第三章 吸血鬼

吸血鬼 ①




 神世界フェティスに“富の神ネーシャ”の使徒として、天使アンと共に降臨して半年以上が過ぎた。

 辺境の大都市サイランで墓守の仕事をしながら、行き場を失った者たちが最後に辿り着くこの場所で、裏事と称する様々な仕事を請け負う便利屋として金儲けに精を出している。


 いつの間にか元奴隷執事のファイス・ピーニスもここで働くようになり、手狭となった墓守小屋を俺の金で増築することになった。


「これで宿から通う必要がなくなります」

「これで通い妻だなんてブラザー・ジルバに小言を言われることがなくなるです!」

「それを言うな、頭が痛くなる」


 墓守小屋の増築作業をアンとファイスの三人で並び立ち、“建築の神ビルド”を信仰する大工たちが一日がかりで作業するのを見学していた。


 元々は墓守小屋の増築をするつもりはなかった。だが、墓地の近くに仮の宿をとって毎朝ここへやって来るファイスに対し、ブラザー・ジルバがついにキレたのだ。


 彼曰く、男装の女執事が毎朝のように墓地へ来て、夜遅くに帰って行く。その行き来の際には必ず派遣教会ギルドの前を通過し、他の来訪者や参拝者の目に止まっている。


 それが噂を呼び、墓地に通う男装執事が何のために朝から夜まで墓地に来ているのか?


 娯楽の少ないサイランの住人にとって、他人の噂話は最もポピュラーな娯楽だ。噂は憶測を呼び、想像を膨らませ、妄想の現実を楽しむ。


 ちなみに、ファイスについての噂話は墓地に眠る主人の墓前で命(めい)を待つ、献身的で誠実な執事と憶測され、そこから男装の理由を想像し、主人との禁断の愛を抑制するために女を捨て、男の服を着ているんだと妄想が進む。

 その悲恋に女たちがざわめき立ち、男たちは美女の男装をチラチラと覗き見るようになっていた。


 そうして派遣教会ギルドに呼び出された俺は、ブラザー・ジルバからファイスの男装をやめさせるか、墓守小屋に住まわせるかの二択を迫られ、今後の生活や金儲けの効率を考え、自費で墓守小屋を増築することにしたわけだ。

 先日の依頼報酬で資金に余裕があったのも、そう決断させる要因ではあったが、稼いだ金の使い道が”富の神ネーシャ”への上納金よりかは、生活レベルの向上を図った方が精神的にもいと判断したことが大きい。


 墓守の仕事を三人がかりで終わらせ、作業を見学しながら暇を持て余していると、派遣教会ギルドの裏手から見慣れぬ従士がこちらへ駆けて来るのが見えた。


 どうやら——また異状死体が発見されたようだ。




******




 その日、ベネトラ騎士団のサイラン駐屯所に勤務する従士であるダストン・マールは、市民からの通報に一人駐屯所を飛び出し、心臓がはち切れんばかり勢いでサイランの街中(まちなか)を走っていた。

 目を激しく血走らせ、大量の汗をかいて喉はカラカラに乾き、一度も止まることなく自身の住居がある市民街の一画へと駆け込んだ。


「イリナ、無事かッ!」


 野次馬を押しのけて住居の一つに駆け込み叫ぶと、中は鼻を塞ぎたくなるほどの鉄臭い異臭と鮮血の赤にまみれていた。


「パパぁ!」


 ダストンの叫びに応えるように、小さなおさげの幼女が涙声を上げてダストンの足下へと駆け寄った。


「おぉ! イリナ無事でよかった!」


 駆け寄る幼女を迎えるように膝を折って抱き抱えたダストンは、いつもの威勢のいい従士の姿とは違い、一人の親として愛する我が子の無事を喜んだ。


「マール隊長、知らせた隊員がお子さんは無事だとはお知らせしませんでしたか?」


 ダストンの愛娘イリナに続くように、従士の一人が落ち着いた表情でダストンへと声をかけた。


「馬鹿を言え! イリナが遊びに行った先で殺人があったと聞けば、たとえイリナに怪我がなくても心配するのが親ってもんだろぉーが!」


 ダストンの心からの叫びは、全くもって正論である。


 ダストンに抱かれて肩に顔を埋めるイリナは、ヒクヒクと鼻を鳴らしながら肩を震わせていた。

 その姿に、ダストンはイリナが泣くこと以上の何かに恐怖していることを悟った。


「……それで、一体何があった? イリナが無事なのは判ったが、それならこの血の匂いは……」

「当然……ここを借りているサドラ婆さんですよ」


 イリナの背をさすりながら投げ掛けた質問に、従士の男は当たり前のように溜息を零しながら答えた。


「サドラ婆か……」

「正直言って、何でお嬢さんが無事だったのか理解できないくらいにひどい状況です」


 ダストン・マールの住居は、この死臭漂う鮮血の住居の二軒隣だ。日中は従士として仕事に出ているダストンだが、その妻であり、イリナの母であるミザリー・マールもまた、日中は近所の洗濯屋で仕事をしていた。

 まだ幼い一人娘のイリナは、ご近所のサドラ婆さんに預けて子守を頼んでいた。まだまだ元気で気のいい婆さんだったが、まさかの事態にダストンはイリナ同様に恐怖を感じていた。


 だが、真の恐怖というものは後からやって来るのである。


 ダストンの姿を見て少し落ち着いたイリナを別の従士に預け、惨劇の部屋へと飛び散る血痕を追い、顔馴染みのサドラ婆の姿を探したが、部屋のどこにも遺体はない。にも関わらず、新たな鮮血がピトピトと上から落ちて——。


「……上?」


 天井を見上げたダストンは絶句した。目を見開き、大きく口を開いて声は出ない。そして一歩後ろへ下がると、背後で同じように沈黙している従士に振り返り——。


「墓守のカネガを呼べ……」


 その一言を、やっとのことで絞り出した。



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