて小屋の中へ入って行くと、薄暗い部屋の中に漂う甘酸っぱい香りと、ハーブのミントに似たスーッとした青臭さが鼻をつく。

 この平屋には部屋が二つしかないのだが、入ってすぐの部屋には所狭しとプランターや干し草がぶら下がり、干された木の実や植物の根が放つ香りが混じり合って異様な香りを生み出していた。

 部屋の中央に置かれたテーブルには、いくつものすり鉢とすりこぎが並び、一目見てそこが作業場だと判る。


 これらは全て、平屋の主が調合に使う薬草や漢方薬の類いなのだが、その主はこの部屋には見当たらない——奥か。


 申し訳程度の布切れで間地切られた奥の部屋へ入ると、そこにはキングサイズのベッドと化粧台、それに衣装棚などの家具が置かれ、完全なプライベートルームになっていた。


 部屋の中央に堂々と置かれたベッドには大きな膨らみが三つ見える。時刻と住人の生活リズムを考えれば、まだ寝ている時間なのは間違いない。


「おいミステル、ミステル・バリアンローグ、起きろっ!」


 ベッドには近づかず、布切れが垂れ下がる間仕切りからベッドに声を掛けると、三つの膨らみがモゾモゾと動いて右側の膨らみが起き上がった。


「だぁ〜れ……?」


 甘ったるい声を出しながら起き上がったのは、上半身裸の女。腰まで伸びる金髪に大きな胸と艶やかな肌——こいつはミステル・バリアンローグの恋人兼用心棒の一人、通称“ダリア”。

 その声に反応して同じく左側の膨らみも動き出し、キルトから投げ出された生足の主は残念な色気を放ちながら寝返りをうってベッドの下へ落下した。


「痛っ!」


 ベッドから落下した茶色の短髪と褐色肌の女——こいつも恋人兼用心棒の一人、通称“スマッシュ”。


 スラムの住人の中には、生まれながらの名無しが少なくない。彼らは正式な名前を持たず、自分で付けた名だけを名乗っていることが多い。

 この二人とも、スラムでは名の通っている女たちだ。ミステル・バリアンローグの有能な両腕であり、その地位を守る剣と盾。

 この家の主に悪意を持って近づけば、即座に攻撃を仕掛けて来る戦闘狂でもある。


 そしてやはり、中央で寝ているのがミステル・バリアンローグ。


 左右の女たちが起き出したことで、最後まで寝ていた膨らみも動き出した。


「こんな朝早くから誰だい……?」


 最後に体を上げたのは、赤髪の長髪をかき上げる上半身裸の——やはり女。それも左右の女たち負けず劣らずの魅力的な体に、目鼻立ちが整った顔立ち。

 その美貌と赤髪を見れば一目でわかる。この女こそがミステル・バリアンローグ、“薬の神ドラグル”を信仰し、薬剤師としてスラムに確固たる地位を築いている女だ。


「俺だ。ゼン・カネガだ」

「あぁ、カネガ……墓守が何の用?」


 眠気まなこで俺を見るミステル・バリアンローグは、豊かな胸をさらけ出していても恥じる様子はなく、キルトで隠しもせずに堂々としていた。

 

「お前に聞きたいことがある」

「聞きたいこと……?」


 ミステル・バリアンローグは右に座るダリアを抱き寄せ、その首筋を舐めあげるようにキスしていく。


 このレズビアンが……。


 こちらに流し目を向けるミステル・バリアンローグは、女でありながら女を愛する同性愛者だ。それに対して何の偏見も持ち合わせていないが、朝一から絡み合う女二人を見せつけられるのは精神的に面白くはない。


異端教団ドミニオンの情報が欲しい」

「またそれぇ? なら、判っているでしょ」

「あぁ、用意する」

「ふふん」


 ミステル・バリアンローグとはすでに何度か取引を行っている。


薬剤師として様々な薬を調合しているミステル・バリアンローグの下には、治療薬を求める怪我人に重労働の疲れを癒したい労働者。

 そして、麻薬や媚薬などの違法薬物を取り扱う売人たちがやって来る。その買い手の中には、当然のように異端教団ドミニオンや異端者が含まれる。


 俺が欲しいのは、その買い手の情報だ。

 

「探しているのはダダーリン兄弟だ」

「ダダーリン……そいつはちょっと高くつくね」


 ミステル・バリアンローグの左手が、肩を抱いたダリアの胸へと伸びて撫でしだく。


「あっ……」

「——二倍、用意する」

「三日でどう?」

「あぁ、それでいい」

「ふふっ、有能な男は嫌いじゃないわ。でも、恋人同士の語らいをいつまでも覗いているのはどうかしら?」


 交渉成立と付け足された一言に苦笑を漏らしつつ、「邪魔したな」と言い残して絡み合う女たちに背を向けた。

 なお、ベッドから転げ落ちたスマッシュはそのままイビキをかいていた。


 これでダダリーン兄弟の所在についても、何か情報を得られるだろう。薬の売人たちなら、どこに行けば違法薬物を買ってくれる異端教団ドミニオンがいるのかを知っているし、その逆もある。

 ミステル・バリアンローグも相手が騎士団や従士なら売人の情報を売ったりしないし、彼女自身が捕縛の対象となっているため、捜索が行き詰まっている従士たちに遅れを取ることはない。


 だが、これもお互いの金儲けの一環であり、一つの取引でしかない。ミステル・バリアンローグが用意する情報に対し、俺も彼女が望むものを提供する必要がある。

 そして、それは現金とは限らない。ミステル・バリアンローグなら調合した薬で大きな利益を生むことができる。金をチラつかせるだけでは売人やその先の顧客情報を売ったりはしないのだ。


 俺がミステル・バリアンローグに対して提示できるのは、その前段階の物。つまり、薬の元となる薬草や木の実そのものだ。



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