吸血鬼 13




 裏の治癒師の家に向かって歩き出すと、マデリアス・シュターゼンも黙って後ろについて歩きだした。

 二人の間に会話はなく、未だに鳴り続ける笛の音が段々と遠くへ離れていき、

この周囲一帯から人の気配が急速に遠ざかって行くのが判る。


 それもそうだろう。一度は吸血鬼を追い詰めたと思い、従士たちが一箇所に集結し掛けたのだ。それが放射状に再び散開したとなれば、スネに傷がある者や、厄介ごとに関わりたくない者は、そこから遠ざかるか息をひそめるに決まっている。


 オイルランプ灯が立つ間隔が繁華街に比べて広いこの辺りは、蒼月の明かりだけが夜道を歩く頼りだ。

 吸血鬼を追っている時には従士が手持ちランプを持っていたが、今はそれもない。聞こえてくる音は俺の足音と息使い、そして——後ろを歩くアンバランスなマデリアス・シュターゼンの足音と、息を吸って吐くという行為すらきつそうな呼吸音。


次第に俺の歩く速度も、マデリアス・シュターゼンに引っ張られるように遅くなっていく。


「怪我でもしているのか?」


 後ろを振り返ることなく、闇夜の通り道を真っ直ぐ見据えて後ろのマデリアス・シュターゼンに声を掛ける。


「……騎士に怪我はつきものでね」

「騎士様はすべからず使徒だと聞いたが、治りが早いと言っても怪我が多いのは大変だな」

「……それも使徒としての勤め、ベネトラの……サイランの治安を守護することが、僕の主神への信仰と奉納へと繋がる」

「信仰ねぇ……」


 “富の神ネーシャ”に対して上納金以外、信仰心のカケラも抱いていない俺からすれば、神世界フェティスの住人の信心深さにはほとほと頭が下がる。


「だが、お前の信仰する神が求める奉納は治安を守るとか、異端教団ドミニオンを狩ることじゃぁない」


 足を止め、振り向きざまにショルダーホルスターからSIG SAUER P226を俺の背後を歩くマデリアス・シュターゼンの眉間に突きつけ——。


「——血を吸うことだろう?」


 そう言って、断言した。


 しかし、マデリアス・シュターゼンはP226を眼前に突きつけられても何も反応しない。

 互いの鋭い視線が無言でぶつかり合い、しびれを切らしたようにマデリアスが呟いた。


「……それは?」

神砲プラーガ

 

 マデリアス・シュターゼンはP226を見てもとぼけたように聞いてくるが、俺にはコイツがイカレた吸血鬼だと確信があった。


神砲プラーガ……それを墓守である君がなぜ持っているのかは気になるが……あぁ、便利屋? もやっていると言っていたか、そうか、そうか……便利屋っていうのは、隠れ祓魔師フツマのことか……それなら神砲プラーガ持ちも納得だ」


 祓魔師フツマとは悪魔憑きバンシーを狩る集団や個人のことだ。その中でも“隠れ祓魔師フツマ”と呼ばれる者は、公に使徒であることや悪魔憑きバンシー退治を生業なりわいにしていることを公言していない者たちのことを指す。


 何度となく俺のことを祓魔師フツマと呼ぶ者がいるが、それに対して俺は肯定も否定もしない。

 “富の神ネーシャ”の使徒であることを隠すには、“隠れ祓魔師フツマ”という設定は非常に有効的なのだ。それをわざわざ否定する必要もないし、肯定して悪魔憑きバンシー退治を押し付けられても困る。


 そうならないための、墓守でもあるのだ。


「……だが、僕を吸血鬼呼ばわりするのは納得ができないですね」


 P226の銃口越しに俺を睨みつけるマデリアス・シュターゼンだったが、俺の視線は腰の長剣を握る左手を見ている。

 そして、ゆっくりと腰の反対側——片側マントに隠れる奴の右脇腹へと視線を移動させる。


「なら、そのマントに隠れた脇腹を見せろ。少しでも変な動きをすれば、躱す隙も与えず眉間を撃ち抜く」


 拒否することを認めない強い言葉に、マデリアス・シュターゼンは俺を睨みながら、右手の中指だけで片側マントをゆっくりとめくる。

 そこには、薄い軽装鎧にくっきりとこぶし大の——いや、まさに拳を叩き込んだ凹みが出来ていた。


異端教団ドミニオンの中に使徒がいてね。その取り締まりで負った傷さ、今日の非番はその回復のため」


 わずかに口角を緩めるマデリアス・シュターゼンだが、俺は何一つ気を緩めるつもりはない。


「そうか……なら——」


 ——鑑定眼プライス


 俺はマデリアス・シュターゼンの眼前で右眼に刻印ラースを浮かび上がらせた。


「なっ!」


 マデリアス・シュターゼンの表情からそれまでの余裕が消えた。


 闇夜のサイランの街並みが見切れないほどの数字の羅列へと変換され、それを意識一つでフィルターをかけて整理していく。

 眼前のマデリアス・シュターゼンは金色に変化した右眼と、“富の神ネーシャ”の使徒であることを示す刻印ラースに釘付けになっている。


 その数瞬の間に、俺はマデリアス・シュターゼンの体へと鑑定眼プライスの能力を集中させていく。

 鎖帷子のような軽装鎧に、血のように赤い真紅の片側マント、それらの高価な価値とは不釣り合いな、随分と安物の長剣。

 俺の視線は特に腹部付近を強く観察し、その内部——胃の付近に不自然に浮かび上がる価値の数字を見つけていた。


「俺が一体誰の使徒なのか、もう判っているよな?」

「まさか……? あの? そんなことがありえるのか……? “邪神ネーシャ”の使徒が墓守で隠れ祓魔師フツマ? なんの冗談だ」

「冗談? それはお前の胃袋にある、カタリナの結婚指輪のことだろう?」


 その一言に、マデリアス・シュターゼンの雰囲気が変わった。


「フヒ……フヒヒヒヒッ! それがお前の能力か! さすがは金目の物に目がない、欲にまみれた女神の使徒だァ!」


 そして奴の右手がブレる——そう感じた瞬間、俺はP226のトリガーを引くのと同時に後ろへと跳んで長剣の間合いを切った。


 マデリアス・シュターゼンは頭を傾けながら姿勢を低くすることで銃撃を躱し、同時に横薙ぎに振り抜いた一閃は俺の胸の皮一枚を斬り裂いていた。

 跳躍一つだけでは一瞬で距離を縮められる——そう感じた俺は、体を振るように右へ左へと跳びながら後退した。


「しかしよく判ったネェ〜、どの段階で気づいていたんだァ〜い?」


 空振った長剣を顔の前に戻し、わずかに着いた血を長い舌で丁寧に舐め取りながら、マデリアス・シュターゼンの口調は完全に今までのソレとは違い、顔を歪ませて嗤いながら問いかけてきた。


「最初から怪しいと思っていたが……確信したのはついさっきだ。お前は誰に説明を聞いたわけでもないのに、俺と吸血鬼が遭遇した場所に“少女”がいたと口走った」

「あぁ……あぁ、あぁ、あぁ……そう言えばそうだ。そう言ってしまったかァ〜」

「脇腹の拳痕も、カタリナの指輪も、ただの証拠固めにしか過ぎん」

「あぁ〜そうか残念だ。だけど、さすがは“邪神ネーシャ”の使徒の血、美味しいヨォ〜!」


 マデリアス・シュターゼンは俺の話を聞きながらも、恍惚とした表情を浮かべながら長剣に付いた血を舐め取るのに夢中になっていた。


「フヒッ、使徒でこれほどの美味を味わえるなんて……これがあの少女なら、一体どんな味がするんだろォ〜?」

「——アンのことか」

「そうだヨォ〜〜! 街角で見かけた時にピ〜ンときたんだ! あの人とは思えぬ可愛らしい顔、白磁のように白く清廉な肌、琴線を響かせたような心地よい声、そして何より……存在自体から微かに香る神聖な雰囲気……それはまるで天使のような子だったヨォ〜!」


 アンが正しく天使だと判ったわけではないのか? だが、それでも。


「やはり、お前をここで問いただして正解だったようだな」

「フヒヒヒッ! 僕も君をここから逃がすつもりはないヨォ!」

「しかし……ベネトラ騎士団の騎士様が吸血鬼とはな、何をどう踏み外せばそうなるのか」

「フヒッ! 君は騎士の叙勲がどのように行われるか知らないのかァ〜い? 小さな頃から騎士になるためだけに育てられ、神からの啓示を頂くために信仰を捧げる……主神様が使徒として認めてくださるその瞬間まで……この永遠とも言える悠久の苦痛は、君のような掃き溜めの墓守には判らないだろうネェ〜」


 俺同様にマデリアス・シュターゼンも強い殺気を放ち始め、お互いにこの場で決着をつけることは決定事項だった。

 ここで再び奴を逃せば、アンをいつ狙うか判らない日々が始まる。それは俺の金儲けにとって重い足枷となるし、標的を取り逃がしたとなれば、俺がネーシャの使徒だということが明るみに出ることを意味する。


 マデリアス・シュターゼンから見ても、自身が吸血鬼であることを看破された以上、俺を野放しには出来ないし、“富の神ネーシャ”の使徒を喰らう機会をみすみす見逃すつもりはないだろう。

 それに、どうやら奴は騎士という身分に相当な入れ込みを見せている。その立場を守るためにも、俺の口封じは絶対だろう。


「——チャージ」

「“吸血の神ドラバー”に今宵も血の宴を捧げる……ブラッディソード」


 チャージを行使してP226の威力を増強させつつ、照準をマデリアス・シュターゼンに合わせると、奴も同様に使徒としての能力を行使し、長剣の切っ先で自分の手の平を薄く斬り、そこから滴り落ちる血液が長剣の刀身全体に膜を張るように広がり、安物の長剣が真紅の剣へと変化した。

 




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る