馬車の乗客 ④
墓地の墓守小屋にその男たちが現れたのは、関所を強行突破した旅馬車から遺体を回収した一ヶ月後だった。
カウチに座り両手を膝の上で強く握りしめる年配の女。派手過ぎず、地味過ぎないドレスを着た上位階級の女だ。その横には俺よりも少し上の年齢、精悍な顔つきだがどこか精神的にやつれた弱さが滲み出る上位階級の男。
カウチの後ろにはそれぞれの付き人である男女が一人ずつ立っており、誰も何一つ言葉を発することなく、黙って囲炉裏の火を見つめていた。
「これがケイン・ラドバルディアの骨壷と遺髪。そして、こちらがミシェール・へーゼンベルクの骨壷と遺髪だ」
「あ、あぁ……」
「くっ……うっ……」
カウチの横にサイドテーブルを用意し、その上に骨壷と白い布にくるんだ遺髪を置いた。それを見た瞬間、沈黙していた二人は嗚咽と涙をこぼし、年配の女は虚空を掻くように両手を伸ばし、骨壷を抱きかかえ、遺髪を握り締めて号泣した。
そして、やつれた男の方も同様にサイドテーブにかぶり付くようにもたれ掛かり、涙こそ堪えているようだたが、漏れ出てくる嗚咽は深い悲しみに沈んでいた。
この二人は旅馬車から発見された少年少女の親たちだ。ともに神王都に住む上位階級の名家で、特にやつれた男の方は
年配の女は神王都有数の大商会——ラドバルディア商会の奥方で、ララーナ・ラドバルディア。
二人はサイランに駐屯している騎士団から子息子女たちの発見報告を聞き、急ぎサイランまでやって来た。
だが、急な事で二人は火葬に間に合わなかった。バルミヤ山で回収された遺体は冷暗室に安置されていたが、さすがにいつまでもそのままにしておけなかったのだ。
騎士団の詰所にあった行方不明者の似顔絵一覧の中に二人の少年少女の顔を見つけた後、家族に至急連絡をとったが、この神世界の連絡手段は馬による郵便か伝書鳥を使った短いメッセージの二種類が主だ。
今回は伝書鳥を使ってメッセージを送ったらしいが、その時に伝えられたのは遺体で発見されたことのみ。
だが、遺体の腐敗と“死の神デスニア”は家族の再会を待ってはくれなかった。遺体が“
二人の家族は先行して付き人の男女を送り込み、本人確認をさせた。だが、本人たちもサイランの街に急行し、騎士団から事情の説明を受けてこの墓地までやって来たが、すでに少年少女の遺体は焼却されていた。
しかし、それでよかったのだろう。子の最後の姿があれでは——幸せだった頃の思い出までもが全て吹き飛ぶ。
この惨劇の発端となった誘拐犯と、少年少女にあれだけのことをした
きっとどこか近い場所で、この二人の親たちが苦しむ姿を見ているのだろう。
アンから空のグラスを二つとり、蒸留酒を注いで二人のそばに置いた。
「しばらく外にいる、落ち着いたら呼んでくれ。アン、いくぞ」
「……ハイです」
咽び泣く二人の親を見つめていたアンも俺に着いて外へ出ていく。二人からの返答はすすり泣く声だけだったが、この空気感の中で一緒にいるのは御免だ。
ランタンを片手に墓守小屋を出て、玄関前の柵の上へそれを置く。特にすることもなく、柵に背を預けて夜空を見上げた。
そこに煌びやかな満天の星空でも広がっていればまだよかったが、見上げた上空は漆黒の曇り空。星明かりも蒼月の輝きもない、薄い霧の漂う墓地の闇が広がるばかりだ。
「お子さんが見つかってよかったです」
アンが俺の隣で同じように曇空を見上げながら呟くが、素直に同意はできない。
「——どうかな。生きているという希望を持ち続ける方がいい場合もある、自分たちの子供がどういう状況に陥っていたかは詰所で聞いているはずだ。それを知った今、果たして何が残っただろうな」
それが何かは容易に想像がつく。裏事の世界に長く身を置けば、人が絶望した先に何を願うのかを何度も目にした。
それはこの神世界フェティスでも大きく変わりはしない。むしろ、もっと直接的な表現で裏事を依頼されることも少なくないのだ。
「ミスター・カネガ、ヘーゼンベルク卿がお呼びです」
曇空を見上げで幾ばくかの時間がすぎた頃、墓守小屋のドアが開いて付き人の女が声を掛けてきた。
「あぁ、わかった」
すでに小屋の中からは嗚咽も涙声も聞こえてこない。中に戻ると、俺が置いた蒸留酒の瓶がほぼ空になっており、ララーナ・ラドバルディアとカーヴィル・ヘーゼンベルクが持つグラスにもほとんど残っていなかった。
カーヴィル・ヘーゼンベルクは俺の視線に気づくと「ご馳走になった」と呟いてグラスを囲炉裏の前に置いた。
ララーナ・ラドバルディアの方は両手でグラスを包み込むように握り、俯くようにグラスの底に残った琥珀色の蒸留酒を見つめ——いや、睨みつけていた。
「落ち着いたようだな」
そんな二人に一声かけ、小屋に一脚だけある来客用の椅子に腰掛ける。アンは空き瓶となった蒸留酒の瓶を回収し、部屋の隅——アンの定位置ともいうべき場所へ移動した。
そして、俺の聞く準備が整うのを待っていたのか、カーヴィル・ヘーゼンベルクが話し始めた。
「君の配慮に感謝する。我々は子供たちと共に直ぐにでも神王都に戻るつもりなのだが、聞くところによると……君は報酬次第でなんでも請け負ってくれると聞いたのだが、間違いないかね?」
「報酬次第で仕事を請け負ってはいるが、なんでも——というわけじゃない。基本的に異端行為を依頼として請け負うことはないし、金の取り立てや脅し、恐喝の類も請け負わない」
だが、正当な依頼を遂行する上で、俺が俺の判断で異端行為——つまりは犯罪行為をすることは否定しないがな。
「なるほど、聞いていたとおりだ。ではもしも、我々の子供達を誘拐し、このような目に合わせてくれた人物たちを探し出してほしい。そう依頼すれば、君は請け負ってくれるか?」
その依頼をしてくるであろう事は想像できていた。今回の件はあまりにも証拠がない、旅馬車を使って関所突破を計った二人はどこの誰とも知れず、唯一の手がかりは共通のイレズミぐらいだろうか。
子供たちを弄んだ相手も、旅馬車の二人だったのか、それとも別の誰かだったのか、それもまだ何も判っていない。
いやむしろ、事件一つ一つに大して時間を割かない騎士団や従士たちにしてみれば、御者と乗客が子供たちに乱暴を加えながら国中を連れ回ったとしか考えられなかった。
それもあり得る話ではあるが、やはり二人の裏に別の誰かがいると考えた方が自然だ。
ダストン・マールに誘拐と可虐性欲の持ち主について匂わせたが、所詮は従士隊の一隊を率いるリーダーでしかない。
以前のような明らかな犯罪現場に誘導する事はできても、事件の捜査を誘導する事は中々に難しい。
まぁ、だからこそ俺のような人間がそれで金儲け出来るわけだが——。
「その内容なら請け負うのもやぶさかではないが、まずは騎士団や従士隊に調査させるのが筋じゃないのか?」
「もちろんサイランに駐留する騎士団にはしっかりと調査するように依頼する。だが、我が愛しき子に再び会えたのは、君が現場に赴いて検分を行ったからだと聞く。それがなければ行方不明者との照合など一切行われず、名無しの遺体として埋葬されていたのは、墓守である君が一番よく知っているはずだ」
それは間違いない。行方不明者の似顔絵など、そう数があるわけではない。写真をコピー機で複製するわけではないのだ。
“絵画の神ゴーン”の信徒に精巧な似顔絵を依頼し、それをさらに複製し、各都市の詰所に配布し、一縷の情報を求めて待つ。
だが、身元不明の遺体が出るたびに似顔絵の束と照らし合わせるわけにもいかない。せいぜい、死んだ場所が明らかに上位階級が出入りする場所だったり、何か特徴的な家紋や紋章の入った貴金属を身につけていたりした時ぐらいだ。
俺が何か言葉を返す前に、カーヴィル・ヘーゼンベルクは話を続ける。
「カネガくん……私はね、この悲劇の裏にドス黒い何かがあると直感しているんだよ……いや、親バカだと思われるかもしれないが、何かがあると、そう思わなければ娘の死を受け入れられそうもない」
「親ならそう思って当然だな——だが、調べても何もないかも知れないぞ? 旅馬車で逃げた二人が全ての異端を行なった張本人かも知れないし、数え切れないほどの関係者が雨後の
「た、たけの? いや、それならそれでいい。真相が暴ききれないほどの闇だと判れば、それ相応の手を考えるまでだ」
「その闇——というのが、このサイランとは無関係の可能性も非常に高いが、俺の本職はこの墓場の墓守——ということになっている。街を離れて闇とやらを探しには行けないぞ」
「それでも構わない」
「——判った。依頼内容は御者と乗客の目的と、二人の子供に何が起こったのか、それを調べる——ということでいいか?」
「ありがとう、それで構わない。報酬に関してだが——」
「それは私から」
そこで初めて会話に入ってきたのは、ララーナ・ラドバルディアだ。
「カネガさん、この依頼はラドバルディア商会とヘーゼンベルク卿からの共同依頼となります。私どもとヘーゼンベルク卿から、それぞれ違った形でこの依頼をサポートするつもりです」
「サポート?」
「えぇ、まずは前金として200万ドーラ。これは依頼の達成に関係なく、調査費用としてカネガさんに提供します。依頼が達成すれば、さらに200万ドーラ。そして依頼の達成条件ですが、ことの真相が見えたと我々が判断した時、と定めさせて頂きます」
「それだといつまでも依頼が達成しない可能性があると思うんだが?」
「そうですね。それを含めての前金です。私たちは何年かかろうと、真相が究明されるまで諦めるつもりはありません」
目に強い光を灯らせるララーナ・ラドバルディアの表情は、真剣そのものだった。視線を隣のへーゼンベルグ卿に向けると、彼も真剣な眼差しで俺を見ている。
「私からのサポートは人的支援だ。君に墓守としての仕事がついて回っているのは重々承知している。そこで依頼が達成するまでの間、このファイスを連絡係兼サポート要員として置いていく。依頼が達成されたのちは、君の要望次第で彼女を君の所有物として取り扱っても構わない」
「俺の所有物?」
ヘーゼンベルグ卿の申し出には正直驚かされた。ラドバルディア夫人の報酬は先の長い話とみれば、前金も達成報酬も魅力的だ。
だが——。
小屋の外に俺を呼びに来た付き人の女。カウチの裏側にもう一人の男と並んで黙って立っているが、俺の所有物になる——と言われても、俺を見る視線には何の感情の色も見えない。
その服装に女らしさは一切なく、男の執事が着ていそうな黒の燕尾服の上着に黒のタイトズボン。
長い黒髪を後ろで一つにまとめ、整った目鼻立ちはきちんと化粧をしてドレスでも着れば、絶世の美女と呼ばれても不思議ではない顔立ちをしていた。
しかし、彼女の佇まいから発する雰囲気は遊びのない真面目な仕事人間——そういった意味では、実に俺好みではある。
「このファイスは奴隷契約によって私に仕えているが、彼女自身は主人への終身雇用を希望している。生憎と、私は女性の奴隷を終身雇用するつもりはない。私のような立場からすると、それは妾を囲い入れるのと同義に見られることが多くてね。立場上しないことにしているのだ」
「は、はぁ……」
だが、奴隷契約はかなり拘束力の強い主従関係を結ぶことになる。仮に奴隷を持つとなれば、契約の内容によってはその衣食住は保証しなくてはならないし、奴隷としての価値を計り、それに見合う働きをすれば契約満了となり解放することになる。
奴隷といえど、その命を奪う行為は異端であり、契約を仲介した“契約の神プーラン”の信徒によって奴隷の死を感じ取り、騎士団などに通報される場合もある。
「この条件で問題ないかね? なければ、我々はすぐにでもサイランを出発して神王都に戻らせてもらう」
「細かい点が少し気になるが、大筋では問題ない。真相究明を約束はできないが、できうる限りの調査はしよう」
「それで結構です。私たちも貴方以外の調査員を後々には派遣することになると思います。この街をよく知る人物として貴方に依頼をしましたが、旅馬車がどこから来てどこへ向かっていたのか。それはこちらで調べるつもりです」
報酬に現金があるとはいえ、プラスして奴隷を一人と言われても困るのだが、一応断ることもできるようなので、まずは依頼だけを受けることにした。
「ではファイスを置いていくので、好きに使ってくれ」
「前金の200万ドーラは
ヘーゼンベルク卿とラドバルディア夫人はそれだけを言い残し、付き人の男と共に墓守小屋から出てると、共に子供達の骨壷を胸に抱きしめ、慈しむように摩りながら墓場の夜霧へ消えて行く。
そして、この墓守小屋に残されたのは俺とアン、ファイスの三人だけとなった。
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