吸血鬼 ③




「この損傷じゃ無理だな——ファイス、葬使そうしに連絡して沐浴もくよくはなしだと伝えてきてくれ。それと、明日の朝一で火葬の手配だ」

「はい、行ってまいります」


 地下納骨堂の一角に造られた霊安室に横たわるサドラ・バルミヤの検分を始めると同時に、この老婆を弔う準備も進めなくてはならない。


 葬使そうしというのは、葬儀を取り仕切る者たちのことだ。俺の仕事はあくまでも墓守であり、主に遺体と骨壷——そして墓場の管理がその役目。

 ダストンに頼まれる遺体の検分なんてのは、おまけ程度の小さな金儲けに過ぎない。


 葬使そうしは運ばれて来た遺体を棺に入れる前に沐浴で清め、遺体の身分や手間賃に応じて複数箇所に分かれた火葬場で焼却する。

 火葬場は金持ち向けの斎場と一般市民向けの地下火葬場に大きく分かれ、サドラの場合は少数名の親族・知人が参加する葬儀が行われたのちに、葬使そうしによって地下火葬場で焼かれる。


 俺が検分する時間はその直前の僅かな時間しかないが、所詮は目で診るだけの素人検分だ。たいした時間は必要ない。


 俺の指示でファイスが霊安室を出て行くと、入れ替わるようにアンが入ってきた。


「ファイスさんはどこへ?」

葬使そうしのところだ」

「あぁ、そうですか……ネーシャ様の神殿に奉納金を納めてきたです」


 ファイスが霊安室から出て俺とアンの二人になったことで、アンは“富の神ネーシャ”の名を出した。


「——悪いな」

「いえいえ、これも使徒様にお仕えする天使の役目なのです」


 霊安室がある地下納骨堂は広大だ。地下深く何層にも広がり、何十万個もの骨壷を安置している。その階層は今も拡大工事が行われており、“掘削の神ドリステン”の信徒たちが奉納を兼ねて工事している。

 そのうちの一人に金を握らせ、密かに造らせた隠し部屋にネーシャの神殿はある——神殿と言っても、デグスターに造らせた木造の小さな祭壇に近い物だが。


 同時に設置した賽銭箱——もどきに硬貨を投げ込めば、“富の神ネーシャ”への奉納金となるわけだ。他にも使徒としての能力を行使する代価をあらかじめ置いておく供物台もあり、そこにもかなりの大金を置いている。


 ファイスにはまだ“富の神ネーシャ”と使徒、それに天使アンの話はしていない。それを話す適切なタイミングがなかった——いや、そんなタイミングが本当に訪れるかは怪しいのだが、早急に話す必要性も感じないままに、引き伸ばし続けている。


 今は余計な心配ごとをよそに置き、サドラ婆の検分を進める。


 石造の棺台の上に寝かされたサドラの体内には、ほとんど血が残っていなかった。胸から腹下まで体を切り開かれば、それも当然か。


 だが、そもそも眼球や舌、それに内臓を持ち去った理由はなんだろうか?


 ダストンからは何か手掛かりを——と頼まれてはいるが、有力な手掛かりを見つければダストンに借りを作れるし、それが俺の金儲けにも繋がる。

 できれば何かを見つけたいところだが——。


「——アン、この世界の神の中には、“吸血の神”……なんてのもいるのか?」

「えっ?」


俺の視線はサドラの体に残る傷跡の一つに釘付けになっていた。それは首筋に見つけた小さな二つの穴、狭い間隔で並ぶように空いたそこからは、血が流れ出た跡がまだ残っていた。


 その穴を見た瞬間に思い浮かんだ言葉は吸血。


 それはつまり、首筋に噛み付いて血を吸い取る——吸血鬼を連想したのだ。


「“吸血の神”ですか? えぇ、いるにはいますけど……“吸血の神ドラバー”様は主にコウモリやヒルなどの、吸血動物たちからしか信仰を受けていないはずです。それに、人々からはネーシャ様と同様、邪神の一柱に数えられていますです」

「邪神か……」


 神世界フェティスに存在する全ての事由に神が存在すると同時に、全ての生き物が誰かしらの神を信仰する。

 それは人だけの特権ではなく、動物も、植物も、きっと肉眼では見ることの出来ない微生物にも、信仰する神が存在するだろう。


 その中でも人々から邪神と呼ばれる神々は、人の価値観において“悪”であったり、不義不徳の行いそのものであったりと、人から忌み嫌われ、敬遠される存在そのものだった。


 “富の神ネーシャ”は富を象徴する神ではあるが、その実態は富そのもの——貨幣であったり無意味に豪奢な物であったりと、価値が高いこと以外に意味がない物への執着などである。


 この神世界フェティスにも贅沢という概念は間違いなく存在し、その一端は“富の神ネーシャ”の奉納へと繋がるのだが、それがそのまま“富の神ネーシャ”の神格を押し上げるかと言えば——それほど単純でもない。


 生きとし生けるものの行いが神への奉納となっても、そこに神への信仰心がなければなんの意味もない。


 故に、上位階級や大商会を率いる金持ちの間では『贅沢狂いは富の神を喜ばす』と揶揄されるほどだ。

 金を稼ぐこと、自分や身の回りを豪華に着飾ること、そこに信仰心の一欠片でもなければ、どれだけ稼ごうとネーシャには届かないのだ。


 だがしかし、このサドラ・バルミヤに空いた首筋の二つの穴からは、何か神聖な儀式でも行ったかのような、歪んだ清らかさを感じた。


「ゼンはサドラ婆さんを殺した男が“吸血の神ドラバー”様の信徒だと思うのです?」

「さあな——だが、もしもそうなら、その男はもはや常人ではないな」

「常人ではない? それはつまり……?」


 下唇に人差し指を当てて俺の言葉の意味を考えるアンに振り返り——。


「刃物で切り開いたのかと思ったが、力任せに体を引き裂いている。こんな事ができるのは使徒か——悪魔憑きバンシーだ」


 その一言に、アンの目つきは明らかに変わった。


 サドラに向ける憐れみの視線が、神力が暴走し欲望と信仰に支配された亡者を危惧する視線へと変わり、その手掛かりが他に残っていないか、入念にサドラの体を調べ始めた。


「引き裂かれたのが、死因です?」

「他に刺し傷は見当たらないし、頭部に外傷もない——だが、ここは違う」


 棺台に横たわるサドラの首元を指さす。そこは暗紫色に変色し、側頚部には半月型の傷跡に変色した痣があった。


「これは……絞殺?」

「だろうな——サドラの顔は首を絞められたことでうっ血し、暗紫色に変色して膨らんでいる。それに、その首の傷は明らかに手で絞めた痕だ」

「サドラさんを天井に吊したり、胸を力任せに開いて内臓を持ち去ったわりには、シンプルに手で命を奪ったのですね」

「そりゃそうだろう」

「……え?」


 アンには想像がつかないかもしれないが、俺は首筋の二つの穴を見た時点で扼殺やくさつを選んだ理由に見当をつけていた。


 アンがその答えを求めて俺を見ている——神世界の様々な知識を授かった天使とはいえ、人の構造的知識や医学知識までもを全て知っているわけではないようだ。

 その万能な知識は、ある意味で神世界フェティスと現代日本が属していた世界との違いに限定されているのだろう。


「血を吸うため——だな。死んだ直後はもちろん、窒息死は血が固まりにくい。流れ出る血を吸うには最適な殺し方だろ? それを考えれば、眼球や舌に内臓を持ち去ったのも、ある意味で納得がいく」

「そ、それはまさか……」

「——コイツは人の血を吸い、ソレが溜った臓器を喰っているのさ」


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