馬車の乗客 ⑦




「ミスター・カネガ、この服装は脚がスースーします。そうお思いになりませんか?」

「スカートを履いた感想に同意を求めるな、俺に女装の趣味はない」

「ゼン、この服ならお金取れますかね?」

「少女を愛でる趣味もない、俺に聞くな」


 グレイテシアからの帰り道、ファイスは慣れない膝丈のスカートと両肩が剥き出しになったノースリーブの上着に戸惑いを隠せないでいた。

 幼い頃よりヘーゼンベルグ卿の奴隷として働いていたファイスは、その生真面目な性格が当時のメイド長の目に留まり、少女ながら執事の小間使いとして教育を受けて来た。


 少女時代の青春や淡い初恋などの色恋に没頭することもなく、ただ一個の奴隷として主人に尽くし、それこそを自身の奉納として“忠義の神ロロニス”を信仰した。

 執事服を与えられてからはプライベートの時間など一切持たず、朝起きて夜寝るまでの時間全てを主人に捧げた。


 女物の服に身を包み、仕事とは無関係に街を歩くことも初めての経験だった。


 そしてアンは普段の町娘的な服装ではなく、ゴスロリ風の黒いミニスカートに胸元を強調した白いブラウスを着ている。

 髪もアップにまとめ上げ、薄っすらと化粧すらしていた。


「うぅ〜、この服を私に着せてどこへ行くおつもりですか?」

典礼ミサに出る」

典礼ミサ? 私はロロニス様を信仰してはおりますが、典礼ミサには出たことがありません」

「俺だってないさ」


 “富の神ネーシャ”を信仰する者は神世界ファティスに俺一人、過去に行われた典礼ミサの手順を知る者などおらず、それを記した物も何一つ残ってはいない。

 アンに詰め込まれた知識の中にも、ネーシャを崇める典礼ミサに関する知識はなかった。

 だが別に困ることは何もない。地下納骨堂の最奥に、“富の神ネーシャ”を祀る祭壇を密かに安置してある。

 デグに作らせた小型の賽銭箱と供物台もあり、そこへ奉納を意識して硬貨を投げ込めば、熱に溶けるチョコレートのように形が崩れ、神世界に染み込むようにして姿を消す。


 それで今は十分なのだ。


 ファイスは自身が信仰する神の名を出したことで、俺が信仰する神の名を言い返すのを待っていたようだが、それがないことで僅かに怪訝な表情を浮かべたが、すぐにいつもの澄ました表情へと戻った。


 信仰する神の名を言い合うのは、挨拶を交わすことに近い。しかし、俺はその慣習をことごとく無視している。

 それもまた珍しいことではなく。慎ましやかに信仰を捧げる者は神の名を伏せる傾向がある。

 アンも神の名を口にすることはなく、ファイスも俺たちがそうだと感じたのだろう。あえて神の名を聞いてくることもせず、黙って俺の後ろについてくる。


 そして時刻が日時を跨ぎ越し、夜から深夜へと変わる頃、マダム・グレイから聞き出した建物へと到着した。


 そこは平凡な石造の倉庫に見えるが、長らく締め切られた正門は錆び付いて動きそうに見えない。倉庫の横へ入って行き、暗い裏路地側にある鉄扉をノックした。


 重く響くノック音が鳴り響くと、鉄扉の小さな円窓が開き、俺たちの顔を確認してすぐに閉まった。


「ここに何の用だ?」


 鉄扉越しに聞こえてくる声は、どこか形式的な響きを感じさせる。


「——神と共に愛を確かめに来た」

「愛とはなんだ?」

「愛とは心の底から噴き上がる叫び、心臓を突き破るほどの衝動、そして心を染め上げる鮮血のくれない


 マダム・グレイから教わった合言葉を鉄扉越しに答えると、ガチン——と鉄扉の鍵が動く音がし、鉄扉が開いた。


「ようこそ同士たち、ここは初めてだと思うが、これも“拷問の神トルン”のお導き、素晴らしき祈りのひと時を体験していってくれ」


 鉄扉を開けた男はどこにでもいる凡庸な男だったが、俺たちを歓喜の笑みで迎え入れた。

 まるで歴戦の勇士を迎え入れるかのように顔を赤くして興奮しているが、こんな合言葉を言わされた俺の方が恥ずかしさで赤面しそうだ。

 横に立つファイスに視線を向ければ、この人何言っているんだ? とでも言いたげな視線を俺に向けている。

 アンは興味深そうに中を覗いている。合言葉に関しては特に興味もないようだ。


 前を行く凡庸な男に連れられて奥へ進むと、倉庫の中は紫色の光源で溢れていた。再奥には棺台にも似た祭壇が置かれ、その奥には三角頭巾を被る者たちが並んでいる。反対側には小さな手燭てしょくを持つ男女が、多数集まっていた。


「ミスター・カネガ、ここは?」


 俺の真後ろに立つファイスが小声で聞いて来た。ファイスには詳しい話や目的は一切話していない。話さずとも、奴隷根性が染み付いているファイスは仮とはいえ主人である俺の行動を否定してくることはないし、共通の目的がある以上、それを邪魔する動きをすることはない。


「サディストたちの集まり、“拷問の神トルン”を崇める隠れ典礼ミサの会場だ」


 入り口付近に置かれたテーブルからまだ火の灯っていない手燭をとり、ロウソクに火を分けて参列者の最後尾に紛れ込む。


「今宵も“拷問の神トルン”様へ奉納を捧げる刻が来た!」


 祭壇の前に立つ一際豪奢な三角頭巾を被る男が話し始めた。どうやら典礼ミサが始まるようだ。


「主神への祈りを唱えよう」


 三角頭巾は両手を広げて天井を見上げると、参列する男女が手燭を掲げながら声を合わせて祈り言葉を合唱し始めた。


「「「主神トルンは我らに神の御加護を宿された」」」

「“拷問の神トルン”、責め苦に満ちた方、我らの罪も喜びも、共に平等な愛によってお護りください」


 三角頭巾の先唱を繰り返すように声を上げる男女に紛れ、俺たちもモゴモゴと口を動かして合掌するフリをする。

 お互いに“拷問の神トルン”とは別の神を信仰しているため、フリとはいえ他の神へ信仰を捧げるのは不味い。


 下手をすれば神への背信行為となり、信仰や使徒の力を失う可能性すらある。


「罪人をここへ」


 三角頭巾の呼びかけに応え、黒い三角頭巾を被った者たちが大きな布袋を抱えて入って来た。

 縦長で時折波打つように動く布袋を見れば、中に何が入っているのかはすぐに想像がついた。


 祭壇の中央に置かれ、恭しく布袋が解かれると、中には想像通り——目隠しと猿ぐつわを嵌めた女が出て来た。

 女は恐怖で小刻みに震え、唯一解放されている耳から聞こえる音に敏感に反応していた。


「この者は夫と二人の子を裏切り、若きツバメにうつつを抜かして愛を蔑ろにした」

「ふぅーふぅーふぅー」


 猿ぐつわから激しい息遣いが漏れ出し、聞こえてくる自身の罪に体の震えはさらに激しいものへと変わっていた。

 紫色の光源の中でも、女が顔面蒼白となっているのがよく判る。


「この裏切り者!」

「欲に落ちたあばずれが!」

「子供の気持ちを考えろ!」

「年を考えろババアがっ!」

「自分さえ気持ちよければいいのか!」


 手燭を持つ参加者たちの罵声が容赦なく女の耳を打ち叩く。止まる事のない怒気をはらんだ罵声は女の心を粉々に破壊し、さらに追い詰めていくだろう。


「しかし、罪とやらが浮気程度とはな……」


 場の雰囲気と信仰する神は物騒なものだが、やっていることが妙に幼くてチグハグさを感じる。横に視線を向けると、ファイスは僅かに不愉快そうな表情を浮かべていた。

 こういう陰湿なイジメのような拷問は好みではないようだ。


 アンは投げかけられる言葉の意味よりも、この場の雰囲気に圧倒されているようだ。


 そして中央の三角頭巾が参列者たちを鎮めるように両手を振ると、典礼ミサは次の段階へと進んだ。


「求道者よ前に!」


 三角頭巾がそう呼びかけると、祭壇を取り囲む参列者たちの中から一人の男が進み出た。男の表情も女に負けないほどにやつれ、大きく開いた目は血走り、顔には大量の汗を掻いていた。


「あれは……ご主人でしょうか?」


 黙って成り行きを見つめていたファイスが一言こぼした。


「だろうな——相当に追い詰められているようだが、妻の浮気だけが原因じゃぁなさそうだな」


 男は拳を強く握りしめ、今にも女を殴り殺しそうなほどに両腕を震わせている。あの怒りは妻が若い燕に取られた程度ではない。それ以上の裏切り行為を女がしたのだろう。

 金か、物か、それとも若いツバメとの間に子供でもできたか。


「裁可の時はきた! さぁ、断罪の小槌を打ち鳴らせ!」


 ゆっくりと女の目隠しが外されていくのと同時に、男の手には無骨な木製の小槌が手渡された。

 祭壇の上で跪く女と、その前に立つ男の目線の高さは同じ。恐怖に涙ぐみ、しきりに頭を振って赦しをこう女と、怒りの形相と共に震える手で小槌を振り上げる男。


「裁きを!」

「裁きを!」

「裁きを!」

「裁きを!」

「裁きを!」


 参列者たちの合唱に背を押されるように、男は女の頭上へと小槌を振り下ろした。



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