第一章 黒ドレスの女
黒ドレスの女 ①
俺が神世界フェティスに転生してから半年が過ぎた。神王国ベネトラの最西端に位置する辺境の大都市サイランに根を張り、職と住処を手に入れて日々金儲けに精を出している。
俺の仕事はサイランに三つある
ハローワークのような職業案内所にも似ているが、依頼人が直接依頼先を探せるところは少し違っている。
その地下納骨堂も、そこへ繋がる地下道も墓守が管理するのだが、それを全て墓守が仕切っているため、聞いていた以上に仕事量の多い激務ではあった。
しかし、墓守なくして死者の安眠はない。
魂の輪廻を迎えるその時まで、死者の眠りを見守る者がいなくては“死の神デスニア”の使徒によって、死を象徴する“
“
まるでゾンビとゾンビハンターの様な話だが、それほど頻繁に起こることでもない。ただ、“死の神デスニア”の使徒は、いわゆるゴーストだとか、幽霊だとか言われるもので、人の手で排除する事が不可能であり、日が出ている時には姿も見えない。
対処するには、誰かが墓を守るしかないのだ。
だが、それだけ重要な仕事でありながらも墓守のなり手は少ない——それも致し方ない。日夜死者の側で眠りを見守る子守のような仕事を、誰が好き好んで職として選ぶだろうか?
十分な賃金と墓地の一角に建てられた住み込み用の小屋。墓地の管理者としてある程度の権限を
その日も日が落ちて夜の帳が降りた墓地内を歩き、墓の様子を確認して回っていた。
手に持つランタンの灯り一つだけで足元を照らし、墓石の様子を確認し、枯れた墓花があれば回収する。
また、闇が深くなれば棺に納められた副葬品を狙った墓荒らしが現れることもある。朝から晩まで何かしらするべき仕事が存在する。
墓地の見回りが終われば、今度は地下納骨堂へ繋がる階段の門を確認する。地下納骨堂は古い資源採掘坑を再利用したもので、サイランの地下深くを蜘蛛の巣のように坑道が走り、そこを納骨堂として使用している。
地図を持たぬ者が無闇に歩き回れば、道に迷って出てこられない可能性もある。そのため、基本的に門には鍵を掛け、墓守や役人である司祭の同伴なしでは地下納骨堂に降りられないようにしている。
南京錠に似た錠前を引き、しっかりと鍵がかかっている事を確認し、夕暮れ後の見回りがひと段落する。
このあとは深夜の見回りまでフリーの時間だ。寝るか、食事にするか、それとも読書に耽るか——。
すっかり自分の持ち家感覚で使っている小屋に向かって歩き始めると、
陽の落ちた墓地に墓参りにくる者は少ない。夜の闇は死者にとって安穏の時だ。その眠りをわざわざ起こす者を、参拝者とは呼ばない。
この時間、アンはすでに墓守小屋に戻っている。アンも墓守として俺の金儲けを手伝っているが、もっぱら家事の手伝いの方がウエイトとしては大きい。
となれば——ランタンの灯りがここへ現れた目的は、俺のもう一つの金儲けに関することに間違いないだろう。
ゆっくりとこちらへ——俺が持つランタンの灯りに引き寄せられるように近寄って来たのは、時間外れの黒いドレスに身を包んだ若い女だった。
「こんな時間に墓参りとは……死者を無闇に起こしては“死の神”が喜ぶだけだぞ。それとも、墓参り以外の目的でも?」
俺の前で歩みを止めた黒ドレスの女は、ツバのない小さな黒のトークハットを被り、顔を覆うチュールによってその表情はほとんど見えない。
だが、下顎と下唇のラインを見れば、その女が相当な美人だと判断できた。
「……夜分遅くに申し訳ありません。あなたがこの墓地の墓守、ゼン・カネガですか? シスターにここへくれば、私の依頼を聞いてくれると……」
シスターというのは、
それらとは別に、神王国ベネトラには上位階級として
そして、依頼を聞く——そう、俺はこの神世界フェティスでも便利屋の仕事を続けていた。
墓守の仕事は一日中やるべき仕事がいくつも存在するが、その合間には長いフリーな時間も存在する。
ここが日本なら合間の時間を潰す娯楽は潰しきれないほどに存在したが、この神世界フェティスではせいぜい本を読むか酒を飲む程度だろうか。
それに何より、俺にとって生き甲斐である金儲けを続けるには、墓守の仕事だけではあまりにも充実感が少なかった。
すぐには黒ドレスの女に返事せず、その全身を上から下へ、また下から上へと舐める様に視線を巡らし、「ついて来い」とだけ答えて墓守小屋に向かって歩き出した。
「ゼン、お帰りなさい!」
墓守小屋では、アンが囲炉裏に木炭を放り込んでいるところで、俺の後ろに見慣れぬ女性が立っていることに気づいた。
「——客だ」
それだけ答えればアンには十分だった。黒ドレスの女に軽く頭を下げると、部屋の隅の方へ下がって行った。
墓守として与えられた小屋は石造と木造の混合造りで部屋は一つ、ちょっとだけ広い居間があるだけだ。トイレは無いので
居間の中には所狭しと墓守としての道具や生活用品が並んでいるが、部屋の隅には神力を発現する
それらは物珍しさから
買い集めた理由はそのくだらなさが逆に愉快であったり、便利屋として活動する上で活用できないかと考えたからだが——アンを始め、この小屋へやってくる依頼人やシスターたちにはほとんど理解されていない。
俺は囲炉裏の前で胡座をかいて座ることも出来るが、ベッド代わりにもしている長い革張りのカウチに腰を下ろし、居間の中を物珍しそうに眺めている黒ドレスの女には小屋に一つだけの椅子を勧めた。
カウチの横に立つサイドテーブルに置いてある空のグラスと酒瓶に手を伸ばし、琥珀色の蒸留酒を注ぎながら黒ドレスの女にも飲むかどうかをグラスを傾けて確認するが——。
「いえ、私は結構です」
要らないと言うのなら、それ以上無理に勧めることはない。酒瓶を置き、グラスに注いだ蒸留酒を軽く口に含んで一息ついた。
「それで、俺に何か依頼をしたいと?」
「はい……私はメリナ・サラマイヤー。“商いの神ブルータ”様を信仰する信徒です。サイランでは鉱石を売る仕事を生業としておりました」
黒ドレスの女——メリナ・サラマイヤーが話し始める中、俺はグラスを傾けながら黙って話を聞いていた。
女からの依頼は適当に相槌と共感を示していれば話が詰まることなく進んでいく。それは便利屋として仕事をするときの常識だ。
メリナ・サラマイヤーはサイランで鉱石商を営む商人の妻だった。鉱石商が取り扱う鉱石は、エメラルドやルビーなどの宝石として価値ある物のほか、
鉱石と神々の間には相性があり、例えば“富の神ネーシャ”なら金鉱石と、その組み合わせは千差万別だ。
そして、
それゆえに鉱石取引には高い需要があり、多額の現金が取引されている。当然、その現金を狙って強盗や窃盗に狙われることも珍しくはない。
だが、神世界フェティスの国々には個別の軍隊と言ったものは存在しない。使徒がいる以上、雑兵をいくら揃えても命を無駄にするだけだからだ。
争いは戦闘に特化した使徒たちが一個の集団として活動する騎士団が担当し、これが警察組織や軍隊の代わりをするわけだが、サイランに駐在しているベネトラ騎士団の人数は必要最低限の人数しかいなかった。
人手不足から自然と個別の案件に対する対応が疎かになり、メリナ・サラマイヤーに訪れた一家惨殺の押し込み強盗と言う不幸な出来事に対し、騎士団は一過性の事件と見て深く捜査をすることはなかった。
しかし、それではメリナ・サラマイヤーの気持ちが治まることはない。奇跡的に一命を取り留めたものの、夫と二人の子を失い、鉱石商としての店も失った。
メリナ・サラマイヤーに残されたものは身勝手な凶人に対する復讐と、奪われた鉱石を取り戻して鉱石商として再出発すること、それだけが彼女の生きる目標となった。
「つまり、依頼の用件は二つ。一つは強盗犯を捕まえること、もう一つは奪われた鉱石を取り戻すこと、で間違いないな」
話を聞き終え、空になったグラスに再び蒸留酒を注ぎながら、依頼の再確認と達成目標の確認を始めた。
「報酬は?」
「鉱石は末端価格の5割。襲った強盗は全部で三人、一人辺り30万ドーラ」
合計で90万ドーラ以上。ちょうど
鉱石全てを取り戻せれば、ネーシャに上納金を納めても数ヶ月は遊んで暮らせる——便利屋を始めてから、最も高額な依頼だ。
「——いいだろう」
カウチに大きく背を預けて依頼を引き受けることを伝えると、チュールに隠れた女の頰がわずかにつり上がった様に見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます