金の亡者 〜便利屋は墓場に住んでいる〜

地雷原

プロローグ




 世界の名目|GDP(国内総生産)ランキング第三位の日本。休むことを知らず、昼夜を問わず人が働き続け、多額の金が回り続ける経済大国。

 “金は天下の回りもの”などと古い諺では言われているが、俺に言わせれば“金を回すものが天下人”だ。

金は儲けて貯めるだけでは意味がない。それによって人を支配し、経済を支配し、命をも支配してこそ、儲ける意味がある。

 金こそが全てを支配する力であり、なにものにも変えることが出来る千変万化せんぺんばんかを可能とする絶対の力だ。


そして金儲けには時間も場所も関係ない。生きる=金儲けであり、生きる場所が個人においてあらゆる意味で千差万別であるように、金儲けする場所もまた、どのような環境であれ、境遇であれ、世界であれ、全く変わることはない。






 その夜、まばらに点灯する外灯の明かりを縫うように進み、都内のコンクリートジャングルの中で不自然と思えるほど、ぽつんと整備された自然公園の駐車場にフルスモークガラスの黒塗り高級セダンで乗り付け、軽く周囲を見渡して待ち合わせの場所に向かって歩き出した。

 個人的にはこのセダンは高級車のカテゴリーには入らないと思っている。貧乏人にはクラス分けなど見分けがつかず、エンブレム一つで高級感を感じて喜びはしゃぐ、所詮は大衆向け高級体験車でしかない。


 だがそれでも、フルスモークガラスと黒塗りセダンの組み合わせが人に与える威圧感は見逃せない。それが相手との交渉を有利に運び、無駄なトラブルを避けることができるのならば、それを使わない選択肢はない。


 深夜の自然公園は静寂と闇に包まれていた。聞こえてくるのは自分の足音と僅かな虫の声。

 そして誰もいない闇夜の野原を進み、立木に囲まれるように置かれている古びたベンチに腰を下ろすと、周囲を窺うように軽く見渡し、腕時計で時間を確認して取引相手を待った。


 だが——夜風が草木を凪いで周囲が一瞬のざわめきに包まれたとき、俺の背中に激痛が走り、その痛みに思わず視界の焦点を失った瞬間——。


 ——俺はどこまでも続く白い空間に立っていた。


「どこだここは——?」


周囲を見渡しながら激痛が走った背中に手を伸ばすが、痛みはおろか服さえも新品同然になっていることに、何が起こっているのかを全く理解できない。


自然公園のベンチに座ってからの記憶がない——待っている間に寝てしまって夢でもみているのか?


 体のあちこちを触れば、心臓の鼓動も体温の温かさも感じる。両足がしっかりと白い空間に立っている実感がある。


 夢じゃない——ならば、ここは深夜の公園でも日本でもない——どこか別の場所。そう結論づけた瞬間——。


「ふふっ、ここはわたしの神域よ」


不意に、背後から女の声が聞こえた。高音だが嫌味はなく、カンに触るようなヒステリックな声でもない。

 それほど大きな声でもないにも関わらず、遠くまで通る透きとおった声色は、聞くだけで不思議な心地よさを感じさせた。


その声がした方へ振り返ると、そこには白い布一枚を細い体に巻きつける様に羽織る一人の若い女が立っていた。

 髪は長い金髪、目鼻立ちはアジア系というより西欧系。長いまつ毛に金色の眼。人間離れした美貌と、欲情を掻き立てられるどころか萎縮してしまうほどに美しいスタイル。

 その女は、明らかに人ではない——そう直感させられるほどの気配を身にまとっていた。


「ここがどこか……しっかりと説明して貰えるんだろうな?」


だが、俺は神も悪魔も幽霊の存在すらも信じてはいない。唯一信じているものは、金がもたらす無垢な力だけだ。


 しかし、こうして現実感のない場所へ連れて来られ、同じ人間とは思えないほどの美女を前にすれば、神とは言わずとも人ではない何かの存在を意識せざるをえなかった。


「さっきも言ったでしょう? ここは神域。そしてわたしはここの主、“富の神ネーシャ”。神世界フェティスを構成する八百万やおよろずの神の一人よ」


正面きって“神の一人よ”などと言われても、いまいち納得がいかない。だが、ここは合わせて話を先に進めたほうがいい——。


「ハッ……神世界フェティスに、ネーシャね。俺は——」

「知ってるわ……釛臥かねがぜん、31歳、男性、両親は既に他界、兄妹はなし。タバコはやらないけどお酒は嗜む。娯楽的趣味はほとんどないけど、体を動かすのは嫌いじゃない。そして何より、お金が大好きでお金しか信じない……金の亡者」


何一つ間違ってはいない俺の個人情報だったが、じかに“金の亡者”などと呼ばれるとムッとする——思わず眉をひそめてネーシャを睨みつけた。


「あら、そんな怖い顔をしないで欲しいわ。いまやわたしはお前の主神、お前にはわたしの唯一の使徒として、色々と頑張って欲しいの」

「使徒……? それに、名乗ってもいないのに俺を随分とよく知っているようだ」

「ふふふっ——ちゃんと説明はしてあげるわ。そうじゃないと、せっかく異世界にまで手を広げて見つけ出したわたしの使徒が、すぐに死んでしまうもの」


 ”富の神ネーシャ”と名乗った美女は片手を頬に当てながら少し顔を傾げ、見惚れてしまいそうなほどの微笑を浮かべ、どこか冷酷な眼差しで俺を見つめていた。


同時に、話をすればするほど疑問が増えていくことに、俺は一つの諦めを感じ始めていた。


「なら、さっさと話をしてくれ——手早く、簡潔にだ」

「いいわよ——使徒とはいえ、神域に長くいるのはよくないから」


そっと恍惚な表情を浮かべたネーシャは、俺の前に現れた理由を話し始めた。




 神世界フェティス——その世界はあらゆるものに神の加護が宿り、人々は八百万やおよろずの神々を信仰して生きていた。

 そして神々もまたその信仰心に応え、中でも特に信心深いものを“使徒”と認め、体の一部に刻印ラースを刻むことで神の力を与えた。


神々が使徒を遣わせる目的は様々だが、共通する目的が一つだけある。それは自身への信仰を高め、集めることで、自身の神格をさらに上へと昇華させることだ。


しかし、神世界フェティスで“富の神”として顕現したネーシャは、自身の神格を昇華させることに苦戦していた。


 その原因が刻印ラースによって授けられた力に起因するのだが——今から数千年前、自身の神格をいち早く昇華させたいと考えたネーシャは、他の神々よりも遥かに強い神の力を注ぎ込んだ刻印ラースを一人の使徒に与えた。


 その結果、刻印ラースがもたらす膨大な力に溺れた使徒は暴走し、悪魔となって一夜のうちに一国を滅ぼした。

それ以降、ネーシャは人々の間で邪神として語り継がれるようになり、度々使徒を生み出しては神世界フェティスに送り出すも、古き災厄の再来を恐れ、他の使徒たちの手によって討ち取られてしまうようになった。


「なんだよそれ、自業自得じゃねぇか……」


 黙ってネーシャの話を聞いていた俺の第一声がこれである。使徒とか刻印ラースとか、実感の湧かない言葉ワードは横に置き、神だと名乗るこの女が人々からの信仰を失ったのは、どう考えてもこの女自身のせいだった。


俺の反応が予想通りだったのか、ネーシャは苦笑まじりに微笑みながら続きを話し始めた。


ネーシャには強力な使徒が必要だった。ネーシャに——金に対して絶対的な信仰を抱き、金儲けに長け、頭が回り、時には相手の——邪教徒の命を狩り取ることも厭わない使徒が。

だが、生まれた時からネーシャを邪神と言い聞かされてきた神世界の住人は、どれだけ好条件を提示されても神世界の敵になることはなかった。


 だから外の世界にそれを求めた。別世界の神の目を盗み——といっても、地球世界のどこにもその気配は感じなかったが。

 そこで生きる人間たちを観察し、品定めし、最高のタイミングを待った。


 そして見つけたのだ——最良のタイミングと、最高の使徒候補を。


 だが、ネーシャはまだ重要な部分を話していない。俺がこの神域と呼ばれる真っ白な空間に連れてこられる直前——俺は確かに激痛を感じた。


 あの痛みには馴染みがある。刃物で刺された痛みだ。


 つまり、誰かが俺を背後から襲ったのだ。


 俺の仕事——金儲けは金貸しはもちろん、おおやけにはできない裏事うらごとと呼ばれる暴力や取引などの犯罪行為の数々だ。

 その相手は一般市民だけではなく、反社会勢力や同じ犯罪者も対象とし、その全てを“金儲け”の一言で片付けてきた——いわゆる便利屋だ。

 自分のやってきた様々な金儲けを考えれば、いつ誰に刺されてもおかしくはない状況であったことは自覚していた。


 だが、それを素直に受け取るほど俺はできた人間でもない。神世界だとか使徒だとかいう前に、俺は日本に戻って受けた借りは返さなねばならない。


「悪いが日本に帰ら——」

「あぁ、それは無理ね——」


 日本に帰らせろ——と言いかけたところで、ネーシャが先読みしたように切り捨てた。


「それはどういう意味だ? 俺をここへ連れてきたのなら、帰すこともできるはずだろう?」


 “自称”神を名乗るのなら、そのぐらい出来ておかしくないはずだ。


 声を荒げてそう言いたかったが、ネーシャの続く言葉に意識が固まった。


「——だって、あなたはすでに刺殺されているもの。背中から首元まで何度も刺されて……わたしがこの神域にお前の幽体を連れてきた後も、地面に押し倒してずっと刺し続けていたわよ? あなた、一体どれだけ恨まれればそこまでされるのよ?」


 俺が何も言い返せないことが愉快だったのか、ネーシャはさらに悪戯好きな笑みを浮かべて言葉を続ける。


「でも良かったわね。わたしの使徒になれば、この神世界フェティスで新たな人生を謳歌できるわ。どう? 大人しく使徒になることを受け入れてくれるかしら?」


 突きつけられた事実に愕然としつつも、俺はネーシャの提案を二つ返事で受ける気にはなれなかった。

 だが、すでに自分が死んでいると聞かされれば、この提案を受け入れる以外に道はないのかもしれない。


「もし断れば?」

「以前の世界からも、この神世界からも、あなたの存在が抹消される……ただそれだけよ」


 他に道はないってことか——しかし、一つ大事なことを聞いていない。


「お前の話はよく判った。その提案を受ける前に一つ確認したい、その神世界フェティスとやらに行き、俺はどうやってお前への信仰を高めるんだ?」

「ふふふっ——それは簡単よ、わたしは“富の神” 。貨幣を集めて奉納することで信仰となるの」

「……それはつまり、上納金を納めろってことか?」


まさか神を自称する者から金の催促をされるとは夢にも思わなかったが、祈りや仏道修行などで信仰を示せと言われるよりかは、遥かに単純な話で簡単なものだ。


「そうとも言うわね。額は少額でもいいの、金額の多い少ないは問題ではないから……でも、必ずわたしへの信仰心と共に奉納して頂戴。そうすれば、それがわたしの神格を押し上げていくわ」

「信仰心と共に……ね。判った、お前の提案に乗ろう」


この何もない白い空間でウダウダと悩んでもしょうがない。考え方を変えれば、新しい場所で一からやり直すのもいいかも知れない。


断れば消えるだけ……なら答えはネーシャの提案を受け入れる——その一つしかない。


「ふふふっ——フェティスで必要になるものは全て用意するわ。さぁ、我が愛しき子よ、使徒よ! お前に富の女神の加護を!」


 満足そうに微笑むネーシャは、両手を広げて立ち上がり、神々しいほどに眩い光を放った。


その光は白い空間すべてを眩く照らし、思わず目を瞑って再び目を開けた時——俺は白い空間ではなく、古びた廃屋の中にいた。

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