馬車の乗客 11
サンドパールで二つの用件を済まし、グレイテシアに回収した金を届けて墓守小屋へと戻ってきた頃には、周囲はすっかり夜の闇に包まれていた。
「まだ起きているのか」
薄霧に包まれている墓場の中に、浮き上がるように明かりが灯る墓守小屋が見えてきた。時刻を考えれば、すでにアンは寝てファイスは宿に帰っている時刻だ。
俺が戻る時刻は伝えていないし、もっと遅い時刻になる可能性もあった。墓守の仕事を終えていつもの時刻になれば寝るように言ってあったのだが、まだ残っているということは、何かやり残しでもあるのか?
「戻った——ぞ?」
ドアを開けて小屋の中へ入ると、そこには囲炉裏を挟んで向かい合う三人の女が座っていた。
一人目は“富の神ネーシャ”が遣わした天使のアン、やはりまだ起きていた。
二人目は執事服に身を包む男装のファイス、まだ帰っていなかったようだ。
そして三人目は紫色を基調とした
無言で見つめあっていた三人は、小屋に入ってきた俺へ同時に視線を向けた。
「ゼン、お帰りなさいです」
「ミスター・カネガ、お帰りなさいませ」
「あっ、ゼンさん。お帰りなさい」
「三人とも、こんな時間まで何をしていたんだ?」
いくつかの小物を小さな俺の作業机に置き、腰のポーチも外してラフな格好になりながら何気なく聞いてみたが、三人は黙って見合うだけで何も言わない。
しょうがない——と、とりあえず感じている喉の渇きと空腹を満たすため、網カゴの中のパンと干してある干し肉を取ろうとしたが——。
「——ない」
網かごの中にあったはずのパンがなく、干してあるはずの干し肉も見当たらない。誰かが別の場所に置いたのだろうか? と小屋の中を見渡すと、囲炉裏に見慣れぬ鍋が三つ掛かっていた。
「夕食ですか? 用意してあります!」
「ミスター・カネガ、宿から食材の残りをもらってきたので、小屋の食材と合わせて用意しておきました」
「
俺の視線に気づいたのか、三人ともが自信満々に声をあげた。
「あ、あぁ——助かる」
まさかこの三人、俺の夕食を用意してくれたまではいいが、誰の食事を食べさせるかでもめていたのか?
状況が飲み込めないまま蒸留酒の瓶とグラスを取り、数日前に届いたガラクタの
その間に、三人は競うように鍋から夕食の煮込みスープを椀によそい、俺の前に置いていく。
「お疲れ様です」
「どうぞ」
「はい、ゼンさん」
慣れた手つきで差し出し、かたや無表情で作業的に、かたや満面の笑みで愛情豊かに差し出される三つの椀。タフな交渉と運動で俺の胃袋は今にもペシャンコに潰れそうなほどに空腹を感じている。
椀三つ分の煮込みスープとて問題なく完食できるだろうが、必要最低限の言葉しか話さず、すぐに見つめあって無言を貫く三人の雰囲気では、食事を楽しむこともできなそうだ。
「それで……これは一体なんだ?」
とりあえず差し出された煮込みスープへ順番にスプーンを入れつつ、三人の顔色を窺いながら状況確認へと入る。
無表情にこちらを見つめるファイスと、ニコニコといつもの笑顔を浮かべるシスター・マリアナの視線が俺へと向けられる。
アンは少し困ったような表情を浮かべながらも、どこか余裕のある笑みを浮かべて黙っている。
「ゼンさん、この
シスター・マリアナがファイスを指差し、問い詰めるように聞いてくる。
「正確には、依頼の報酬として奴隷契約もしくはそれに近しい終身雇用契約を結ぶ——です」
シスター・マリアナの質問に、俺より早くアンが答えた。
だが待て、それはまだ決定事項ではないはずだ。依頼完了後に、最終的に身請け? するかどうかを決めることになっていたはずだ。
「依頼達成時の報酬にオプションとして付いてくるってだけだ。それに俺はまだ受け入れると断言したわけじゃない」
聞き流すように煮込みスープを口に運びながら、アンの言葉を否定する。
「へぇ〜、そうなんですか〜ですが、この
笑顔を崩さず、声のトーンだけ一段下がってさらに食い下がるシスター・マリアナ。思わずファイスに視線を向けるが、こちらはさも当然のように一つ頷いて何も言う気がないようだ。
「それはファイスが言っているだけだ」
「言っているだけ、ですか?」
「そうだ」
「いいえ、カーヴィル様もすでにご了承済みの話です」
「カーヴィル様?」
お前は黙っていろ、ファイス!
そう声を荒げそうになったが、シスター・マリアナの表情から察するに、カーヴィル・ヘーゼンベルクの名はよく知らなかったようだ。
サイランに住む
首を傾げながら思い当たる人物を思い出しているようだが、この状況を打破するならこの瞬間しかない。
「シスター・マリアナ、お前はもう帰れ。ファイスもシスター・マリアナを送って宿に戻れ」
「え? ゼンさんまだ話は終わって——」
「かしこまりました。今夜の調査結果については明日の朝伺いに参ります」
「そうしてくれ。シスターマリアナ、俺はブラザー・ジルバに小言を言われるのは御免だ」
仕事と規律にうるさく、墓守小屋にやってくるシスターマリアナの帰りが遅くなると、それと同じ時間だけ俺に説教をしてくる。
「うっ……」
それはシスター・マリアナにとっても同じである。ブラザー・ジルバの小言攻めを思い出したのか、顔色が青く変わっていく。
「もう帰れ」
「わ、わかりました……でも、この話はまだ終わっていませんからね! それでは、失礼します!」
シスター・マリアナは素早く身支度をすぐに整え、墓守小屋を飛び出すように出ていった。
「それではミスター・カネガ、明日の朝また」
「あぁ、ラドバルディア夫人とヘーゼンベルク卿に連絡を取る準備もしておいてくれ」
「それでは……?」
「あぁ、二人の少年少女が向かうはずだった先、そこで何が起こるのかは、もう直ぐ判る」
それだけ聞けばファイスには十分だった。小さな笑みを浮かべて軽く頭を下げると、
「ふぅ——」
静かになった墓守小屋で一つ息を吐き、グラスに蒸留酒を注いで再びカウチに大きく背を預けた。
「ゼンは人気者ですね」
「そんなもの、なんの金儲けにもならん」
まったく——シスター・マリアナは意外と潔癖症のようだ。ファイスの献身的すぎる心構えにも大いに問題があると思うが——。
それでも、この数日間におけるファイスの働きには満足している。
便利屋と墓守の仕事、そのどちらもが俺にとって重要な金儲けの手段だ。稼いだ金の一部は“富の神ネーシャ”に奉納しなくてはならないし、稼いだ金で何かを成したいわけでもない。
金儲けを継続して行い、儲け続ける環境作りと成功の連続が俺にとっての快感なのだ。
ファイスの存在は間違いなくその助けになる。それは確信できる。依頼達成の報酬として身請けするかどうかはまだ判断に悩む所だが——。
その障害となり得るのは、俺が正しく“富の神ネーシャ”の使徒であり、アンが天使だという点だ。
ここサイランでしばらく生活を続け、“富の神ネーシャ”が邪神として間違いなく忌み嫌われていることを実感している。
実直——そうとしか言い表せられないファイスが、俺がネーシャの使徒だと知った時につき従うかどうか、その判断がまだつかないのだ。
ファイスという人間自体は気に入っている。盲信的な一面があるが、部下に持つなら金の繋がりや恐怖で従わせるより信用できる。
さて——どうしたものか。
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