馬車の乗客 ⑥




「ここで服を買うのですか?」


 調査を始める前に、まずはファイスの服を用意しようと訪れたのは、すっかり日が沈んだ夜の繁華街。

 大通りから一つ二つと裏路地を進み、辿り着いたのは質素なレンガ作りの建物で、色のついた窓ガラスは中を見えなくする工夫がなされており、外からでは内部の様子が窺えない。

 店舗の業種を示す看板の類もなく、ここが本当に店舗なのかどうかも、ファイスには判断することが出来なかった。


「ゼン、わたしも新しいお洋服が欲しいです! もっとお金儲けに役立ちそうなやつを!」

「——黙ってついてこい」


 ファイスの質問には答えず、アンが自分にも、と催促するのを無視しつつ、裏路地に誰もいないことを軽く確認して扉をノックする。


 中からの反応はノックしてすぐだった。目線の高さにある木製ドアの一部がスライドして開放されると、目つきの悪い女の顔が見えた。


「俺はカネ——」

「ここは女専用だ」


 目つきの悪い女は扉前に立つ俺を確認した瞬間、それだけ言ってカシャン! と、音が鳴るほどの勢いでスライドが閉まった。


「ミスター・カネガ?」

「ゼン、今のは……?」


 背中に刺さるファイスとアンの視線を感じながら、少し力を入れてもう一度ノックする。


 再びスライドが開いて目つきの悪い女が再び顔を見せると、閉められる前にスライドへ手を突っ込み押さえつける。


「ここは、女専用だ」


 不愉快そうな表情を浮かべて、目つきの悪い女が吐き捨てるように再び言い放った。


「焦るな、俺が遊びに来た訳じゃない。この女をコーディネート含めて楽しませて欲しいんだ」


 そう言ってスライドから俺の後ろに立つファイスが見えるように動くと、ドアの向こうから感嘆の声が漏れ聞こえて来た。


 同時にドアの鍵が開く音がし、目つきの悪い女が気持ち悪い愛想笑いを浮かべながら顔を出した。


「あんたも人が悪いねぇ。そんな上玉がいるなら早く言いなさいよぉ〜」


 さらに甘えた猫撫で声を出してくるが、目つきの悪さと声のトーンが全く合っていない。


「言う隙も与えなかったくせによく言う。さぁ、こいつを頼むぞ」

「あら、そうだった? はぁ〜い、この澄ました子猫ちゃんたちはなんて言うのかしらぁ?」


 話の流れに全くついて行けないファイスは俺に背を押されてキョトンとしていたが、眼つきの悪い女に名を問われて律儀に返していた。そして、ついでとばかりにアンも元気よく自己紹介している。


 眼つきの悪い女に歓迎され、手を取り、肩を抱かれて建物の中に入っていくファイスとアンを追い、俺も中へ入る。


「お前はこのロビーから奥にくるんじゃないよ」

「行かねぇよ。それより、この女に街歩き用の服を別に用意してくれ、着回せる数だ」

「いいけど……ここで服を買うつもりなの?」

「見ての通り、男装の執事服しか持っていない。それで街を歩いたら目立つだろ?」

「わたしにはお金が取れる服を用意して欲しいのです!」

「ミスター・カネガ。ここは服飾店なのですか?」

「う〜ん、子猫ちゃんは何も知らないのねぇ〜。ちゃ〜んと教えてあげるからねぇ〜。お嬢ちゃんにも、とびっきりのを用意するわぁ〜」

「え? ミスター・カネガ?」


 ファイスを追い払うように手を振って奥にやり、待合室を兼ねているロビーのソファーに腰を下ろす。


 この建物——いや、この店の名は『グレイテシア』。女専用の社交場であり、女同士の逢瀬を楽しむ場でもある。だが同時に、上位階級や金持ち向けに斡旋する高級娼婦に教育を行う神学校でもある。


 “性の神サキュラス”を信仰し、性行為を奉納として捧げる。それを積み重ねることで、信者は使徒へと昇華する。

 使徒と認められた娼婦との一夜は、人生の快楽と幸福を一生分詰め込んだ最上の一夜であるらしい。


 ファイスをここへ連れて来たのは女物の服を買う適当な場所が思い付かなかっただけではない、買い物ついでに他にも欲しいものがあるからだ。


 待合ロビーには俺以外にも数人の男が暇そうにしていた。腕を組んで目を瞑る者、この神世界ファティスでは貴重な本を読んでいる者、同じように羊皮紙の束をめくりながらブツブツと何か独り言を話している男。

 その誰もがここへ来た女の付き添いだろうが、俺には別の目的があった。


 付き添いの男たちを無視するように働く女従業員をつかまえ——。


「マダム・グレイと面会したいのだが」


 小声で女従業員だけに聞こえるように名を口にすると、女従業員の顔にあからさまな嫌悪感が浮かんだ。


「……お約束は?」

「ない。だが、カネガが会いに来たといえば、マダム・グレイは俺と会うはずだ」


 女従業員は俺の言葉を怪しんでいたが、この店でマダムの名を出すと言うことは、少なくとも一度はマダムとあったことがある証左であり、マダムも俺のことを知っていると言えば、従業員の立場で無下にするわけにもいかない。


「……確認してまいりますので、少々お待ちを」


 納得はしていないようだが、女従業員は待合ロビーの奥へと消えていった。そして少しだけ待たされた後、先ほどまでの対応とは全く違う恭しい態度で奥へと通された。


 待合ロビーの奥は清楚で洗練された調度品や絵画が架けられた細い通路が伸びており、左右の個室では様々なサービスや神学校としての教育が行われている。

 漏れ聞こえてくる艶声や厳しい叱咤など、中で一体何が行われているのかは非常に興味をそそられるが、すれ違う女性客の怒気を含んだギョッとした表情をみると、覗き見た瞬間に袋叩きに会いそうなほど、ここは女が絶対的強者である空間なのだ。


 案内されたのは一番奥の部屋、そこがマダム・グレイの部屋だと既に知っている。彼女はこの『グレイテシア』の女主人にして、かつてサイランで“夜の女王”と呼ばれた“性の神サキュラス”の使徒だ。


 マダム・グレイとは以前に金儲けで顔を繋いだことがある。商家の家出娘を探して辿り着いたのが、このグレイテシアだった。

 女の駆け込み寺の一面も持つグレイテシアから家出娘を連れ出すのには苦労したが、マダム・グレイは話のわからない人物でもない。


 ただ——マダム・グレイは生粋の使徒であり、同時に商売人でもある。それゆえ、今回も前回同様に無理難題を押し付けられるかもしれない。


「マダム、お客様をお連れしました」

「——お入り」


 重厚な扉の向こうから聞こえて来たのは、厳格でしゃがれた妙齢な女の声。女従業員が扉を開け、中へ入るように促す。


 この手順もいつも通り、マダムは人前に姿をほとんど現さない。部屋の中には鼻をつくこうの匂いが漂い、僅かな明かりしかない部屋は中央部分でレースのカーテンによって仕切られ、カーテンの向こう側で横たわるマダム・グレイの影しか見えない。


「よく来たね、カネガ。また家出娘でも探しているのかい?」

「ごきげんよう、マダム・グレイ。今日は連れの女に服を買いたくてね。ここなら間違いないと、寄っただけさ」

「あら、それでわざわざ私にまで挨拶を? 貴方も女性の落とし方がわかってきたようね」


 マダム・グレイの影がキセルを咥え、フーッと濃い煙を吐き出すのが見える。あれがこの鼻を突く香の大元だ。


「なに、現役を引退したマダムは一日中私室で暇を持て余していると耳にしていたしな、俺も連れが戻るまで暇なんだ。少しばかり雑談に興じても、いいんじゃないか?」

「お話だけ? 私と一緒にサキュラス様へお祈りは捧げてくれないのかしら?」

「噂に聞く甘露のひと時を味わってみたいが、連れと来ているからな」

「まぁ、妬けるわぁ」


 使徒との一夜には強い関心を持っているが、マダム・グレイの推定年齢は80歳を超えると聞くが、俺に熟女趣味はないし、ここへ来た目的はソレではない。

 それだけ長い年月を使徒として活動し、このグレイテシアを運営してきたマダム・グレイは、まさにサイランの性的欲望について最もよく知る生き字引とも言えた。


 だからこそ俺は、ファイスを使ってグレイテシアの中へ入り、こうしてマダム・グレイの前に立っているわけだが——。


「しかし、相変わらず人と話すには適さない部屋だな」


 マダム・グレイの私室はレースのカーテンで仕切られているのだが、俺が立っている入り口側には座る椅子もソファーもなく、壁にはマダム・グレイのかつての美しい肖像画が掛けられ、調度品が飾られた棚にはマダムの彫像や数多の娼婦たちを描いた官能的な調度品の数々が並んでいる。


 カーテンの向こう側に見えているものは、大きなベッドとマダムの影、それに化粧台や衣装棚らしき家具の家具だ。

 この私室に入るのはこれが二度目だが、カーテンの向こう側が実際にどうなっているのかは知らない。

 当然、マダム・グレイの顔も見たことはないのだが、こうしてカーテンで仕切るほどなのだ。人に見られたくはない何かがあるのかも知れないし、それを詮索して虎の尾を踏むのは避けたい。


「ふふふっ、睦言はベッドの上でするものよ」


 明らかに歳を感じるマダムの声色には、それ以上に性衝動を掻き立てる言霊のような甘露な響きがある。これが使徒の力の能力の一端なのか? と内心考えながらも、このままでは本来の目的を見失うかも知れないので、話題を本題へと変えていく。


「それもいいが、それより聞きたいことがある」

「わたしに? あらあら、一体何を聞きたいと言うの? これまで一緒にお祈りした男の数? それとも、女の数かしら?」

「ふっ、その人数も興味あるが、もっと興味あるのはお祈りの方だ」

「あなた……あまり女を買わないとは聞いていたけれど、人の祈りを見て快感を得るタイプだったのね。それならそうと早く言ってくれれば良かったのに……いいわ、そう言う典礼ミサがあるから——」

「いやいや、そうじゃない——だが、その典礼ミサの話が聞きたいのは確かだ」 

「あら、違うの」


 マダム・グレイの先走った勘違いを押しとどめ、話を続ける。


典礼ミサの中に、いき過ぎた拷問や暴力をお祈りに取り入れているところはないか?」

「ふふん、カネガ……あなた今度は何に首を突っ込んでいるのかしら?」

「正確にはこれから——だ、何か知らないか?」


 飾られた官能的な調度品を指でなぞりながら、マダム・グレイの返答を待つ。そしてカーテンの向こう側から聞こえて来たのは俺が望んでいた答えであり、大いに予測できた展開のオマケ付きだった。



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