馬車の乗客 ⑩




 オークスと呼ばれる女は、緑髪のモヒカンと鼻ピアスから伸びる金のチェーンを耳に繋げ、紫紺のアイシャドウと真紅の口紅をしており、随分とファンキーな印象を受ける。

 いや、そのガリガリに痩せた細い肢体からでは、大胆に胸元が開けたスレンダーな服装でなければ女であることすら判らなかったかも知れない。


 客席に座るオークスに近づいていくと、6人掛けのソファーに座るオークスの視線が一瞬だけ俺の方へ動いた。

 同時に、ソファーの端に座るガタイの良い若い男たちが立ち上がり、俺の前に立ち塞がる。オークスの左右に座るイケメンとダンディーな男二人は座ったままだ。


「おい、にいちゃん。席を間違えてねぇか?」

「それ以上近づくと、痛い目じゃ済まされねぇぞ?」


 随分と陳腐な脅し文句——若いチンピラにありがちな拒絶反応だな。


「俺はゼン・カネガ。ミス・オークスに話がある」


 若造と話をしても何も進みはしない。立ち塞がる二人を無視し、蒸留酒の瓶やグラス、ツマミのフルーツが並ぶテーブルを挟んでオークスの前に立つ。

 無視されたことに苛つき、若いチンピラが俺の肩に手を伸ばしてくるが、それをオークスは細く長い指と鋭い凶器のような爪を立てて制す。


「ゼン・カネガ……知ってるわぁ。サイランの墓守、お金を積めば殺し以外は何でも請け負う便利屋、それがアタシに何の用かしら?」


 どこか面白そうに不敵な笑みを浮かべ、オークスはソファーの背にゆっくりと体を沈めた。


 どうやら俺の話を聞いてくれるらしい——となれば、無駄な前口上は必要あるまい。上に立つものほど簡潔な説明と結果を求める。細身の女手一つで密輸組織を取り仕切るオークスに、ベラベラと美辞麗句を並べ立てても良い結果になるとは思えない。


「このイレズミ模様に見覚えはないか?」


 上着の内ポケットから一枚の羊皮紙を取り出し、旅馬車の御者と乗客のイレズミを模写した物をオークスに見せる。


「ふふん。それとアタシと……何か関係が?」

「あるかも知れないし、ないかも知れない——だが、俺の予想だとコイツ・・・はお前の商売敵じゃないのか?」


 テーブルの上に置いた羊皮紙を指でつつき、真っ直ぐにオークスの目を見て断言する。


 相手が腐った人間か否かは目を見れば判る。オークスの目は、野心に燃える上昇志向の強い目をしていた。

 そして部下を片手で軽く制するのを見るに、オークスが強い統率力と規律で部下を支配コントロールしていることが窺える。


 それは関所を無理やり突破して暴走するような運び屋にも、商品たる少年少女をサディスティックに扱う客たちにも見られなかったものだ。

 俺のことをうっすらと細めた目で見つめるオークスからは、そんな部下を許容することも、客を客として認めているとも思えなかった。


 ならば、他所からサイランにそんな物——いや、人か——それらを連れ込もうとし、それが露見しようものなら無様に逃げて存在を明るみに晒す。そんな無能を使っているのは、オークスとは別の密輸組織だろう。

 この裏事を行う組織・集団は、常に敵対ライバル組織との抗争状態にある。その抗争に勝つために、裏事を細分化し、組織化し、巨大化していく。


 オークスの視線が俺の顔から下へ動き、指先で抑える羊皮紙の模様を見つめる。


「仮にこのイレズミが商売敵の印だとして、それをアンタに教えてアタシになんの得がある?」

「この商売敵があんたの前をうろちょろすることがなくなる」

「へぇ〜、言うじゃない……なら、本当にそれができるのかどうか、この場でその力量見せてもらおうかしら?」


 そうオークスが言った瞬間、俺の左右に立ったままの若いチンピラたちが再び動き出した。


「オラァー!」

「這いつくばりなっ!」


 左右から同時に殴りかかって来たのを身を逸らして躱し、そのまま飛び退ってテーブルと距離を取る。

 俺を追うように、オークスの左右に座っていたハンサムな青年とダンディーな口髭の二人も立ち上がり、テーブルを乗り越えて襲いかかって来た。


 ——オークスの前では買われた子犬のようだったが、実際には随分と好戦的な性格のようだ。


 懐から抜き出し、突き出された短刀を脇に挟み受け、そのまま後退しながらハンサムな青年を後ろ投げで手摺から一階に落とした。


「うわぁぁー!」


 背後に聞こえる絶叫はダンスフロアに響き渡る音楽によって掻き消されたが、一階のドリンクテーブルの真上へと落下した青年によってそれは悲鳴へと変わった。


「シッ!」


 口髭の方は若いチンピラよりもケンカ慣れ——格闘術を嗜んでいる腰の入った拳を繰り出して来た。


「ぐっ——」


 受け止めた腕の骨の髄にまで響くような重い一撃。普通の拳打ではない——明らかに神からのサポートを受けている人を超えた力だ。


 ——使徒か? いや、上着の下に見える刻印ラースらしき刺繍——神具アーティファクトか。


 拳打を受け止めて痺れる右腕に僅かに顔をしかめると、逆に口髭の方は口角を釣り上げて笑みを浮かべる。


「なめるなっ!」


 コンパクトに左手を振って口髭の鳩尾を打ち抜く。神具アーティファクトによって強化された身体能力以上の一撃で口髭の動きは止まり、流れるように突き上げる右手が顎を捉えて意識を刈り取る。


「か……はっ」


 寄りかかるように倒れこむ口髭の体をどかすと、そのタイミングを図っていた若いチンピラの一人が、姿勢を低くして決死の形相で突っ込んで来た。


「うおぉぉぉ!」


 だが、裏事を金儲けの生業としている以上、俺は様々なジムに通って総合格闘技やボクシングなどを修練してきた。この神世界ファティスに来てからも、使徒の体に甘んじることなくトレーニングは続けている。

 こういう技術は少しでも離れれば錆びついて使い物にならなくなる。


 タックルに合わせて両足を後ろに投げ出し、勢いを受け流しながらチンピラを上から押し潰す。


「ぐぉっ」


 そして、床に顔を打ち付けたチンピラの頭部に膝を打ち込み、動きを止める。


「ふ〜ん、なかなかやるじゃない」


 三人を捌き倒し、視線をソファーに座ったまま観戦していたオークスに向けると、オークスは頬杖ほおづえをつきながら面白そうなものを見る笑みを浮かべていた。

 だが、その視線が不意に鋭く細まり横に向けられると、そこに立つ若いチンピラのもう一人は、一歩後ずさりながら顔を青くしていた。


「アンタはまだ行かないわけ?」


 オークスの冷えた声が響く。一階のダンスフロアからは投げ落とした青年を気遣う声や騒つく声がまだ聞こえているが、サンドパールの従業員が対応し始めたのか、再びリズミカルなダンスミュージックが奏でられ始める。


 一人残ったチンピラは、立ち上がる俺の姿とジッと睨み続けるオークスの顔を交互に見合い、また一歩後ずさる。


「う、うわぁぁ〜!」


 最後に残っていたチンピラは、前に出ることなく一階へ向かって走り出した——要は逃げ出したわけだが、オークスは溜め息を一つこぼすと、テーブルに並べられたフルーツに刺さっていたフォークを抜き、それを見つめる俺に微笑みを一つ浮かべた。


 オークスは手首のスナップだけでフォークを投げると、真っ直ぐに飛んでチンピラの首筋に深く突き刺さり、その衝撃でチンピラは階段を転げ落ちて行った。


「凄い力だな、使徒だったりするのか?」

「“強欲の神マーモ”様へ大いなる信仰を捧げてはいるけれど、残念ながらまだその神託は頂いてないわね」


 チンピラが転げ落ちた先でまた悲鳴が聞こえたが、すぐに笑い声と音楽に掻き消された。二階の一番テーブルに残ったのはオークスのみ、他のテーブル席で飲んでいた客たちは、一瞬の見世物に一つ二つと手を叩き、それで関心を失い酒と女と会話を楽しみ始めた。


 オークスはフォークが刺さっていた果物を指で摘み上げると、それを口に運んで指に付いた蜜を舐め上げる。

 その仕草はファンキーな容姿からは想像できなかったほどの妖艶な色気を発し、ソファーに深く体を埋めた。


「それで——俺の質問に答えてもらえるのか?」


 チンピラたちの呻き声が響く中、周囲が落ち着きを取り戻していくのを横目に確認し、再びイレズミを模写した羊皮紙に指を立てた。


「……そいつらは王都方面からサイランに出入りしている異端教団ドミニオンよ。主に人身売買で小金を稼ぎ、街外れの廃農場で不定期にオークションを開いているわ」

「オークション? それは奴隷契約に基づく人身売買とは違うのか?」

「ぜ〜んぜん、違うわよ。そのオークションで掛けられているのは、一晩の生殺与奪。落札した人間をどうしようと、落札者の自由。参加者たちは金をかけてそれを買い、その場でどうするか決める」

「そのあとは?」

「ふふっ……ショーの始まりよ」


 愉快そうに話し始めるオークスの話は、想像以上の狂気に満ちていた。


神王国ベネトラ各地から連れて来られるのは少年少女、時には大人に老人、中には生まれたばかりの赤子まで含まれ、そのオークションの存在を知る者たちが不定期的に集い、そのオークションを楽しんでいる。

 その会場もオークスが知る廃農場だけでなく、開催都市すらも毎回変更され、参加者と出品される人間たちはあらゆる手段と方法で神王国中を移動している。


 落札された人間はたちまちサディストたちの鑑賞物へと変わり、落札者の様々な加虐性癖によって人生最悪の夜を過ごす。

 その半分がその日に命を落とすそうだが、中には死ぬギリギリを生かされることで、落札者と観客たちに長時間の快楽と満足感を与えるそうだ。


 そして、このオークションがサイランでも開かれるようになったのは、ごく最近の事らしい。

 それまでサイランの欲深き住人たちの欲望を満たしていたのは、ザイドン・ラーゲンヘルツが夜な夜な開く夜会だった。

 だが、ある晩の夜会で無視できない騒ぎが起こり、ラーゲンヘルツは夜会の主催者としての信用を失った。

 そこへつけ込むように利益を上げているのがオークスのような密輸組織であり、このオークションを開いている他所者よそものである。


 つまり、ラドバルディア家とヘーゼンベルク卿の家族に起こった不幸の一因が、実は俺にもあったことが判明したわけだ。

 だが、それに関して俺が罪悪感を抱くことはないし、両家に対して何か義理立てるつもりもない。


 誰かの幸福は誰かの不幸。誰かが儲ければ誰かが損をする。それは物事の表裏であり、決して分ける事のできない真理だ。


「なるほどな……お前もそこへ商品を運んでいたりするのか?」


 あらかた話を聞き終えて今回の全貌が見えたところで、その情報源となったオークスが俺の標的になり得るか否か。

 これはさりげない質問ながらも、返答次第ではショルダーホルスターのSIG SAUER P226を抜くかどうかを決める重要な質問だ。


「まさか、アタシが運ぶ品に人間はいないわ。生かすための場所に食べさせる食料、運ぶのも面倒だし、売るのも一苦労よ」


 面倒臭そうにそう言い放つオークスは、嘘を言っているようには見えない。

 

「それは確かに、その通りだな——それで、そのオークションが次にいつ開かれるか、知っているか?」

「知っているわ」


 さも当然、とオークスは一つ微笑むが——俺の問いに答える様子はない。ただ俺の顔を見つめ、微笑むだけ——。


「あぁ、言い忘れていたが……美しい女性にお似合いの石を一つ用意している」


 オークスの微笑みは、報酬だ。ここまで聞いたオークションの話には、具体的な場所や時間などは含まれていない。


 それを聞くためには対価が必要だ。


 上着のポケットから取り出してイレズミを描いた羊皮紙の上に、以前の仕事で手に入れた“賢者のフィロソフィス”を重ねる。


「へぇ〜、墓守にしてはいい物を用意しているじゃない」


 オークスが賢者のフィロソフィスをつまみ上げようと手を伸ばすが、その直前で羊皮紙を指先一つで手前に押し戻し、その指先が空を切った。


「先に情報を」


 オークスと少し話をすればすぐにわかった——このファンキーな女は“使える”。


 裏事に必要な物資の流れを知り、その運び屋にも精通している。以前の現代世界と違い、インターネットはおろか電話すらないこの神世界において、情報収集能力に長けた人物とどれだけ顔を繋ぐか、それが金儲けにおいて重要な要素ファクターとなっている。


 特に様々な欲望渦巻くこのサイランでは、裏事ひとつ実行するにしても異端者や異端教団ドミニオンたちの繋がりや関係性を考慮し、配慮しなくては、排除されるのはすぐに俺の方になる。

 前回のような失敗を繰り返さないためにも、俺の立ち位置を盤石なものとし、様々な人物と一定の関係性を保つことが重要なのだ。


 その為なら、賢者のフィロソフィスを差し出してパイプを太くすることは、決して悪い選択肢ではない——だが、物には順序というものがあるのだ。


 指から遠ざかった賢者のフィロソフィスを見つめるオークスの表情が、若干不愉快そうに少しの間目をつむり沈黙する。


「いいわ、先に教えてあげる。それに、アタシもアンタにお願いがあるし、とっておきの情報も提供するわ」

「とっておき?」


 そして再び目を開けた時、オークスの顔にも俺を商売相手と認める一定の信頼が見て取れた。


「……アイツらを率いているのは、使徒よ」



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