馬車の乗客 ⑧




「素晴らしい奉納だった。トルン様も大変お喜びになるだろう」

「あなたの一振りに感動した。あの叫び、あの血飛沫、あぁ〜たまらない!」


 典礼ミサの式次第が一通り終了し、参列者たちが清々しい顔をして倉庫から出ていく。だが、出ていく前に今回の典礼ミサで巡礼者となった男へ賛辞と感謝の言葉を送るのを忘れない。

 全身を返り血で染め上げ、祭壇に血の池を作ったその男は、そこに沈む元妻だった女をまるで情事を終えた後のように恍惚と、そして麻薬の類でトリップしているかのような目で見下ろしていた。

 参列者たちが次々に声を掛けても反応することはなく、声を掛けた側もそれを気にすることもなく、満面の笑みを浮かべて帰っていく。


 その様子を少し離れた場所で見ていた俺たちは、出口へとはけていく参列者の流れとは逆に、祭壇の奥側に向かう三角頭巾の一人——典礼ミサの中心人物だった男のあとを追った。


 この典礼ミサに参加した目的は、あの三角頭巾との接触にあった。マダム・グレイの話によれば、サイランで行われている“拷問の神トルン”を信仰する典礼ミサでは、必ずあの一際豪奢な三角頭巾が司祭を務めているらしい。

 中の男の詳細までは判らなかったが、三角頭巾は各々が用意して着ている物で、誰が見ても豪奢な意匠が施された三角頭巾と司祭を務める男となれば、目的の人物は自ずと明らかだった。


 三角頭巾の男は倉庫の奥へ歩いていくと、小分けされたいくつかの個室の一つへと入っていった。

 それを通路の端から覗き見るように確認し、振り返る。


「ファイス、お前は目的のためなら手段を選ばないことを許容できるか?」


 三角頭巾との接触前に、後ろにつくファイスに最終確認をする。


 この女奴隷であり女執事であるファイスが、ヘーゼンベルク卿の奴隷を経て俺の下につく気が本当にあるのか。

 俺の墓守としての仕事のほか、便利屋としての金儲けを手伝う気が本当にあるのか、その見極めをする時が来た。


「質問の意味が判りかねますが、私はヘーゼンベルク卿とミスター・カネガの利益を最優先に行動します」


 真っ直ぐに俺を見る眼差しには、何の迷いも不安も感じさせない。“忠義の神ロロニス”の信者にとって、裏切りは禁忌に等しい行為だ。

 その忠義の全てが俺に捧げられているとはまだ思えないが、今は俺の邪魔をするつもりがないことは感じ取れた。


「なら、ついてこい。アンはここで見張りだ」

「ハイです!」


 それだけ言い、三角頭巾が入っていった個室へと向かう。


 通路を見渡し、誰も来ないのを確認して個室から聞こえてくる音を窺う——会話は何も聞こえず、物音が聞こえてくるのみ。どうやら、三角頭巾は個室に一人でいるようだ。

 上着の内ポケットからSIG SAUER P226を引き抜き、ドアノブに手を掛けてゆっくりと回す——鍵はかかっていない。


 後ろに待機するファイスに一度視線を送り、無言で中へ入ることを知らせると、ドアを一気に開いてP226を構えた。


「な、何だお前たちは?!」


 突然個室に入って来た男女に、三角頭巾を被っていた男は驚きの表情で声をあげた。


 その問いを無視し、即座に個室の中を確認——化粧台に簡素な衣装箱、それに一脚テーブルとそこに置かれた軽食のパンと水差し、豪奢な三角頭巾は丁寧に壁に掛けられ、この部屋はまるでタレントの控え室のようだ。


「き、君たちは典礼ミサに参加していた者たちだな? ここは私のプライベートな部屋だ。許可なく入って来られては困る!」


 暗がりの中でも俺たちの顔を覚えていたのか、三角頭巾を脱いだ髭面の男は急いで豪奢な三角頭巾を手に取り、今更ながらに慌ただしく被り直した。

 だが、その視界が塞がった瞬間に詰め寄り、男を突き飛ばして片腕を背中に捻りあげて壁に押し付け、三角頭巾を反対側に回して視界を完全に塞いだ。


「ぐふっ——」


 顔を壁に押し付けられ、男は声にならない潰れた音を発してもがこうとするが、使徒である俺の身体能力に一般人が抗えるはずもない。


「大人しくしろ。ジタバタするようならさっきの祭壇にお前を連れて行き、“拷問の神トルン”へ捧げる新たな生贄としてもいいんだぞ?」


 その一言で男の抵抗する力が弱まった。


「わ、私に一体何のようだ? こ、今宵の罪人について何かあるのなら、責め苦を負わせた亭主に言ってもらいたい」

「あれは実に酷い仕打ちだったな」

「夫を裏切り、家族を裏切る妻が悪いのだ! しかもあの女は浮気をしただけでなく、夫の貯蓄や貴金属の類を全て相手の若造に貢いでいたのだぞ?!」


 なるほどな、それであの男はあれほどの怒りを見せていたのか……だが——。


「——今夜の見世物は関係ない」

「な、何? なら先週の件か? それとも——ぐぅ!」


 さらに力を入れて腕を捻りあげ、ペチャクチャとよく回る口を黙らせる。


「黙れ、質問するのは俺だ」

「がぁっ——わ、判った。何でも聞いてくれ!」

「お前がサイランで行われる典礼ミサのほとんどを仕切っていると聞いたが、本当か?」

「あぁ……週に一度、場所はその度に変えているが……トルン様へ捧げる典礼ミサを開いている」

「毎週か——なら、その度に生贄を捧げているわけか」

「そ、そうだ……」

「当然、生贄の人数は足りなくなるはずだが、そういう時はどうしている?」

「ひ、人は誰しも罪人だ。い、生贄に事欠くなど全くない……」

「生贄の情報はどうやって集めている」

「け、敬虔な信者たちからの救済を求める声に応じて……だ」

「ふぅん——恨み辛みは誰しもがあるだろう。同時に、その辛苦しんくを与えている者もそれ以上だ——だが、あれほどの怒りを見せる者ばかりとは思えないがな」


 典礼ミサで見せた裏切られた男の怒りには、凄まじい残虐性があった。かつての伴侶を殴打し、飛び散る血飛沫に興奮し、猿ぐつわが外れた口から漏れる許しを乞う言葉に絶頂を感じ、動きが止まってなお叩き潰した。


「そ、それこそが典礼ミサの効果とトルン様のご加護……ひ、人の心の奥底に眠る残虐性を呼び起こし、信者たちと共に信仰に勤しむことで自身への罪悪感を消し去るのだ」

「なら質問を変えよう。あれほどの奉納と快感を経験した者なら、また再び体験したいと思うはずだ。だが、あれほどの快楽と愉悦のひと時は二度と得ることは出来ない——だからこそ、殺人鬼シリアルキラーは何とかそれを得ようと凶行を繰り返す」

「…………」

「お前は——その機会と場所を与えているのではないか?」

「そ、それは……」


 これまでベラベラと話していたのに対し、男は急に言い淀んで黙ってしまった。


「この状態でも話す気はないのか——」


 男は固く口を結び、俺と目線を合わせるのも避けて壁に額を押し付けている。


「ミスター、彼にはミーシャと言う娘がいるようです」


 だが、俺の背後で男の私物を調べていたファイスがい情報を見つけたようだ。振り返ると、男の私物と思われるバッグからメッセージカード付きのヌイグルミを取り出していた。


「なっ、おい! それに触る——ぐっ!」


 ファイスの言葉に男が急に力を取り戻して暴れ出したが、それを壁に強く押し付けて止める。


「ミーシャか——その娘は、どんな罪を持っているのだろうな?」

「ぐっ、ミーシャには罪などない! あ、あの娘は私の天使だ!」

「“人”は誰しも罪人……そう言ったのはお前だ。お前が裁可を下した罪人たちはそれを認めるか? 神は——“拷問の神トルン”は、例外を認めるのか?」

 

 その一言で、男の心は折れた。


 大人しくなった男から得られた情報によれば、“拷問の神トルン”へ捧げる典礼ミサに求道者として参加した者の中には、確かにサディスティックな快感に囚われる者が現れた。

 その多くが参列者として典礼ミサに参加し、その時の求道者に己の欲望を重ねて渇望を満たしていたが、中には全く満足できない者も現れるようになった。


 だが、この男にも求道者として拷問行為を繰り返すことが、どれほど危険なことかは判っていた。この男が先導者となって開かれる典礼ミサでは求道者になることは一回のみと決められており、どれだけ懇願されても典礼ミサと言う場は用意しなかった。


 しかし、そう言われて抑えられるほど、求道者として体験した快楽と愉悦のひと時は軽いものではなかった。


 いつしか元求道者たちが連絡を取り合うようになり、体験した快楽を共有し、共感し、それを再び得ようと新たな“場”を生み出していった。


 それが——。


「——生贄競売サクリファイス・オークション?」

「そ、そうだ……そこはもう神への信仰も“拷問の神トルン”様も関係ない。ただただ、自分の欲望を満たす捌け口を手に入れる場所だ」

「それはどこでやっている?」

「そ、それは知らない! トルン様に誓って本当だッ!」


 涙目でそう訴える男の言葉に、嘘はないように思えるが——ファイスの方へ再び振り返ると、彼女も少し困ったような表情を浮かべていた。


 元々、この典礼ミサが依頼に関係しているかどうかは確証がなかった。墓守と言う仕事上、過度な暴行によって命を失った遺体を何度も見ていたし、その出所——この“拷問の神トルン”に捧げる典礼ミサの噂話も自然と耳に入ってくる。


 今回の依頼の発端となった少年少女の遺体には、目を背けたくなる程の拷問を受けた痕跡が数多く残っていた。

 だが、年端もいかない子供から拷問をしてでも聞き出す情報などあるわけがない。あれは拷問を手段としたのではなく、それ自体が目的でおこなわれたものだと見当をつけた。


 拷問を目的にする者など、変態かサディストしか思いつかない。調査の手始めとしては、まずはその線から洗い出すのが妥当だと考え、この典礼ミサから調べ始めたわけだが、どうやら——この依頼の深淵はもっと深く、もっとドス黒い闇の中にあるようだ。



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