黒ドレスの女 ②




 翌朝から、メリナ・サラマイヤーの依頼に取り掛かった。


 墓守としての朝の仕事を終え、まず向かったのはベネトラ騎士団のサイラン駐屯所——近くの料理屋だ。

 ここには騎士団の団員たちが毎朝食事に訪れる。強盛な信仰を捧げる騎士階級はもちろん、いわゆる警備員やパトロール警官的な立ち位置に置かれる従士など、サイランで起こった事件を追うなら、まずはここに来るのが一番だ。


「おいおい、朝から墓守を見るとは縁起が悪いな」

「俺も朝からお前たちの汚い顔を見たくはないさ」

「ハッ! ふざけたこと言ってると牢屋にぶち込むぞ、カネガ!」


 朝の混雑で騒がしい料理屋のテーブル席で俺に声を掛けてきたのは、騎士団に所属する従士のダストン・マールだ。

 四人掛けのテーブル席には他にも顔馴染みの従士たちが座っており、それぞれと朝の挨拶を交わしながら空いている席に座る。


 するとすぐにこの「雪花亭せっかてい」の看板娘であるシャイナが注文を取りにやって来た。


「いらっしゃいませー! おはようございます、カネガさん。アンちゃんは元気ですか?」

「おはよう、シャイナ。アンもいつも通りだ。今夜にでも夕食を買いに来させるから、用意しておいてくれ」

「は〜い!」


 シャイナはまだ10代の少女だが、この神世界フェティスでの成人年齢は16歳なので、一応は成人女性という括りになる。

 赤毛のロングを三つ編み一つに纏め、鼻の上のそばかすがとてもチャーミングな小娘だ。


 以前にこの雪花亭せっかていの前で食い逃げを捕まえたことがあり、それ以来何度か利用するうちに、随分と仲が良くなった。

 この料理屋は情報収集の場として目をつけていた矢先だっただけに、駐屯所の目の前で食い逃げを敢行した憐れなマヌケ野郎を、団員達より先に捕まえられたのはある意味で幸運だった。


「ちょっとシャイナちゃんよぉ〜、この席には俺たちも座っているんだけどなぁ〜?」

「あらぁ? 団員の方々はいつもと同じベーコンチーズブレットと黒豆の焙煎茶でしょ? それとも今日はゆで卵も付けてくれるの?」


 新鮮な卵は安くない。以前の俺には考えられない価値観だったが、それにはもう慣れた。


 ダストンを含めて団員たちが苦笑いを浮かべながら「いつもので——」と、か細い声を合わせて注文をしていくが——。


「三人と同じものを俺にも、それと卵を四つにスモーも付けてくれ。支払いは俺が持つ」


 それを遮るようにシャイナに注文を伝えると、団員たちから歓声と拍手が巻き起こった。スモーは“呪われた大森林”の近くでしか採集できない貴重品だが、保存が効き、瑞々しい食感が長く楽しめるため、サイランでも嗜好品として非常に人気が高い。


 朝食を奢ってくれるだけでなく、安くはないゆで卵にスモーまでも付けくれる。この大判振舞いにダストンたちが俺の狙いを見抜くのは、そう難しいことではなかった。


「これが仕事明けなら麦酒エールの一杯も付いたのだろうが……それで、何の情報が欲しいんだ?」


 ダストンたちも慣れたものだ。あらかた朝食を食べ終え、〆のスモーを齧り出した頃、それまでの他愛もない雑談から、俺が朝から食事を奢った理由へと話題が変わった。


 騒がしい店内の中で少し前のめりになり、自然と小声でメリナ・サラマイヤーについて聞き始めた。


「鉱石商のサラマイヤーについて聞きたい」

「サラマイヤー? あぁ、先週のアレか……サラマイヤーの店は街の北側にあるんだが、深夜に押し入った三人組が一家を殺害、目ぼしい鉱石を奪い逃走した」

「犯人については?」

「ふ〜ん、教えてやってもいいが、何か判ればこっちにも情報を流せよ。何も知らずに解決されても、こっちが知ってなきゃ未解決事件のまま放置されることになるからな」

「あぁ、もちろん判っている」

「ならいいが……騒ぎを聞きつけて駆けつけた従士が、ただ一人息があった重症のメリナから話を聞けた……ダダーリン兄弟だろう」

「ダダーリン兄弟?」

「神王都を中心に暴れ回っていた三兄弟の異端教団ドミニオンで、サイラン周辺で確認されたのはこれが初めてだ」


 そこまで判っていながら、なぜ捕縛することができないのか? とは以前に受けた依頼で聞いたことがある。

 理由は単純明快、人手不足なのだ。サイランの住民がどれほどいるのか、その正確な数字こそ判らないが、街の大きさと建物の密集具合、それに市場や出入りする荷馬車などの量を見れば、数万人規模の地方都市レベルだと推測できた。


 それに対して騎士団の規模は多くても数百人、街に唯一の騎士団施設が小さな中学校程度の大きさしかないのを見れば、事件などの捜査に割ける人員が足りていないのも頷ける。

 だからこそ、俺のような個人的に依頼を受けて異端者を追う者が少なからず存在するのだ。


 雪花亭せっかていで手に入れた情報をまとめると、犯人と思われるダダーリン兄弟は未だサイランのどこかに鉱石と共に潜伏している。

 これはサイランと神王都ベネトラ中央部を分断する𡸴山、バルミヤ山脈を貫通するトンネルに造られた関所を通過した記録がないからだ。


 サイランに留まっている理由はまだ不明だが、何かがまだ終わっていないのだろう。それが終わるまでに、居場所を突き止めて奪われた鉱石を取り戻し、身柄を拘束する必要がある。

 同席して話を聞いていた従士の一人がダダーリン兄弟の次男、バルブロ・ダダーリンの手配書を持っていたので、それを拝借してまずはバルブロを探すことにする。

 そうすれば、残りの二人も近い場所で行動を共にしているはずだ。


 雪花亭せっかていを後にし、次に向かったのはサラマイヤーの店舗だ。騎士団による調査が一応入っているが、別に鑑識班による科学捜査が行われるわけでもなく、簡単な検分で終わっている。

 今は営業もしておらず、扉や窓は侵入者対策で板が打ち付けられ、事件以降誰も住んでいない。現在、唯一の生き残りであるメリナ・サラマイヤーは街の反対側の宿に泊まっている。


 店舗の中には裏手にある通用口から入った。ドアを封印する板を使徒の身体能力で難なく引き剥がした。ちなみに、鍵は強盗が押し入った時にすでに破壊されている。中へ入るのはそれほど難しくないことだ。


 店舗の中は薄暗い。窓という窓が木扉で閉められ、人のいない家屋内でランタンの灯りが灯っているはずもない。


 こう暗くては調査にならない——腰に着けているポーチを開け、短い鉄の筒と小さな水晶を一つ取り出す。

 鉄筒はサイランの鍛冶屋で注文した特注品で、水晶の方は便利屋として利用できると考えて購入した神具アーティファクトの一つだ。


「“光の神ラナー”に祈りを捧ぐ、闇に迷える子羊に導きの光があらんことを——」


 指を二本立てて水晶に刻まれた刻印ラースと同じ模様を中空に描き、呪文というよりかは祝詞に近い文言を呟いて二本の指を刻印ラースへ重ねる。

 すると、水晶の中心部から淡い光が溢れ出し、瞬く間に水晶は電球のように光り輝いた。


 神具アーティファクトの発動に特別な力は必要ない。刻まれた刻印ラースの神に対して祈りを捧げればいいだけだ。その祈りも自分がやり易い形、文言で捧げることができる。


 基本的に自身が信仰する神によって何か不都合があるわけではないが、使徒である場合だけ、他神の神具アーティファクトは効果が弱いデメリットが存在する。


 しかし、光を発する程度の神具アーティファクトなら、効果が弱かろうがあまり関係はない。


 光を放つ水晶を鉄筒の先端に嵌め、光源に指向性を与えることで懐中電灯のように使う。


 サラマイヤーの店舗はそれほど広くはないが、一階が店舗兼倉庫で二階が居住用と分かれていた。

 店内はかなり荒れている。商品棚は引き倒され、ショーケースらしきガラス片がそこら中に散乱していた。


 その荒れ具合からわかるのは、明らかに何かを探していることだ。床板や壁の裏まで破壊し、隠し場所になりそうなところは残さず破壊され、目当ての物を見つけるまでは破壊を諦めない強い目的意識を感じる。


「ふぅ……」


 軽く息を吐き、右眼に意識を集中させて目を閉じる——。


「——鑑定眼プライス


 “富の神ネーシャ”から与えられたこの右眼を、そう名づけた。名前をつけることで刻印ラースの発動に意識的なオンとオフを作り、右眼が不意に金色へ変わるのを防いでいる。


 再び目を開いた時、金色の右眼に映る視界は数字の大波に埋まった。


 ほとんどの物が無価値な0ドーラ表示、破壊を免れた小物や鉱石の破片らしき石にはいくつかの数値が出ているが、その殆どが価値あるものとは思えない。


 4桁まで非表示——調査を進めるにはあまりにも対象が多すぎたため、鑑定価格4桁以下は表示しないフィルターを意識する。


 だいぶスッキリと視界が見やすくなったところで、ダダリーン兄弟が狙った物と狙わなかった物がハッキリと見えてくる。


 視界に見える高い評価額の物を一つずつ確認していく。店舗のカウンターの裏には、商いをする上で欠かせない現金が手付かずになっていた。


「金品が目的じゃない……やはり、鉱石か?」


 メリナ・サラマイヤーからは鉱石だけでも取り戻して欲しいと依頼されているし、倉庫を確認しても、やはり鉱石だけがごっそりとなくなっているのが判る。


 倉庫自体の広さや、空になった収納棚をみるに、強奪された鉱石はかなりの量だ。バルミヤ山脈の関所まで密かに運び出し、さらに通過するには目立ちすぎる、かなり難しい。

 鉱石の取引や輸送にはベネトラの許可証が必要で、サラマイヤーの許可証が収まった額縁は壁に掛かったまま。


 ダダーリン兄弟が許可証を持っているとすれば、ダストンたちが俺に話しているはず。奴らがまだサイランに潜伏している理由は……ここサイランで鉱石を換金するつもりか?

 だが、はした金とはいえ現金を無視するのは気になる。ただの押し込み強盗ならば、金目の物は根こそぎ奪ってもおかしくはない。

 鉱石というかさ張る品があるため、他の物を盗まなかったのは理解できるが、大して嵩張りもしない現金まで無視するということは、ダダーリンたちには確固たる獲物があったことが伺える。


 そして、足元に散らばる羊皮紙の束を掴み上げて神具アーティファクトが放つ光をあてると、どうやらそれはサラマイヤーの帳簿のようだった。


 神世界フェティスの文字や言語は、当然ながら地球上のどの国や地域の言語とも違った。だが、ネーシャに召喚されたことで俺の言語知識は神世界フェティスのものに切り替えられ、翻訳や外国語であることを意識することなく、無意識レベルで読み書きし、発声することができる。

 この帳簿に書かれている項目や数字が意味することも、戸惑うことなく理解することができた。


「財政状況は……あまり良くはない、か」


 帳簿に書かれている支出と収入を見比べると、自転車操業というより毎月若干の足が出ている。

 それが積み重なって負の資産となり、月々の売り上げからは回復不能な数値にまで達していることが読み取れる。

 それらを全て借金で賄っていたようだが、この額では強制的に取立てられるのも時間の問題だっただろう。


 俺なら商いを潰して家屋をかたに取る——だが、この神王国ベネトラの場合、土地や家屋は全て王の所有物。

 住民や商いをする者は、それに賃貸料を支払うことで住んでいるに過ぎない。経営破綻や借金苦に陥るような者は、身を売って奴隷に落ちるしかないのだ。


 一階を一通り調べ終え、次に二階へと上がった。


 こちらも酷い有り様だった。いや、むしろ一階よりも酷い。部屋の数こそ一階と大して変わらないが、居間らしき部屋には四つの椅子が向かい合うように並べられ、ドス黒い血痕がそこら中に飛び散っている。

 その出血量から、間違いなく生き残りはいないだろうと思えたが、メリナはよくぞ生き延びたものだ。


 それに、一階ほど破壊されてはいない室内と二対ついで向き合っている椅子の状況から、どちらか——多分、二人の子供が片側に座っていたと思われる。

 椅子の脚は血溜まりの上に立ち、天井を見上げれば血飛沫が拷問の苛烈さを物語っていた。

 刃物ではなく、鈍器の類でサラマイヤーの頭を叩き割り、鈍器を振りかぶった勢いで天井にまで血飛沫が飛んだ。その血痕の量を見れば、暴行が何度も繰り返されたことは間違いない。

 そして、椅子の前には小さな空白が二つ——その形から、そこに小さな足が並んでいたことが見て取れる。


 不意に、壁に掛かっている肖像画が視界に入る。栗色の髪が印象的な、暖かく微笑ましい四人家族の肖像画だ。

 残虐な殺しの現場とはあまりにも似合わない笑顔に、少しだけ胸糞が悪くなる——肖像画から目を反らすと、壊れた家具の近くに落ちている血濡れの本が目に入った。


 珍しい——羊皮紙を綴じただけの簡素な作りだが、ペラペラとページをめくると、これが何かしらの教えを説く教本的な絵本だと思えた。

 表紙が血に濡れて破れているため本の題名こそ判らないが、何となく内容が気になったので持ち帰ることにする——しかし。


 子供を使い、探しの物がどこにあるのか吐かせたか、残酷ではあるが効果的なやり方だ。一人殺しそびれたのは大失態ミスもいいところだが。


 改めて惨劇の椅子を見つめた後、視線を外して隣の部屋へ移動した。


 次に確認したのは寝室、子供二人はまだ幼児と言って差し支えない歳だったらしいが、寝る場所は別々だったようだ。

 子供たちの小さな部屋はほとんど荒れていないが、夫婦の方は一階と似たように壁の中まで破壊して家探しされていた。


 一階同様に、多少価値がある物でも無視されているのが判る。だが、鉱石は一階の店舗部分や倉庫にあったはず、寝室で何を探していた?


 そう考えながら、中央で二つに折れている木製のベッドを調べていると、破片の下に随分と価値が高い何かが落ちているのが見えた。

 その価値は200万ドーラ、放置されていた小物とは桁が違う。そんなものがベッドの下にあることも不思議に思い、木片を丁寧にどかしていくと——。


「——隠し金庫」


 そこにあったのは、床下の一部を改造して作られた隠し収納だった。内側が黒い布貼りの鋼鉄製の箱が収まっていたが、開放されて中は空。

 だが、ベッドの破片に隠れるように小さな石粒が一つ残っていた。


 俺の鑑定眼プライスで見えたのはコレだ。


 拾い上げ、神具アーティファクトの光に当ててよくよく観察すると、2カラットより僅かに大きい紅い石が放つ光彩は、吸い込まれるようなうねりを内包した見事な輝きだった。


「……やはり、追うなら石の方か」


 ダダリーン兄弟で面が割れているのは次男のバルブロのみ、それも写真ではなく手配書の似顔絵では、数万人規模のサイランで人探しするのは難しい。

 だが、サルマイヤーがこれほどの鉱石を扱うなら話は別。奪った店舗の在庫全てと、これほどの鉱石を取引できる相手はそれ程多くはないはず。


 店舗の調査はここまでだ。紅い鉱石を上着のポケットへ入れ、鉄筒から神具アーティファクトの水晶を外し、ポーチに戻して再び裏口から外へ出た。


 次の調査に向かう前に、一度墓地に戻って墓守の仕事をしなければならない。今日は昼前に地下納骨堂への集団納骨式がある。

 俺が参列するわけではないが、地下へ降りる地下道の鍵は俺が管理している。納骨式の始めと終わりに開錠と施錠をしなければならん。

 その他の準備はアンに任せているが、鍵の管理はあくまでも俺の役目——鉱石を追うのは夕暮れ時だな。

 


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