第15話 火蓋の切られる音は遠くで

 朝鮮半島の行く末を現わすように今日の空はどす黒く、雨が降り続いていた。地面はぬかるみ、装備だけでなく靴の中も濡れる。靴の中が濡れると足がふやけ、摩擦によるマメの原因にもなる。

 そんな中、偵察分遣隊は六日目にして予定の捜索地域に到着していた。周辺を念入りに偵察して敵が居ないことを確認して安全化し、潜在拠点位置を確保すると、ようやく背嚢を下ろして集積した。

 雨の中でも背嚢を背負っていた背中は熱を持っていた。重量物を下ろし、その熱気が抜ける解放感に那智は思わずほっとした。しかしまだ休む暇はない。

 剣崎の指示で、四組の斥候を周辺偵察に出すと共に、目標の主要幹線道路MSRを監視するための監視哨OP位置を選定する。那智は背嚢に取り付けた小型のバックを取り外した。これはパトロールバックにもなる。これに必要なものだけを入れて背嚢は残し、OP選定に出かけた。

 捜索地域のMSRは事前に調べていた通り、谷間に位置しており、OPの位置選定の自由度は高かった。

 二か所のOPが設定されると、OPの設営にかかった。周囲は木々に囲まれており、そこまで大掛かりな穴掘りは必要なかった。

 作業する四名とは別に一人は必ず周囲を警戒する。言葉は交わさずともアイコンタクトと手信号、訓練で培った連携で、黙々と作業した。

 地面の表層を剥ぎ、脇にどけると携帯エンピで穴を掘り進める。掘った土は土嚢袋に入れた。土嚢として使うための他、掘り返した土は周囲から目立つためだ。腰ほどの深さまで周囲を掘り、支柱代わりの枝を拾ってきて立てると草木を取り付けて偽装した偽装網バラキューダを屋根にした。

 偽装網は杭で地面と固定し、敵方と上方は完全に境目を無くすようにして偽装する。望遠レンズ付きのカメラとスポッティングスコープを置いてOPは概成した。これから数日間、監視を続けながらOPの偽装は絶えず補備修正していかなければならない。狙撃手の古瀬1曹が各OPを点検して回った。

 点検を終えるとすぐにOPからの監視を開始する。監視は二名体制だ。当初、大城と坂田が監視するため、那智は潜在拠点に引き返した。

 OPと同時に潜在拠点も準備されていた。潜在拠点はMSRから二キロほど離れた位置に選定されている。潜在拠点に選定した場所の周囲に民間人の集落もなければ、獣道もない。周囲は植生に囲まれ、接近経路は限られている。さらに近くには小川が流れていて、幸いにも水源も確保できた。敵が接近してくると予期される経路には小型指向性散弾が設置され、警戒員が配置されていた。

 高所には通信用のアンテナを設置して通信が確保されている。

 それぞれのOPから隊員が引き上げてくると剣崎は班長達を集めた。

 野中が洋上司令部に現在地を報告し、これまでの経路上で判明した事項をデータ送信していた。通信は敵に傍受される可能性を考慮して必要最小限の送信しか行わない。

 那智は長距離山地機動で蓄積した疲労を取り除く戦力回復のために自分の休憩するスペースを確保した。

 パラコードでポンチョを木に結び、地面に杭代わりの枝を刺してポンチョを屋根にする。

 そしてケルティ社の担架やハンモックにもなるマルチカム迷彩の汎用ポンチョをさらに取り出すと屋根を作った木にパラコードでポンチョを張り、ハンモックにした。

 その下に自分の背嚢を置き、那智はハンモックの横になった。直に地面に寝ころんで休むと濡れや底冷え、地面の凹凸等で休めないからだ。

 ハンモックに横になってからブーツの紐を緩め、靴下を交換した。足裏は汗と雨で足の皺が溝になるほどふやけ、いわゆる塹壕足になっており指先の感覚はすでにおかしくなっていた。ベビーパウダーの入った防水袋に足を突っ込んで湿気を取り、ワセリンを塗ってマメになりそうな部分を保護してケアした。

 食事も素早く取る。粉末ココアを水筒のコップに開けて水でココアを作り、食事を準備する。手早く済ませるためにビスケットバーや乾燥ゼリーばかりを食べていたので、今回はフリーズドライの糧食を開けた。中身はトマトリゾットとアルファ米で、アルファ米にはすでに水を入れてから一時間ほど経っていた。一応、水を入れなくてもスナック感覚で食べることも出来る。

 ココアを飲みながらナッツとクルミ、アーモンドのミックスの袋を開けてリゾットが出来るのを待った。

 本来お湯で作るリゾットはチーズが固まったままだった。それをスプーンですくって食べるとコッヘルで湯を沸かして食べたいという欲求が湧いてきた。必要なカロリーと栄養を取るためだけの食事だ。味は大味、水で調理すれば味はさらに残念なことになる。

 食事も素早く済ませて雨水を利用して片づけると那智はそのまま仮眠についた。

 那智にはすぐに警戒員の交代の時間が回って来た。時間にして一時間も眠ってはいなかったが、一度寝たために瞼は非常に重い。だが、ここで睡魔に負けて分遣隊全体を危険に晒すわけにはいかない。

 かつていた第13連隊では、陣地を守るために警戒していた若い陸士の歩哨が寝落ちてしまい、偵察隊の斥候の侵入を許したことがあった。実戦ならそれだけで部隊は壊滅する。

 那智が警戒に就く位置は沢に降りる傾斜面で、仕掛けた指向性散弾を遠隔で起爆するための発火具も置かれている。周囲の状況やこの警戒位置の特質等を警戒に就いていた坂田から申し受けた那智は、自分が設置した休憩位置の場所を教えて警戒を交代した。休憩位置は基本的にはバディで共用し、必要最小限の装備品の展開に留めるようにするため、今回那智は坂田と山城と休憩位置のハンモックを共用することになる。

 交代した那智は二時間の警戒に就いた。

 体は出来るだけリラックスさせて楽な姿勢を取る。これは体を休めるだけでなく、むやみに動いて警戒員の位置を暴露しないためでもある。しかし楽な姿勢はそれだけ睡眠不足を補おうとする欲求に弱くなる。そのため常に頭を回転させておかねばならない。敵が来た場合、どうするのか。見つからないようやり過ごすのか、先手を打って指向性散弾を起爆させるのか。敵と接触した場合、どこへ離脱するのか。今後の偵察活動はどのように展開するのか。監視位置への移動経路は。様々な不測事態や今後の行動を先行的に考え続け、自分が理解していない事項が無いかを頭の中で反芻する。

 二時間警戒して交代がやってくるとその位置を秘匿するために慎重に動いて潜在拠点の中心に戻った。

 潜在拠点では新たな動きがあった。周辺偵察から捜索斥候へと切り替わり、交代で弾道ミサイルの自走ランチャーTELや偽装された基地、発射場所の捜索が開始された。

 那智も捜索斥候に向かうことになり、潜在拠点で準備した。

 顔にドーランを塗り直し、共に斥候に出る山城とバディチェックをしあって塗り残しを潰す。お互いがドーランによって凄みのある顔になると、続いてお互いの装備を点検する。装備品が外れかかっていないか、破損していないかだけでなく、音が鳴らないよう防音の処置をしているか、金属部品が露出して光を反射しないよう遮光の処置をしているかもだ。

 準備が整うと山城と共に偵察計画を打ち合わせ、それを近藤2尉に伝えて偵察に出た。

 OPはMSRを移動する車輛を何両か確認していたが、どれも軍用車で、まばらな移動だという。周辺を移動する人員はないとのことだ。

 MSR沿いに偵察を行う那智は、MSRにできた轍を確認するために斜面を降りた。斜面では山城が7.62mm小銃Mk17を構えて援護している。MSRまで降りた那智は素早く轍を確認する。MSRにできた轍のいくつかは明らかに大型車輛のもので、それはスカッドやノドンを輸送する自走ランチャーTELの特徴に酷似していた。それだけ確認すると那智は斜面を登って山城の元に戻る。


「間違いない、TELのトランスポーターです」


「当たりか。分かった。引き続き、MSR沿いを偵察するぞ」


 このMSRをTELが移動するのは間違いない。次は図上研究でスカッドやノドンの発射に適する広場として見積もっていた場所を偵察して回る。


「他の部隊はうまくやってるんでしょうか」


 那智は山城に尋ねずにはいられなかった。自分達がミスをしていなくても、潜入が露呈すれば、捜索部隊が編成される可能性がある。たった十六名の偵察分遣隊には命取りだ。


「今のところ、全部隊に異状はないが、北朝鮮軍も馬鹿じゃないだろう。皆がうまくやっていることを祈ろう」


 山城は、気休めの言葉は言わなかった。今はただ仲間を信じるしかなかった。





 福井県大飯郡高浜町。この高浜町の名を日本全国に知らしめる存在たる高浜発電所には四基の原子炉があった。

 その原子炉は厳重な警備下にあった。今夜も何事もなく夜が更けていくと思われた深夜一時過ぎ、その警備センサーに反応があった。二重三重の警戒線があり、最も外側の警備センサーは敏感で小動物にも反応する。高浜原発に常駐する福井県警察原子力関連施設警戒隊の警部補は、センサーが動体目標を捉えた警告音を聞き、監視カメラの映像をチェックしたが、その位置は監視カメラの死角だった。

 警部補に油断は一切なかった。半島情勢の緊迫化に伴い、警察庁からは警備体制の強化を指示され、福井県警も警備体制を強化し、この原子力関連施設警戒隊も増員を行っていた。警部補は躊躇わずに無線機の送受話器を掴んだ。


「警備本部より警戒3。センサーに感。正体不明。至急確認に向かえ」


『……警戒3、了解。確認に向かう』


 待機していた警戒隊員が反応のあった場所へ向かう。彼らは銃器対策部隊と同様の装備を持ち、対テロ訓練を受けている。決して単独では行動せず、最低でも二人組ツーマンセルで行動する。

 防弾面付き防弾帽と突入型防弾衣を身に付け、MP5F機関けん銃を手にした二名の警戒隊員が現場近くまで来たとき、そのうちの一人がフェンスの傍の人影に気がついた。


「誰かいる」


 声を潜めて警戒隊員は相棒バディ役の隊員に囁いた。


「報告する。監視しろ」


 バディの言葉にその不審者を注視した警戒隊員は、背後から近づくもう一人の人影に気付いていなかった。無線のPTTをその警戒隊員が押し込んだ時、背後から伸びた手がその警戒隊員の口を塞ぎ、ナイフの刃が首筋を切り裂いた。

 その物音を聞いて振り返った警戒隊員の顔面に、サプレッサーが取り付けられた北朝鮮製の64式拳銃が押し付けられ、間を置かずに発砲された。しかし放たれた.32ACP弾はポリカーボネイト製の防弾面フェイスガードに防がれ、警戒隊員は頭から後ろに跳ね飛ばされた。


「襲撃だ!」


 警戒隊員は無我夢中で叫び、尻もちをついたまま9mm実包が込められた弾倉を装填したMP5Fの安全装置を解いて引き金を引いた。襲撃犯は拳銃による殺害の失敗に気付いた瞬間に次の行動に移っており、左手に握ったナイフで警戒隊員に襲い掛かった。

 その顔は恐ろしいほど無表情で、感情を窺わせないものだった。懐に入られたため、警戒隊員の放った弾は当たらなかった。しかし柔道五段の警戒隊員は死に物狂いで抵抗した。そしてその様子は監視カメラを見ていた警備本部の警部補の目にも映った。

「大変だ……!」

 高浜発電所に警報が鳴り響き、原子力関連施設警戒隊の待機していた一個小隊が直ちに装備を整えて現場に急行した。

 警戒隊員はナイフで襲い掛かってきた男を足で何とか防ぎ、その足にナイフを受けながらも力の限り蹴りつけて男を引き離した。

 即座にMP5F機関けん銃を単発連射して9mm弾を男に浴びせる。放たれた六発中、二発は工作員の左肩と左目に直撃した。その男が倒れるか倒れないかのタイミングで、警戒隊員は背後から銃撃を受ける。フェンスに取り付いていた男がこれもサプレッサー付きのVz 61スコーピオン短機関銃を警戒隊員に向けて連射したのだ。


「動くな!武器を捨てて手を上げろ!」


 その時、ようやく警戒隊の即応小隊が駆け付けた。先頭の警戒隊員がMP5F機関けん銃を構えて警告したが、男はスコーピオンの銃口と共に警告した警戒隊員に振り返ろうとした。次の瞬間、包囲していた警戒隊員達から単発で放たれた9mm弾が男の胸を射抜いた。合計五発の銃弾を浴びて男は草むらに倒れる。警戒隊員達は油断なくMP5Fを構えながら男に近づき、容態を確かめた。


「まだ息がある。武装解除しろ。救急車を呼べ」


 撃たれた警戒隊員も生きていた。突入型防弾衣と防弾ヘルメットが.32ACP弾を防いでいた。

 警戒隊員達が二人の男を調べると、フェンスがワイヤーカッターで切られ、男の持っていた所持品からは軍用爆薬などが発見された。

 福井県警はこの事から二人を北朝鮮工作員と見て捜査本部を立ち上げ、捜査を開始すると共に警備体制の更なる強化を実施した。

 福井県警本部には衝撃が走った。誰の頭にもこれは始まりに過ぎないという緊張が過っていた。




 横須賀浦郷倉庫地区。ここは旧日本海軍軍需部狢火薬庫を米軍が接収し、現在、在日米海軍横須賀基地司令部の管理下で、同基地兵器部が、本部、弾薬物揚場、弾薬庫として使用している在日米軍の施設だった。施設前面水域は、横須賀海軍施設水域に含まれ、常時立入禁止となっている。

 南の海側は弾薬等を輸送するためのバージがつく岸壁バースとなっていて、弾薬庫は山肌に横穴を掘って作られていた。

 半島有事が目前に迫り、当然ながら警備態勢の引き上げが行われていた。米海軍の歩哨は単哨を禁ぜられ、最低二名の復哨で行動していた。二名の歩哨は実弾を装填したM4カービンを持ち、警戒に当たっていたが、その背後から音もなく忍び寄った二人の男達によって口を塞がれ、ナイフで首を切り裂かれた。

 音もなく歩哨二名を殺害した男達は、浦郷弾薬庫内へと忍び入ると背負っていたバックパックを下ろし、中身を取り出して弾薬庫内に仕掛けて回った。

 男達は背負ってきたバックパックの中身を空にしてバックパックも捨てると、弾薬庫を出て侵入してきた経路を通って離脱する。道中、出会った歩哨は全員殺害しており、彼らの侵入を察知できた者はいなかった。

 仕掛けられた合計三十キロものセムテックス高性能爆破薬には時限装置付きの電気雷管が取り付けられていた。歩哨を殺害し、爆破薬を仕掛けた男達が離脱する時間設定はぎりぎりだったが、彼らが逃げおおせた数分後、時限装置は電気雷管に電流を送り、雷管を破裂させた。雷管の破裂によってセムテックスは爆発。導爆線によって繋がられたそれは、一斉に起爆し、強烈な爆轟が生み出した衝撃波のエネルギーが逃げ場を求めて弾薬庫内を暴れまわった。

 爆轟は弾薬庫内の弾薬の爆薬等、様々なものを誘爆させた。一瞬にして爆発は膨れ上がり、浦郷弾薬庫は内側から炸裂した。

 その爆発は接岸していたタグボートなども巻き込んでいた。強大な爆発の衝撃波は海上自衛隊横須賀基地にも伝わり、遅れて爆発音が届く形となった。巨大な黒煙がキノコ雲状になって立ち昇り、衝撃波は近隣の建物のガラスも粉砕した。

 爆発音と衝撃波に、文字通りたたき起こされた海上自衛隊横須賀基地の当直が窓から弾薬庫の方向を除いた時、浦郷倉庫地区はまるで火山噴火のような有様になっていた。


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