馬車の乗客 14




「ミスター・カネガ!」


 ファイスが大倉庫に戻ってきたのは、全てが片付いて少し立った頃。


 闇夜の野原にザキースの屍体を放置し、鑑定眼プライスを使って弾き飛ばされたSIG SAUER P226を探したのだが、どこにもそれらしき価値を示す数値が見つからず、大倉庫の破壊された壁付近を慎重に探している時だった。


 鑑定眼プライスを解除し、声が聞こえた方向へ振り返ると、そこにはファイス以外に武装した男たちが立っていた。


「戻ってきたのか、そいつらは?」

「カーヴィル様の私兵です。私からの連絡を受け、増援として駆けつけてくれました……ですが、必要ありませんでしたか?」


 周囲を窺うファイスと背後の私兵たちは、大倉庫に散乱する血肉と屍体の山に若干引いていた。


「いや……この奥に異端教団ドミニオンの溜まり場があるようだが、そこはまだ捜索していない。生き残りはいないと思うが、生贄競売サクリファイス・オークションの規模がわかる何かが見つかるかもな」

「判りました。そこは我々で調査します」


 私兵の一人が一歩前に出てそう答えると、背後に並ぶ私兵たちに一つ頷いてザキースたちが現れた方へ駆けていった。


「ミスター・カネガ、お怪我は?」

「所々痛いが、ほっとけば治るだろ」


 使徒として自然治癒能力が向上しているので、怪我の治りは常人より早い。とはいえ、痛いものは痛いが。

 壁に打ちつけられた背中に、突き抜けるような腹への一撃、もしかしたらあばら骨が何本か折れているかもしれない。


 ザキースと殺し合っている最中はアドレナリンが出まくってそれほど感じなかったが、冷静さを取り戻していけばいくほど、痛みをより強く感じている。


「ではこれを、痛み止めの丸薬です」


 ファイスは俺が強がりを言っていることを察したのか、腰に括り付けている小袋から草の塊みたいな小さな丸薬を一つ取り出した。


「あぁ、助かる——」


 ファイスの手のひらに転がる丸薬を摘み上げ、水も酒もないので一気に飲み込んで腹をさすった。


「少しすれば痛みが引くはずです。街に戻ったら薬師のところへ行きましょう」

「百薬の長が墓守小屋にある。それで十分だ」


 ファイスに背を向け、P226が弾き飛んだと思われる瓦礫の辺りを見つめるが——これ以上探すのは無理だな。


 SIG SAUER P226は神器セイクリッドだ。それは神具アーティファクトとは違い、与えられた使徒にしか扱うことができない神域の存在。

 誰かに拾われても使われることはないだろうし、俺と結びつけることはできまい。それに、不思議と神器セイクリッドを手放しても何も不安を感じない。胸のショルダーホルスターには何も挿さってないが、そこにいつもあるような安心感すら感じていた。


「それで、ヘーゼンベルク卿とラドバルディア夫人は何と言っていた?」


 彼ら二人に連絡を送ったのはファイスだ。当然、返信が私兵の送り込みだけのはずがない。


「はい、ここまでの状況も合わせて報告をあげてあります。カーヴィル様とラドバルディア夫人はミスター・カネガの調査力を大変評価され、今夜の襲撃の成功をもって、依頼完了とする連絡を受けています」

「そうか……じゃぁ、俺は墓守の仕事に戻るぞ。今から戻れば、朝の巡回までには一休みできるだろう」

「かしこまりました。私兵団に帰還を伝えた後、馬車を回しますのでお待ちください」


 ファイスは姿勢を正して軽く頭を下げると、私兵たちが向かった奥の部屋へ歩いて行った。


 ヘーゼンベルク卿たちが依頼の完了を認めた。それはファイスとの関係に一つの区切りが着くことを示し、今後の関係性について結論を出さなくてはならない時期が来たということだ。


 つまり——ファイス・ピーニスを俺の奴隷として終身雇用契約を結ぶか、否か。


 俺の中で、その結論はまだ出ていない。


「お待たせしました。帰りましょう」


 いつの間にかファイスが戻ってきていた。真っ直ぐに俺を見つめ、返答を待っている。


「あぁ、帰るぞ」




******




 翌日。廃農場に転がった屍体は全て回収され、夜明けまでに俺が管理する墓場の地下納骨堂の奥深くに運ばれた。

 どんな罪人であっても、裏事の対象であっても、遺体を放置して“闇夜を徘徊する者ナイトウォーカー”を生み出すのは不味い。


 俺が便利屋として重宝されているのは、墓守の仕事を利用して遺体の処理までキッチリとこなすからでもある。

 遺体を処理し、骨だけにして骨壷に収め、納骨堂に安置する。この作業も実に手慣れたものだ。

 以前の遺体処理は切断したり溶かしたり沈めたりと、何をするにも時間と人目を忍ぶ必要性に迫られたが、今は使徒の身体能力と地下納骨堂という全てが揃っている仕事場のおかげで、随分と時間短縮ができて楽である。


 全ての作業を終えて墓守小屋に戻ってくると、アンとファイスが中で待っていた。


「ゼン、お疲れ様です!」

「お疲れ様です。ミスター・カネガ」

「来ていたのか」

「はい、ラドバルディア夫人からの報酬、200万ドーラが派遣教会ギルドに入金されました。それと、ヘーゼンベルク卿から奴隷契約を解除されました」


 早いな——。


「つまり——」

「あなたが新しい主人です。ゼン様」

「俺はまだ奴隷契約を結ぶと返答していないし、その呼び方はやめろ」

「……判りました。ミスター・カネガ」


 報酬が支払われたということは、ラドバルディア夫人とヘーゼンベルク卿の二人がここにくることは二度とないな。ファイスの受け入れを拒否しようにも、言う相手がいないわけか。


 軽くため息を吐きつつ、空きグラスを取って蒸留酒の瓶を手に取ったが、中が異様に軽い。軽く振っても、中身が入っている音がしない。


 飲みきっていたか——。


「あっ、お酒なくなってました?」


 俺が蒸留酒の空瓶を見つめているのに気づき、アンが新しい酒瓶を出そうと動き出したが——。


「新しいのを用意してあります」


 ——それよりも先に、ファイスが自分の荷物が入っているバックパックから小綺麗なガラス瓶に入った蒸留酒を取り出した。


「ヘーゼンベルク卿より餞別として頂きました」


 差し出された酒瓶を受け取り、それを見つめてしばし考える。


「ファイス、お前は俺の下につくことに不満はないのか?」

「今回の依頼を通し、ミスター・カネガの考え方や行動規範は理解しました」

「理解した上で、俺の下につくのか?」

「はい、私は“忠義の神ロロニス”様の忠実なる信徒として、ミスター・カネガに忠誠を捧げます」


 真っ直ぐな視線を向けるファイスなら、何を知っても裏切らないし、寝首を掻くような真似をするとも思えない。


「なら、これを受け取れ」


 そう言い、手に持つからのグラスをファイスへ投げる。それをファイスは少し不思議そうな表情を浮かべながらキャッチした。

 そしてファイスが用意した蒸留酒のコルクを引き抜くと、ファイスが持つグラスに注いでいく。


「報酬として、お前の主人になってやる」

「ありがとうございます」

「だが、奴隷契約は結ばない」

「え……?」

「代わりに、俺の故郷の古い習わしで、お前との主従契約を結ぶ——飲み干せ」


 奴隷契約は“契約の神プーラン”の手を借りなければならない。それは主従関係を常に監視されることを意味し、“富の神ネーシャ”の使徒であることを隠している俺に取っては少し都合が悪い。

 だが、生真面目なファイスの性格だと、口で雇うといっても納得はしないだろう。だからこそ、かつて何度か交わした盃事を再びこの地でも行い、ファイスを納得させる。


 俺の指示通り、グラスに注いだ蒸留酒を一気に呷ったファイスは、空になったグラスを見せつけるように差し出した。

 それを受け取り、代わりに蒸留酒の瓶を手渡す。


「今度はお前が注ぐ番だ」

「はい」


 本当はもっと仰々しい手順があったりするのだが、本職ではない裏の住人の間では、もっと簡略化された手順で盃を交わしていた。

 その意味一つ一つをファイスに説明するつもりはないが、俺が何か儀式的行為を行なっていることは、ファイス自身も感じ取っているようだった。


 アンもそれを感じ取り、ニコニコと笑顔を浮かべながら黙っている。アン自身がファイスのことをどう評価しているのかは知らないが、俺の下につくことを反対していないことは判る。


 ファイスが注いだ琥珀色の蒸留酒を俺も一気に飲み干してグラスを空にする。


「これで俺とお前の間に絆ができた」

「絆……ですか?」

「そうだ。これは友よりも親子よりも固い絆、俺が白といえばお前も白と言い、俺が黒と言えば白でも黒と言え」

「……はい、このファイス・ピーニス。“忠義の神ロロニス”様に誓い、ゼン・カネガへ忠誠を捧げます」

「俺もこの絆を命よりも尊重し、いついかなる時もお前の力となる」


 ファイスは姿勢を正し、男装の執事服に皺一つ立てずに美しく腰を折った。


 そうして、俺はファイス・ピーニスという生真面目な男装女をそばにおく事に決めた。


 墓守の仕事にしろ、便利屋の仕事にしろ、人手が多いに越したことはない。それも俺の忠実な手下になると宣言するほどの人間なら尚更だ。

 裏事を含めて金儲けをし続けるには、多くの人出と時間が必要になる。ファイスの存在は、アンと同様に俺にとって大きな手助けとなるはずだ。


 そして——俺が“富の神ネーシャ”の使徒であることを知ったとき、果たしてどういう反応をするかは気になるが、その時はその時だ。


 グラスをもう一つ用意し、アンに放り投げて蒸留酒を差し出す。


 アンは自分にも同じことをするのだと察し、「ハイです!」と、元気に答えて俺が注ぐ琥珀色の蒸留酒を飲み干し、グラスと酒瓶を交換して同じように注がせて飲み干す。

 まだ幼いアンには少しキツイ酒だったかもしれないが、喉を焼く熱さよりも一つの家族ファミリーとして同じ絆を結んだことを喜んでいた。


 その後はアンとファイスの間でも盃を交わさせ、餞別の蒸留酒を肴にファイスから昨夜の顛末について確認した。


 ヘーゼンベルク卿の私兵たちが廃農場を徹底的に捜索した結果、地下格納庫の隅から木箱に詰められるように監禁されていた何人かの少年少女たちが救出された。

 他にもサイランだけでなく、神王国ベネトラでは禁輸指定されている素材や触媒が多数発見され、ザキース・ベルドモンドが率いる密輸団がかなり大胆な行動をとっていたことが浮き彫りとなった。

 また、異端教団ドミニオンの生き残りは見つからなかったが、いくつかの輸送ルートや配達先のメモから、隣国に跨る大密輸ルートの存在が発覚した。

 これらはヘーゼンベルク卿が枢機卿カーディナルとして責任を持って潰す手配をするそうだ。


 また、俺とファイスが侵入した時にオークションにかけられていた少女をはじめ、救出された少年少女はラドバルディア夫人が商会の伝手を使って家族や故郷を探すらしい。

 中には言葉も満足に喋れず、意思の疎通が難しい子もいるそうだが、帰るべき場所がわからない——見つからないものは、ラドバルディア商会で世話をするそうだ。


 だが、ヘーゼンベルク卿とラドバルディア夫人の復讐ともいうべき調査と追跡はまだまだ終わらない。自分たちの子息子女を攫い、拷問し、もてあそんだ全ての人間たちを見つけ出し、然るべき罰を与えるその日までは——。




 そして、その日の夜。俺は再び白い空間に立っていた。


「これは——夢か?」


 なんとなくそう感じた。どこまでも続く白い空間は先が真っ白で、見つめているだけで距離感が狂ってくる。

 自分の状態を確認すると、寝る前に脱いだはずの上着やズボンを着たままだ——やはりこれは夢。


 そう確信すると、以前の白い空間には存在しなかったものが目にとまり、そちらへ歩いていく。


 豪華絢爛——とまではいかないが、磨き上げられた大理石のように艶やかに輝く黄金の石造神殿。

 天井はなく、天空貫くほど高い黄金柱が幾本も並ぶその先には、柱同様に黄金に輝く椅子に腰掛ける一人の女の姿があった。


「中々いい仕事をしているようね、私の愛しい信徒にして使徒、ゼン・カネガ」

「お前は俺が奉納した金で贅沢か? 敬愛なる富の神、ネーシャ」


 ネーシャに対してなんの信仰心も持っていないが、わざとらしく手を合わせて拝む。


「あら、贅は富の象徴よ。信仰が高まれば高まるほど、私の神域は黄金に包まれる美しき世界へと変わっていくの」

「——眩しすぎて目が潰れそうだ。人の身には過ぎた世界のようだから、用がなければ戻してくれ」

「つまらない男ね。金儲け以外に楽しいことないの? こんなに美しい女神が夢枕に立ってあげているのに」

「黄金の椅子に座ってよく言う——それに、金儲けこそ至高の娯楽だ。早く要件を言え」

「他の神の使徒と戦ったでしょ?」

「あぁ、確か“鋼の神アイガン”の使徒だ」

「そっ、筋肉バカのアイガン。その時に神器セイクリッドをなくしたでしょ。あなたをここへ呼んだのはそれのことよ」


 ネーシャは黄金柱や黄金の椅子に負けないほどに輝く金色の長髪を掻き揚げ、白い布一枚だけを巻きつける白く艶やかな脚を見せつけるように組み替えると、不敵な笑みを浮かべた。


「あぁ、そうだ——P226は探しても見つからなかった」

「胸元を見てごらんなさい」


 夢の中で再び着ているいつもの上着をめくると、ショルダーホルスターには愛銃のSIG SAUER P226が挿さっていた。


「——あるな」

「あるでしょ? なにも新しい神器セイクリッドを用意したわけじゃないの。神器セイクリッドは使徒と一心同体、決してなくなりはしないもの。あなたが望めば、いつでもそこにあるわ」

「ハッ、便利なものだな」

「これで気兼ねなくお仕事できるでしょ。もっともっと信仰を高めて欲しいの——頼んだわよ——ゼン・カネガ!」


 P226がそこにある事に安堵していると、段々とネーシャの声が遠く聞こえるようになっていく。

 再び視線をネーシャに向けた時には、黄金柱の列がはるか遠くに見えていた。そして、それを認識した瞬間——夢の世界から覚醒し、目の前には暗い墓守小屋の梁り天井が広がっていた。


 夢の神域での会話を思い出し、枕代わりにしているカウチの肘掛の下へ手を入れると、そこには固い感触の冷たい物があった。

 それを掴んで目の前に持ってくれば——SIG SAUER P226がそこにあった。


「本当に、便利な能力だ——」


 戻ってきたP226のグリップを親指で軽く撫でると、また肘掛の下へと潜り込ませた。


 夜明けまでまだ時間がある。アンが起き出して朝食を作るのもまだ数時間は先だ。それまではもう一眠り——起きたら再び墓守と便利屋として金儲けに勤しむ。


 “富の神ネーシャ”の使徒として——ではなく、金儲けこそ無上の信仰と信じる——金の亡者として。



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